第14話 病室の彼女
◇
紙に書かれた病院に到着すると、辺りは赤さが控えめになり薄暗くなっていた。
俺は走っていて乱れた息を整えてから病院へと入って受付を済ませると、楓乃の待つ病室へと向かった。
受付は以外にもすんなりと終わった。楓乃の母親が連絡しておいてくれたらしい。
そこまでは良かったのだが……。
「……はぁ」
受付から病室まで行く足取りがとても重かった。相手がずっと寝たきりで、何も気負う必要がないのは分かっているのだが、どうしても緊張してしまう。
だが、どれだけゆっくりと歩いたところで病室までの距離はそれ程遠くもなく、すぐに目的の病室へと到着してしまった。
俺は一度深呼吸をして落ち着くと、病室のドアに手を掛けてゆっくりと横へ引いていく。
自分の身体が入るくらいのスペースを開けたところで俺は様子を伺うように顔を覗かせた。
中は個室で、楓乃が寝ているであろうベッドは真っ白なカーテンで隠されていた。
俺はそこまで確認すると、恐る恐る中へと足を踏み入れて、ベッドに近づいていく。
近づく度に鼓動が少しずつ早くなり、カーテンに手を掛けた時には心臓の音が聞こえてくる程だった。
そして――。
「……ッ!?」
カーテンの向こう側の光景に、俺は思わず息を詰まらせた。
そこには、変わり果てた楓乃遥の姿があったからだ。事前に誰か聞いていなければ、楓乃と分からないほどだった。
立ち上がれば腰までありそうな黒髪。そしてその間から覗くのは不健康なほど真っ白な肌とやせ細った頰。
そして、至る所からチューブや線などが伸びている。
痛々しい姿。
俺の知る、あの生意気で明るい後輩と同一人物だとはとても思えなかった。いや、思いたくなかった。
それでも、こうして目の前にして思い知らされた。
変わり果てているとはいえ、病室の札には楓乃の名前があったから本人なのだろう。
なら、今まで俺と接してきたあの少女は一体誰なのか?
きっと彼女も、楓乃遥なのだろう。
本来なら、そんなことはありえない。普通に考えればそうだ。
だが、俺はその普通じゃない部分を実際に目撃している。
認識から外れると忘れられるという不可思議な現象。
それはド忘れしたなんてレベルのものではなく、本当に楓乃遥という人物は初めから存在しなかったと本気で思っている様子だった。
そしてそれは事実そうだった。楓乃遥が存在するはずはない。それは目の前のこの光景が証明している。
そこで俺は、ある都市伝説を思い出していた。
楓乃と初めて出会ったあの砂浜。
いつの日か俺が読んだ小説の舞台にもなったあの砂浜はこう呼ばれていたはずだ。
――死者と邂逅できる砂浜。
厳密に言えば、楓乃遥は死んでいるわけではない。だが、限りなく死に近い状態なのは確かだ。
そして状況が、俺の想像していたよりもっと深刻で複雑だった。
この時点で俺は、今まで接してきた楓乃遥には聞きたいことが山ほどある。
何が本当で何が嘘なのか。
どこまで知っていて、どこまで知らないのか。
そして楓乃自身、この問題のことをどう思っているのか。
聞きたいことはこれだけじゃない。挙げていけばキリがない。
だから、それらを確認するために俺はもう一度会わなくてはならない。
たとえ、楓乃が助けを望んでいなかったのだとしても、今のままじゃ誰も幸せにならないし問題も解決しないのは分かる。
だから要らぬお節介でも俺は助けたい。
たった数日間の付き合いだったけど、いつの間にか俺の中で、楓乃と共に過ごした時間は掛け替えのないものとなっていた。
海で出会った時。一緒にバイトをすることになった時。家に泊まりにきた時。海に行った時。
それらは時間にしてたったの数日の間の出来事でしかない。それでも、その少ないながらも濃密な時間は、俺にとっては失いたくない大切な思い出となっていた。
俺はそれらを自覚すると、ベッドの上で横たわる楓乃の右手の上に自分の手をそっと重ねる。
瞼を閉じたままピクリとも動かない楓乃顔を俺は真っ直ぐ見て、心の中で静かに、それでいて固い決意をする。
――絶対、何とかする。




