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ありったけの想いを  作者: ゆきち
第五章:伝えられなかったこと

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第25話 ずっと近くにいたよ?

 ◇




 夜の海辺というのは、街中で感じる風よりも冷たく感じる。

 思わず俺は口元までマフラーに埋めて縮こまった。

 こんなところはさっさと立ち去るに限る。

 俺は問題の砂浜に視線を落とすが、誰かいる様子はない。やはり噂は所詮噂だったのだ。

 そう思っていると、鈴木はスタスタと足を止めずにそのまま階段を使って砂浜へと降りていった。

 まだ付き合わなくてはいけないらしい。


「誰もいないな」


 波がギリギリ当たらない所で鈴木が止まったタイミングで、俺は声を掛けた。


「…………」


 だが、返事がない。

 居なかったことがそんなにもショックだったのだろうか?

 今の俺からは後ろ姿しか見えず、どんな表情をしているのか分からないが、その目がずっと海の向こうへと向けられているのは分かった。

 それからしばらく俺は鈴木の後ろで待機していたが、全く微動だにしない鈴木に流石に心配になって近づこうと一歩踏み出した時だ。

 一瞬だけ視界がブレた。

 いや、正確には鈴木の身体がブレたと言った方が正しい。


「す、ずき?」


 俺は目の前の状況が理解できず、絞り出すような声を出すのが精一杯だった。

 そして振り返る。


「やぁ、相川君」


 その声を聞いた瞬間、鈴木の身体のブレが大きくなった。

 その奥に見えるのはもう一人の少女。時折映像がブレるように一瞬だけ別の少女の形をした誰かが見える。


「誰だ?」


 喋り方も雰囲気も変わった異常事態に、ただでさえ冷えていた身体が芯から冷えていくのを感じる。

 そして、二人の少女の形をした誰かは、冷たい笑みを貼り付けた口を開いた。


「やだな、私は鈴木だよ」


「そうは見えない」


「酷いなぁ相川君……本当に酷い人だよ、君は」


 片手で目元を覆って、口は三日月を型どる。その姿はひどく不気味だ。


「まあでも、忘れないって言ったのに全部忘れるような人だ。酷い奴なのは当然なのかな?」


 芝居掛かった言葉が耳に入るたびに身体が冷えていく。

 それは、冷や汗のせいか? それとも別の何かなのか?

 とにかく、この状況はどこかヤバい。

 俺は乾燥する目を閉じることもできず、ただ目の前の光景に呆然としていると、鈴木は独り言のように口を開いた。


「それにしても、この子は本当に不器用だ。折角チャンスをあげたのに、最後まで別人として過ごしちゃうんだから」


 その言葉が誰に向けられたものかは分からない。

 確かなのは、今目の前に居るのがいつもの鈴木ではないということだ。


「さっきから何を言ってるんだ? なんの話をしてる!?」


 少しでも何かを聞き出そうと対抗するように言うが、情けないほどに声が震えた。

 そんな事は気にも止めずに鈴木は冷たい目で俺を睨む。

 そして紡がれる、決定的な一言。今目の前に居る誰かとの共通点を。


「楓乃遥の話だよ。相川君」


 時が止まった。

 鈴木の口から出てきたその名前に、俺は動揺を隠しきれなかった。

 俺は震える唇で、懸命に言葉を紡ぐ。


「楓乃遥だと? お前は……お前は、一体何を」


 どれだけ探しても、何の手がかりも進展もせず、いつしか諦めてしまった存在。

 それがここに来て、何の前触れもなく手掛かりが現れた。

 俺の反応に鈴木は眉をひそめると。


「おかしなことを言うね? 楓乃遥はずっと君の傍に居たはずだよ」


「なに?」


 意味が分からなかった。

 ずっと傍に居た?

 一体どこに?

 いつ会っていた?

 それも忘れてしまっていると言うのか!?

 俺が必死で記憶の中を探っていると、答えに辿り着く前に鈴木が決定的な一言を口にした。


「君は今も、その子と一緒に居る」


 ――まさか!?


