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子を想い、雪原にウバメトリは鳴く

作者: 空館ソウ

 西の山脈の向こうに沈んだ太陽がまだ照らしている雲が赤く染まる。

 手入れに手間ばかりかかる広い庭から運ばれた夕風が、網戸を揺らし、微かに草の匂いを残していく。


 間近で鳴くセミの声が耳からこびりついて離れない。

 そんな茨城の山奥でした。


 当時十歳だったショウタという子は、計画を立てることが苦手で、勉強も気が向いた時にしかしない、流行りの動画ばかり見るようなどこにでもいる子どもだったんです。


 そんな平凡な子どもが変わってしまったのは夏休みのはじめに風邪をこじらせた後のことでした。


「あ、父さんおかえりなさい。今日は早いんだね」


「……ああ、出先の仕事が早く終わったからな、会社によらずに直帰してきた」


 エアコンもつけず、開け放した窓のそばで寝転んでタブレットを眺めていた色白の子どもの問いかけに私は答えました。

 堂々としたショウタに対して私は若干腰がひけていました。


 それでも私は、なるべく自然に見えるように、自分に向けられた笑顔にゆっくりと笑顔で返し、テーブルにお土産を置きます。

 その後、私は一仕事終えたかのように冷蔵庫から取り出したペットボトルを一気にあおりました。


 学生時代にラグビーで鍛えた体であっという間にボトルを空にし、私はため息をつきました。

 ショウタは私がテーブルの上に置いた菓子をチラリと見た後、またタブレットに目を落とします。


 ショウタが見ているのは子供が夢中になるような動画ではありません。

 日本の歴史を短くまとめた動画でした。

 

