第1話 日常
季節は夏。
期末テストも終えて、夏休みまで消化試合だと教室内が浮き足立っている中、俺は登校して早々に机に突っ伏して、HR開始までの数分を睡眠時間に当てていた。
俺の席は窓際の後ろから二番目だ。そこからは広大な海が見える。開けられた窓からは心地のよい潮風が流れ、時折頬を撫でた。
このまま時が止まれば良いのに、などと乙女チックなことをぼんやりと考え始めた頃、頭上から声が降ってきた。
「なぁ雪人よ。何でいつも朝からそんな気だるそうにしてるんだ? もうすぐ夏休みなんだから、もうちょいはしゃいだって良いんじゃないか?」
呆れたような声に俺は机に突っ伏したまま顔だけを上げて、安眠を邪魔した元凶を見やる。
そこには爽やかさを絵に描いたような、俺とは無縁そうな少年がそこにいた。
タレ目が印象的なイケメンだ。タレ目にはイケメンが多いと聞くが、彼を見ているとあながち間違えではないのかもしれない。
彼の名前は半田龍之介。サッカー部のレギュラーで二年生。
そんないかにも人生を謳歌してそうなステータスを持つ半田に、起こされた事への不満を隠しもせず悪態を吐いた。
「あのな半田。確かに夏休みまで三週間を切った上に、期末テストも終わったから勘違いするのも分かるけどな、よく考えてみろよ」
「もうすぐ夏休みでハッピーだろ?」
「違うな。だいたい、俺がそんな前向きなことを言うと思うか?」
「だよな。雪人がそんな前向きだったら、俺は偽者じゃないかと疑うね」
「お前なぁ……」
軽く否定してくれる期待も虚しく、半田はあっさりと肯定した。
若干不満に思ったが、めんどくさかったので口には出さなかった。
「それでなんなんだ? 勘違いって」
「ん? ああ……」
いつの間にか眠そうに視線を窓の外へと放り投げていた俺は、気のない返事をして半田と向き直る。
「ああ……ってお前な」
「悪かったって」
呆れるような視線をかわすように短く謝罪して、さっきまでまとまっていたはずの考えを思い出す。
「俺が言いたかったのは、いくら夏休みが迫っていようが、学校なのは変わりないってこと。授業やらなんやらはあるんだから、夏休みが近いからってテンションは上がらないんだよ」
「なるほど、それは雪人らしいな」
そう言って半田はにこりと笑う。そんな彼を眩しそうに目を細めて見たところでHR開始を告げるチャイムが鳴った。
「それじゃあな」
「ああ」
短く返事をすると、半田は自分の席へと戻っていった。
それを見送り、俺は腕を枕にして、視線を再び窓の外へ向けた。
そこからは、今は誰もいないグラウンドと、広大な海が広がっていた。
この学校『海越高校』は海にかなり近い場所に校舎を構えている。そのおかげで景色は良いのだが、こう毎日見てるとその感覚も薄れ、今では何も感じなくなってしまった。
夏は放課後に海へと足を運ぶ生徒が多く、クラス内の男子の半分は既に日焼けしている状態だ。
そんな彼らとは違い、カッターシャツの袖から覗く俺の腕は不健康なんじゃないかと思われるくらいに白い。
ぼんやりと外を眺めていると、先生がなかなかやって来ないことを良いことに、小声で話す声が教室のあちこちから沸き上がる。
その一つ、隣の席に座る女子達の会話がふと、耳に入る。
「ねぇねぇ『一人多い』って都市伝説知ってる?」
小声でそんなことを話すのは、動く度に揺れるポニーテールが特徴の噂話好きの女子生徒だった。
たしか名前は鈴木さんだか竹田さんだったと俺は曖昧に記憶している。
「あ、それ知ってる! 最初は三人で遊んでたのが帰り際には四人に……とかってやつでしょ?」
対して答えたのは田中さんだった気がする。
ウェーブがかかった茶髪が特徴の生徒だ。
「そうそう、それ」
共通の話題が見つかって嬉しかったのか、鈴木さん? は少しテンション高めで肯定した。
「それがどうかしたの?」
「うん。実は、隣のクラスの高橋さんから聞いたんだけどね」
「誰よ高橋って……」
「ほら、オカルト好きな高橋さんよ。知らないの?」
「知らないの? って、知らないわよそんなの」
まるで常識だと言わんばかりに鈴木さん? が言うと田中さん? にツッコまれる。
それでも鈴木さん? はマイペースに続けた。
「それでね、その高橋さんが先週の土曜日に廃病院へ友達と肝試しに行ったみたいなんだけど、そこで奇妙な出来事に遭遇したんだって」
「奇妙な出来事?」
「うん。高橋さんの話では、最初に廃病院へ入ったときは間違いなく三人だったらしいんだけど『特に何もなかったね』って拍子抜けして、ふと後ろを見たら、自分合わせて三人だったはずが四人に増えていたんだって」
「えー、何それこわーい!」
大して怖くなさそうな悲鳴を上げてすぐに、女生徒は何かに気づいたように「でも」と続けた。
「一人増えてたら、誰が増えてたかくらい分かるんじゃないの?」
「それが分からなかったの。その場では違和感なく四人いて、何度名前を復唱していっても四人居た。その時はただの勘違いだと思ってそのまま解散したみたいなんだけど……」
そこで鈴木さん? は肘をついて前屈みになると、結果を話す。
「次の日、気になった高橋さんがもう一度メンバーを一人ずつ思い出していく要領で名前を挙げていくと、三人までしか名前が出てこなくて、結局四人目が誰だったのか分からなかったんだって」
「そ、それマジなやつじゃん……。ちょっとやめてよ、夜中にトイレ行けないじゃない!」
「その時は私がついて行ってあげるよ」
「もう、冗談じゃないんだけど……」
そこで都市伝説の話は終わり、怖い怖いと言いながらもそのまま別の話題へとシフトしていった。
その声をつまらないラジオ代わりに耳に入れて、徐々に意識を闇に沈めていく。
それから眠りに付くまで、それほど時間はかからなかった。