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FORGET

作者: 洋上Wara

【登場人物】


 テグロフ     男性。老年の退役軍人。

 クローバー    女性。若年の新聞記者。


 友人       男性。テグロフの友人。

 指揮官      男性。声のみ。


 職員       男性。介護施設に勤めている。


 軍関係者1    声のみでも可。

 軍関係者2    声のみでも可。

 軍関係者3    声のみでも可。


 クローバーの母  女性。声のみでも可。



【一場】


         〇テグロフの部屋

          年季の入った木製の机、椅子、本棚、小型の流し台などの調度品がある。

          机の上にはふたり分のティーセット。

          単発式の旧式ライフルが壁に立てかけてある。


          テグロフ、クローバー、机を挟んで対面上に座っている。

          クローバー、手帳とペンを手に取材をしている。



クローバー     百点以上も……。

テグロフ      記憶にあるだけでもそのくらいは持ち帰ったよ。

クローバー     ご遺族はテグロフさんに感謝したでしょう。

テグロフ      ああ……。その瞬間だけは、罪の意識を忘れることができたよ。

クローバー     つらいお話、ありがとうございます。

テグロフ      私や戦友、そして敵兵が戦ったことを風化させたくないんだ。

クローバー     同感です。現代社会はあの悲惨な戦争を忘れようとしている。歴史を捻じ曲げ、なかったことにしているのです。私達はその傲慢さが許せない。だからこうして多くの退役軍人の方にお話を伺っているんです。

テグロフ      私が言うのもなんだが、珍しいんじゃないかい。君みたいな若い子が。

クローバー     歴史の前に老いも若いも関係ないですよ。

テグロフ      ……。他に聞きたいことはあるかね?

クローバー     不躾な質問かもしれないんですが……。

テグロフ      大丈夫さ。

クローバー     先ほどのお話にあった遺品というのはそんなに重要なものなのですか。私達の世代は戦場を経験したことがありません。それゆえに実感が湧かないのです。より戦争を感じてもらえる記事にするために、そのあたりをお伺いしたいです。

テグロフ      そうだな……。クローバーさん、君は幼少期の思い出がぱっと思い浮かぶかい?

クローバー     え……? ええと……。

テグロフ      では、少し考え方を変えよう。(クローバーのペンを示して)ペンにまつわる思い出はあるかな?

クローバー     これですか……。あ、これは父が幼い頃にプレゼントしてくれました。もらった時に母が子どもに与えるならもっとかわいいものにしたらと怒っていたのを覚えています。

テグロフ      長持ちなペンだ……。

クローバー     大切に使っているので。

テグロフ      記憶というのは結構曖昧なんだ。だが、モノから連想すると鮮明に思い出すことができる。まあこれはモノに限った話ではないがね。音楽や匂いもそうだ。人の記憶は人以外に保管しておくと長持ちする。

クローバー     遺品も同じだと……?

テグロフ      悲しいことだが、亡くなった人を思い出すときにもモノが必要なんだ。写真やその人の使っていたモノがあれば、よりその人を身近に感じられる。そして遺品はさらに特別。亡くなるその瞬間、それを記録したモノだ。その人が何のために、何を思って死んだのか、生きている人間へ伝えるんだ。

クローバー     失礼ながら、亡くなった瞬間を遺品から思い出すというのは不可能なのでは。故人との思い出を蘇らせることはできても、戦場での記憶となると……、それはもはや妄想に近いのでは。

テグロフ      そうさ。妄想さ。

クローバー     ……。

テグロフ      納得できないと。

クローバー     まあ……。

テグロフ      さっきも言ったが人の心は弱く脆い。……死ぬ奴は死ねばその瞬間すべてが終わるが、生きている人間はそうじゃない。死んだ奴のために弔いなどをしているが、私に言わせれば、あれはほとんど自分のためだ。生きている人間には死者が必要なんだ。これからを生きるために。

クローバー     故人を思い出すためには遺品が必要と。そしてそのためには故人の在り方は生者が自由に決めていいと。

テグロフ      君は聡いな。

クローバー     少し苦手です。その考え方。

テグロフ      そうか。

クローバー     なんというか亡くなった人に失礼というか……。

テグロフ      わかるよ。

クローバー     え?

テグロフ      考え方を強要するつもりはない。ただあの戦場で、私はそう考えたほうが楽だったというだけさ。

クローバー     生意気でした! すみません!

