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戦国小姓!弥三郎!(応募編)

作者: 平蜘蛛

第一章「戦国小姓」


「僕の名は弥三郎です。日ノ本の本州の東にある、ここ「火島」の主、天津家に代々仕える古平家、その古平家の主、古平天明様に仕える小姓です! 古平天明様、通称「テン様」に仕える僕は、古平家の名のある者達、総勢九人に数えられる「古平九尾之衆」の一員(見習い)で、テン様の身の回りを御世話する「小姓」という立場になってます! テン様は持ち前の天才的な策略で、天津家現当主、天津義影様からここ、「桜山城」を承り……」

「……弥三郎君、一人で何を話してるんだい。早く城に戻らないか」

「あ、杏二郎さん! 今この子達に、テン様の凄さ賢さカッコよさを教えてた所ですよ!」

 動物と話していた少年はそう言って、城門へつながる階段の脇に位置する雑木林に集まったリスや蛙、野兎たちを指さした。

「こらこら、この子たちに迷惑かけるんじゃない。行くよ」

 黒髪の青年杏二郎はそうため息をつくと、弥三郎の襟首をつかみ、引きずるように城内に連れ込んだ。のんびりしていたところに突然変な子供に絡まれた小動物たちは「やっと終わった」と安堵の表情を見せている。

「ま、待ってくださいよー! まだテン様のカッコよさは少しも伝えられて……」

「弥三郎君、君は天明様の小姓だろう。小姓がこんなところで遊んでいては駄目だよ。しっかり天明様のおそばに控えて、身の回りの世話をするのが小姓ってものさ」

「だってテン様が「読書中に我の邪魔をするでない」って言うもんですから……」

弥三郎は、主君である天明のマネをしながらそう言った。何を隠そうこの小姓、杏二郎に説教される前、既に主君の天明から説教をされていた。先刻、天明の後ろをまるで鴨のひなのようにつきまとって何かと世話を焼いていた弥三郎は、読書中の天明にお茶を出そうとして蹴つまずき、天明と、天明の愛読書に茶をぶっかけてしまった。

 それから天明の説教を長々とくらい「暫くがき共と遊んで来い」と言われてしまったのだ。弥三郎は小姓でありながら、少しドジな所があり、主である天明に迷惑をかけることも一度や二度ではなかった。

 杏二郎は弥三郎を担いだまま城の門を抜け、馬小屋の前に正座させた。

「あのねぇ、弥三郎君。君が農民の子だというのに、何故小姓にしてもらったのか分かるかい?」

「はい、僕の才能ですよね」

杏二郎は呆れたように顔を覆った。どこの世界に、ドジしかしない小姓の才能を認める者がいようか。

「ちょっと違うよ。君の変な力を天明様が買ってくれたんだろ?」

弥三郎は納得したように手のひらを拳で打つ。正直、通常の小姓であれば、いつ暇を出されても可笑しくは無い。しかも弥三郎は農民の子である。農民で、しかもドジばかりする弥三郎が何故、暇を出されないかと言うと、戦の時に役立つからである。

 だが、弥三郎は剣術に長けているわけでも、軍略が優れているわけでもない。ただ「畜生と会話が出来る」と言う力を生まれつき持っていたからだ。

 小さいころ、毎日のように雀や野良犬と話す弥三郎を見て、大概の人は不気味に思い、弥三郎を避けてきたのだが、ある戦の日、天明の部隊が布陣を広げている山を相手方に包囲され、絶体絶命を迎えた時、散歩をしていた弥三郎が、偶然それを見つけ、近くにいた猿に逃げ道を教えてもらい、天明達を助けたのである。それを見た天明は、弥三郎と、弥三郎の力を気に入り、弥三郎に小姓になるよう任命した。

「羨ましいね。農民だったくせに天明様の小姓だなんて」

「いえいえ! 寺で育てられた孤児だったのに、テン様に仕える精鋭ぞろいの「九尾之衆」の一員になった杏二郎さんにはかないませんよ!」

皮肉を言ったつもりが褒め言葉だと思われ、杏二郎からは、更にため息が洩れる。そして「君も一応、九尾之衆の一員じゃないか」と、弥三郎に言い聞かせる。

  古平天明に仕える数多の将の中で、数々の秀でた才を持つ将九人。それをまとめて、「古平九尾之衆」と人々は呼んだ。弥三郎もその中に入ってはいるが、「畜生と会話ができる」という能力を周りに公開すれば、勘付いた敵からそれを察され、刺客に襲われることもあるだろう。そのため、弥三郎の能力は、天明と九尾之衆しか知らず、周りには、弥三郎は「弓の名手」ということになっている。だが、山奥で狩猟をして暮らしていたため、あながち嘘ではない。