「ここまで言えば、流石にもう分かるよね?」


 そう言った瞬間だった。今まで二人の少女の身体を行ったり来たりするようにブレていた鈴木の身体がある一人の少女の形で固定されていた。

 だがその少女は、全く身に覚えがなくも酷く懐かしいと思わせる人だった。

 肩までは掛からない程の長さの黒髪ショートと少しキツい猫目が特徴の少女。


「雪人……いや、センパイ」


 姿は違えど、今目の前に居るのは間違いなく夏休みに一度話した時からよく喋りかけてくるようになった鈴木だった。

 確かに、考えてみればおかしな話だったのだ。

 今まで喋ったこともないクラスメイトが店でたまたま働いてたからって、話しかけてくるのは。

 そして、俺の話が面白いと言うのも疑問だ。あれは普通の人ならば「なに言ってんだこいつ」って引くくらいしないといけない。あくまでもあれは、身内ネタとしては成立するってだけのものだからだ。

 だが、鈴木はそうじゃなかった。ならそれは、ちょっと変わった感性の持ち主か、俺と親しいと呼べる間柄だった奴だけだ。


「君が、楓乃遥だったんだな」


「うん……」


「そっか……ずっと近くに居たんだ」


 俺はこの子と、どんな話をしていたのだろう。

 こうして目の前に現れた今でも、俺は彼女の事を思い出せないでいた。

 声を聞くたびに懐かしさが込み上げてくるのに、肝心の思い出がない。

 鈴木として過ごした彼女との思い出しか、思い出すことができない。




 ――君なら思い出せるよ。その為の準備はもう済ませてある。




 頭の中に声が響いた。

 俺と楓乃遥を再び繋げてくれた、恩人とも呼べる存在の声が。

 そう言われても、何も思い出せない。


「センパイ……」


 その声に、俺は記憶の海に潜っていた思考を中断させられた。

 ゆっくりと顔を上げた先に映っていた楓乃の顔はとても弱々しい笑顔だった。

 触れれば、すぐに壊れてしまいそうな程に儚げな雰囲気の彼女は、小さな口で言葉を紡ぎ始めた。


「あたし、センパイと居れて楽しかったよ。センパイは覚えてないかもしれないけど……あたしの姿、形が変わっても、センパイはセンパイだった」


 何でそんな、最後の言葉みたいに言うんだ?

 そう思うと、胸が張り裂けそうなほど痛んだ。

 それは、忘れてしまった思い出の断片なのか分からないけど、このまま最後まで聞いたら、俺の中の何かが終わってしまう様な気がした。

 そんな事を考えている間にも、楓乃の言葉は続いた。


「いつも眠そうな顔して、面倒くさがりなのに、何だかんだで面倒見が良くって」


 この先は、聞きたくなかった。

 最後まで聞いてしまったら、すぐに消えてしまうような気がしたから。


「時々意地悪してくるけど、その時に笑うセンパイの表情は少し子供みたいであたしは好きです」


 やめてくれ。その言葉が喉につっかえたまま出てこない。

 口をパクパクとさせる事しかできず、言葉を止められない。


「センパイは、どうだったかな……。楽しかった、かな? って、覚えてないんだった――」


 楓乃の言葉は、途中で切れた。

 俺が、楓乃の身体を抱き締めたからだ。


「セン、パイ……?」


 耳元で、吐息が混じった声で囁かれる。

 抱き締めた楓乃身体は柔らかくて、温かい。その身体は、僅かに震えている。

 その瞬間、今まで忘れてしまっていた感情が溢れ出した。


「ああ、俺も楽しかったよ。楽しかった」


 ――楓乃が初めてバイトに来た時、散々な目に遭ったけど思い返せば楽しかった事を思い出した。


「そっか……よかった」


 肩が楓乃の涙で温かい。

 一度鼻をすする音が聞こえると、震える声を再びあげた。


「ねぇ、センパイ」


 楓乃は俺の背中に手を回して顔を俺の胸へと移した。


「また、ご飯作りに行ってもいい?」




 ――いつの日か食べた、味噌汁の味を思い出した。




「ああ、いつでも来い。お前の味噌汁は美味しいからな」


 いつの間にか、俺の目の前の景色が滲んでいた。

 頰を熱いものが流れていき、ポツリと砂にシミを作る。


  「ねぇ、センパイ。また、遊びに行こうね」

 