テグロフ      いやそんな責めるつもりはないんだよ。こういう考え方もあるとい          うこと。こういう考え方を生むのが戦場であるということ。それを          しっかり記録してほしいんだ。

クローバー     はい……。

テグロフ      気にすることはない。自分の意見をしっかり言えるのはいいことだ。それに私には家族もいないから、君みたいな若者と話をする機会もない。私は楽しいよ。

クローバー     お心遣い感謝します。

テグロフ      ……紅茶を淹れよう。

クローバー     いえ、お構いなく。

テグロフ      いいんだ。

クローバー     では私が淹れても?

テグロフ      客人にやらせるわけには。

クローバー     お歳でしょう。

テグロフ      私は元気さ。よく五十代に見間違えられる。

クローバー     若者にやらせてくださいよ。

テグロフ      無碍にするわけにもいかないな。頼むよ。

クローバー     はい。


          クローバー、席を立ち、二杯分の紅茶を淹れる。

その際、テグロフと観客にばれないように、片方のティーカップにペンのインクを入れる。


テグロフ      戦場に行った最初の頃は遺品など気にも留めなかった。

クローバー     え?

テグロフ      始まりはひとりの戦友の死だった。あの時から私は絶対に生き残って、遺品を持ち帰ると決めたんだ。私の始まった日の話を聞いてくれるかい?

クローバー     もちろんです。


          クローバー、ティーカップをテーブルに置き、椅子に座る。

          テグロフ、やおら立ち上がって銃のもとへ行く。


テグロフ      私の友人とは訓練所で初めて出会った。そいつは銃が下手くそでな、暇があると私に教えを乞うてきた。(銃を示して)こいつを見るとあの訓練の日々を思い出す。そしてあの最期の時も。


          テグロフ、銃を構える。


テグロフ      ああ、見える。あの時が。私達は塹壕で攻め時を見計らっていた。






【二場】


         〇戦場(回想シーン)

          クローバーはそのまま椅子に座っており、銃のあったところを見つめ、テグロフの話を聞いている。

          若年となったテグロフは塹壕に隠れつつ、銃を構えている。

          テグロフの隣に友人が現れる。

          友人の銃が地面に置いてある。

          作戦開始前であり、ふたりは数時間塹壕でじっとしていた。


友人        お前ってさ、ほんとに人間か?

テグロフ      そこまで言うか?

友人        だってそこはフォローするとこだろ。

テグロフ      事実を言っただけなんだが……。

友人        その子幻滅しただろうなお前に。

テグロフ      しかし庇っても彼女のためにならないだろ。

友人        (不愛想にテグロフの真似をして)鈍間だから前線にいるべきではありません。まあ確かにそそっかしいところもあったけどさあ、もう少し言い方とかねえの?

テグロフ      もし彼女がここにいたら四回は死んでた。

友人        違う違う。事実がどーのって話じゃないのよ。前線から遠ざけたかったってのはわかる。うん。わかる。そりゃな。

テグロフ      別にそんなんじゃ……。

友人        (遮って)でもな、印象最悪だぞ。今たぶんお前を恨みながら後方で飯炊いてるよ。その場は無理でもあとから謝るとか、本心を伝えるとかすりゃよかったんだ。なんだあの言い草。軍曹も若干引いてたわ。

テグロフ      なんでキレてんだ……。

友人        彼女お前に好意あったの。

テグロフ      ……。

友人        何回か俺と一緒にお前の射撃教室受けてたろ。そんときに惚れたんだと。

テグロフ      ……わかってはいたよ。

友人        だったらなんであんな言い方したんだよ。

テグロフ      忘れてほしかったんだ。

友人        なんだそれ。

テグロフ      俺達はどうせすぐ死ぬ。俺が死んだとき、彼女が恋情を抱いていたならそれほど悲しいことはない。

友人        だったらせめて嫌われて、忘れてもらおうってか?