「病み上がりとはいえ遊んでばかりいると夏休み明けに苦労すんぞ。宿題終わってんのか」


 二本目のペットボトルを手にショウタのそばに来た私はタブレットをチラリとみながら、つい癖で説教じみた言葉を口にしました。

 そして直後、失言をしたかのように顔をこわばらせました。


「大丈夫だよ、予定通り、八割がた終わっているんだから。それに今動画を見ているのだって宿題でちょっとわからないところがあったから調べているんだよ」


 振り返ったショウタの返事は夏休みに入る前であれば考えられない内容でした。

 目から発される好奇心の輝きも、小学生のものとは思えません。


 ショウタは話は終わったとばかりに、私が立ったままでいることを気にすることもなく、再びタブレットに目を落としました。


   ◆


 夜もふけたダイニングテーブルで、私はビールを傾けながら夕方にショウタが使っていたタブレットの履歴を見ていました。


 娯楽の動画は最低限しか見ていません。

 それどころか、夕方に見ていたまとめ動画すらあまり見ていませんでした。


 それより断然、ウィキペディアや電子書籍の類を読んでいたのです。

 世界史、神話、宗教史、科学、哲学、経済学……


 分野も内容の深さも、子供のみるものではありませんでした。


 履歴を消そうと動かした指を寸前で止めた私はため息をつきながらテーブルにタブレットをおき、泡の消えたビールのグラスを傾けました。


 履歴ごと知った事実が消えればいいのに。


 私は我が子に対して誇らしさより得体の知れなさを感じていました。




 それは対面で缶のカクテルを手にしている私の妻、ハルカも同じでした。


「マサト……今日のショウタはどうだった?」


 看護師の夜勤で帰りが遅くなったハルカの問いに私はタブレットを見て答えます。


「また何かを調べていた。好物だったチョコがけのポテトチップスをテーブルにおいてもチラリと見ただけだったよ」


「以前なら勝手に開けて食べていたのに……」 


 また一つ、ショウタが夏休み前と比べて変わってしまったところが見つかり、二人とも、親としてなんとも言えない気持ちになりました。


 きっかけが先日入院までした病気だということはわかっているのです。けれど、病気とショウタの変化がどう関係しているのかわかりませんでした。


「奥田先生にそれとなく尋ねたんだけど、高熱に関係なく子供の嗜好は突然変わるものだからあまり神経質になることはないって」


 ハルカは勤務先の医師であり入院していたショウタの主治医の意見を口にしました。が、私には納得できませんでした。


「奥田先生は小児科なんだ、やっぱり脳神経外科に見てもらった方がいいんじゃないか?」


 急激な性格の変化の原因は病気や怪我による脳の損傷によることも多いのです。


「でも、ショウタになんて説明するつもり? またあんな顔されたら……」


 そこで母ははっとして階段へと続く廊下の方を見ました。

 階段の下のくらがりをじって見つめます。

 その目には怯えの色が浮かんでいました。


「大丈夫、前みたいに聞かれているなんてことないって」


「そう……トラウマになっているのかも。子供が盗み聞きしていたなんて」


 以前ショウタは階段の下の暗がりに潜み、夫婦のやりとりをじっと聞いていたことがあったのです。

 直後、悪戯が見つかったとおどけた様子でショウタは笑いましたが、私と目があった瞬間、ショウタの顔はひどく大人びていました。


 見間違いでは、ありません。

 ビールのコップを傾けていると、テーブルの向こうから鼻を啜る音が聞こえてきました。


「マサト、やっぱりあの子、“カンコ“になったんじゃ……」


 テーブルについた左手に頭を預けたハルカの目元は見えなくても、泣いているはわかります。


「ばかな想像すんなハルカ。言い伝えなんて昔話だ。子供だって大人の会話が気になれば盗み聞きくらいする。見つかれば気まずくなっておどけることだってある」


「でも、カンコだったなら、私が洗濯物に気をつければ避けられたかもしれないのに……」


 ハルカと違い、私はこの集落の出身ではありませんでした。この話題になると毎晩のように聞く泣き声に内心うんざりしながら、私は妻を慰めるのです。


 カンコは茨城の伝承に出てくる妖怪、ウバメトリの子供です。

 漢字でどう書くかは知りませんが、おそらく換子と書いたのでしょう。

 ウバメトリは甲高い声で泣く人ほどもある鳥の妖怪で、人に化けると言います。


 その集落に伝わるウバメトリは他の土地のものとはちょっと違って、少しの期間人間の子供と取り替え、育てさせるのです。

 丁度良い子供を見つけると、着る服に、マーキングをするように何度も乳をかけるそうです。


 そして、取り替え、十分に育つと取り戻しにきます。そして帳尻を合わせるように親を殺していくそうです。


 カンコの見分け方の一つ目は子供の様子です。カンコとして成長した子供は人の言葉を話せなくなったり、残虐なことをしたり、人ができないことをするそうです。


 カンコが明らかに人にできないことを始めれば、それを嗅ぎつけたウバメトリが子を取り戻しにくる。


 連れ去られた子供は帰ってきません。それどころか何もしなければ親はウバメトリに殺されます。逃れる方法は、ウバメトリがくる前にカンコを殺すこと。取り返される前にカンコを殺せばウバメトリは子供を諦めて帰っていくそうです。

 それだけがウバメトリから逃れる方法だと聞かされてきました。


——馬鹿げている


 私はもう一度、ばかげている、と自分に言い聞かせるようにつぶやき、三本目の缶ビールに手を伸ばしました。


 不気味である一方、我が子がすでに死んでいるという事実を受け入れたくない。

 何よりこの時点でははっきりとした異常の証拠などなかったのです。


 様子が変わっただけで小動物を殺すわけでもなく人の言葉を話しています。

二人は不穏な家で家族を演じ続けるほかありませんでした。


   ◆


 夏が終わり、秋が過ぎ、冬が来ました。

 二学期の間に周囲がショウタを見る目は大きく変わりました。


 十歳児らしく明るく振る舞い、常に新しい遊びを探してきて、大人達を口でやり込め、彼らが許せるぎりぎりのラインで悪戯する。子ども達はそんな自分達を楽しませてくれる彼の周りに次々集まりました。