「次の行軍では、しっかり天明様をお守りしなよ? この間なんて、敵の怒声に驚いて逃げ出したんだからさ」

弥三郎は「気をつけます」と正座したまま頭をペコリと下げた。杏二郎は「本当に気をつけるんだよ」と念を押し、そのまま溜息をついて去って行った。弥三郎は、疲れたように背伸びをしながら立ち上がる。

 と、その時「……なんでぇ、溜息ばっかり付きやがって。おい弥三郎、杏二郎あいつなにかあったのか」と弥三郎の頭の上の方から、不意に声が聞こえた。それも、弥三郎にしか聞こえない声だ。

「あ、蒼風さん。多分、僕の事を叱りすぎて呆れてるんだと思いますよ……」

弥三郎に話しかけていたのは、栗色の毛並みの馬だった。鬣を風になびかせながら、「ふーん」とトボトボ歩いている杏二郎の背中を見つめると「いや、ありゃあそうじゃねえよ」と笑って言う。

 ちなみに、弥三郎が蒼風に敬語を使っているのは、蒼風が、主君天明の愛馬だからだ。その所為か、蒼風は態度が他の馬よりデカい。

「そうじゃない、ってどういうことですか」

「見りゃわかんねぇか、ありゃ「恋煩い」だね」

「恋煩い!? 杏二郎さん、誰に恋してるって言うんですか!?」

「お前も鈍感だな、ホラ、お絹だよ。あの気の強い」

「え、お絹さんですか!? いつも杏二郎さんを叱り飛ばしてる……」

 戦国時代、それも人口がそれほど多くない火島では、志願があれば女性も軍に加えていた。しかし、近距離戦では勿論不利なので、鉄砲隊に入れられることが多かった。お絹もその一人で、元々は鉄砲隊の兵士だったが、値段の張る鉄砲の数がそろわず、数名が鉄砲を使わずに、刀や槍を使って戦うことを余儀なくされた時、お絹は自らの薙刀を手に取ると、そのまま戦場で暴れまわったんだとか。

 その日からお絹は、女衆の大将、及び九尾之衆の一人となった。その気の強さ故、「実は男ではないか」という噂がたつほどであった。

 だが、弥三郎はそれほど嫌いでは無い。会うたびにお菓子をくれるからだ。いつもニコニコとしながら大福や団子をくれるお絹は、弥三郎にとっては「優しいお姉さん」なのだ。

「あの優しいお絹姉さんだなんて、ちょっとぜいたくすぎませんかね?」

「なに言ってんだよ、あの二人じゃねえと釣り合わねえだろう」

「女なんて、空の星ほどいるんですけどねぇ……」

 兵士たちがぼやいていた言葉を真似すると、蒼風に「がきが女を語るんじゃねぇ」と、頭突きをくらわされた。弥三郎はどつかれた頭をさすり、日課である馬小屋の掃除に取り組みはじめた。弥三郎は、蒼風と話せるこの時間が気に入っている。なので掃除も率先してやっているのだ。

「さっさと想いを伝えればいいのに。全く杏二郎さんは…」

「あのなぁ、お前なら確かにサラッと言えるかもしれないが、普通は中々伝えられねぇものなんだよ」

弥三郎と蒼風がそう言って話していると、突然後ろから、聞き覚えのある優しい声がした。

「あら、弥三郎ちゃんじゃない」

 弥三郎がクルリと振り返ると、杏二郎の想い人、お絹が立っていた。長い髪を後ろでくくり、白い肌でニコリと笑う顔は、恋愛など興味のない弥三郎でも「美しい」と感じてしまうほどである。

