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ありったけの想いを  作者: ゆきち
第二章:笑顔の裏側
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第7話 文芸部の彼女

 瞼を開くと、窓から射し込む光が目に入った。

 それに目を細めたところで、鼻腔をくすぐる匂いが意識の覚醒を自覚させて、まだ重たい身体を無理矢理起こすと、キッチンの方を見やった。

 そこには、制服姿で料理をする楓乃の姿があった。


「あ、センパイ起きたんだ」


 俺が起きたことに気がつくと、楓乃は振り返りながらそんな声を掛けてきた。

 おたま片手に、鍋の中で味噌を溶かす姿は、まるで奥さんのようだ。

 その姿をボーッとする頭で眺めていると、楓乃は「どうしたの?」と首をかしげた。


「毎日、俺に味噌汁を作ってくれ……」


 無意識に出た言葉に、楓乃は呆れたように溜め息を吐いて、ジト目で睨んでくる。


「もう、まだ寝ぼけてるの? 早く顔でも洗って目を覚まして来てよね」


「はいよ」


 楓乃の視線から逃げるように洗面所に向かって、顔を洗う。

 頭の芯から気怠さのようなものが抜けていくのを感じながら、完全に意識を覚醒させて、リビングへと戻る。すると、丁度料理を並べているところだった。

 それを見て、昨日の出来事が夢ではなく現実だったと突き付けられたようで、思わず手で顔を覆った。


「……やっぱり夢じゃなかったのねこれ」


「さっきまで夢だと思ってたんだ……」


 言いながら最後に味噌汁をテーブルに置くと、腰に手を当てて納得するようにうんうんと楓乃は頷いた。

 その様子を尻目に、テーブルの前に座って、並べられた料理を見渡す。

 お椀の上に控えめに盛られた白米に、豆腐とネギをベースにした味噌汁。そして最後に鮭の塩焼きだ。

 パッと見はどれも美味しそうな料理達だが、俺はそれを疑うように見ていた。


「で、これ誰に作ってもらったんだ?」


「なっ、あたしだよ! さっき見てたのに何でそんな質問が出るの!?」


 俺の質問に、楓乃は声を荒げた。

 それを俺は何でもないような顔で答える。


「だってお前って、天然ドジっ子系の後輩だろ? 料理出来るなんてイメージに合わない」


「センパイのイメージなんて知らないよ! あんまりふざけてると、朝食は没収だからね」


「俺、楓乃の料理ずっと楽しみにしてたんだよなぁ」


「凄い手のひら返しだ……。もういいや、早く食べよ。冷めちゃうし」


 その後、不満たらたらにご飯を食べる楓乃を苛めながら宥めていった。





 気怠さの残る身体に鞭打って、俺は楓乃と共に外に出てきていた。

 外の天気は、これでもかっていうぐらいの晴天で、夏を証明するように生暖かい風が頬を撫でる。

 時刻は朝の十時二十分。休日はいつも昼近くまで惰眠を貪る俺としてはなかなか新鮮な気分だ