テグロフ      ああ。

友人        ん~、さっきさ俺お前人間か?って言ったけどさ、撤回するわ。お前人間だよ。

テグロフ      どういうことだよ。

友人        さすがに自分本位すぎる。彼女には生きててほしい、自分を忘れてほしい。自分の要求ばっかさ。だからそんな変な奴は人間だってこと。

テグロフ      ……。

友人        でももったいねえなあ。

テグロフ      何が。

友人        お前確か恋人いないよな。

テグロフ      ああ。

友人        (ため息をついて)自分で家族を持つってのはいいぞお。

テグロフ      その話聞き飽きた。

友人        (ロケットペンダントを取り出して)見ろって。


          友人、ロケットペンダントを開く。


テグロフ      また写真変わってるな。

友人        今3歳。

テグロフ      かわいいんだろ。

友人        ああ。

テグロフ      お前も後方下がれよ。

友人        そんなことできねえよ馬鹿野郎。父ちゃんが悪いやつぶっ倒すって約束しちまったからなあ。

テグロフ      そうかそうか。

友人        聞いてくれよ。この前帰った時な、絵をプレゼントしてくれたんだよ。それがまたかわいらしくてなあ。俺を描いたらしいんだが、もう人の形してねえんだ。なんか丸でぐるぐるぐるって。でさ、それ何枚も描いてたらしい。上手に描けるまでずっとやってたんだとよ。

テグロフ      健気だな。

友人        だろお~。

テグロフ      帰れるといいな。

友人        ああ。約束した。嫁にも子どもにも。絶対帰るって。

テグロフ      ……やっぱ俺には家族は無理だ。帰るなんて保障、俺には。

友人        いや帰るよ俺は。今は戦場にいるけど、戦争が終われば、たとえ死んでも俺は帰る。俺の銃剣で家族の未来が守れてるなら、俺は絶対家族のもとに帰れてる。

テグロフ      苦手だよ、お前のそういうところ。

友人        (少し笑って)よく面と向かって言えるなお前。

テグロフ      戦争、早く終わらねえかな。

友人        (笑って)お偉方が頑張ってくれるさ。


          間。


友人        はは……。こええ……。逃げ出しちまいたい……。

テグロフ      ……。

指揮官の声     各員戦闘準備!


          友人、戦闘の準備をする。

          テグロフは銃を構えたまま。


テグロフ      弾はあるか?

友人        ああ。

テグロフ      手榴弾もあるか?

友人        ああ。

テグロフ      敵の行動を予測して、体の芯を捉えろ。殺せなくても動きを止めれば十分だ。

友人        ああ。

指揮官の声     撃てえ!!


          自軍の榴弾の発射音が断続的に響く。

          しばらくして着弾音。


テグロフ      俺もだ。

友人        ……。

テグロフ      俺も失うことが怖い。

友人        ……。

テグロフ      安心しろ。こっちの砲兵の腕は完璧だ。俺達狙撃班も可能な限り援護する。問題なく敵陣にたどりつける。

友人        ……行ってくる。

テグロフ      待ってる。


          友人、銃を持って去る。


指揮官の声     突撃部隊用意! 突撃!!


          自軍の兵士の鬨の声。

          その中には友人の声も含まれている。

          テグロフ、銃を敵陣に向けて睨んでいる。

          戦場の音。


テグロフ      (銃を構えたまま独白で)俺達と連邦の敵軍はお互い塹壕に隠れて睨み合っていた。五度目の停戦交渉の日だったのだ。当時を知る俺達からするとわかりきったことだが、会談は難航した。何週間にも及ぶ膠着状態は両軍の精神を否応なしに削った。そこに本部から入電が来た。敵拠点を無力化せよ。この戦いが終わるかもしれないと淡い期待を抱いたものはいただろうが、落胆の声はなかった。この戦争、どちらかが力尽きるまで終わらないと、皆薄々気付いていたのだ。……私の友人の小隊は尖兵として敵塹壕を直接攻撃し、無力化する役目を担っていた。無論そのまま行けばただの無駄死に。露払いとして、当時の最新式の迫撃砲、新型焼夷榴弾を投入。面制圧をした後、私の所属する狙撃隊で敵の反撃を精密に潰していく手筈だった。砲撃開始の号令がなり、敵塹壕は砂煙と火に包まれた。敵の反撃はなかった。指揮官はこれを好機とし、部隊を突撃させた。その間、敵は一切の反撃をしなかった。突撃部隊は損害を出さずに陣地に到達した。私達の工兵は見事塹壕の設備、兵士を掃討していたのだ。突撃部隊は拍子抜けだったろう。それから友人とその仲間は生き残りがいないかを確認するために塹壕に入った。……血の匂い、で済ませられないほどのひどい匂いだった。鉄と土と火薬の混ざった腐敗臭。息をすると同時に腹から乾パンが逆流してきそうだった。敵兵は全滅、身体はズタズタだった。新型の威力はすさまじく、大量の破片が敵兵の爛れた皮膚に突き刺さっていた。肉を抉り、骨すら砕き、それはもうただの焦げた肉の塊だった。赤黒い欠片が大量に散らばっていた。目が腐りそうだった。大量の骸の中では正気など保っていられなかった。自分が、爛れていくようだった。……その時、「戦闘」が起きた。敵兵がひとり、生き残っていたのだ。あの惨状だ。生き残りなどいないと思っていた。誰も気づかなかった。死体と判断するために一発ずつ撃っていたから見逃していたのではない。「奴」は味方の死体に隠れて突撃部隊をやり過ごしていたのだ。塹壕から小さな悲鳴が上がった。「奴」が小隊のひとりを銃剣で刺したのだ。そこからは大混乱だった。所詮徴兵令で募った兵隊。恐怖は伝播し、「奴」を仕留めようと、狭い塹壕の中で射線も気にせず発砲した。同士討ちに同士討ちを重ねてついに突撃部隊は私の友人を残して全滅した。そして「奴」は友人を殺した。たったひとりで小隊を全滅させたのだ。


























