第4話 ちょっとした恋話
◇
翌日。
バイト疲れが残った身体を動かして、俺は朝の通学路を歩いていた。
通りは、照りつける太陽がアスファルトを反射して、日の下で歩く人々の体力を削っていき、俺と同様の死んだ目をしたゾンビを量産させていた。皆が一様に嫌気の差したような顔で各々の目的地に向かって歩き、俺もその中に混じる。
夏の気配にうんざりしていると、いつの間にか学校まで残り半分を切っていた。同じ海越高校の制服を着た学生達が増えていき、騒がしさも増している。それに一層うんざりしたように目を細めた。
そんなとき、背後から軽く肩を叩かれ、その人物は横に並んだ。
「よ、雪人。今日も眠そうだな」
そう声をかけてきたのは半田だ。朝だというのに妙に爽やかな笑顔を見せる。
眠いのは認めるが、目を細めていたのは他にも理由があると付け足すのも面倒だったため、その会話の流れに乗っかった。
「昨日はバイトだったからな。それも普段の業務に加えて新人の教育までやらされた」
「新しい子入ったのか? どんな子?」
「そうだな……」
呟き、昨日あった出来事を思い出していく。
「俺達と同じ学校の一年。見た目はまあ、今時の女子高生という感じで、俺に友達の作り方を教えてくれた」
「雪人が教えて貰ったのかよ」
半田がカラカラと笑う。
今思えば、最初の会話らしい会話が友達の作り方というのは、自分でもどうかと思う。
「そんで、バイト終わりに下着泥棒扱いされた後、罵りあってたところを店長に見られ変なプレイ中だと勘違いされ、最後には友達になった」
「ホントに何があったんだよ!?」
口ずさむように昨日の出来事を並べていくと、半田が驚いたような声をあげた。
その後こちらを怪しい目付きで見始めたため、早々に誤解を解いておく。
「一応言っておくが、全部あいつの自業自得で、寧ろ俺は被害者だからな?」
「そうは言うけど、今の話的に下着泥棒はお前じゃなきゃ流れ的におかしいだろ?」
「俺は落とし物を拾っただけだ。しかも、最初はハンカチだと思ってたんだから仕方ないだろ?」
「下着とハンカチを間違えるやつなんているかよ」
半田はバカにしたように言った。
「残念なことに、その下着の持ち主がハンカチと間違えてポケットにパンツを突っ込んでたんだよなぁ」
「マジかよ……ちなみにどんなパンツだったんだ?」
「お前さらっと気持ち悪いな」
爽やかにそんなことを言う半田に、俺は目を閉じて手をワキワキさせながら答える。
「水色で、こう……ざらついた感じの――」
「セ・ン・パ・イ?」
頭の中で楓乃のパンツを想像していると、そんな声が聞こえた。
一瞬、幻聴だと思ったが、次に頬を両手で挟まれたのですぐに気がついた。
「なにおふる?」
「センパイこそ何を話そうとしてるの!」
真顔で答えた俺の頬をさらに強く挟み込み、さらに顔が潰れていく。
「なぁ相川。もしかしてこの子か?」
「いっへないでたすへてふれ!」
まるで何事も無いかのように振る舞う半田に俺が助けを求めるのも虚しく、楓乃の気の済むまで俺の頬は弄ばれた。
解放されると、恨めしそうに半田を見るが、どこ吹く風と言った様子で自己紹介を始めてしまう。
「半田龍之介だ。俺も相川と君のバイト先と同じところで働いてるから、よろしく」
「楓乃遥です。バイトでも学校でもよろしくお願いします!」
楓乃がニコリと笑うと、俺を置いて二人で歩き出してしまった。
「お前らな……」
薄情な友人二人にため息を吐いて、後を追った。
楓乃と別れた後、俺は半田と共に教室へと向かい、今日のお勤めを消化していく。
先生達のありがたい言葉を右から左へと聞き流し、気が付けば放課後を迎えていた。
HR終了の号令が終わると同時に机の中の教科書類を鞄の中に突っ込み、肩に引っ掛ける。
今日もバイト。通学の後に通勤なんて自分がここまで勤勉だったとは思わなかった、などという皮肉を感じながらバイトへと向かう。
レジや注文をとっている店員に適当に挨拶しながら休憩室に入ると、既に楓乃がスマホ片手に座っていた。
「よぉ、後輩君」
「あ、センパイ。バイトお疲れ様でした」
「何でバイト来たばかりの奴を帰らせようとしてんだよ」
そんな軽いやり取りをして、俺は男子更衣室に入る。
男子更衣室と言っても、休憩室との間にカーテンで仕切られているだけなので、外からそのまま話し掛けられた。
「そういえばセンパイ。半田センパイは一緒じゃなかったの?」
「ん? 半田なら委員会があるとかで少し遅れるって言ってたぞ?」
楓乃は「そっか」と素っ気なく返事した。
それから着替え終わって休憩室に戻り、時間まで少しあったため椅子に腰かける。
「何かあいつに用でもあったのか?」
「や、そういうわけじゃないんだけど……」
妙に歯切れが悪い。その反応にニヤリと笑いながら。