「いつもあの子がご迷惑をかけてすみません」


「いやいや、あの程度、俺が子どもの頃にはもっとすごいガキ大将がいましたよ。将来が楽しみだ」


 面談のおり、恐縮する母に担任の教師は笑い返しました。

 教師達も、悪戯をする一方で、授業になると打って変わって真面目な態度に変わるショウタに驚きつつ喜んでいたようです。


 見方によれば、ショウタは同級生より一足早く、精神的に成長したように見えるかもしれません。

 けれど、生まれてからずっとそばにいる二人は違和感を覚えずにはいられませんでした。


 自分の時とは違う。違いすぎる。言葉にできないけれど、あえていうなら、あまりに自分達と“生き方が“繋がっていない。

 二人が取る手立てを見つけられず苦しんでいた、そんなおり、事件が起きました。

とある雪の日の夜。ショウタの家の地区を大規模な停電が襲ったのです。


 

「まだ復旧には時間がかかるな……」


 険しい顔でスマートフォンの画面を見ていた私がスマートフォンをテーブルにおきます。

 非常用LEDランタンに照らされる表情は険しく、深い悩みが表れていました。

 隣のハルカも眉間に皺を寄せ、唇を噛み締めています。


 今が真冬であろうと、家が田舎にたつ一軒家であろうと、ここは現代の家の中。

 暖をとるものがなにもなうても、布団をかぶってしまえば死ぬようなことはありません。


 二人が苦悩しているのは今自分達を包んでいる暗闇のことではありませんでした。

 二人の息子ショウタ、であるはずの者についてでした。


 停電の直後、暗闇が怖くてこんなことがあれば叫んで助けを求めてきたショウタの部屋が静かな事を不審に思ったハルカはショウタの部屋の前に立ちました。

 そこで母は、開きかけのドアの向こうに灯りを見たのです。


 決してありえるはずがない灯りでした。 

 ドアに背を向けて胡座をかくショウタを見て、母は驚愕する中、ショウタに気づかれないように私のいる一階に戻り、何があったかを伝えました。


「……確かめないわけには、いかないよな」

「そうね、流石にあんなものを見せられたらね」


 ハルカが見たのはいくつもの空飛ぶ火の玉を操るショウタの姿でした。

もちろんそんなこと人ができることではありません。妖怪の子でなければ。


「問い詰めて、本当にカンコだった時は……」

「わかってる」


 それだけ言い交わした二人は立ち上がり、二階へと上がります。私が開きかけのドアを静かに開けました。

 直後、部屋に入った二人は目を見開き、ひゅっとのどを鳴らせました。


「遅かったですねハルカさん。すぐマサトさんを呼んでくると思っていましたよ」


 ショウタが子供部屋の真ん中に立っていました。炎で顔の片側を照らし、こちらを見てにこやかに笑っていたのです。

 その笑顔は普段の悪戯な笑みではありません。口調、佇まいも大人のものでした。


「ショウタ、その炎はどうやって出しているんだ?」


 呆然と、LEDランタンをもった手をだらりとおろして私はショウタに訪ねました。

 ショウタは手の平の炎をチラリと見ます。


「これは法術ですよ。マンガや小説に出てくる魔法のようなものです。こっちの世界は霊力が少なくていちいち溜めなくちゃ使えないので苦労しました」


 ようやく我にかえった私がその石と炎を交互に見ている様子に苦笑しながら、ショウタが口を開きます。


「この世界にはないものを見せるのが一番納得してもらえると思って、これが貯まるのを待っていたんですよ」


「納得って、何を……?」


 母の問いかけに、ショウタは顔を引き締めてこう言ったのです。


「俺の名前はシウと言います。異世界から来ました」


 呆気に取られた母の反応に満足そうに頷き、シウは話し始めました。


「信じられないとは思いますが、俺は元の世界では法術士、つまり魔法使いをしていました。神童と言われていたんですよ? けれど病弱で、二十八歳の夏に向こうの世界で早死にしてしまいました」


