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ありったけの想いを  作者: ゆきち
第一章:異変は突然やってくる
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第5話 異変

 ◇




 夜の九時を越えたところでバイトは終わり、俺は半田と共に休憩室へと戻ってきていた。

 楓乃はつい先程帰宅したため、休憩室にいるのは二人だけだ。

 明日が休日だというのを良いことに、着替えもせず、俺達はだらだらと雑談に花を咲かせる。


「あー、くたびれた。疲れた。もう働きたくねぇ」


 そう言って俺は手を投げ出すようにして机に突っ伏した。


「災難だったな。変な客に捕まるなんてさ」


 乾いた笑いを浮かべながら言った半田が、コーヒーの入ったマグカップを俺の目の前に置いた。

 顔を上げると腫れた左の頬が僅かに痛んだ。


 事は、一時間前に遡る。

 接客もある程度出来るようになった楓乃を放置して、食器を片付けているときだった。ふと、楓乃の様子が気になって店内を見回すと、奥の席の方でペコペコと涙目になりながら頭を下げる楓乃の姿が目に入ったのだ。

 俺は慌てて従業員スペースへと食器を置き、楓乃の元へと向かう。


「セ、センパイ……」


 向かったときには既に店内は静まり返り、視線が四方八方から集まっていた。

 皆一様に他人事のようにその様子を見守る。

 スマホでこっそり動画を撮っている者もいれば、ヒソヒソと話している者までいる。

 その傍観者達に呆れつつ、楓乃に事情を聞こうとするが、涙目でおろおろとしてテンパっており、事情を聞けそうにないとすぐに判断する。仕方ないので、客の方から事情を聞こうと向き直った。