 ニュースでは今年最高の気温と言われたこの日にわざわざ出てきたのは楓乃を家の途中まで送る以外にも、もう一つあった。


「そういえばセンパイって帰宅部だよね? 何で学校の制服着てるの?」


 疑問の表情浮かべた楓乃は手を後ろに組んだまま俺の姿を眺める。

 学校指定のカッターシャツにズボンと、平日と変わらない服装だ。唯一違う点を挙げるとすれば、鞄を持ってきていない事くらい。

 俺は眠気と暑さのせいで、話し半分に聞いていた質問に、あまり回っていない頭で適当に答える。


「あー、ただのお洒落」


「お洒落って……制服着るだけでお洒落なら、全世界の高校生の全員がお洒落になっちゃうよ」


 律儀にも、楓乃は適当な答えにツッコミを入れてくれる。


「あ、でも、人によっては制服でも着こなして、お洒落に見せる人も居るよね。腰にカーディガン巻いたりしてさ」


「楓乃もすればいいだろ。あの……」


 上の空で聞いていた俺は、ついさっき言われたばかりの言葉を復唱しようとして。


「頭にカーディガン巻くやつ」


「酔っ払ったサラリーマンみたいになっちゃったよ……。頭じゃなくて腰!」


 話を全然聞いていなかったことが明らかとなり、楓乃はむくれてしまった。


「頭でも腰でもどっちでも良いけどさ、高校生なんて皆酔っ払いみたいなもんだろ?」


「それどういう意味!?」


「例えばだ。高校に入った途端にバンドを始めちゃう奴とかな。そういう奴は自分に酔って『ギター弾ける俺って超カッコいい』って思っちゃってることが殆どだ」


「すっごい偏見だ……」


 あからさまに身を引く楓乃の反応に、特に気にすることもなく話を続ける。


「まあでも、実際弾ければカッコいいし、女子にはモテるから、その自己評価も間違いではないんだけどな」


「じゃあ何で言ったし……」


 遅いフォローに楓乃は呆れたように溜め息を吐いた。

 それから別れ道まで他愛のない話をして別れた後、俺は学校へと向かった。

 道中で生徒とすれ違うこともなく学校に到着すると、校舎ではなく、別の方向へと足を進めた。

 グラウンドではとっくの前に登校してきた生徒達が休日だというのに練習に取り組んでいた。

 その横をだらだらと通りすぎると、帰宅部の俺にとっては、およそ縁のないはずの部室棟の前に着いた。その中を迷いのない足取りで入ると、幾つもの部屋を素通りしていき、二階の角部屋で足を止めた。

 ドアの上に掛けられているプレートには、文芸部と書かれている。

 一年の時に俺が入っていた部活だ。退部したはずの部室を今更訪ねたのは、数少ない友達に楓乃について話をするためだ。

 俺は取っ手に手を掛けると、ノックもなしに開け放った。


「邪魔するぞ」


 そう声を掛けながら入ると、一人の女子生徒が目に入った。

 部屋中央に並ぶ長机の前には座らず、椅子だけを窓際に用意して、読書にふける少女。名前は篠崎結衣しのざきゆい。俺と同じ二年生だ。少しウェーブがかかった茶髪を無造作に下ろしているのが特徴の少女で、細められた目は俺が入ってきた今もなお本に注がれている。