【三場】


         ◯テグロフの部屋

          シーンは一場の終わりへと移る。


テグロフ      私は小銃を持って突撃していた。なぜかはわからない。手榴弾のピンを抜き、敵の塹壕へ投げ入れた。即座に銃剣を外し、塹壕内に飛び込んだ。味方を倒したそいつの息の根を止めるために。……奴はいた。片腕片脚がなく、血溜まりの中に倒れ、頭部も半分が吹き飛んでいた。……。私はそれから友人を探した。友人のポケットからペンダントを取り出した。その時友人は死んだんだと実感したんだ。そして、私が生きているということも思い出したんだ。……これが私の始まりさ……。

クローバー     ……。

テグロフ      よそじゃ「死体漁り」なんて言われてるが、私は遺品を持ち帰ることで、遺された人が救われるなら構わないんだ。

クローバー     ……。ご立派ですよ。

テグロフ      ありがとう。生々しくて記事にしづらいかもしれないがどうか。忘れないでくれ。

クローバー     ええ。今日はありがとうございました。今度は完成した原稿を持っ

て伺います。では。

テグロフ      ああ。


          クローバー、立ち上がり、紅茶を流し台に捨てる。


テグロフ      せっかく淹れてくれたんだろう。

クローバー     冷めてしまったようですから。また。

テグロフ      ああ。


          クローバー、テグロフの部屋から退出する。



         〇管理室

          テグロフの部屋を出ると、管理室に繋がっている。

          中央に机、椅子、パソコンが一台備えてある。

          部屋の端には鍵のかかった引き出しがある。

          壁の一面がガラスになっており、その向こうにテグロフの部屋が広がっている。テグロフは管理室の存在に全く気付いていない。


          職員がパソコンに向かって事務作業をしている。

          クローバー、管理室に入ってくる。


職員        あ、お疲れ様でした。いかがでした、取材。

クローバー     おかげ様で順調でした。ありがとうございます。取材を許可していただいて。

職員        いえいえ。テグロフさんほどじゃないですが、こうやって広めることも大切ですからね。せっかく戦ってくださったんだから。忘れるなんてあまりにひどいことだ。

クローバー     頭があがりません。あなた方には。

職員        そんなことはないですよ。確かに大変なことも多いですし、お金もかかりますが、世のためだと思っています。

クローバー     素晴らしいですね。

職員        (少し笑って)なんですか、私にも取材したいんですか?

クローバー     あ、いえ。職業病みたいなものです。気を悪くされたならごめんなさい。

職員        滅相もない。

クローバー     テグロフさんにお会いしてわかったんです。戦争従事者の精神的苦痛が。それと同時にケアするあなた方も苦労も。

職員        ……大変なのは皆同じです。クローバーさん、あなただってわざわざこの公国までいらしたんだ。敵同士だった国の者がこうして銃を取らず出会っている。しかもあなたは敵国であったうちの英雄の取材のためにここにいらした。あなたのその行動力こそ、公国と連邦、両国の皆に褒め称えられるべき素晴らしい行為です。

クローバー     そうでしょうか……。終戦して二十年。あの痛ましい戦争も速い時間の流れの中で過去になりつつあります。戦争を資料でしか見たことのない世代も出てきました。こんな時期だからこそ、より鮮明で、互いを思いやれるようなモノが必要だと思ったのです。

職員        その言葉国の偉い人にも聞かせてやりたいです。

クローバー     ええ。

職員        都合の悪い出来事をなくそうとするのはわが公国も連邦も同じですね。

クローバー     悲しいことです。そんなことが許されてはいけない。

職員        まったくだ。

クローバー     そう、許されてはならないんです。

職員        いかがされました……?