お絹は面倒見も良く、弥三郎もよくお世話になっているため、弥三郎はお絹を慕っている。身寄りのない弥三郎からすれば、姉のような存在なのだ。

「今日もお掃除かしら、いつもごめんなさいね」

「いえいえ、テン様の愛馬もいますから! 小姓である僕がやります!」

 お絹は「偉いわね」と笑うと、思い出したように小包を取り出した。

「これ、貰い物だけど良かったらあげるわ。大福よ」

弥三郎は箒を投げだし、小包をガシリとつかんだ。

「うわあ! やった!!」

「じゃ、頑張ってちょうだいね。……ところで、杏二郎さんはどこへ行ったのか、弥三郎ちゃん知ってる?」

お絹は気が強く、弥三郎に優しいだけで、他の男には「おい、そこのお前!」と言う。九尾之衆の筆頭である百鬼菊之介さえ「菊之介」と呼び捨てにしているという肝っ玉の太さである。菊之介はいつも「お絹は手厳しいなぁ」と苦笑いしていたが、下手をすれば処罰に値のではないかと心配になる。

「十七の娘のくせに、よくまァそこまで男らしくなれるもんだ」

蒼風は、自分の声が弥三郎にしか聞こえないことをいいことに、お絹に向かってボソッとつぶやいた。弥三郎は「失礼ですよ」と合図する。

 だが、誰にでも呼び捨てをするお絹だが、例外がある。一人は弥三郎だ、いつも優しい声で「弥三郎ちゃん」と呼んでくれる。そしてもう一人は、意外なことに杏二郎である。

杏二郎だけは「杏二郎さん」と「さん」をつけて呼び、更に話している時は若干顔が赤くなっている。弥三郎はいつも、それが不思議でならない。

 弥三郎は早速大副をほおばりながら「あっちれふ」と杏二郎が歩いて行った先を指さした。大方、いつものように自室にこもり、古事記を筆写しているのだろう。

「あー、また小難しい本を巻物に書き写してんのかい、変わってるねぇ」

 弥三郎は「僕ほどじゃないですけどね」とふんぞり返ったが、蒼風に「いばってんじゃねぇ」と一蹴された。

 お絹は「本当! ありがとね」と指をポキポキ鳴らすと、女子とは思えぬ速さで走って行った。

「……杏二郎の奴、また何かやらかしたのかねぇ」

「さぁ……。何かと怒られてますからねぇ……。この間も「男らしくない」ってど突かれてましたっけ」

「杏二郎も杏二郎だが、お絹も大概だねぇ」

 蒼風はニヤニヤと笑いながら呟いた。だが、弥三郎はその言葉の意味を解す事が出来なかった。それよりも、大福に夢中で、三つあった大福を全てたいらげてしまった。

食欲なら誰にも劣らぬ、と天明も豪語しているほどだ。食べる速さも島一番だ。

 すると、遠くから足軽衆で知り合いの茄子兵衛が、息をきらせながら走ってきた。でっぷりとした体つきで、全力で走ってはいるものの、全く近づいてこない。

「お、おーい、弥三郎や、弥三郎……」

「どうしたい、そんなに慌てて。お絹姉さんから貰った大福なら、全部食っちまったよ」

 庄兵衛は、口の周りについた大福の粉を払う弥三郎に肩で息をしながら伝言を伝える。

「そうじゃねぇんだ。天明様がお呼びだって、上役から言われたんだ」

「天明様が? 一体どうしたのさ」

「それがよ、お前昨日天明様の部屋を掃除しただろう、ほらハタキを使ってさ。あの事で話があるってよ」

 弥三郎は「あれかぁ」と照れ臭そうに笑った。弥三郎の手伝いの中で、珍しく何の失敗も犯さなかった例である。見えない所も綺麗にしたし、なによりなにも壊さなかった。少し前、杏二郎の部屋を掃除した時、誤って壷を割ってしまい大目玉をくらったことがあるので、「次こそは」と注意したのである。

「へへへ、まさか掃除したから褒美でもくれるのかねぇ」

「だといいが……。天明様、目を細めてたぞ?」

 弥三郎の表情が固まり、背中に悪寒が走った。機嫌の悪い時、弥三郎を叱りつけるときに目を細めるのは天明の癖で、あの目で睨まれると、弥三郎は足がすくみ、一歩も動けなくなってしまう。

「そ、それはあれだよ、陽の光が眩しかったんだ!」

「毎日お天道様に祈りをささげている天明様がかい?」

 天明は、熱心な太陽信仰者で、毎日 朝・昼・夕には、かかさず太陽に向かって合掌し、目を閉じて祈っていた。これは火島独特の祈り方で、火島の東にある「朝日向神社」が発祥である。そのように毎日陽を拝んでいる天明が、まさか陽のまぶしさに目を細めることがあるだろうか。