 その彼女以外に人の姿はない。休日だからとかではなく、文芸部員が彼女一人だけだからだ。

 篠崎は、遅れて俺が入ってきたことに気づくと、ゆっくりと顔を持ち上げた。


「入るときはいつもノックしてって言ってるよね?」


「お前、ノックしても返事した事ないだろ」


 冷たい目でこちらを見やる篠崎だが、俺は怯むことなく篠崎の元へと近づいた。


「返事をしないんじゃなくて、出来ないんだよ。君、いつもノックしながら入ってくるじゃないか」


「別にやましい事してないなら良いだろ」


 そう言って適当に言葉を躱しながら長机の前の椅子へと腰かける。


「そんなことより篠崎。緊急事態なんだ。助けてくれ」


 あまりの唐突さに篠崎は一瞬驚くが、すぐに面倒臭そうにため息を吐いた。


「断る。今良いところなんだ。これが読み終わったら話を聞くよ」


「いつ読み終わるんだ?」


 そう聞くと、篠崎は「んー」と唸って。


「夕方くらいかな」


「分かった。俺も本読みながら待ってるわ」


「そこは普通折れないかい……? 相川って結構図太いよね」


 言って椅子から立ち上がる俺に篠崎が呆れ混じりに言った。

 俺は本棚に入らず、机の上に山積みになっている本を手に取っていき。


「本を読むのは、嫌いじゃないからな」


 その言葉聞いて、篠崎は諦めたように本を閉じた。


「……何の用?」


「良いところだったんじゃないのか?」


「だからこそだよ。早く話を終わらせて読書に戻りたいんだ」


「そうか。それじゃ、お言葉に甘えて……」


 そう言って、手に取っていた本を手元に置いて、昨日あった出来事を話した。

 話していくうちに、だんだん胡散臭いものを見るような目になっていき、内心で心が折れそうになりながらも続けた。

 そして――


「バカなの?」


 話を聞き終えるなり篠崎はそんな罵声を浴びせた。

 それに動じずに返す。


「俺は真面目に言っている」


「だからバカなのかと聞いている」


「じゃあ俺はバカで良いから、とにかくこういう話って本とかでなかったか? もしかしたらヒントになるかもと思ったんだけど」


 確かにバカなことかもしれない。でも、そんなバカなことが実際に起きている。

 人の認識から外れると、その人の記憶から忘れられてしまう。加えてスマホや紙からも名前が消える。

 本当の意味で無かったことになるのだ。だが、再認識すればその認識した人のみ戻るときた。

 これが非現実じゃないというのなら、一体なんだと言うのか。


「本の物語はあくまでフィクションで、実際それを実行したところで何も変わらないと思うよ?」


「そうだけど、今現実にフィクションみたいたことが起きてるんだ。非現実にはフィクションで対応するのが自然だろ?」


「前提がもうあり得ないから成り立たないんじゃないかな、それ」


 そう言いながらも、篠崎は顎に手を当てて考える。

 何だかんだ言いながら、ちゃんと考えてくれてるようだ。


「私が今まで読んできた中で似たようなのはあるけど、いずれにしても、もうちょっとシンプルだったと思うよ」


「そうなのか?」


 聞き返すと篠崎は「うん」と首を縦に振った。


「大抵の物語は、忘れる条件を一つに絞ってるんだよ。あまり設定をごちゃごちゃさせると、読者が付いていけないからね」


「確かに……俺も小難しい本は苦手だ」


「この際、相川の好みはどうでも良いけど、そういうこと。どんなに面白くても、最後まで読んでもらわなくちゃ意味がない」


「なら、今俺が直面してるこの物語は駄作ってことか。いかにも現実らしいね」


 皮肉混じりにそう答えた。

 現実は小説や漫画の物語ほど優しくできてはいないようだ。


「確かに駄作だけど。もしこれが、相川一人を陥れる大掛かりなドッキリだったら、私は面白いと思うけどね」


「俺はいつからリアクション芸人になったんだよ……」


「産まれたときからじゃないかな? 産まれてすぐに入れられたのはお湯ではなく熱湯風呂だったってドッキリ」


「それ、笑えんだろ。死人が出て放送事故になる」


 篠崎から見て俺がリアクション芸人だということに不満を感じるも、それ以上は何も言わなかった。

 しばしの間沈黙して、俺は椅子に深く座り直す。


「なぁ、篠崎。この現象、時間が解決してくれると思うか?」


 この現象がまだ始まりにすぎないのだとしたら……もしも、これより事態が悪化するのなら。考えたくはないが、それは分かったことの少ない現段階でも容易に想像できる。

 だからといってどうすることも出来ないことを分かっているからか、篠崎は顔色も変えずに「さあね」と簡素に返した。


「冷たいなぁ、シノリンは」


「変な呼び方しないで」


 重ねた両手の甲に顎を乗せながら呟くと、篠崎は冷たく返した。

 そして少しすると、短く息を吐いて。


「私にはよく分からないけど、推測としてこういう現象の原因は、大きく分けて二通り……いや三通りあるんだよ」


 思い出すように天井を見上げながら篠崎は前置きした。


「ひとつは外部からの干渉によるもの。もうひとつは自らが引き起こす現象。そして、その両方」


「両方?」


 聞き返すと「そう」とだけ返して、説明を続ける。


「もし外部からの干渉が原因だとしたら、この街の特性が怪しいね。それか、楓乃さんという人が、何らかのストレスを抱えていて、それにこの街の特性が作用したっていうのもありえる」


