【早く終わらせたい、かくれんぼ】
踊り場に、片足のつま先が着いた。
同時に、踊り場の向こうの方には何者かのつま先……革靴を履いている。
そんなに広くもない踊り場に降り立ったふみちゃんと私。
その前に、私達みたいに手をつないだ女生徒が二人、立っている。
この制服知ってる。
通学電車で見かけたことある……確か、お嬢様が多いっていう女子校じゃなかったっけ。
この時点でもう、この学校に普段隠れていた霊が休日だから姿を表している説は捨てた。
余所から入り込んでいるのは確定だよね。
ふみちゃんは迷いもなく踊り場を進む……階段を降りるために。
目の前の二人も、階段を昇るためだろうか、まっすぐに向かって来る。
もしこの二人が罠を張る系だったら、ここで変に避けたりした方が危険。
私はいたって気づかないフリをしたまま、ふみちゃんと同じスピードで進んだ。
むぁ、と、嫌な感じが体の表面を撫でて通り過ぎる。
霊が自分の中を通り過ぎる感覚は初めてではない。
一番近い触感は、蜘蛛の巣がまとわりつく感じ。
そんな……そんなおぞけが走るものが今、私の中を通り抜けた。
「みつけた」
見ていない。
私は何も見ていない。
見ていない。気にもしていない。
ふみちゃんとつないでいる手を心の拠り所にして、階段をなんとか降りきった。
二階の階段前は生徒会室。
その隣が美術準備室で、奥が美術室。
階段の両脇には二階の西側トイレ。
そして、二年一組、二年二組……と、東側へ続いている。
私達はまず、一番奥の美術室から確認することにした。
ガゴ、ガゴッ。
美術室はしっかり鍵がかかっていた。
そうだよね。
三階が異常だったんだよ。
まるでアトラクションのお化け屋敷みたいにてんこ盛りだった。
だいたいお化け屋敷だって、出るか出ないかわからないから怖いのであって、ずっと出続けてたら慣れて怖さも減っちゃうよね……なんて、心の中で思ってたのがいけなかったのかな。
美術準備室を調べて中に入ったとき、背後で扉が勝手に閉まった。
しかも鍵って普通、中からかけるじゃない?
それなのに、中側からちゃんと鍵は開けているのに、何が突っかかっているのか、扉が開かない。
二階からなら、最悪飛び降りれないこともないかなって窓の方へ近づいたら、美術室へとつながる扉が半開きだった。
なんなの、このB級ホラー展開。
ふみちゃんが手を握ってくる。
「やっつん、とりあえずさ、美術室の方から回ってみようよ。なんかこっちの扉は立て付け悪いっぽいし」
ふみちゃんの声に救われる。
「賛成」
ふみちゃんの手を二回握り返して、美術室へと足を踏み入れる……暗い。
美術室のカーテンは遮光カーテンだからか、突然暮れちゃったんじゃないのって思うくらい暗い。
薄手カーテンな美術室準備室から入り込んだ夕暮れ前の淡い光が、奥の壁際に並べられた石膏像をぼんやりと浮かび上がらせる。
独特の、絵の具の匂い。
それ以外に特に何かは……見えない。
ふみちゃんの手を握って顔を見て。
「ここも誰も居ないね」
早く確認し終えたことにしたかった。
見えないでいるうちに、ここから出てしまいたかった。
「だね。あとは入口から出られるかどうか……」
美術室の入口へと向かう。
中から鍵を開けようとしたら、勢いよく扉が開いた。
え? 鍵、今、閉まっていたよね?
「みつけた」
私は見ていない。
扉の前に立って舌を出していた金髪のお兄さんから目をそらしたんじゃなく、鍵が気になったから鍵の方を目で追った……という理由だから。
見ていない。
廊下に戻ってすぐ、美術室に戻って扉を閉めたい衝動に駆られる。
二階の廊下の向こう……東側の奥に、人影が見えたから。
距離が随分あるのに、わかる。
工事する人みたいな作業着と反射板。
そして、首がおかしな方向に曲がっている……えっ……こっちに歩いて来ている?
うわわわわ。
私はふみちゃんの手を握ってから引っ張った。
「変に時間食っちゃったね。サクサク行こうか」
「あ、そーだね」
焦っているようには見えない程度の早足で、まずは生徒会室へ。
私達が歩き始めてから、工事の人、急に走り出した。
斜めった頭が変な感じに揺れている。
逸る気持ちを必死に押し殺しながら生徒会室の扉に手をかける……開く!
