第27話 そしてまた季節は巡る
時々夢を見る。
俺をセンパイと慕ってくれる、幸せそうな笑顔が特徴的な女の子だ。
同年代くらいで、夢の中ではよく一緒にバイトをしていた。
夢の中でまでバイトをしているのかと、いつもの俺なら呆れてしまうのだろうが、不思議と呆れる気にはなれなかった。
それどころか、その日の朝はとてもスッキリとした目覚めで、胸の中もどこか温かい気持ちになる。
その日もそうだった。
俺はその少女と海に遊びに来ていて、かき氷を賭けた勝負に俺が勝ったというのに何故か奢らされていた。
それでも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
美味しそうに食べる彼女の顔を見れば胸が暖かくなり、彼女が楽しそうに笑えば自然と笑みが溢れた。
彼女がもうひと勝負と、拳を握ったところで、俺は目を覚ました。
目を覚ましてみると、あの印象的な笑顔は靄がかかったように思い出せない。
その曖昧さが夢であることを証明しているような気がする。
それでも俺は、彼女の名前を知りたかった。
たとえ夢でも、俺は彼女のことをもっと知りたいと思えた。
「君は一体、誰なんだろうな」
そう呟くように言って、もう見慣れすぎてしまった天井を見上げた。
返ってくる答えは勿論なく、夢のあの子の居ない当たり前の生活を今日も送る。
季節は春。校門から校舎までの道の脇に並ぶ木々は新入生達を祝福するように桃色の桜が咲き乱れている。
今日は始業式。短い春休みが開けて、俺も晴れて三年生となった。
二年生の後半から考え始めていた大学受験の話はここからさらに本格化していき、人によっては夏頃から勉強漬けの毎日でヒーヒーと言うことになるだろう。
かく言う俺も、中間くらいの成績程度の頭しかないため、例外ではないのですでに覚悟している。とは言っても、バイトは辞めるつもりないのだが。
校舎前は同じ制服の人々で溢れていた。
高校生活に期待で胸を膨らませる一年生が校舎前をごった返し、クラス替えでテンションを上げる二、三年生はそれぞれの友人と肩を組合っている。この場面を写真に収めればさぞ、良い青春の一ページとしてアルバムに飾られるだろう。
その誰もが各々一人一人の一日を過ごしていき、俺は今日も今日とてバイト……の前に、文芸部室へとやってきた。
いつも通りノックはなしで入ると、すでに篠崎が窓際に椅子を用意して本を読んでいた。
そしていつも通り、俺に遅れて気がつくと、いつも通り面倒臭そうな顔をして言った。
「だから、ノックしてって言ってるじゃないか」
「怒るなって、今日は新入部員の獲得に協力しようと思って来たんだからさ」
「本当かい!?」
俺が言うや否や、ガタリと音を立てて立ち上がった。どうやら、相当深刻な問題らしい。
文芸部には今、篠崎しか部員が居ない。去年は篠崎と俺以外には新入部員がおらず、それ以外の人は卒業してしまった上に俺まで辞めてしまったため、篠崎一人となってしまったのだ。
そして一人になってしまった篠崎は篠崎で、特に表だって部活を宣伝しなかったし、部室まで来てくれた人にもロクな案内が出来なかったため、新入部員ゼロという結果になってしまったのだ。
流石に悪いことをしたと、珍しく反省したため、こうして部員でもないのに手伝いに来たというわけで。
「協力してくれるってことは、また部に……」
「あー、悪いけど部には入らない。今年は受験とバイトがあるからな」
「君が勉強? 悪いけど、それを信じるくらいならツチノコの存在を私は信じるよ」
「俺が勉強しているところを見たことがないって言いたいのかよ」
「そうとも言えるね」
どうやら、俺が勉強をする事はUMAの存在を肯定するのと同じらしい。
「でも、手伝ってくれるのはありがたいよ。早速なにするか決めようか」
篠崎はどうでも良い話だったかのように俺がUMAであるという話を切り上げた。
というか、ノープランだったらしい。もし俺が来なかったら去年と同じ事をするつもりだったのだろうか。
いつも面倒くさそうな目を向けてくる篠崎の眼はキラキラとしているが、生憎とそんな篠崎には残酷な一言を突き付けなければならない。
「期待してるところ悪いけど、今日は俺手伝いに入れない」
「え!? 話が違うじゃないか!?」
一瞬で表情はどんよりとして、声を上げた。
それに俺は待てよと、両手を前に突き出す。