クローバー     私は記者として真実を伝えることをモットーとしてきました。偽って伝えたことはいつかもっと大きな歪を生んでしまう。そして何より騙されたほうは納得できない。あなたもそう思いませんか?

職員        そうですね。

クローバー     言うか迷いました。(ガラスの向こうのテグロフを示して)あの人はテグロフさんじゃありませんよ。

職員        え……?

クローバー     おそらく自分を英雄テグロフだと思い込んでるのだと思います。

職員        いやいやいやどういうことですか。

クローバー     戦いの最中でも遺品を持ち帰り、遺族に感謝されたという英雄。彼の始まりの話を聞きました。ご友人の遺品を持ち帰ったのが最初だと。しかし話がどこかおかしいんです。彼はずっと公国軍の塹壕にいたはずなのに、敵陣の悲惨な様子を細かく知っている。あまりに俯瞰的だ。まるで物語るように。作り話ですよ。彼の。

職員        彼も歳です。記憶違いかもしれないじゃないですか。

クローバー     記憶違いというよりはもはや虚言です。存在しないはずの記憶を妄想で補っている。

職員        随分辛辣ですね……。うちの英雄に。

クローバー     私はあなた方のためを思って言ってるのです! 戦争被害者のための介護施設、莫大な資金が使われているでしょう。その対象者であるテグロフが偽物かもしれないのですよ!

職員        クローバーさん、落ち着いてください。あなたの話はあまりにも穴がありすぎる。第一に英雄テグロフの「やったこと」は真実です。たくさんの遺族が彼に感謝しています。それに彼はもう六十を超えた。記憶の欠落や事実を補強することもあるでしょう。人間は機械みたいに正確じゃないんですよ。あなたのような理知的な人間にはそれがわかるはずです。

クローバー     ……。

職員        そして何より、ここはそういう人しかいない場所です。

クローバー     あなた方にとって大切なのは、テグロフという人じゃなくて、テグロフのやった人道的行為なのですね……。

職員        …………人は脆い。その人ではなく、その人の「やったこと」をその人として捉えたほうが楽じゃないですか。

クローバー     ……意味を、分かりかねますが……。

職員        私も少し焦ってしまったようです。「やったことは」なんて言い方。

クローバー     ……。

職員        あのガラスの向こうの人物。彼が英雄テグロフではないかもしれないことは初めからわかっていました。

クローバー     は……?


          職員、立ち上がって引き出しの鍵を開け、ファイルを取り出す。


職員        (ファイルを開き)彼の話した停戦交渉直後の戦闘。あの後彼は敵陣の、いえ、あなた方の陣地にて発見され、極度の錯乱状態であったため保護されました。記録によると話すことすら困難な状態だったようですが、彼の着用していた軍服やタグ、そして小銃に刻印されていた文字からテグロフ二等兵という人物であることが確認されます。意識回復の後、軍病院にて治療を受けますが記憶の欠損がひどく、復帰は困難を極めていました。しかし彼の所持品であったあの小銃とロケットペンダントを渡した際、断片的にではありますが、記憶が回復したようです。先ほどクローバーさんに話されていたような内容ですね。しかし問題が。

クローバー     問題?

職員        テグロフさんの話されていた内容、整合性が取れないのです。彼の言う友人、つまりは突撃部隊の人間ですが、狙撃部隊とは二キロ以上離れた地点に配置されていたようです。つまり、テグロフさんのお話の友人、彼は存在しないのです。

クローバー     存在しないってじゃああの話は。本当に虚言ということですか。

職員        私にはわかりかねます。そしてさらに不審な点が。入隊の際と戦闘の後、彼の人としての情報に大きな差異があったことです。わかりやすいところで言うと歯の健康状態、血液型。つまりは別人であることが検査の結果判明します。そしてある可能性が考えられました。それは「彼」がスパイであること。彼に対して多くの「検査」が行われましたが、スパイである可能性は極めて低く、むしろ自分のことをテグロフと名乗り、従軍を希望していたのです。人員不足を理由に彼の希望は通り、再び前線に。その後は世間でも知られるように、遺品を持ち帰り遺族のもとへ届ける人道的な英雄となったのです。

