第18話 欠けた日常
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鈴木さん達が帰ってから数時間が経過して、時刻は午後の三時の休憩室。俺と半田は帰りの準備をしながら雑談していた。
「なぁ、次はどこ行くよ?」
半田は唐突にそんな事を言った。
「次?」
次もあるのかと、嫌そうなニュアンスで答えると半田は怒るでも呆れるでもなく淡々と言葉を返す。
「海行った時の帰りに言ったろ? 次どこに行くかを次のバイトで一緒になった時に決めようってさ」
「あ、ああ……そうだったな」
海で遊んだ時の事を殆ど覚えていない事をなんとなく言い出し辛く、つい話を合わせてしまった。
俺の様子がおかしい事に気づいたのかどうか分からないが、半田は一度こちらを見て首を傾げると、何事も無かったように話を続けた。
「で、どうする? なんか行きたいとことかないか?」
「んー、そうだな。任せるわ」
「丸投げかよ……。まあ、雪人にその辺は期待してなかったけどな」
呆れたように言う半田に、じゃあ何故聞いたのかと聞き返そうとすると。
「だから、楓乃さんにも一応聞いといてくれよ」
一気に頭の中がはてなで埋まった。
まるで共通の知り合いの話でもするように言った半田の言葉の中に出てきた聞いたことのない名前らしき単語。いや、話の流れ的には人の名前なのだろうが、俺には聞き覚えがなかった。
聞き覚えはなかったのだが、また海で倒れてた時に感じた得体のしれないモヤモヤが俺を襲った。
「変な顔してどうした? さっきから微妙に様子が変だけど」
急に黙り込んだ俺に訝るような視線を向けてくる。
俺は誤魔化すべきか一度考えるが、すぐに思い直した。
「いや、最近物忘れが激しくってな」
「うん?」
全然解答になっていない返事に戸惑うような表情を見せるが俺は続けた。
「実は海で何して遊んでたかよく覚えてなくてだな」
「…………」
「その、楓乃さんって人もいつ会ったっけ? もしかして海で遊んだ時が初対、面……か?」
喋れば喋るほど半田の顔が険しくなっていき、俺は思わず声がどんどんと小さくなっていく。
知らないうちに地雷でも踏んだのだろうか? よくよく考えてみれば、つい先日遊んだばかりのことを全く覚えていないというのは気分が悪いよなと、自分の発言が軽率だったと反省する。
「雪人、お前それ本気で言ってんのか?」
案の定半田は怒っているのか、真面目なトーンで確認を取ってくる。
ここで冗談だと言っても信じてもらえないだろうし、仮に信じてもらえたとしても全く覚えていないのだからすぐにバレる。こんな考え方している時点でかなり最低な気もするが、俺は潔く認めるように「覚えてない」とだけ返す。
「よし、文芸部に行くぞ」
「へっ、なんで? 怒るんじゃなくて?」
予想外の言葉に驚いていると、逆にキョトンとした表情を浮かべられた。
「何を怒ることがあるんだよ。良いから行くぞ」
「待て待て、意味がわからん。何で文芸部に行くんだよ?」
急かしてくる半田を一度制止すると、真っ直ぐな瞳こちらに向けられた。
「頼まれたんだよ」
「頼まれた?」
どこか切羽詰まったようにも見える半田の様子に俺も真面目に返す。
そこで思い至ったのは、最近俺を襲っている違和感についてだ。
「お前、なんか知ってるのか?」
それだけ言うと半田は一度短く息を吐いた。
「俺は何も知らない……というか、覚えてない」
「うん?」
半田にしては珍しく、どこか遠慮のある言い方に俺は首を傾げた。
「海でのこと、俺もよく覚えてないんだ」
「え……」
それは俺も全く同じことを思っていたことで、ただ単に俺が忘れてるだけなんだと見て見ぬふりをしていた違和感。それを半田も感じていたと言うのか?
俺が静かに驚いていると、半田は話を続ける。
「全く覚えてないわけじゃないんだけど、なんかこう……」
半田はどう伝えるべきかを迷うような様子でそこまで言って。
「覚えてることと、実際に遊んだ時間が全然合わないっていうか」
同じかと思えば少し違った。
俺は何かを忘れているような気がするってレベルのものだ。といっても、それが絶対に忘れてはいけない大切なことのようだった気がしたから困っているのだが。
それに対して半田は、覚えてる思い出と実際に遊んだ時間が合わないと来た。普通そんなこといちいち考えてる奴なんていないだろうし、遊んでたら楽しすぎて時間を忘れてたなんてことは良くある話だ。
それなのに半田は、そこに疑問を持っている。
まるで、最初から楽しむ目的で遊びに行ったのではなかったかのように。
「だから、お前が言ってた楓乃さんの話はやっぱり本当だったんじゃないかと思えてきたところだったんだけど……」
そこでもう一度俺を見ると、今度は表情を複雑そうに歪めた。
「まさか、お前まで忘れるなんてな」
そんな顔で見られても、覚えていないものは覚えていない。というか、さっきから話の内容が普通じゃない気がする。
かと言って、『お前なに言ってんの?』と笑うことができないのはきっと、多少なりとも俺にも心当たりがあるからだろう。
「まあ、海で遊んでたときのことは俺も不自然なくらい覚えてないし、何よりもその日からなんか忘れてるような気がして気分が悪いのは確かだ」
「だろ?」
「でも、それと文芸部に行くことに何の関係があるんだよ」
それだけが分からなかった。
忘れてる原因がそこにあるのだろうか? もしくは、そこにいる人物である篠崎が黒幕だったりするのだろうか?
俺がそんなことを考えていると半田は肩をすくめた。
「さあ? それは俺にも分らん」
「はぁ!?」
あっけらかんと言う半田に思わず大きな声を出してしまった。
「じゃあ、なんで――」
「お前に頼まれたんだよ」
「たの、まれた?」
遮るように半田は言ったが、俺の方にそんな記憶はなかった。それも含めて消えているというわけか。
「それも忘れてるのか? お前がもし自分が忘れたら、文芸部室に連れて行ってくれって言ったんじゃないか」
やはり、全く覚えがないようだ。
なら、ここでいくら考えていても何一つ進展しない。半田も覚えてることが少ないというより、肝心な情報については綺麗さっぱり無くなっているようだ。
「まあ、とりあえず行くか。文芸部室ってことは、篠崎がなんか知ってるんだよな」
「多分な。なんで俺には教えといてくれなかったんだろ」
「それも含めて忘れてるんじゃないか?」
「うーん……」
納得がいかないというように唸りながらチラチラとこちらを見てくるのが少しうざかったので、俺は無視して一人で外に出た。
まだ午後の三時過ぎということもあって、外はまだ明るい。すると当然だが日の光が直撃して早くも俺は帰宅したくなり「やっぱり帰ろうかな」と呟いた。
「駄目に決まってんだろ。行くぞ」
いつの間にか店から出てきていた半田は俺にツッコみを入れると、仕事の後とは思えない力強い足取りで学校へと向かった。その後ろを俺は気怠く返事をして、付いていった。




