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エディタの暗示  作者: アルヴァ禁書庫
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黒い蜜について

 恐怖とは汝の器の底にいついかなるときでも溜まっているよどみであり、何人たりともそのよどみを持たぬということはない。勇気とは自らの器のうちにあるよどみを溜め込むぽっかりとあいたうろに蓋をする技術に他ならない。勇気を習得することはできる。だが器の底にうろを持たぬものはない。また勇気とは恐怖を克服するのではない。甘い蜜のように腐臭を漂わせながらたまるよどみが溢れぬという保証は、どのような人の器にもなく、勇気とはその腐臭に蓋をするのであって、その蜜を汝の代わりに食らうのではない。ここに記すのは器の底に溜まるよどみを銅の匙で掬い上げ、それを飲み込むことで行なう冒涜の技術についての様々な事柄であり、勇気などというその場凌ぎの技術についてではない。ここに記すのは器の底にあるうろの蓋を取り去りそして扱うための技術であり、うろに蓋をして甘い蜜の匂いを封じ込める技術についてではない。覚悟を捨てあるがままに黒い蜜を貪る者にのみ真の意味が与えられ、勇気や覚悟などという素末な技術を信じる者には曇った理解と災いが得られるのみである。


 黒い蜜を味わう技術を取り扱うにおいて知らなければならぬ最初のことはまずなによりも、汝の器の底にたまるそのよどみをただ味わうことである。甘く喉を焼くその匂いを嗅ぎ、粘り着く黒い蜜を掬うには、相応の忍耐と知識、そして技術が必要である。もちろんそうでない者もいる。生まれながらにして自らのうろからわき出す黒い蜜を啜る技術を知っている才覚を持ち合わせた神童である。彼らは何も教わること無しに自らの黒い蜜を啜り、そしてそれらを自らの腹で消化し、代わりにうろに別のものの蜜を注ぐことで新たな蜜によって業を起こす。別のものの蜜と彼らの黒い蜜が混ざり合うことによって彼らの器そのものが変容しいわばその不可逆な変容そのものを生贄として業が起こされるのである。かれら神童はそのようにしてそのようであるのであり、あるいはそのようであるのでそのようでないことはないのである。汝が彼らと同じく器の底に溜まるよどみを味わうことができるのならばそのようにすれば良いだろう。そうでないならば、器の底から蜜を救い上げなければならぬ。


 汝のための道具としてまずナイフを用意しなければならない。これは汝の第四指よりも長い刃を持つものでなければならない。第四指は汝の心臓に直接繋がれた指である。ナイフを用意したならばその刃を全て口に含み、光の差し込まぬ部屋の中で祈らなければならない。昼夜を通じた祈りによって汝の口腔そのものがその鞘となり、汝自身の肉を鞘とするナイフは汝の第三の腕の第四指となるのである。このナイフは汝自身を傷付けることはないが、しかし汝の皮膚を貫くことはできる。痛みはなく貫かれた皮膚はすぐに治癒するが、血を流すことはできるだろう。その血によって黒い蜜を取り出すのである。なぜなら血は汝の心臓から流れ出ているのであり、そして心臓は汝の器そのものに見立てることができる唯一の臓器なのである。こうして流れ出た血には黒い蜜が含まれているが、他のものも含まれている。注意せねばならぬのは、汝の唇が縫い合わされた時、汝を貫くことのないそのナイフはしかし汝の躯を鞘とするのであって、口腔に収まることのできぬ刃が何を貫くのかは知らねばならぬ。口腔を除けばその刃を収めることができるのは汝の器である。


 これについて記すべきは簡単な経験だろう。湾曲した針によって自らの唇を縫い合わせナイフを腕に突き刺すと、その刃は心臓の内側を貫くのである。そうして貴重な命の一つを失ったために、二度と口を塞がれぬよう歯と唇を取り除こうかと思案したのだが、そうすると蜜を摂るのに苦心しなければならぬと思い直し、諦めたわけである。二十二日目のことだったと記憶している。ともかく自らの躯を損なうというのは愚かな行為であるだろう。


 汝の血液を注いだ瓶を用意しなければならない。小さなものでよい。その瓶の底面の直径に応じた印を描かなければならない。まず二重の円を描き、北東に始祖の神童の名を、南に汝の起源の印を、東に本来の日付を記す。起源の印と本来の日付には十分な注意を払わなければならない。汝は自らの起源を正確に知ることができているとは限らないためであり、そしてまた本来の日付とは我々とは異なる時間を生きるイャルの暦に従って慎重に計算しなければならぬ。あるいはイャルの日付である。そして瓶を置く位置には黒い蜜の印を南を上にして記す。これによって汝の血液から黒い蜜でないもの全てを取り除くことができる。これは液体に対してのみ使うことのできる方法であり、また汝の血肉によってのみ作用する技法である。従って汝の体液でない液体に対して用いる際には、汝の血液によって描くことになるだろう。また得ようとする液体を意味する印を知らねばならぬ。イャルを崇拝する一族によって記された辞書が助けになるだろう。ともかくそのようにして、血液から黒い蜜を得ることができる。これこそが沸き出した汝の恐怖そのものである。


 この濾過には十分注意せねばならない。血液は骨髄によって無限に作られるが、底から分離され得る黒い蜜の総量は限られている。これは血液の成分ではない。血液が汝の一部であったためにそれを通じて得られるのであり、こうして得た黒い蜜は汝の器の底のうろから取り除かれる。うろのなかに溜まっているよどみが自然に回復することも新たに作られることもない。そのためにこの手法に限らず汝自身から取り出すことができる黒い蜜は無尽蔵ではない。これが十分注意せねばならぬと先に警告した理由である。黒い蜜が失われれば、汝は地球上の生物から遠ざかることになる。黒い蜜とは汝の手助けになる汝自身であるが、しかしながら蜜をむやみやたらと取り出して啜るのは汝の毒でもある。最も恐ろしい毒とはそれが毒であるということに最後まで気付くことができぬような甘いものであり、故にこの黒い粘ついた液体は蜜と呼ぶべきものであるのだろう。これを蜜と最初に呼んだのはどうやら始祖の神童であると推測する根拠を持っているが、その根拠が正しいものであるという根拠を得るには至っていない。彼の名はエディタである。

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