「なるほど、さては恋する乙女だな?」
「へ?」
俺の質問に、楓乃は呆けた顔をした。
「なんだ、違うのか?」
「ち、違うよ!」
我に返り、腕をぶんぶんと振り回しながら否定する。
反応からして、どうやら本当にそうではないらしいが、無視して続けた。
「ちなみに半田は今、彼女募集中らしいぞ」
「だから違うってば!」
「じゃあ、なんだよ?」
「それは……」
そこで一旦言葉を区切って、顔を七変化させながら何を言うか考える。
そして最後には笑顔をひきつらせて。
「セ、センパイとまだ二人きりで嬉しいなって思ったの」
棒読みでそんなことを言った。
それを聞いて「ふむ」と俺は顎に手を当てて、何かを吟味する。
「んー、イマイチ。三十点ぐらいだな」
「何の点数!?」
「次はもうちょい恥じらいながら、頬を膨らませて頼む。あーあと、声はちょっと怒った感じでな」
「それやるとどうなるの?」
くだらないと思いながら楓乃は聞き返すと「ふっ」と俺は演技臭く笑い。
「俺が喜ぶ」
「バーカ」
ジト目でそんなことを告げ、楓乃は休憩室から出ていった。
それと入れ替わりで半田が後ろを見ながら丁度入ってくる。
目の前に戻したときの表情はどこか訝しげだ。
「今、楓乃さん物凄い顔してたけど、お前何したんだ?」
今来たばかりだというのに、既に疑いを掛けられていることに眉をひそめた。
「あん? ちょっとした恋話だよ」
「楓乃さんはともかく、雪人に恋話なんて出来るわけないだろ」
「失礼な。俺にだってそれくらいできる」
「じゃあ試しに一個話してみろよ」
「いいぞ」
それからコホンと一度咳払いすると、半田は着替えないまま俺と対面になるように座る。
「これは、いつの日か川へ釣りに行ったときの話なんだが」
「意外だな。雪人に川釣りの趣味があったなんて」
本当に意外なのか、半田は驚いたような顔をする。
「別にそういうわけじゃない。親に無理矢理連れていかされただけだ」
「あー、なるほどな。そっちの方がしっくりくる」
なかなか失礼なことを言う友人に抗議の視線を向けると、それから逃れるように先を促された。
「で、そこで出会いがあったわけだ」
「ああそうだ。最初は嫌々来ていた釣りで、どうせ何も釣れないと思っていた。それがいつも通りだったからな」
「でもその日は違ったわけだ」
「ああ、俺も最初は驚いたもんだよ」
「そこまで衝撃的な出会いを?」
「だって、今まで一匹も釣ったことのない俺が、あんなにでかい鯉を釣り上げるなんて、普通は驚くだろ?」
「確かに……じゃない! ちょっと待ってくれ。何の話だ?」
驚きの表情が一転して真顔に戻ると、半田は顔を手で覆ってストップを掛ける。
「何って……鯉の話だが?」
そう言って、俺はアメリカ風に肩をすくめて分からないという顔をした。
「違う。俺が聞いたのは恋の話だ」
「だから鯉の話してんだろ?」
「いい加減、淡水魚から離れて! じゃあなにか、楓乃さんとは淡水魚の話をしてたっていうのか!?」
「まさか。ちゃんと恥ずかしい方の恋に決まってるだろ」
「恥ずかしい方の恋ってなんだよ……」
呆れたように半田は溜息を吐く。
「まあいいか。着替えてくるわ」
そう言って立ち上がる半田に「ああ」とだけ返した。俺もそろそろ良い時間だと思い、仕事の交代をしにフロアへと向かう。
だが、休憩室を出てすぐのところで止まることになった。丸椅子に腰かけて、必死にメニューに目を通している楓乃の姿が目に入ったからだ。
話し掛けるか少し迷いながらも、観念したように溜息を吐いて近づく。
隣に付き、壁に背中を預けたところで楓乃も気付いて顔をあげた。
「あ、センパイ」
「メニュー覚えてるのか?」
「うん。そのうち必要になると思って」
「そうだな。確かにメニューを覚えるのは大切だ」
実際メニューを覚えてるのと覚えてないのとでは全然違うだろう。質問やおすすめを聞かれたらすぐに答えられる。だが……。
「ま、俺は半分程度しか覚えてないけどな」
「えっ?」
大切だと言ってすぐだったため、全く逆の事を言った俺に楓乃は驚いた。
「人気メニューさえ覚えておけばなんとかなる。それに、大抵の客はメニューを指差して答えるから、それを見てどんな料理か思い出せれば良い」
「そんな適当な……」
「適当なら良いんだよ。いい加減にやらなきゃ文句は言われない」
「どういう意味?」
「気になるなら辞書で調べてみろ。適当といい加減の意味の違いをな」
それだけ言って俺はフロアへと向かった。
「えー、ここで教えてよ。気になって仕事にならない」
楓乃は不満を洩らしながら付いてくる。
「今日は接客してもらうか。折角メニューも覚えてもらったことだしな」
「まだ全部は覚えてない……ていうか、無視しないでよ!」