 相手は一人客。アフロとまではいかない質の髪は短く、サングラスを掛けている。服装のスーツも相まって、厳つい印象の男だ。

 人を見た目で判断してはいけないとは言うが、どうしてもその見た目から、どうせ言い掛かりだろうと、内心既に面倒臭くなっていた俺は、精一杯の営業フェイスで話し掛ける。


「お客様、どうかなさいましたか?」


「どうしたもこうしたも、これ見てみろよ」


 そう言って男が指差したのはコンソメスープ。覗き込むと、髪の毛のような物が浮かんでるのが確認できた。

 だが、その髪は誰がどう見てもチリチリで、クレームを出した本人の髪の毛だった。


「髪の毛……ですか?」


「見りゃ分かんだろ? 俺さっき一口飲んじまったんだけど、どうしてくれんの?」


「どうしましょう?」


「あ?」


 おどけたように返すと、周りの時が一瞬止まったように感じた。

 楓乃も驚いたように目を丸くしてこちらを見て、男は面食らったように口をポカンと開けている。なかなかの間抜け面だ。

 その様子に空気も読まず、俺が口元を押さえて「ぷっ」と吹き出した。

 それによって我に返った男が、顔を真っ赤にして机を膝で蹴って食器などが大きな音を立てる。


「何笑ってんだ?」


「いえいえ、お客様を笑うなんて、そんなこと出来ませんよ」


「いちいちムカつく野郎だな。こんなことしといて詫びの一つも言えねぇのか!?」


「詫びもなにも、何か悪いことしましたっけ?」


「ふざけてんのか!」


 もう我慢の限界だと言わんばかりに立ち上がった男が、勢いよく俺の胸ぐらを掴む。


「セ、センパイ!?」


 隣から悲鳴が上がるが、俺は努めて無表情で男を見下ろし、男の腕を掴んだ。


「ふざけてんのはどっちだよ?」


「あん?」


 胸ぐらを掴む手が緩み、その隙に身をよじって問題のスープを持ち上げる。そして、何の躊躇もなくスープに指を突っ込んだ。


「な、何してんだ?」


 頭がおかしいといった目で俺を見て手を離すと、そのまま後退る。それを追いかけるように一歩前に出て、人差し指と親指で摘まんでいる何かを男の顔の前に突き出した。


「うちの店員に、こんなチリチリの髪の奴は居ないんだよ。これはあんたの髪だろ?」


「んだと? 俺が言い掛かり付けてるとでも言いてぇのか!?」


「事実そうだろ? 演技の練習なら他所でやってくれ。他の客の迷惑だ」


「ふざ、けんなよ!」


「だからふざけてないと言っている。なんだあんた、見た目通り頭悪いのか?」


「このクソガキが!」


 その瞬間、男の右拳が俺の顔面へと突き刺さった。鈍い音と共によろけながら後ろに下がり、殴られた頬を押さえる。

 色んなところで悲鳴があがるが、今はそれを気にする余裕はない。

 頭が真っ白になりそうなのを必死に抑え、なんとか思考停止するのを食い止める。


「いって……」


 呟くと、楓乃が駆け寄ってきた。


「センパイ!」


 心配した顔をする楓乃が、先程まで泣きそうだった目元から涙を流して、俺の服の裾を引っ張っている。


「大丈夫だ。楓乃は休憩室に戻って氷とタオルを用意しておいてくれ。痛くて泣きそうなんだ」


「で、でも……」


「後はやっとくよ。ちゃんと穏便に済ませるから任せろ」


 全く説得力のない言葉だが、楓乃がようやく裾を離すと「うん……」と目を擦って返事をして、そのまま休憩室に戻っていった。

 それを見届けて「はぁ……」と息を吐くと、おもむろにスマホを取り出した。


「あん? 何してんだよ?」


 男がもう一発殴ろうかと言わんばかりに右手の拳を左の手のひらにぶつけているのを横目に、スマホの操作を止めずに答える。


「ああ、ちょっとおまわりさんに電話を掛けようかと思ってな」


 操作を終えて画面を男に向ける。

 そこには110の数字が画面に表示されており、男は顔を青ざめさせた。


「なっ、は? て、てめぇ、そんなもんが通るはずが……」


「通るさ。俺は殴られたし、その証人も店内に沢山いる。なんなら、写真を撮っている奴もいるだろうから、説明する時間もそれほど掛からないだろうよ」