「どちらにしても、都市伝説の街と呼ばれたこの街の影響が一番怪しいってことになるのか……」


 薄々分かっていたことだ。

 こんな非科学的なこと、普通に考えればあり得ない。なら、都市伝説の街と呼ばれるこの街が原因と思うのが普通だ。

 それも十分おかしな話だが、他にないのも事実。

 だが、もしそうなら一つ気がかりなことがある。


「何で俺だけはずっと覚えてられるんだ?」


 それが分からない。

 何故俺だけが忘れないのか。

 楓乃と離れた今だって覚えていられる。顔も思い浮かべられる。

 そう思考していると、篠崎は読みかけの本を開いてポツリと呟く。


「選ばれたからじゃない?」


 その発言に、顔を上げる。


「何に?」


「物語の主人公にだよ」


「そう、なのか?」


 納得しようと言葉にするも、やはり言いながら首をかしげてしまう。


「主人公は小説や漫画でどれだけ平凡な少年と語られていても、主人公に選ばれた以上、何かしらの能力を手に入れるんだよ」


「何かしらって……」


「今回で言えば、相川だけがヒロインの抱える異常の影響を受けない、とかね」


 篠崎は、本に落としていた視線を上げて、こちらへ向けた。


「そこで、たった一人しか頼れなくなってしまったヒロインは、吊り橋効果で相川にどんどん惹かれていく」


「なるほど……それは悪くない話だ」


「相川はキモいね」


「ありがとうございます!」


 篠崎が本気で引いた顔をしたので、手を上げて話を戻すように促す。


「それじゃあ、他人にはあって相川にない『何か』があるとしたら?」


「うーん……」


 少し考えて、ハッとすると。


「やる気か!」


「やる気だね」


 二人して納得した答えを導くと、篠崎は再び本に視線を落とした。

 だが、すぐに何かにおかしいことに気づいてストップを掛ける。


「いや、ちょっと待てよ。普通逆だろ。何で俺の方に何も無いこと前提で話を進めてんだよ」


「たまにはそういう趣向もありかと思ってね」


「なんだよそりゃ」


 俺は腕を枕にして机に突っ伏した。

 それに篠崎が涼しげな声を掛ける。


「でも、あまり目の前の考え方だけに囚われない方が良いと思うよ」


「どういう意味だ?」


「勘違いしてるかもしれないってことだよ。その子が抱える問題は、ひょっとしたらもっと途方もない事なのかもしれないし、案外簡単に解決できることかもしれない。どちらにしても、現象の一つ一つを目に見えたまま捉えるのはやめた方がいい」


「そう言われてもなぁ」


 それが率直な感想だった。

 ただでさえ何が何だか分からない現象を、目に見えたまま捉えるなと言われても無理と言う話だ。

 他の答えを出すには、その答えを出すための知識が必要なのだ。それがない俺に、別の解を出すことはできない。

 その心情を悟ってか、篠崎はフッと笑うと。


「出来る限りで良いんだよ。ただ、目に見えることが全てじゃないってことを言いたかっただけ」


「そう、か…」


 あまり納得せずに呟いて、机に突っ伏したまま篠崎を見やる。

 もう話すことは話したと言わんばかりに、その視線は膝の上に置かれた本に釘付けになっている。

 そんなずっと本ばかり読んでいる彼女に、空気を入れ換えようと、話題を切り替えた。


「相変わらず部員が入る気配はないのか?」


「無いよ。相川が私を一人残して辞めちゃうから、新入生の勧誘に失敗したんだ」


 そう言って、視線だけ横に動かしてこちらを睨んだ。

 それから逃れるように、俺は目を逸らした

 一年の頃。俺は文芸部に所属していた。

 その時は別に読書が特別好きだったわけではなく、一年は全員どこかの部活に入らないといけなかったからだ。

 そこで選んだのが文芸部。理由は楽そうだからで、実際に楽だった。

 当時は三年生の先輩が二人居たのだが、今は卒業してしまい、今年は後輩も入らなかったため篠崎だけが残ってしまったのだ。

 俺は頬を掻きながら苦笑いする。


「……まあ、二年からは部活に入らなくても良かったからな。一人も後輩が入ってこなかったのはさすがに予想外だったけど」


「一応、見学に来た子は何人かいたよ」


「そうなのか? 何で入らなかったんだよ」 


「分かんないけど、皆すぐに帰っちゃって……」


 篠崎はそう言うと、しゅんと肩を落とした。


「篠崎は無愛想だからな。もっと笑顔で接しないと」


 俺は両手の人差し指で自分の口角を上げて見せる。


「な、なかなか失礼だよね君……」


「とにかくやってみ」


「絶対に嫌」


 詰め寄る俺に若干身体を引いて拒絶する。

 それでもめげずに口角を持ち上げたまま近付いていくと「わ、わかったよ」と観念した。

 そして一度深呼吸して。


「こ、こうかな?」


「…………」


 恥ずかしそうに言いながら実践した彼女の表情を見て、俺は固まった。

 最初は、ただの好奇心で言ったつもりだった。

 いつも無愛想で、俺の記憶では笑っている姿を見たことがなかった。

 だからと思い提案したのだが。


「えっと……」


 篠崎の表情は一言で言えば、悪魔のような笑みだった。

 場面によっては、相手の神経を逆撫でしてしまうようなそんな笑み。そして、何よりも目が笑っていない。

 俺は口元を手で覆って、見てられないと言うように顔を背けた。


「ごめん……俺が悪かった。お前はそのままで良いんだ」


「それ、どういう意味かな?」


 篠崎は悪魔のような笑顔を保ったままそう聞いた。

 その笑顔は、先程よりも悪い意味で磨きがかかってるように見えた。


「あ、何かおすすめの本とかないか。折角だから一冊ぐらい読んで帰りたいんだけど」


「話を逸らすな。どうなってるか教えてもらおうじゃないか!」


 手を広げながら近付いて来るその姿は、悪魔を通り越して魔王のようだ。

 その後、男の悲鳴が部室棟に響き渡った。同時刻に部室棟に居た生徒達の中では『悲鳴が上がる部室棟』という都市伝説が、新たに追加される事となった。



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