 棒立ちのままの二人に構わず、シウは話を続けます。


「死の間際、ふっと体が軽くなり、俺は女神の前に立っていました。小柄で始終笑っている顔と派手な服装で、俺はその少女が運命を司る神、ジョキ様であることを理解しました。ジョキ様は、俺の法術の才能を惜しんで、再び生きられるようこの世界に送ってくださったのです」


「あなたは、生まれた時から“そう“だったの? それとも、やっぱり夏の日にこの世界に来たの?」


 私の背後からハルカがたずねました。

 シウはショウタと同じ存在なのか、それとも別の存在なのか。


 カンコはいずれウバメトリに連れ去られ、その時自分は殺される。

 そんなことはどうでもよかったのです。ハルカが確かめたいのはショウタがどこにいるのか、その一点でした。


「ええと、よくわかりませんけど、今年の夏の日から俺の記憶は始まっています。神の間で“ちょうど空く身体があるから君にあげるね“、と言って手を振るジョキ様にお礼を言った直後、気がついたら汗まみれで病院のベッドで寝ていたんです」


 ショウタがいなくなった身体に入ったとシウは悪びれずに答えたのです。

 首を傾げつつ告げられた答えにハルカの膝は崩れ落ちました。

 ショウタはもういない。ショックでとても立てる状態ではありませんでした。


「ショウタの身体に入ってから、お前は今まで生活してきたわけか」


「ええ、最初は最低限の知識を得たら家から出ていくつもりでしたが、この世界ではそう簡単には行かないようですし、二人には恩返しをしたくなったので」


 シウはじっと話を聞いている二人に気を良くしたのか、新しい発見を喜ぶ科学者のように語り続けました。


「この世界に法術はなく、霊力も少ししかないことに最初は絶望しかけましたが、考えようによっては俺はこの世界で最初の法術士です。例えば宗教法人を作れば魔法を覚えたい信者はいくらでも集まるでしょう? それでいくらでも贅沢な暮らしができますよ。だからあなた達も色々協力してください。この世界じゃ未成年は何もできないんですから」