クローバー     彼の「やったことは」本当、とはそういう意味なのですね……。

職員        ええ。

クローバー     ……彼に身寄りは。

職員        わかりません。まあそれも彼がここに収容されている理由のひとつです。

クローバー     収容って……。

職員        他意はありません。ただ、彼のような人はもう普通に社会で生きることはできません。テグロフさんはそもそも介護施設にいる、とすら認識できないように調整されていますから、ある種収容という言葉が正しいと、我々は考えています。

クローバー     彼は、人間ですよ……。

職員        言われずともわかっています。だから我々はできうる限りの最高の技術をもって彼を治療しています。始まりはどうであれ、テグロフさんはあの戦争を戦ってくれました。我々はその心意気に報いたい。むしろ感謝をしている。あなたも戦闘面ではなく、人道面で英雄的な行いをした彼だからこそこうして取材にいらしたんでしょう?

クローバー     …………ええ。

職員        だったら本当の彼がどこの誰かだなんてどうでもいいじゃありませんか。彼は今「テグロフ」なのです。

クローバー     もう少し、彼と話をしても……?

職員        ……構いませんが、彼に真実を伝えぬよう。もしもそんなことをすればテグロフさんの記憶を修復する必要がありますので。そんなことはしたくない。彼も悲しむ。

クローバー     わかりました。


          クローバー、テグロフの部屋のほうへ向かう。


職員        クローバーさん。

クローバー     はい。

職員        争いって嫌ですね。

クローバー     ……。

職員        もったいない。

クローバー     もったいない……?

職員        物資も、技術も、文明も、そして人命も、心も。無駄に浪費して、後に尾を引くだけ。この施設だってお金がかかります。ほんと、嫌になりますよ。

クローバー     ……嫌でも、あったことは変えられませんよ。

職員        そういう話をしているんじゃないですよ。


          クローバー、ノックをしてからテグロフの部屋に入る。




























【四場】


         〇テグロフの部屋


テグロフ      おや、どうしたんだい。

クローバー     忘れ物を。

テグロフ      おお、それは大変だ。


          クローバー、席に座る。


テグロフ      ん? 忘れ物は?

クローバー     テグロフさん。私相談があるんです。

テグロフ      忘れ物か。いいさ。私でよければ聞こう。

クローバー     戦争って人が死にますよね。

テグロフ      ああ。

クローバー     テグロフさんは人を殺したことがありますか。

テグロフ      もちろん、ある。

クローバー     どうでした。

テグロフ      漠然とした質問だな……。命令だったから仕方なくやった。もし私が敵を撃たなければ味方が死んでいたかもしれない。だから、納得してやったよ。

クローバー     そうですか……。

テグロフ      ただね、納得しようとする努力は必要だった。スコープを覗けば敵兵の顔は見えるし、敵の拠点を占拠すれば生活の跡もわかる。敵は生きていた。どんな理由をつけても、押し潰されそうだった。戦場の中で正常にいるために私は遺品は大事だと位置づけ、その遺品を持ち帰ることで己を正当化した。そうしなければ自分がぐちゃぐちゃになってしまう感じがしたんだ。

クローバー     苦しいですね……。

テグロフ      もう慣れてしまったよ。

クローバー     私の父は、戦争で死にました。

テグロフ      ……。

クローバー     テグロフさん達を恨んでるなんてことはまったくありません。ただ……。

テグロフ      ただ?

クローバー     父は無残に殺されたのです。原型を留めていなかったと聞きます。顔面は半分吹き飛び、残った半分は銃剣でめった刺しにされていたと。

テグロフ      ……。悲しいことだ。

クローバー     父は徴兵で戦争に行きました。母から聞いた話ですが、徴兵の通知が来たとき、父は悲しむことも怒ることもしなかったようです。ただ静かに母と私に向かって「悪いやつを倒してくる」、そう告げたらしいです。そして軍の人から聞いたのですが、父は正規兵にも負けないほど強かったと聞きます。確かに父はたくさん人を殺したんでしょう。それこそぐちゃぐちゃになるような殺し方をされても仕方なかったほどに。