「生徒会室、入るの初めて」
廊下を歩いてくるアレから意識を逸したくて、中に入ってからも会話を続ける。
本当は、入口のドアを閉めたいくらい……でも、そういう不自然な動作を、ヤツらは目ざとく見ているはず。
だから自然に……ごく自然に……ようやく治まりかけていた背中の鳥肌が、一瞬にして泡立つような感覚。
もしかして逃げ場がないんじゃ、って考えたとき、いつものアレ。
「みつけた」
背後の気配がさざ波のように引いてゆく……けど、脱力したみたいに疲れている。
ふみちゃんが手を引っ張ってくれるまで、私は動けなかった。
そのふみちゃんは、本棚の前へと移動した。
活動記録みたいなファイルが並んでいる。
そのうちの一つへ左手を伸ばすふみちゃん。
「ふみちゃん、もしかして次の生徒会選挙、出るつもり?」
おどけて言ったつもりだった。
「出ない」
いつものふみちゃんとはテンションがまるで違う声。
私、なんか地雷踏んだ?
「あ、えーとね。生徒会、忙しくて時間取れなくなるって聞いているから」
ふみちゃんはまたいつもの明るい笑顔に戻って、そう言った。
この流れから、誰から聞いたの、とは聞き返せなかった。
「ここも、誰もいないね」
「そだね」
私が答えると、ふみちゃんは二回握る。
変な空気になっちゃったまま、私達は生徒会室を後にした。
廊下に戻ると、工事の人は見えなくなっていた。
もしかしてトイレに居たらやだなぁと思いながら入った二階の西女子トイレは、無駄にドキドキしただけで何にも遭遇せずに終わった。
ふみちゃんもいい加減ドキドキし疲れているのか、「誰もいないね」以外に特に会話もなく、そのまま二年一組へ。
扉、ちょっとだけ開いている。
でも今回は音も匂いもなし。
気持ちの準備だけして二人でせーので扉を開けた……途端、目の前を何かが落ちてきた。
反射的に下がりたくなった気持ちを必死に堪える……こういう罠はズルい。
コンッ。
床から音がしたのと同時、ふみちゃんが小さな悲鳴をあげた。
「黒板消し?」
ふみちゃんの声。
私は左手をぎゅっと握ってから、足下を見る。
ふみちゃんが見えるのなら、霊じゃなく物理だから。
「え、これ……二年一組の誰かが昨日、帰る前に仕掛けたってこと?」
「もしかしたら見回りする先生とか警備員さんを狙った?」
扉を開けたら落ちる黒板消し……なんでも霊の仕業に考えるのは間違っているなって思……うのは早かった。
教室の中、机の上に小学生……三、四年生くらいの男の子が土足で立っていて、飛び跳ねながら私達を指差してゲラゲラ大声で笑っている。
この二段構えの攻撃に、つい眉間にシワを寄せてしまったのをごまかすために、私は軽く咳き込んだ。
んっんーと、喉がいがらっぽい感じを出したあと、すっとぼけて教室内を見る。
「大丈夫?」
「お前、見えてるだろっ!」
「喉がね、なんか」
「お前、見えてるだろっ!」
私とふみちゃんの会話に、男の子は大声で混ざってくる。
この子、話聞かなくて先生に怒られるタイプの子だ。
髪の毛は丸刈りに近く、服もどことなく汚れているし、手足に絆創膏もついていたりする。
この子、きっとお母さんにも怒られるタイプの子だ。
その男の子は机から飛び降りて、「お前見えてるだろ!」を大声で繰り返しながら私達の周りを走り回っている。
当然無視して教室の後ろ、掃除用具入れへと向かう。
「おい! 見えてんだろっ?」
男の子は掃除用具入れの前に立ちはだかる……無視無視。
すると男の子は私の前で素早くしゃがむと、バンザイするように大振りなモーションからスカートをめくった……けど、その手は私のスカートをすり抜けた。
「パンツ見られるって思った?」
あー、面倒くさい子ども。
このモップで叩いてやりたい気持ちをぐっと堪えて掃除用具入れの扉を閉め、ふみちゃんの手を握る。
「ここも誰もいないね」
「うんうん。次行こー!」
私達は二年二組へと移った……けれど、男の子がついて来てる。
新しいパターン……まあ、首が折れてるとかじゃないのはありがたいけれど。
二年二組は、掃除用具入れの中に痩せた男子が隠れていたけど、何事もなくスルーした……私達は。
でもついて来ている男の子は、わざとらしいリアクションと大声で「びっくりしたー!」を何度も繰り返している。
面倒くさい。
二年三組は、カーテンを首に巻いてぶら下がっている……女の人?
顔がこちらを向いていないのが助かった。
あの男の子は自分の首を手で絞めるマネをしながら「ぐえー!」を何度も繰り返している。
面倒くさい。
そしてようやく二年四組……私達のクラス。
ふみちゃんとは中学で知り合って、一年と二年、運良く両方とも同じクラス。
本当に、ありがたい。
そして、さっき忘れ物を取りに来た時同様、怪しいのは何もいない……あの男の子がずっとついて来ている以外は。
「ここは、最初に来たからいっか」
ふみちゃんは手を引っ張って教室の外へ出ようとする。
でも私は、自分の足が自然と遅くなるのを感じていた。
私の半分、隣の教室に向いている側にだけ鳥肌が半端なく立っていたから。
今日イチ、ヤバい。
まだ部屋に入っても居ないのに、だよ?