 無邪気に、悪びれることなく自分の夢を語るシウに、私はゆっくりと笑みを返しました。


「そうだったのか。中身が入れ替わっていたのか、なるほどな。夏のあたりから様子が変わったから不思議に思っていたんだ」


「心配をかけてすみません。こうして法術を見せないとただの子どもの妄想と不安がらせてしまうと思いまして」


「いや、気を使わせてしまったな。だが確かに、この火を見れば納得せざるを得ない」


 そう言って私はシウの火の前に震える両手をかざしました。


「暖かいな。この火でお湯を沸かしてくれないか。下でお茶を飲んで温まりながらもっと話したい。ハルカ、“用意“をしていてくれ」


 ハルカは私に頷くとドアの向こうへと消えました。


「じゃあ行こうか、とりあえずLEDランタンがあるから、炎はいらないだろう」


「わかりました。ーー炎よ、如律」


 ふつとオレンジ色の光が消えると同時に、LEDランタンの白い光は小学生と、背後の人物を照らし出しました。


——バサッ


「ちょ、ちょっと! 暗い! マサトさん、助けてください! 何かが俺にーー」


 シウは石を取り落とし、農業用の防水袋を頭からかぶりもがいていました。

 袋をかぶせたのは扉の影に隠れていたハルカです。


 私は壁のくぼみにランタンを置き、防水袋の中で暴れるシウに向き直りました。

 ドアの向こうから無言のままハルカが差し出した金属バットで袋の上からシウを殴りました。


 ハルカは床に落ちた光る石を手早く拾いながら袋の紐を結び、階段まで引きずりました。

 もう炎の玉を警戒して作り笑いを浮かべる必要はありません。

 私たちはそれまでの会話で結論を出していました。


 息子ショウタを殺した存在として。

 放置すれば自分を殺しにくるウバメトリを呼ぶカンコとして。

 シウを殺そうと腹をくくっていました。


「如令! 如令! 火よ! ああ畜生! この世界はなんで霊力がないんだ!」


 階段の踊り場でバットを構える私の前にハルカが吊るす防水袋から叫び声が聞こえてきます。

 子供の金切り声はいつもなら隣の家まで聞こえますが、この吹雪では聞こえなかったでしょう。


「袋を持っているのはもしかしてハルカさんか⁉︎ 二人で何でこんな事をーー!」


 流石に私たち二人がやっていることに気づいたシウが叫びますが、その言葉は何度も振り下ろす私のバットでカエルのような声になりました。


 袋ごしでも、暴れていればどこに手足や背中があるかはわかります。

 威張る話ではありませんが、若い頃はケンカに明け暮れていた私は人を殴る力の加減を知っていました。


「ショウタ君が死んだのは俺のせいじゃない! 俺はジョキ様からじきに死ぬ身体をもらっただけーー」


「違うわ、あんたのせいよ」


 ハルカの声に合わせてつい力が入り、一際大きな悲鳴が上がりました。

 我が子を殺して乗っ取ったシウへの憎しみもありましたが、こうしてなぶるのには理由がありました。


 子供がカンコだった場合、袋につめたうえで声を聞きながら棒でゆっくり叩き殺せという話が土地には伝わっていました。


 一息に殺してしまうと地獄に落ちるとか。

 きっと我が子の上げる声ではないと確かめながら殺すことで、確かに人ではなく妖怪を殺したと記憶するためだったのでしょう。


 ハルカが天井のハリに紐をなげ、滑車のようにして袋を吊り上げました。


「あなたのいた世界ではどうか知らないけどね、この世界では急性期の入院患者のバイタルサインは二十四時間モニタリングされているのよ。私は看護師としては失格だけど、息子の状態を細かくチェックしていたわ。投薬後、順調に容体は回復していた。だから、あそこから死亡するなんてありえない。ショウタは死んでいなかった……あなたが、ショウタを殺したのよ」


 ハルカが食いしばった歯の隙間からうめくようにつぶやき、袋のひもを握り締めました。

 その手はすでに自らの血で赤く染まっていました。


「違う! ジョキ様は空く身体といったんだ。俺のせいじゃない! それに原因なんて些細なことだろう? 死んだ息子より俺を育てれば良い暮らしができーーグェ!」


「なにが恩返しだふざけるな! 息子を殺し、息子の皮を被った他人を育てる親がどこにいる! それともお前のいた世界では普通だったのか? だから俺たちがそうすると都合よく思っていたのか?」


 シウの都合の良い言葉に目の前が暗くなりました。

 異世界の事は知りませんが、カッコウのヒナの様に我が子を殺した相手を育てるなど、私には考えられない事でした。どれだけか弱い存在であっても、その裏切りだけは許せませんでした。


「あ、違う、違うんです! 助けて、殺さないで!」


 ようやく私たちが自身を憎み殺そうとしていると理解したシウが命乞いを始めました。


「死にたくないならお前の才能を惜しんで生き返らせた神とやらに頼んでみろ」


 吐き捨てた私の言葉に従って泣きながらジョキ様ジョキ様とシウが命乞いを始めます。

 ジョキとウバメトリとの間にどんな関係があったのかわかりません。


 ですが、なんであろうと、息子を殺した存在をうやまうつもりも許すつもりも私たちにはありませんでした。

 ハルカが紐を階段の手すりに結びながら尋ねました。

 

「ねぇ、ジョキがなんでわざわざ法術が使えないこの世界にあなたを生き返らせたか考えてみたことあった? 普通に考えて、ジョキがあなたの才能を惜しんだのならそんなことはしない。あなたが前世で何をしたか知らないけど、きっとあなたが苦しんでいるのも見ているんじゃない?」