 ――いつの日か交わした、遊びの約束を思い出した。




「そうだな。どこに行くか、一緒に決めような」


 そう言って俺は、抱き締める力を強めた。


「ねぇ、センパイ――」


 そこで楓乃は限界を迎えて、次の言葉がなかなか出てこない。

 やがて、途切れ途切れの声を絞り出した。


「もっと……ずっと、一緒に居たいよ」


 ――いつからか変わっていた、彼女への想いを思い出した。


「俺もだ……俺も、お前とずっと一緒に居たい! だから居てもいいんだよ!」


 俺が熱くなるにつれて、彼女の体温は徐々に消えていく。


「あはは……よかった。あたし、嫌われてなかったんだ」


 声はいつの間にか、さらに弱々しくなっているのに安堵した様な声音で、それがさらに俺を焦らせた。

 まるで、これからの運命を受け入れてしまっている様だったから。

 だから必死に言葉を繋ぐ。


「嫌いになんてなるかよ。嫌いになる部分なんて、どこにあるんだ!」


「だってあたし、センパイにいっぱい嘘ついた。いっぱい傷付けた。センパイは本気であたしと接してくれてたのに、それをあたしは踏みにじった」


 弱々しくも強い言葉。それが彼女の抱えていた後悔。

 確かに騙していたかもしれない。言えば何かが変わっていたのかもしれない。でも、そんなのは今はどうだっていい!

 大事なのはそこじゃない。


「良いんだ……良いんだよ……ッ! そんなのどうだって良い!」


「セン、パイ?」


 楓乃は戸惑うような声を出した。


「俺は楓乃と過ごす日常が楽しかった。楽しかったんだよ! 他に理由なんていらないだろ!? お前だってそうだったんだろ? だからそんなにまでなってんだろ!? だったら――」


 記憶も思い出もなくなるなら、今のままでいい。その言葉が出てこなかった。

 俺の身体からゆっくりと離れた楓乃が幸せそうに目を細めて笑っていたのだ。その瞬間、このままじゃダメなんだと気付かされたのだ。

 俺は喉まで出かかった言葉を必死で飲み込んだ。


「ありがとね、センパイ。偽物のあたしなんかを、そんなにも想ってくれて」


 穏やかな声。

 その身体は、淡い光に包まれていた。それは月明かりでもなんでもなくて、楓乃自身が光を帯びていた。


「でもね、ここでお別れ。もう少しであたしは目を覚ます。その時のあたしはきっと、センパイとの思い出を全部忘れてると思う」


 それはきっと避けられないことなのだろう。

 そして、今の楓乃が消えてしまった時、俺の記憶もどうなるか分からない。


「でもあたしは絶対、センパイにもう一度会いに行く。それでまた、センパイと恋をするんだ……」


 楓乃は恥ずかしそうに笑う。

 俺は今、どんな表情をしているだろうか。きっと酷い顔をしているのだろうな。


「だから、センパイとはちょっとだけお別れ」


 優しく笑いかけてくれる楓乃を、見ていられず視線を斜め下に向けてしまう。

 そしてボソリと、俺は声を上げた。


「分かった……でもな」


 一つだけ譲れないことがあった。

 みっともなくて、かっこ悪い。

 でも……。


「俺が先にお前に会いに行ってやる」


 その言葉に楓乃を丸くして驚いているが、そんなにおかしなことではない。

 俺だって、気持ちは同じなのだから。


「そっか、あたしも負けないよ」


 楓乃の眼に光が宿る。たった今から消え去ってしまう様な弱い眼ではなく、確かな何かを宿した強い光を宿している様に見えた。

 それに俺は普段はあまり使わない表情筋をフルに使って、口角を上げて見せて。


「望むところだ」


 そう言って拳を突き出した。

 俺達らしい軽いやりとりだ。

 それに楓乃がふっ、と笑みを零すと俺の首に腕を回す。


「バイバイ、センパイ」


 と、最後に俺の唇に自分の唇を重ねていった。

 その突然の出来事に呆然としている間に楓乃は姿を消して、唇の感触だけが残像のように残った。

 それは冷たくて柔らかい、とても心地の良いものだった。

 その感触だけを残して、俺の中で一人の少女の記憶が消えた。

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