「どーしたの?」
ふみちゃんはいつの間にか、元気を取り戻している感じ。
隣の二年五組は憂鬱過ぎるけど、ふみちゃんが元気だったら何とか乗り切れる気がする。
「大丈夫!」
精一杯の笑顔を作って、ふみちゃんの手を二回握った。
廊下に出たら、ふみちゃんは二年五組の前に東側トイレへと向かう。
このワンクッションはありがたい。
男の子はトイレまではついて来なかった。
面倒くさくなくてありがたい……とはならないのが、今日の酷いところ。
自分達が入ったの、ちゃんと女子トイレだったよね、っていったん外に確認しに行きたくなったくらい。
トイレの個室ではなく一番奥、換気窓がついている壁際に、ヤバいのが立っていた。
ある意味、最悪のヤツ。
見るからに中年の、太ったおじさん……それだけでも充分に案件なのに、このおじさん、コスプレしてるの……よりにもよってトイレの花子さんの。
花子さんと同じ髪型の髪の毛がやけにサラサラでツヤツヤなのも腹立つ。
私達を嬉しそうに眺めているけど……今からあのおじさんに近づくの?
霊に触れたり触れられたりはただでさえ嫌なのに、あのおじさんが触ってきたら生理的に耐えられないと思う。
私のスルースキルじゃ全く敵わない。
そんなキモおじさん……あえて呼ぶならば花男さんが見えていないふみちゃんは、一ミリも気にせずに進んでゆく。
一つ目の個室を確認した後、私は気付きたくもないことに気付いてしまった。
花男さん、自分の赤いスカートを両手で少しだけ持ち上げてるの。
二個目の個室を確認し終わった後、さらにもう少し持ち上げていた。
このペースだと、四個目確認し終わったときには股間丸出しだよね?
え、花男さんって、そっち系の変態さん?
理解できないし、したくないし、見たくもない。
触りたい方向じゃなく、見せたいだけってんなら、私の死力スルーで突破できる!
心のHPを限りなくゼロに近づけながらも、二階の東側女子トイレはなんとかクリアした。
トイレから出たとき、あの男の子はもう居なかった。
スカートめくりしたいなら、花男さんのスカートをめくってあげればいいのに。
……なんてバカなことを無理にでも考えているのは、二年五組から感じるこの悍ましい寒気のせい。
本当に、ここは嫌。
今現在の心が削れた状態では、スルースキルも発動できない気がする。
嫌過ぎて、扉に近づいたふみちゃんの右手をぎゅっと握りしめて止めてしまった。
「ね、先に図書室行かない?」
「いいよー」
図書室は二年五組の東側の奥。
二人で扉に手をかけると、扉は抵抗もなく開いた。
「開いてるね。三階の視聴覚室は鍵かかっていたのに」
「視聴覚室はさー、パソコンとかあるからじゃない? 盗難防止とか?」
「そだね」
ふみちゃんが手を二回握って、その後、二人で図書室へと入った。
あの怖い感じが少しだけ治まった。
図書室のカーテンも遮光カーテンなんだけど、一箇所、ちゃんと閉まっていない所があった。
内側の遮光カーテンの隙間から見える外側のレースのカーテンは、暮れ始めた夕日の色を含んでうっすらオレンジ色に染まっている。
一年生の最初の頃、ふみちゃんと仲良くなるまでは私、時間があればずっとこの図書室にこもっていた。
だからこの部屋はなんとなく味方でいてくれる気分。
そんな風に気が緩んだからかな。
レースの方のカーテンが揺れているのをつい、窓が開いているって思っちゃったみたい。
カーテンの隙間に近づく私の手を、ふみちゃんがぎゅっと握って止めた。
「どこ行くの?」
「え、カーテンが」
そこまで言いかけてヤバいって思った。
カーテンの揺れは罠だったのかもって。
「あー、陽の光って、本に良くないって聞くもんね」
ふみちゃんのおかげで、会話は自然につながった。
よく見れば窓なんて開いていない。
ただし、遮光カーテンが開いているのは罠じゃなく本当で……その遮光カーテンから細くて白い足が二本、伸びていた。
小学生の……多分、女の子が、カーテンの影に隠れている感じ。
膝小僧すりむいてないから、さっきの男の子ではない。
「そうなの。本に良くないからね。私、本、好きだから」
あくまでも自然に、会話を続けながら遮光カーテンへと近づく。
気付いていないから……だから、平気で近づけるの……と、自分の中で唱えながら。
私が遮光カーテンをきっちり引っ張って閉じようと右手でつかむと、ふみちゃんも左手でもう片方の遮光カーテンを押さえてくれる。