「ふ、ふざけ……」


「だーかーらー、ふざけてないって言ってんの。俺は本気で言ってんだよ」


「クソ、ふざけんな! クソが!」


「あー、もういいや。面倒臭いし、警察に任せるか」


 話が通じなくなってしまった男に、心底面倒臭そうに頭を掻くと、再びスマホの画面を自分の方に向けた。


「ま、待ちやがれ!」


 だが画面を操作しようとしたところで、男は焦ったように掴み掛かってくる。それを身体を横にすることで避けると、そのまま足を前に出して男の足を引っ掛けた。


「な、あ!?」


 掴み掛かった勢いそのまま、床に顔からダイブして転がる。

 俺はニコリと営業スマイルを浮かべて、男の目の前で屈んだ。


「そんなに焦らなくても冗談ですよ」


「てめぇ……」


「まあ、このまま続けるって言うなら、仕方ないので呼びますけど……どうします?」


「……くっ」


 言葉に詰まり、表情を歪める。

 今、男の中ではきっと、プライドと自己保身の感情がせめぎあっているのだろう。

 俺なら迷いなく後者を選ぶが、男はどうしても譲れないものがあるようだ。

 だが人間、やはり自分の身が一番可愛いもので。


「覚えてやがれ……」


 そう苦虫を噛み殺したような、憎悪と嫌悪の満ちた表情をして男は店内を去っていった。

 その後、訳の分からない歓声があがったが、それを無視して休憩室に入る。

 今の俺は、観客にガッツポーズを見せる程の余裕がなかったからだ。

 休憩室に勢いよく入ると、すぐに気がついたらしい楓乃が慌てて駆け寄って来た。


「セ、センパイ! 大丈――」


「いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 楓乃が「大丈夫?」と言い終わる前に俺は叫んだ。

 先程までずっと我慢してきていた痛みを全部吐き出すように叫び、その場で頬を押さえてうずくまった。


「楓乃、氷をくれ。死ぬ」


「あ、はいこれ」


 戸惑いながらも、楓乃は慌てて保冷剤を俺の頬に押し付けた。


「いてててて! 待って、直接はやめて!」


「ご、ごめん。はい」


 言われて気付き、タオルで保冷剤を包んで渡された。

 受け取って頬を冷やし、近くの椅子に腰かけて、ようやく落ち着くと。


「ごめんセンパイ……」


 申し訳なさそうに目を伏せて、楓乃は謝ってきた。すると、さっきの光景を思い出したのか、再び目元に涙を浮かべる。

 こういう時、イマイチどうしていいか分からず、取り敢えず付け焼き刃な慰めの言葉を口にした。


「別に楓乃が悪い訳じゃないだろ」


「で、でも……」


 食い下がる楓乃に、俺はどうしたものかと頭を掻いた。

 実際、楓乃は何も悪くない。髪の毛の件は完全に濡れ衣だし、騙そうとした相手とはいえ、それを挑発して俺が殴られたのは完全に自業自得だ。

 だから本当に気にすることはないのだが。


「もし仮にだ。あの髪がうちの従業員のものだったとしても、髪の長さ的に楓乃の物ではないし、俺が殴られたのだって、俺が挑発したのが原因なんだから、気にすることはないだろ?」


「でも、センパイが挑発したのって、あたしを守るためじゃ……」


「いや、違うけど」


「へ?」


 即答した俺に間の抜けたような声をあげる。


「じゃ、じゃあなんでわざわざあんなことしたの?」


「あー、そっか」


 俺は何が言いたいか思い至って、そんな声をあげた。


「楓乃は入ったばっかで知らないだろうけど、あの客な、しょっちゅうクレームを出してくる迷惑客なんだよ」


 俺は疲れたように言った。

 先程の客は時折、このファミレスに来てはなんだかんだ言い掛かりを付けて、どれかタダにしろと言ってくる迷惑客だ。

 俺の知る限りでは今回が二回目で、店長からはあまり騒ぎにしず、穏便に対処しろと、遠回しに反抗するなと言われていた。だが、今回の件で俺が店長の言いつけを無視して、プライドをズタズタに引き裂いたため、もう二度と来ることはない。そこまでは良いが、目撃者が多数居たため、今後店にどう影響していくかは分からない。だから、後は店長に丸投げしようと考えていた。