「……ね、眠かったんだよ」

「そうだといいがねぇ」

庄兵衛は、「じゃ、伝えたよ」というと、足早に踵を返した。その様子を見て、蒼風が悪戯をする子供のようにヒヒンと笑う。

「弥三郎、また叱られるのか?」

「いえいえ、今度ばかりは褒められるんですよ。……多分」

 弥三郎は冷や汗を掻きながら、蒼風にお辞儀をして城の天守閣へと走って行った。

もう真夏だというのに、弥三郎には真冬のように寒く感じられた。だが、弥三郎は前向きに考え、急いで階段を駆け上がっていた。

「……テン様が僕をお呼びになるなんて……。しかも一番自信のあった掃除について!これはお褒めに預かれるぞ!」

 弥三郎は自分に言い聞かせるように心でつぶやきながら天守閣へ登り、更にその天守閣から突き出た階段を上った。桜山城が山城と言うこともあり、天守閣の屋根に上る途中に下を見ると目まいがするほどの高さだ。だが、そんな恐怖の光景にも忘れ、屋根へと足を踏み入れた。

 屋根は正方形で、能の舞台のようになっており、その中心へ立つ男が一人。

 弥三郎の主君、古平天明である。天明は目を閉じ、合掌して陽に祈りをささげている。

 弥三郎はこの時ばかりは何を言っても意味は無い。祈祷中に話しかければ、下手をすれば殺されかねない。弥三郎は天明の背後にチョコンと正座した。

 暫くして、天明が腕を下ろす。祈祷が終わったのだ。弥三郎がうとうとしていたところに、天明の鋭い声が響く。

「これ、弥三郎。何をしておるか。起きよ」

「へぇ……」

 弥三郎は間抜けな声を出し、まぶたをこする。

「ふぁ……。あ、テン様、おはようございます」

「もう正午ぞ、バカめ。…あぁそう言えば我が呼びつけたのであったな。……まぁ、ここで話すのも難儀ぞ。ついて参れ」

 弥三郎はいよいよ褒美をもらえると思うと元気がわき出た。すぐさま腕を組んで歩く天明を追いかける。そして二人は大広間へと足を運んだ。天明が上座に座り、その正面に弥三郎が正座する。

 天明の背後で煌めく金色の屏風が、天明の威厳と威圧を倍増した。

「して、話だ……。弥三郎よ、貴様、我の部屋を掃除したそうだな」

「はいっ! なにも壊して無いです!」

「それは当然、と言いたいところだが、貴様としてはよくやった。そこは褒めてつかわす」

「ははっ! あり難き幸せに存じます!」

 弥三郎は、自信満々に、にこやかに頭を上げると、次の瞬間一歩も動けなくなった。天明が、あの目で弥三郎をジッと見つめているのである。

「て、てて、テン様……? な、何でそんな怖い顔して……」

「して……貴様が掃除に使ったというハタキは、コレのことではあるまいな……?」

 天明は懐からそれを取り出した。金で装飾をされた棒の先に、黒と白の細い布が幾つか伸びている。弥三郎が掃除に使ったハタキだ。弥三郎はキョトンとして「それですけど、何かなさいましたでしょうか?」と小首を傾げる。

 天明は立ち上がると、ツカツカと弥三郎に歩み寄る。

そして、イライラしている時の癖で、手に持ったハタキの先端を右手の平にせわしく打ち付けている。

「弥三郎……」

 先ほどより一層目を細めた天明を前に、弥三郎はもはや表情すら動かない。口すらまともに動かず、泣きそうな顔になっている。しぼりだすように「はい」と言った。

「これは我の采配ぞ……。戦中は常にこれを使っておるであろう……?」

 天明はそう言って、采配を弥三郎の頭にペシと打ち付けた。叩く強さから見て、さほど本気ではないようだが、弥三郎はすでに鼻ごえになっている。

「貴様、古平家に伝わる采配を、何だと思っておるか……?」

「す、すいませんテン様! 机に置きっぱなしだったので、やけに豪華なハタキかと…」

「ここを見よ。当家の家紋が描かれておるであろう…。貴様……当家の誇りをけがすというのか」

「そ、そんなつもりは……」

 天明は自分の家を常に守ろうとする男だ。ここまで怒っても無理はない。そもそも古平家が天津家に下っているのも、天明が争いを避け、古平家を存続されるための策である。正直、忠義などはあまりない。そんな家の宝を掃除道具に使われたのだ。怒らぬ理由などない。だが、相手が弥三郎ゆえ、少し諦めの気持もあるのかもしれない。