 言葉には息子を殺した者への怒りと多少の嗜虐心が込められているようでした。

 シウを絶望に落とす言葉であればなんでもよかったのでしょう。


 唐突に訪れた沈黙の中、シウの顔から血がひく音を聞いた気がしました。

ふと見上げると、いつの間にか窓の外の吹雪は止んでいました。


「ち、がう。違う、違う違う……」


 シウが入った袋がけいれんを始めたかと思うほどガクガクと震え始めました。


ーールォォォーー


 その時、音ひとつない雪原に遠吠えが響きました。

 あのあたりは田舎でしたが、当時もすでに犬を外飼いする家はありませんでした。

 保健所が熱心で野良犬もいませんでした。


 つまり、結論から言えば、あり得ないことだったのです。


「ジョキ様! どうか助けてください! せっかく生き返らせた俺をあっさりと殺させるはずありませんよね⁉︎  早く眷属に私が逃げられるようにお命じください!」


 静かな家にすがるようなシウの声が響きます。 たっぷりと時間をかけたのち、哀れな異世界人の祈りに応えるように遠吠えが重なりました。


ーールォォォーー


ーールォォォーー


ーールォォォーー


 私たちが次々と続く遠吠えを聞く中、袋の中からジョキ様だ、ジョキ様が応えてくれたと歓喜の声がしていました。

 けれど、私たちに彼の言葉に耳を傾ける余裕はなかったのです。


ーールォォォーー……ッアッ


ーールォォォーー……ッアッアッアッアッ


ーーッアッアッアッアッ


ーーッアッアッアッアッアッアッアッアッ


ーーッアッアッアッアッアッアッアッアッアッアッアッアッ


 遠吠えの輪唱の中に、異なる声が混じり、次第にそれは遠吠えから置き換わりました。

 まるで、大勢の童女の嬌声のような、老婆の哄笑のような。赤子の鳴き声のような甲高い声に、変わっていったのです。


「ジョキ、さ……ま?」


「これってウバメトリの声……? こんなに早く嗅ぎつけてくるなんて」


 もはや一刻の猶予もありませんでした。

 カンコを殺せばウバメトリは諦めて帰っていくはずです。

 ウバメトリの乳の臭いが染みこんで目印になっているショウタの肉体を放り出せば。さすがに手遅れだと気付くはず。

 

 ハルカの方を見ると、彼女も同じことを考えているようでした。

 ハルカが再び袋を引き上げたことで察したのか、シウが再びもがきだしました。


「やめて、やめて下さい! 殺さないで!」


 その言葉に再び怒りが湧き上がりました。

 自分達が助かるためでもありましたが、それ以上に、私は復讐のためにバットを振り上げました。


「断る。ショウタは平凡な子供だった。俺が同じ歳のころとおんなじバカな平凡さで、でもそれが可愛くて仕方なかったんだ。お前が金を稼げる能力を持っていようが関係知ったことか! 息子の肉体を奪ったお前はここで死ね!」


 私は一際大きく叫びながら最後に全力でバットを振り下ろしました。

 もう十分でした。この子供はショウタじゃないと確信が持てた私にためらいはありませんでした。


 断末魔の悲鳴もなく、バットの下で袋が静かに潰れていく様子を見ながら、袋をかぶせて殺せという先祖の教えは、家族の顔をした妖怪の子を少しでも殺しやすくする知恵なのだろうと少しずれたことをぼんやりと考えていました。


