トーベ・二コルソンを探して
真夜中、突然の魔導通信に起こされました。
「トーベ・二コルソンを探して!」
切羽詰まった怒鳴り声。それだけ言うと、通信は途切れてしまいました。
カンナは寝ぼけていたので、誰の声だか解りません。必死の叫び声は割れていて、男のものか女のものかも判別がつかないのです。
「眠れなくなっちゃったわ」
余りの大音量に、家族も起き出してきました。
「カンナ、どうした」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「凄い音がしたけど」
ベッドの上で半分身を起こして、カンナはドアに集まった家族の方を見ました。
「なんだか解んない魔導通信が来た」
「やあねえ、間違いかしら」
「いたずらか?」
「誰だよ」
全く心当たりが無いのです。
今は、どうしようもありません。
「まあ、寝なさい」
父の一言で、家族は解散しました。
カンナは、目が冴えてしまいました。
どうせ眠れないのなら、と連絡先一覧を調べてみます。でも、トーベ・二コルソンという名前は、やっぱり知り合いに居ないのでした。
学校の誰かが行方不明にでもなって、緊急連絡網に一斉配信が行われたのかも知れません。
「でも、こんな時間に?」
情報量も少なすぎます。
気になって確かめると、学校からでは無いようでした。魔導システムに残された発信元は、知らない番号でした。
やはり、手掛かりは何もありません。
とりあえず横になりますが、どうにか思い出そうとしているうちに、夜が明けてしまいました。
そこで、眠い眼を擦りながら学校に行くと、友達にも聞いてみました。
「だれ?」
「知らないなあ」
魔導通信にも、間違い通信は起こります。でも、名乗る前に一言だけ怒鳴って切れたのは、変です。
「いたずらじゃない?」
クラスメートもそう言うので、カンナも、そうなのかな、と思うようになりました。
それから10年以上が経ちました。
カンナは、真夜中のいたずら通信のことなんか、すっかり忘れておりました。
ところが、ある年の休暇、何となく降りた駅で、それは眼に飛び込んで来たのです。
『トーベ・二コルソン』
シンプルな木彫りの看板に、あの時の名前があったのです。カンナの耳に、あの夜聞いた怒鳴り声が蘇りました。
看板の下の扉は、ピカピカに磨きあげられた金属でした。扉の前に立てば、鏡のように自分の姿が映ります。
壁は、周辺の建物同様に、古びて少し欠けた石積です。
両脇には、パン屋さんとお花屋さんがありました。『トーベ・二コルソン』も、何かのお店なのでしょうか。
扉に引手はありません。ノッカーもありません。
カンナは、不思議に思って、扉の隅々までじっくりと眺めました。
それからまた、顔を上げて、扉の上にある木彫りの看板を見ました。今度は、声に出して読んでみます。
「トーベ・二コルソン」
すると、どうでしょう。扉は音もなく消え失せて、カンナは吸い込まれるように建物の中に入って行ったのです。
「やあ、来たね。後継者さん」
建物の中には、不思議な道具や干した薬草が雑然と並べてありました。その奥から、嗄れた男性の声がします。
声は、親しみやすくとても穏やかでした。
積み上がった革表紙の本に、無理矢理乗せられた奇妙な形の金属や、何故落ちないのか解らないような硝子球が散らばっています。それでも床には、危ないものは転がっていなかったのでした。
そして、お店の中には埃も汚れも全くありません。空気も澄んでいます。街中よりもずっと爽やかでした。まるで、深い森の中を歩いているようです。
カンナは、いつしか魔法の品々に埋もれて、静かに座っておりました。時の経つのも知らず、ただ穏やかに。
家に帰ることも、それまで真面目に勤めていた仕事に戻ることも、一切思いだしません。
時折訪れるお客様の相手をしながら、外の世界を忘れて行きました。親しみやすい声の老人は、何処へ行ってしまったのでしょう。気づかないうちに姿を消しておりました。
時期が来て、カンナは特別の通信水晶に魔力をながします。その時が来たことが、自然に解ったのでした。
カンナが水晶に魔力を流すと、録音された音声が、相応しい者に届くのです。
「トーベ・二コルソンを探して!」
それは、あの夜と全く同じ、嗄れた怒鳴り声でした。
一度だけ、その声を送ると、カンナはまた変化の少ない魔法の店番を続けます。
カンナにとって、どれだけの時が過ぎたのでしょうか。
それは誰にも解りません。
やがて現れた後継者は、とても幼い少女でした。
カンナと同じように導かれ、看板の名前を読んだ時、魔法のお店に足を踏み入れたのです。
「ようこそ、後継者さん」
カンナは、来たときと変わらない若々しい声で、魔法道具の陰から声をかけます。
すると、どっしりとした古い樫のレジカウンターには、もう少女が座っていました。
それをチラリと見届ける刹那を置いて、カンナは自宅に戻っておりました。階下に降りて行くと、カレンダーはカンナが店番を始めた日を示しています。
『トーベ・二コルソン』を任されていた時間は、現実とは違う時を刻んでいたようです。そこにいた間、外の世界を忘れました。ですが、帰って来てみれば、穏やかな魔法の時間は、カンナの心の中で確かに息づいているのでした。
お読み下さりありがとうございました
この作品は、冬の童話2021(探しもの)参加作品です。
冬童話2021には、以下も投稿しています。
・冬の谷間(歌を頼りに吹雪のなか人家を探す)
・魔法使いの就職(仕事探し)
・豪雪師匠の名前(失われた名前)
・お転婆姫と暗闇の部屋(愉しいこと探し)
・歌う暖炉(探される側)
・谷間の佳人(亡き妻の面影を探す)
気になるお話があれば、併せてお楽しみ下さいませ