「貴様の力は確かに認める。だが、小姓としての仕事が一つも出来ない以上、処罰を下す必要もなくはないのだ、気をつけよ」

「ひぃっ、ご勘弁を!」

「貴様がここにきてから何度その言葉を聞いたことか……」

 すると襖があき、役者のような二枚目の細い男が入室した。そして、天明の隣に正座する。痩せてはいるが、れっきとした剣の達人であり、天明の腹心。九尾之衆の筆頭の菊之介だ。

「天明様、お体に障りまする。ここは堪えてくださいませ」

「菊之介、お前はいつまでこ奴の肩を持てば気が住むのだ。幾度となく当家の物を壊しおって……」

 天明の言葉に、弥三郎の頭がさらに小さく下がる。

「いやしかし古平、いえ日ノ本で弥三郎しかできぬ力を持っていることもまた事実。何事も、代償はあるものです。弥三郎を追い出すことは、上策では御座りません」

「我は別にこやつを追い出そうとしているわけではない……。早とちりがすぎるぞ菊之介」

天明の意外な言葉に、両者目を丸くする。

「我の目的は、千年の先まで家を守り抜くことよ。それが父上、兄上の遺言でもある。故に、我の物は受け継がれてきた先代までの魂を受け継いでいる。わかるな」

天明の言葉に二人とも頷く。天明はため息交じりに、采配を置き、上座に座った。

「腹の立つことは立ったが、家とは変えられぬ。……こやつの力は、この上なく役に立つのも事実ぞ」

「テン様……」

「この程度にしては、我も言いすぎた。……が、今後はその区別はつけよ。よいな、弥三郎」

 弥三郎は叱咤されてしょぼくれながらも、改めて天明の偉大さを感じた気がして、先ほどよりは元気よく「はい」と言った。

「わかったのなら、もう良い。九尾之衆の見習い、そして我が小姓として、これからも励め」

 天明は「行け」と合図した。弥三郎は高ぶる気持ちを抑えながら無言でうなずくと、走って退室した。そして、日の光がさす広すぎる部屋には、二人がポツンと残された。

「……幼く、そして農民の生まれ。小姓として、まだまだなのは仕方あるまい」

「天明様…。あまり甘やかしてはなりませぬ。奴が九尾之衆となった今こそ、厳しく規律を教えるべきかと」

「弥三郎を守りに入った貴様が、何を言う」

 天明の言葉に、菊之介は無言で恥ずかしそうにうつむいた。その顔を見て、天明は珍しく微笑んだ。

「…皆、奴をどこかで好いておる。それは変わらぬぞ。奴が周りから見放されぬ以上、見守ってやるのが我等の役目ではないか」

「仰る通りで」

「我には妻がおらぬ。それどころか正室すら、「女など汚らわしい」と避けてきたが、奴を見ていると、父親の如く気分になる」

 まだまだ若い天明だが、時折そのような事を言う。天明は女が苦手だ。故に、総大将と言うのに正室がいない。ただし、お絹は例外である。

 菊之介は心中で「何を仰られるか。まだまだで御座いますぞ」と口にしながらも、

「この菊之介めも同じような気持ちです」

 と言って天明と共に小さく笑った。すると天明は再び目を細める

「だが……」

 誰もが蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる天明の目だが、菊之介はにこにことして「はいはい」と笑っている。天明の眼光に耐えることが出来るのは、幼いころから腹心として仕えた菊之介しかいないのだ。天明は菊之介の方を見るわけでもなく、眉間に微小なしわをつくりだした。

「弥三郎の世話役、あれは誰であったかな」

「はっ、杏二郎にございます」

「そうか。……杏二郎にはこう伝えよ。「躾を怠るな」とな……」

 やはり、采配をハタキにされたことは水では流せないようだ。


 †


  杏二郎は筆を片手に、古事記の筆写を行っていた。古事記の筆写と弥三郎の教育は杏二郎の日課だが、その分武術はからきしであった。

「杏二郎さん!また稽古を怠りやがって……!」

「お、お譲さんッ ちょ、ちょっとお待ち下さい!!」

「だめ! 今日と言う今日は、私が直々に稽古をつけてやる!!」

 古事記の筆写中に、ドタドタと廊下を踏む音が聞こえたと思えば、勢いよくふすまが開き、小袖を着たなじみが見降ろしていた。お絹は、杏二郎に有無を言わさぬ勢いで杏二郎の袖を掴み、稽古場へ引っ張り出そうとその右腕を引いた。