私達がこの図書室で出会ったときのように、左右の遮光カーテンは次第に近づいて、隙間を失くした……と同時に、女の子が遮光カーテンをすり抜けて出てきた。
「みつけた」
またあの声が言わそうとしている、けど、もう引っかかったりはしない。
「ね、最初に仲良くなったきっかけも、この図書室だったよね」
気を紛らわせるために私から話を振る。
「そーだね。私が声かけたんだもんね、同じクラスの人だよね、って」
「……ふみちゃんに会えて、良かったな」
本当にそう思う。
ふみちゃんが居なかったら、私、不登校になっていたかもしれなかったから。
「私も、やっつんと一緒に居れて、本当に良かったよ」
微笑んだふみちゃんの笑顔は、どこか儚げに見えた。
図書室を出ると、廊下はもうかなり染まっていた。
二年五組のあの気味悪さのせいか、血の色にしか見えない。
私達は、二年五組の後ろの方の扉に手をかけた。
図書室を出てすぐの入口……掃除用具入れに近い方の。
そして、鳥肌が立つのを我慢しながら、扉を開いた。
教室の中は、廊下以上に赤く感じた。
実際、赤かった。
赤毛のテディベアのようなぬいぐるみが、教室の中いっぱいに転がっている。
しかも、どのぬいぐるみも手首の所からほつれて……というか、鋭利なもので切られていて、綿がはみ出している。
そんなテディベア絨毯の真ん中に、黒ゴスロリを着て、手首に真っ赤な包帯を巻いた女の子がしゃがんでいた。
ルージュを引いているのか、唇も真っ赤。
色白で、かなりの美人。
本物のお人形さんみたいに、ゴスロリに着られていない。
傍らに積まれている、まだ手首を切られる前のテディベアを一つつかんでは、片方ずつ手首をカッターで切り、ぽいって投げ捨てている……無心にその作業を繰り返している。
バタン。
ふみちゃんが掃除用具入れの扉を開けると、その音に反応するように女の子がこちらを向く……のは全く見えてないフリをして、ふみちゃんの手を握った。
「誰も」
言いかけたとき、自分の声が震えているのがわかった。
その瞬間、背筋が冷たくなる。
慌てて咳き込むと、ふみちゃんが私をぎゅっと抱きしめて、背中まで手を回してくれて、さすってくれた。
「さっき、喉いがらっぽいって言ってたもんね」
「ごめんね」
声の震えがわずかに減った。
「誰もいないね……次、行こっか」
ゴスロリちゃんの視線はまだ感じる。
「みつけた」
いつもの声と、カッターの刃を出し入れするときの、チキ、チキ、チキ、という音とを背後に残して、私達は廊下へと戻った。
鳥肌は全身にまで広がっていて、それを隠すように私はつないでいる手を前後へ振った。
ふみちゃんもそれに付き合ってくれて、ふりこのように手を振りながら東階段を降りてゆく。
踊り場を無事に越え、ここでは何も出遭わずに一階へと着いた。
あとはこの一階をクリアすれば、このしんどいゲームも終わりになるんだ。
心の中で気合を入れる。
「なーに?」
ふみちゃんが話しかけてきた……のを無視していると。
「やっつん、今、握ったでしょ?」
自分の左手を見てみると、確かにぎゅっと握りしめている。
緊張と疲れのせいだろうか。
あと、一階に降りてからも、チキ、チキ、というあのカッターの音が耳にこだましている気がしているからかも。
しゃべっていると気のせいだってわかるのに、静かになった途端、あちこちから染み出して来るような気がしてしまう。
松尾芭蕉の蝉の声と逆。出てくるの。
「あっ……ごめんね」
「ううん。早く終わらせようね」
一階は、向こうの西側の奥から理科室、職員室、校長室、一年生の教室があって、東階段降りた目の前は放送室、そこから東の奥には、進路相談室と保健室、あと、体育館や別館につながる渡り廊下へ出入り口がある。
もちろん東西の各階段脇にはトイレも。
廊下は赤が次第に闇へと置き換わり始めていた。
その中で一つだけ、職員室からは明かりが漏れている。
私達を入れてくれた蓮井先生がお仕事しているんだろう……お休みにまで、お疲れさまです。
「別館や体育館ってどうするの?」
「建物は、この校舎だけだから関係ないよ」
そうなんだ、と思いながらも……ふみちゃんが時々、私の知らない顔をしている気がして、胸の奥がざわつく。
結局、東側の保健室から順番に西に向かって進むことになり、私達は保健室の扉を開けた。