「でも、お前が絡まれるのは予想外だったよ。一応来てないか店内を注意して見ていたつもりだったんだが、あんなところに居たとはな」


「そう、なんだ……」


 楓乃は納得したように呟いた。だが、その表情からはまだ納得しきれていないことが分かる。これ以上言っても無駄だと思われたのだろう。

 すると、楓乃は気分を切り替えるように明るく声をあげた。


「じゃあ、この後センパイは、店長にいっぱい怒られるんだ」


 少しだが、調子を取り戻した楓乃が悪戯っぽく笑う。それにつられるようにして笑うが、これからのことを思い、笑みを浮かべる頬を僅かにひきつらせた。


「そんときは、楓乃が襲われそうになってたからって言い訳するよ」


「しょんなかね。あたしの名前、使わせてあげる」


「上から目線かよ……」


 上から目線の楓乃にツッコミを入れる。

 その後、少ししてから仕事に戻り……と言っても、既に殆どの後始末を半田がやってしまっていたので、殆どやることがなかったわけだが。

 そして、バイト終了後の今に至る。


「俺、痛いのは苦手なんだけどな……」


 半田が用意してくれたコーヒーをちびちび飲みながら俺はぼやいた。


「そりゃ、痛いのが好きな奴なんて居ないだろ」


「それもそうだな……あ」


 肯定してすぐに、心当たりのある人物がいることに気づいた。


「どうした?」


「楓乃は好きかもしれん」


 思い出すのはバイト初日に罵倒してと頼まれた時の話だ。

 楓乃は罰と言っていたが、言われたときの反応的に喜んでいたように思えなくもない。

 それがもし行きすぎたものであれば、痛みも快楽にしてしまうかもという旨を、半田に伝えようとするが。


「楓乃? 誰だよそれ」


「……は?」


 半田のその意味不明な発言によって、それどころではなくなってしまった。


「いや、誰ってお前……」


 真顔でそんなことを言う半田に驚きながらそう返すも、半田は首をかしげたまま楓乃の名前を思い出そうと小声で反芻する。

 その様子は、本当に知らないといった感じで、もしこれがドッキリやジョークのための演技なら、俳優になれてしまう。それほどに、半田の反応にはホントを感じさせた。そもそも半田は、そう言った冗談を嫌っていたと相川は記憶してたので、それも今回驚いた要因のひとつだ。


「その人って、俺と会ったことあるのか? 俺、顔と名前を覚えるのは得意だったと思うんだけどなぁ」


 腕を組んで目を瞑り、必死に思い出そうと半田が唸っているのを見て、再度確認せずにはいられなかった。


「冗談にしては、演技に熱入りすぎじゃないか? ついさっきまで一緒に働いてただろ?」


 そう言っても、半田は唸るだけで、まるで俺がおかしいとでも言っているようだった。

 そこで俺は、とてつもない嫌な予感がした。胸の中をもやもやとした熱が俺に不快感を与え、食い違う現実に焦燥感を湧かせた。


「じゃ、じゃあ、あの迷惑客が最初に絡んだのは誰だった?」


「雪人だよな?」


 何の躊躇もなく、半田がそう答えたところで、ガチャリと玄関のドアが開いた。

 そこには、トラブルを聞き付けて、急いで戻って来たらしい店長の姿があった。


「あ、店長。お疲れ様で――」


「店長!」


 半田が挨拶を言い終わる前に、店長のそばへと駆け寄った。

 一刻も早く確認して、この嫌な気分から解放されたかった。


「店長は、楓乃って名前に、心当たりありますよね?」


「雪人?」


 半田が心配した顔をこちらに向け、俺は店長の言葉を待つ。

 店長が俺の勢いに若干驚いていると、顎に手を当てて。


「楓乃……聞き覚えがないね。芸能人か何かかな?」


 店長は首を振ってそう答えた。

 それに俺は、信じられないものを見たかのように後退りして。


「ま、さか……」


 呟いた瞬間、俺はスマホを取り出した。

 震える手で操作して、SNSアプリを開き、先日交換した楓乃の連絡先を探す。

 だが、それほど多くない数の名前の中に、楓乃の名前はなかった。

 そこまで確認して、俺は弾かれたように動いた。

 壁際に行き、そこに張られているシフト表を確認する。

 そこには――。


「ホントにどうしたんだ雪人?」


 食い入るようにシフト表を見る俺に、半田が心配する声をあげるが、それどころではない事態に、俺は何度もシフト表に書かれた名前を上から順に眺める。

 だが、何度眺めても、探している名前は見つからない。


「なんだよこれ……」


 シフト表には、楓乃遥の名前がなかった。代わりに、不自然な空白だけがそこに鎮座していた。

 その夜。楓乃遥の存在が、世界から忘れ去られた。

 何の前触れもなく、唐突にそれは起こった。

 その時、俺はこの街の特性を思い出していた。

 どこか他人事のように感じ、信じてすらいなかったこと。

 都市伝説の街。

 そう呼ばれた一端に触れることになった。

 その後、店長には店内のトラブルの件で色々と聞かれたり注意されたが、俺の耳には全く入ってこなかった。

 ただ一刻も早く楓乃と連絡をとる方法だけに頭を回し、話が終わると同時に俺は店を飛び出した。


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