 自分達の殺意で命が消えたことを自覚するにつれ、まるで体から吹き出た冷たい泥に自らおぼれるような息苦しさを覚えましたが、やることは残っています。

 私は無理やり体を動かし、手すりに結ばれた紐を解いて短くしました。


「まだ終わってない。ハルカ、手伝ってくれ……おい、ハルカ?」


「え、ええごめんなさい大丈夫、大丈夫よ……」


 何かぶつぶつとつぶやいていたハルカに不吉なものを感じながら肩をゆすると、ハルカははっとして立ち上がり、私の代わりにバットを持ち、玄関へと袋を引きずる私の後をついてきました。


 外灯もついていない真っ暗な玄関の戸をそっと開けて見た外は雪景色でした。

 暖房のない屋内よりさらに冷たい、身を切るような寒さに身震いしながら周囲を警戒すると、奇妙なものが見えました。


 庭の先に広がる畑の端で黒い影が動いています。

最初は月の前をすぎゆく雲が落とす影だと思っていました。

 が、違いました。それは二足でヨタヨタと歩く巨大な黒い鳥だったのです。


「もう近くまできている。いいか? 俺が飛び出してあいつらの前に袋を投げるから戻ったら戸を閉めてくれ」


「ええ」


 子供が明らかに死んだとわからせるために死体を突きつけるのが確実だと考えたからです。

 こちらに気づいたのか、鳴き声が騒がしくなってきました。


 玄関から走り出した私は雪に足を取られそうにながら走り、門の前で袋を振り回して投げ飛ばしました。


「持ってけクソ鳥が!」


畑の中にボスと落ちた袋の口から血飛沫がピュと飛び出て白い雪を赤く染めます。

次の瞬間、歩いていた鳥が一斉に羽を広げ、袋へと群がりました。


袋を弄び、引っ張り合い、あっという間にショウタだったものは引きずりだされました。

 ゴミ袋から引き出しされた残飯を吟味するカラスのように首を傾げるウバメトリ達を前に私は動けずにいました。


 その光景を見ていると、つい先ほどまで確固としていた確信が揺らいでいくのです。

 信じていた言い伝えは本当に正しいのか。


 自分はこの化け物達に自らの息子を差し出しただけではないのか。

 揺らいだ隙間から後悔があふれてきました。


「アァ」


 ウバメトリの鳴き声で思考を中断され、顔を上げた瞬間、私の身体は再び凍りつきました。

 トリにたかられる死体の先。

雪以外何もないはずだったそこに、乱れた白い着物の上に黒いショールをかけた女が忽然と現れ、トリの声で鳴いていたのです。


 女は叫び始めました。失ったことへの悲嘆。手に入らなかったことへの憤怒が容易にわかる、負の感情が手に取るようにわかるはずなのに、なぜか私はその声に安らぎを覚えてしまいました。


「あぁ……あぁ……アァーーーー!」


しかし私の陶酔は次の瞬間、別の叫び声により覚まされたのです。

声のした物置の方に振り向くと、そこにはいつの間にハルカがものすごい形相で立っていました。

雪の上をあり得ない速さで走り、ハルカは私の横を抜け、ウバメトリの群れへと手にした鎌で襲い掛かりました。


「その身体はお前達のものじゃない! 母親のもの、私のものなのよぉ!」


 めちゃくちゃに鎌をふり、ウバメトリ達を死体から遠ざけようとするハルカの目尻から赤いものが流れ、口元には裂けたように赤い筋が走っていました。


「アァ、アァ、アァーー」


 着物の女が鳴くと、ウバメトリ達がハルカを囲み、そのうちの一羽が嘴でハルカの腕から鎌をもぎ取りました。

 ハルカは叫び声をあげ素手で女に向かっていきましたが、ウバメトリの身体で押し包まれてしまいました。


「お前がその声で泣くんじゃない! 嘆くのは! 悲しむのは! 憎むのは! 私! 私だけのものなのよぅ!」


 本来なら助けに入るべきところでしょう。ですが、私は黒い鳥の羽に埋もれてだんだん見えなくなっていくハルカに背を向けました。逃げたのです。


 ショウタの身体を奪ったシウへの憎しみはもうありませんでした。

 それでも、原因を作り、死体をついばむウバメトリへの憎しみは残っていたはずなのに。

 私の足は玄関へと向かいました。

 