「抵抗するな! 全く、男がみっともない!」

「わ、私には武芸は向きません! 頭で天明様にお仕えしているようなもので……」

「ただの頭でっかちより、武芸に富んだ頭でっかちの方が天明様もお喜びになるわよ!」

 お絹は机にしがみつく杏二郎を引き離し、腕を引きながら上機嫌な赤い顔で稽古場へ走って行った。

「久しぶりの稽古だから、気合を入れなくちゃ!」

「どうせ入れるんなら、私を部屋に入れてもらいたいよ……」

 ドタドタと走る二人の音を聞き、縁側で碁を打つ二人がちらりと二人を見た。片方の若い男は溜息を、頭巾をかぶった年老いた男は、生まれつき見えぬ白い目で不気味に笑って見せた。

「ヒヒヒ……。痴話喧嘩はよそにしてもらいたいのう、そう思わんか、仙吾」

「陰海様、そう言わないでやってください。杏二郎もお絹も、お互いのことをすいているくせに全くお互いの気持ちに気付いておりませんゆえ……」

「おぉ、仙吾。儂は驚いたぞ。お前がそれほど恋に聡い男とは思わなんだ。ヒヒヒ」

 若い男は、頼りないなで肩をいっそう下げ、「陰海様……」と天明とは違った細い目になる。

 白い頭巾をかぶった男、陰海は、火島の天明が治める”天辰”のさらに東の白日寺の僧である。非常に鋭利な切れる頭を持ち、仙吾と共に外交僧として活躍している。ちなみに、生まれつきの盲人で、琵琶法師をしていたためか、杏二郎と平家物語の話でよく話が合うようだ。

「バカにしないでください。これでも剣は菊之介様からご教授されているんです」

「ヒヒヒ、主はまだまだ間抜けよ。一つの事に打ち込むことで、大局を見失っておる。剣を教わって強くなった気でおるのだ」

 陰海はそう言って、黒い碁石をピシャリと打った。すると仙吾から「あっ」と言う悲痛の声が漏れる。陰海はそれを見て、さらにうれしそうに「ヒヒヒ」と笑う。そして、奪い取った白い碁石をガバッと掴み、投げて遊んで見せた。盲人とは思えぬ手さばきだ。

「言ったであろ? お前はワシの石一つを取るために画策しすぎた。「少しでも多く取った方が良い」と言うのは間違いではない。だが、それ故にお前は、数多の石を失ったのだ」