「話は最後まで聞け。今日俺は手伝えないから、助っ人を呼んどいた」
「助っ人?」
そう言って篠崎が首を傾げたのと同時だった。
ガラガラと部室のドアが開き、そこから気安く手を上げながら入ってくる一人の少年が。
「うぃーっす!」
半田だ。タレ目が印象の腐れイケメン。
そんな助っ人の登場に篠崎は喜ぶことをせず、盛大に溜息を吐いた。
「……君達はノックが出来ない習性でもあるのかい……?」
呆れるような篠崎は無視して、俺は半田に二言三言挨拶して、その場を後にした。
部室棟の下駄箱に到着するとクラスメイトの鈴木が仁王立ちして立っていた。誰か友達でも待っているのだろうか? そうだとしても、仁王立ちはやめてほしいものだ。妙な威圧感がある。
「何してんだ?」
「君を待っていたのさ」
「俺を?」
はて? 一体何の用なんだろうか。こうして仁王立ちで待たれるような事をした覚えがない。
俺が心当たりを探っていると、今まで仁王立ちだった鈴木が腕を組んだまま顔だけをズイッと俺に寄せた。
俺は戸惑いながらも、何か観察するような視線に耐えて。
「ふぅ、やっぱり覚えていないか」
そう言って落胆の表情を浮かべると、元の位置へと姿勢を戻した。だが、仁王立ちは解かないらしい。
「な、なんなんだよ……?」
俺はよく分からない鈴木の行動に聞き返す。
すると鈴木は少し考えるように顎に手を当てて。
「そうだね。一つだけ君に言っておきたいことがある」
「なんだよ?」
鈴木の言葉に、俺は思わず身構えてしまう。
そしてたっぷりと溜めた後。
「……君は、私から大切なものを一つ奪いました」
そう小悪魔的に笑って、鈴木は人差し指で唇を押さえた。
だが、結局何のことか分からず、俺はただ首を捻るしかなかった。
「すまん。言われても何の話か分からなかったわ。もっと分かりやすく言ってくれ」
「君が女たらしで女の敵ってことだよ」
「ホントに何の話だ!?」
「だって二人同時にファース……奪うなんて、この女たらしが!」
「だから何の話だ!?」
途中聞き取れない部分もあったが、なにやらとんでもない事を言われた。女の子とキスしたことがないどころか、手すら繋いだことのない俺が、何で女たらしだなんて言われないといけないのだろうか?
だいたい、俺が女をたらしこんだなんて情報、一体どこから出てきたと言うのか。
「てゆうか、さっきからツッコミを入れてくれるけど、あまり馴れ馴れしくしないでもらえるかな?」
「いきなり女たらし扱いされたら、そりゃ誰だってツッコムだろ!」
「事実そうだから言ってるんだよ」
「だから何の話だ……って、もういいや。なんかこれ以上やっても同じ話をループするだけな気がしてきた」
「分かってるじゃないか」
「ドヤ顔で言うな!」
言った鈴木は仁王立ちしていた時に組んでいた手を腰に当ててドヤ顔をしていた。なかなかに腹がたつ顔だ。
「……じゃあな」
「じゃねー」
軽い調子で返事をする鈴木の横を通り過ぎる。最後の様子だと、実際はあまり怒っていないのかもしれない。理由については相変わらず謎だが。
通り過ぎてから数歩進んでドアに手を掛けて。
「鈴木」
気がつけば、何故か俺は鈴木にまた声をかけていた。
名前を呼ぶと、鈴木は仁王立ちのまま顔だけをこちらに向けた。その目は、驚いたように目を丸くしている。
そんな表情もすぐに元に戻った。
「な、なに?」
戸惑いの残る声で聞き返されるが、特に掛けたかった言葉があったわけじゃない。掛ける言葉を考えていたわけでもない。実際の所、自分でも少し驚いているのだ。
だけど、そんな意思とは反対に自然と一つの言葉が口から出てきた。
「……ありがとな」
その言葉に、鈴木は再び目を丸くして数回瞬きをした後に意味ありげな笑みを浮かべて。
「……何のことかな?」
それだけが返ってきた。
俺自身が言葉の意味を理解していないのに、何故か鈴木が俺の言葉の意味を知っているようで少し疑問だ。だが、不思議と追求する気にはなれなかった。
俺は今度こそ立ち去ろうとして、ふと思い出したことがあってまた足を止めた。
「あー、あとさ、文芸部の新入部員獲得に協力してやってくれよ」
「やだよ。君がやれば良いじゃん」
「俺はバイトだ」
「……そっか、なら仕方ないね」
こちらに背を向けたままで表情は見えないが、優しい声で鈴木はそう言って、歩き出した。手伝ってくれるようだ。
俺は後ろ姿が消えるまで見送って、今度こそ部室棟から立ち去った。