「アァ! アァ、アァ!」


 鍵をかけた引き戸の向こうでウバメドリとハルカの叫び声が響く中、私は恐怖におののく心のまま、耳を塞ぎ続けました。


 カンコになったショウタはショウタではない。

 カンコは殺して自分達は生き延びる。

 死体はショウタのものと思わず、あらかじめ決めた山中に埋めて墓は作らない。


 毎晩のように話し合い、お互いに納得した結論だったはずなんです。

それなのに、なぜ死体を取り返そうとウバメトリと戦っているのか、私にはハルカが理解できませんでした。




引き戸のガラスの外が白み始め、もうすぐ朝になると気づいた時、争う声が止んでいることに気づきました。


「……ハルカ?」


 戸の隙間から覗いた先には死体も、防水袋もありません。

 夜明け前の静寂の中、真っ白な雪原がただ広がっていました。

――ドサリ


 たまらず身をすくませ、恐々と何かが落ちた先を見ると、そこにはただ一抱えほどの雪の山がありました。

 屋根の上から滑り落ちてきたのでしょう。まだパラパラと落ちる雪を見て、止まっていた息をゆっくりと吐きました。


 立て続けに起きた異常な出来事に、私の頭は回っていませんでした。

 あの家での雪なんて生まれた時から毎年経験していたのに。

 重みで滑り落ちるなら、

 あんな少ない量で、

 落ちるはずがない。


――ドサリ、ドサリ、ドサリ


 軒下に落ちる雪が、だんだんこちらへと近づいてきます。

 何かが屋根のヘリを歩くせいで雪が落ちてきているんです。


 それを理解した時、一時、私の頭は周りだし、全てを理解しました。

 そして、私はある種の確信を持って、今度は最後まで見届けようと思いました。


――ツト、パタタタタタタ……


 真上で何かが止まって少し経ったのち、夜明け前の青い世界で、軒先から垂れた黒い液体が、たった今できた雪山の上に赤い花を咲かせました。


 下を向いてそれを見ていると、顔に風を感じました。

 ゆっくり顔を上げると、予想通り、そこには一体のいびつなウバメトリがいました。カラス天狗のような半人半鳥の姿であちこちが欠けた、死体を抱いて。


「ハルカ」


 ウバメトリの下半身と羽を持ったハルカは何の感情も見せない微笑みで死体を差し出してきました。

 食べろという意味なのは明らかでした。


 あまりに、あまりに無惨な光景でした。


「……俺は食べない」


 私の言葉を聞くと、ハルカはやはり感情の見えない微笑みのまま背を向け、どこかに飛び去っていきました。


…………

……

 これが私が家族を失った顛末です。

 あのあと、ショウタを食べれば共に行けたかとも考えました。

が、今にして思えば、子供を取り合う相手かどうか、ハルカは試したのだと思います。

 食べれば殺しにかかってきたでしょう。


 ウバメトリの女の鳴き声に安らぎを覚えたのは、あの絶叫に何がなんでも子供が欲しかったという母性を感じたからかもしれません。あんなに恐ろしいのに、それが愛と感じられたのです。


 普段仕事に忙しくしていたハルカはそれと見せませんでしたが、彼女にも同じ様な、狂おしいほどの母性があったのでしょう。

 シウを殺して再びショウタになった死体を彼女は食らいついてでも渡さないと奪いにいった。

 そして、だからこそーー彼女はウバメトリになったのです。



お楽しみいただけましたら幸いです。


この話が多くの人の目につきますよう、なにとぞ応援のほどよろしくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんばんは。お邪魔します。 ホラー自体をあまり読まないのですが、このウバメドリという設定はファンタジーなのでしょうか。現実的にありそうな逸話だなあと思いつつ、ドキドキしながら読みました。 …
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