テグロフ      ……君は、仇を探しているんだね。

クローバー     はい。

テグロフ      復讐は無意味だ、などという気はない。人は意味なしに生きられるほど強くない。

クローバー     復讐する気はありません。ただその人を知りたかった。私の父を殺したモノが人かどうか、確かめたかった。

テグロフ      どうだった……。


          クローバー、突然立ち上がり、静寂。


クローバー     わかりませんでした……。

テグロフ      気の毒だ。

クローバー     ごめんなさい。よくまとまらないのですが、私の父は生きているかもしれません。

テグロフ      ……どういうことかな。

クローバー     わかんないです……。

テグロフ      落ち着きなさい。心を鎮めて。

クローバー     私は! 父が遠いところに行くと聞いて、会えなくなるのが嫌で嫌で、そのことを母に話しました。母は私が父に何かプレゼントをすれば早く帰ってくると、そう言いました。だから父の絵を描いた。そうすれば帰ってくるって、言ったのに。……結局帰ってきませんでした。本当は仇を見つけて殺してやりたかった。ペンのインクを毒にすり替えて、それを飲み物に入れてやるつもりだった。記者の身分を利用すれば、ペンを持ってることに誰も違和感を抱かない。


          クローバー、脱力する。


クローバー     毒で文字を書くたび思いました。私は父の仇を討たないといけない。ただ私には父との思い出はほとんどありません。


          クローバーが取材をしている様子。

          軍関係者1、登場。


軍関係者1     名誉の戦死だと聞いたよ。むごい死に方だったらしいが……。最後まで戦って死んだんだ。悔いはないだろう。


          軍関係者2、登場。


軍関係者2     銃の扱いがまるでなってなかった! あの原始人が! 俺がいくら教えてもかすりもしねえんだ。だから簡単に死んじまったんだ! 馬鹿野郎が!


          軍関係者3、登場。


軍関係者3     体術も素晴らしかったですが、何より銃剣やナイフ、刃物の扱いは一級品でした。正規の兵隊もあの人を見習うほど。まさに天賦の才。戦うために生まれてきたような方でした。


          クローバーの母、登場。


クローバーの母   向いてないわ。本当に虫も殺せないような人だった。人を喜ばせるのが大好きな人だった。……人なんか殺した日には罪悪感で戦場から逃げちゃうわ。……厨房であたふたしてるほうがお似合いだったのよ。……クローバー、あなたのそのペンはね、徴兵の通知が来てから買ったものなの。戦争に行ったら生きてまた会えるなんて保障はない。だからお父さん、あなたが一生使えるものを選んできたって。その万年筆。でも女の子にそれはないよねえ……。大切に使ってあげてね。


          軍関係者1~3、クローバーの母、いなくなっている。


クローバー     たくさんの人が私の父について話してくれました。でも実感が沸かないのです。彼らの語る父は「私の父」ではないのだから。だったら「私の」父は、どんな人だったんでしょう。一生懸命思い出そうとしました。でもほとんど出てこない……! 私を叱る母をなだめていたこと、料理を一緒に作ったこと、ペンをくれたこと。よくある思い出ばっかです! そんな曖昧な父のために復讐を。(ペンを示して)でもこれを見ると思い出すんです! あの日、母の腕の中で、父の背中を見送った少女を……。


          クローバー、座り込む。


クローバー     父なら私になんと言ったでしょう……。


          テグロフ、立ち上がり、クローバーのもとへ行き、肩に手を置く。


テグロフ      私がもし君のお父さんなら……楽にしなさいと言っただろう。

クローバー     楽に……。

テグロフ      苦しみばかりだ。だからせめても心持を楽に。そのためにいらないものは捨ててもいい。必要なものは拾ってもいい。穏やかに。道理の通った理屈だけじゃ、心はぐちゃぐちゃのままだ。

クローバー     ……。

テグロフ      さっき、君のお父さんは生きているかもしれないと言ったね。だったら復讐の必要はなくなったんだ。むしろよかったじゃないか。もちろん君がこれまで頑張ってきた気持ちを否定する気はない。新しく始めよう。そして会ってお父さんと話せばいい。

クローバー     ……新しく。私にできるでしょうか。

テグロフ      君は聡い子だ。

クローバー     ……ありがとうございます。

テグロフ      (微笑んで)さあ、お父さんを探しに行きなさいな。会えたら今度は三人でお茶しよう。


          クローバー、立ち上がってドアのほうへ向かう。

          立ち止まり、持っていたペンを床に捨てる。


クローバー     …………覚えていたら、またお会いしましょう。


終幕

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