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前編「まるで蟻地獄のように」

 不器用に生きてる真面目な人間より、器用に生きてる不真面目な人間の方が、経済的に優位に立つことが出来る。

 そして、器用に生きられる人間に育つかどうかは、どのような両親の下に生まれるかによって十中八九決まっている。

 まぁ、そんなことを十四歳の僕が言ったところで、青臭いガキの戯言にしか思わないかもしれないが、現代社会の真相の一隅を掠めるくらいはしてるんじゃないかな。

  

挿絵(By みてみん)


 生まれてから十歳くらいまでは、僕にも器用に生きていける余地が残されていた。

 両親は揃っていたし、家も持ち家だったし、所得水準も平均より高い方だったから、休日に家族でキャンプに出掛けるといった贅沢をする余裕があった。

 ……僕が中学受験に失敗するまでは。


 父親は、早くから質の高い教育を施すことで、自分と同じように一流商社に勤める人間にさせたかったらしい。

 お前は俺の宝物だと言って褒めてくれたのは、あくまで自分の期待に応えて好成績を収めていたからに過ぎなかったのだ。

 フルオーダーのブレザーではなく、パターンオーダーの詰襟を着た姿を見た父親からは落胆の溜め息しか出てこなかった。


 両親が離婚したのは、それから半年も経たない夏のことだった。

 終業式を済ませて家に帰ると、すでに父親の荷物の運び出しが始まっていた。

 ひと月以上も前に届け出が受理され、親権は自分にあるということを、引っ越し作業後のガランとしたリビングで母親の口から告げられた。


 専業主婦が再就職したところで、勤続二十年以上のエリート会社員と同水準の稼ぎが出来るはずもなく、その後は下り階段を一段ずつ下がっていった。

 家と土地を手放し、閑静だが物価が高い住宅街から、騒々しくて治安が悪いが物価の安い歓楽街へ引っ越した。

 母親は副業として水商売で働くようになり、学校での同級生の顔ぶれも、品行方正な優等生より不良の方が多くなった。


 この街では石鹸や柑橘類の香りよりも、アルコールやニコチンの(にお)いの方が鼻に残る。

 増税によってアルコールやニコチンの摂取量が減るどころか、値上がりした酒と煙草をこれまでと同じ数量だけ買うための小銭を稼ぐべく、ギャンブル依存に拍車がかかっているという現状もある。

 不健全な街を一掃するという志を持った人間も居るには居るが、大抵は後ろ盾として宗教団体が控えており、駅前で説法じみた演説をする彼や彼女の言葉に真剣に耳を傾ける通行人は一人も居ない。


 編入先の学内には、気の置けない友達も居なければ、教職員も事なかれ主義の小役人風情しか揃っていないので、登下校やすれ違いざまに挨拶することはないし、下手に目を合わせると絡まれる場合もあるので、誰も彼もが床を見て歩いている。

 学校から帰ったところで、家の中から「おかえり」を言ってくれる人物は誰も待っていないので、いつの間にか「ただいま」を言わなくなった。

 食事も一人で摂ることが当たり前になったので、その前後に「いただきます」と「ごちそうさま」も言わなくなった。

 

 真面目にやっても不器用にしか生きられない環境で過ごしていると、そのうち自然と怠慢や堕落、諦観といったマイナス思考が身につく。

 逆境を発条にして劣等感を昇華させる強者も居るかもしれないが、あいにく全人類に、そのような不撓不屈の精神は備わっていない。

 弱者にとっては、きっと本当は自分が悪いのだろうと思いつつも、原因を時代や周囲のせいにして現実逃避するのが関の山だ。


 そのようにして、やり場のない憤懣や忸怩たる体験を胸に抱え続けていくうちに、ある時、突如として臨界点を迎えて暴力や暴言となって排出される。

 もちろん、違法行為を正当化するつもりはサラサラないが、政治の貧困が無視できないレベルに達しているのもまた事実だ。

 僕の場合、心に溜まり続けた暗い澱は、希死念慮という形で表出した。


 学校帰りにゲリラ雷雨に遭い、雨宿り先を求めて通学路を外れ、歴史的建造物として価値があるとする市と維持費を負担したくない県が責任逃れをして一向に保全も取り壊しも進まない廃れた雑居ビルに忍び込んだ時のことだ。

 同じようなことを考える輩は少なくないらしく、建物内には至る所に誰かが居た形跡が残されており、饐えた(にお)いが充満していた。

 少しでも居心地の良い所を探して五階まで上がった時、屋上へと続く外階段を発見した。

 

 この上から飛び降りたら、何もかも解放されるのではないか。

 悪魔の囁きともとれる考えが浮かび、それが名案であるとしか思えなかった僕は、割れた窓から外へ飛び出し、剥げた錆止めのペンキをパリパリと踏みしだきながら地獄への階段を上り、動かない室外機が墓石のように並ぶ屋上へ到達した。

 その頃には雨は小降りになっていて、遠くには晴れ間と共に薄っすらと逆さ虹も見えていたので、お誂え向きだと勝手に思った。

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