 陰海の白い目で言われると、常人とは違う、謎の威圧感と不気味さがただよってくる。仙吾はただただうつむいた。

「まぁ、これが戦でなくて良かったぞ。戦であれば、被害は甚大であろう、ヒヒヒ」

「……精進致します」

「なぁに、主はまだまだ儂の元で学べばよい。弥三郎の面倒も、杏二郎程ではないが良く見てやっていると見てとれる」

 仙吾は「恐縮です」と頭を垂れた。

「ヒヒヒ、まぁ、ワシが勝ったのだ。……これで我らの賭けは成立よな」

 仙吾の顔が途端に曇り、明らかに「やめてくれ」と言わんばかりの目つきで、背の低い陰海をしたから見つめている。

「ほ、本当にやらなければならぬのですか? 冗談でお絹さんに「好きだ」と言えなどと……」

「主は女児か。否、男児であろ。けじめはつけよ。……九尾の中で弥三郎の次にダメな主がお絹に好きと言わば、杏二郎もあわてて取り返そうとするに違いない。ヒヒヒ」

「そ、そりゃあ確かに毎日どたどたうるさいですけど……に、にぎやかなのはいいことじゃないですか」

「行け」

 仙吾は、陰海の言葉にぶつくさ文句を言いながら、部屋を出て行った。陰海は、一人で茶をすすり、宙にむかってにやりと笑う。

「やれ、仙吾や。恋の仲介人も大変よな。ヒヒヒ」

 その仙吾は、歩けば歩くほど重くなる心臓に耐えながらお絹の元へ向かっていた。

「嫌だなぁ……。下手すりゃ私が杏二郎の代わりにぶんなぐられちまうよ……」

 なにゆえ、自分がお絹にあるはずもない想いを伝えねばならぬのか。そもそも、本当にそれで杏二郎が対抗心を出すのだろうか。

「それ以前に、想いを伝えてみた途端にお絹に顔を殴られるんだろうなぁ……」

 沈んだ足取りで廊下をあるいていると、ちょうど目の前の部屋から目的の人物の声がした。

「はあッ! えいッ!」

 木製の薙刀と木刀が幾度もぶつかりあい、その稽古場に甲高い音を響かせている。しかし、やはり杏二郎の方は防戦一方でおされぎみのようだ。すぐに薙刀が、杏二郎の右腕に突き当たった。杏二郎は苦痛の声をもらしながらも、必死にその刀を手に応戦する。

「どうしたの、腕が鈍ったわけでもないでしょうに!」

「くっ……。お、お譲さんがさらに成長なされたのですよ……!」」

 杏二郎も、野暮男とは言え九尾之衆の一員。剣の腕はそこそこだ。しかし、お絹との差はあまりに激しい。あっという間に壁際に追いやられ、自分の木刀をはね飛ばされてしまった。

「杏二郎さん、もっと修練に励みなさいよ」

「金言、胸に刻んでおきます……」

「まったく……。そんなことで次の戦で、天明様の身代わり役が務まるのかしら?」

 自分より年下の、しかも女に見下され、杏二郎は更にうつむいた。次の戦は、杏二郎が天明の代わりとなって出陣し、相手の背後を本隊が突くという、いわゆる”啄木鳥戦法”を用いることとなっていた。杏二郎が天明と背恰好が似ており、さらに軍を率いる才も持ち合わせているために抜擢されたのだ。天明達の囮にはもってこい、と言ってもいいほどの人材だった。しかし、お絹はこの策に反対だった。

 囮になるということは、戦場で最も死ぬ確率が高くなる。しかも兵は十分にそろえることができず、戦力も乏しい。それを我慢できず、お絹はこの策が提案された日「畏れながら、私にやらせてください」と天明に言ったが、天明は「あれは奴にしか出来ぬ事ぞ」といって取り合ってくれなかった。

「杏二郎さんが、次の戦で亡くなったら、私どうすればいいのかしら……」

 どれだけ男らしく、勇猛なお絹でも、根は一人の恋する乙女。初恋の相手を失うのが怖い。それは杏二郎も例外ではなかった。お絹が天明と話す前、近々戦になるという話が杏二郎の耳に届いた時の話だ。

「天明様……。次の戦、奇襲をなされるそうで」

「そうだ。甲斐の虎も使った啄木鳥戦法で、武邑の者共をあの固い城からおびき寄せ、そこを叩く」

「……どうか、その大役この杏二郎めにお任せしていただきとう御座います」

 二人だけの部屋で、杏二郎はボソッとそう告げた。天明は溜息をつき、采配で杏二郎の頭をまるで弥三郎に説教するように軽く叩く。

「まだ若い貴様を、そのような駒として使えるか。銀将とは、囮用の捨て駒に使う駒ではない」

「しかし、その駒が歩や香車でなく”銀”であれば、それなりに相手に被害も与えられるというもの。どうか……」

「囮に九尾の者を出すつもりはない。こんなところで向こうにとられるわけにはゆかぬからだ」

「私の代わりなど、この軍にいくらでもおります。……戦が終わった後で「自分がやっていればあいつは死ななかった」などという後悔をしたくないのです……」

 天明は目をつぶり、印を結ぶように手を構えて目を閉じた。これは天明が策を練る時の癖であり、その手数は実に百を越えていると言われている。そのまま時がとまったように、空の雲だけが動いていた。見えていた雲が視界から通り過ぎた後、天明はようやく目を開いた。

「……まあ、よかろう」

 杏二郎は覚悟と安堵の両方が入り混じった顔で笑い、頭を深々と下げた。

「ありがたき、幸せに存じます……!」

「ただし、首だけで戻ってくることは許さぬ。弥三郎やお絹の為にもな」

「当然です。弥三郎君にはまだ学問を教えねばなりませんし、お嬢さんは僕と稽古していじめるのがお好きですし……」

「……もうよいわ、野暮天め」

 天明は小さくその口角を上げると、背後に置いてある将棋盤に目をやった。そして、自陣の銀将をひとつつまみ、それを盤外へころりと転がした。

「さて、いつ何時、何処へ陽動部隊を送るか、だな」

「責務は果たしますゆえ、王将様の仰せのままに出陣致します」

 杏二郎はそう言って、すぐに部屋を出て行った。囮のことだけを言いに来たので、足取りも軽い。

「……さて、囮は本当にこの銀将でよいのか。頭脳はあっても武術はからきし、囮にはあまり向かぬ男よ。……だが、我とてそう易々と十八代の当主達とともにこの地を守ってきた兵を見殺しにするわけにもいかぬ。……もっとも、十八代目の栗若丸様はまだ幼いが、あの方は必ずどの先代も越える将になるに違いない……ここでそれを絶やすわけにはいかぬ」

 天明はそう言って、さきほど盤外に転がした銀将を、再び音を立てて元の布陣へ戻す。するとそれがまるで合図だったかのように襖が開き「今度は慎重に」と弥三郎が湯呑を持ってきた。

「て、テン様……! お茶でございます……!」

「湯呑いっぱいに入れてくるでない……。またこぼれるであろうが」

「大丈夫です……! どうせ淹れるなら、テン様にはいっぱい飲んでもらいたいですし……!!」

「量を考えよ……。うつけのごとく注げば、その分こぼれ落ちることが増える」

 しかし、弥三郎は「大丈夫です」の一点張りで、湯呑の中に波紋を生み出しながら天明の隣へ置いた。その際、いくつか茶がこぼれおち、畳の一部をまだら模様に染めた。

「テン様、杏二郎さんと将棋をなされていたのですか?」

「……うむ、まあな」

「杏二郎さんのあのうれしそうな顔から察するに……。テン様、杏二郎さんにやられたんですね!」

 弥三郎の頭に采配が振り下ろされた。

 その日から三日が経ち、いよいよ杏二郎が囮役として刀を持つ日が刻々と近づいてきた。しかし、天明からは未だに囮の話は出てこない。

「まさか、僕以外の人が囮に……」

 そう思った矢先、お絹に足払いをかけられ、ずっこけた杏二郎の鼻先に薙刀が突き付けられた。

「はぁ……。もう、これじゃ戦場に行ったらすぐ死んじゃうわ。ましてや囮役なんて……」

「め、面目ないです……」

 するとここへ、掃除を終わらせた弥三郎がどたどたと走ってきた。

「杏二郎さーん、どこですかー?」

 相変わらず上品という言葉の間逆を走る弥三郎に、いつもなら注意をする教育役の杏二郎だったが、この日ばかりはここぞとばかりに木刀を放り出し、弥三郎のもとへ走っていく。

「ど、どうしたんだい弥三郎君! 僕に用事かな!?」

「おい杏二郎さん、白々しいぞ」

 後ろで睨むお絹に震えながら、杏二郎は冷や汗をかいて弥三郎の話に耳を傾けた。

「さっきテン様と話していたら杏二郎さんの話が出たので、御報告に!」

「そんなことを一々報告しなくてもさ……」

 そのまま弥三郎を帰らせてしまおうとした杏二郎だったが、その頭をガシッと押さえつけ、お絹が弥三郎に爽やかな笑顔で「教えて頂戴、弥三郎ちゃん」と言った。杏二郎の話題だけに、やはり興味があるのだろう。

「ハイ! 「うちの軍は似たものが多い」って言ってました!」

「あら、仙吾と杏二郎さんのことか。陰気な所が似ている」

 杏二郎は胸が痛んだが、もう一人、胸が痛んだ男がいた。先刻、陰海との賭けに敗れ、冗談ながらもお絹に告白するハメになってしまった仙吾である。物影で、お絹が一人になった時の方が恥ずかしくないと思っていたが、思わぬ矢が胸に刺さった思いだ。しかし、弥三郎はこれを訂正する。

「いえ、杏二郎さんとお絹姉さんです!」

「あら、姉さんだなんて」

 お絹が時折見せるこの女性らしい笑顔こそ、杏二郎が惚れた理由だった。弥三郎の世話役として任命されたときも心の中では「お絹の笑顔を見る日が増える」と顔がほころんでいた。

「で、でもなんで、僕なんかとお譲さんが……?」

「「銀将二つが突っ込んで困る」と、申しておりました」

 二人は一瞬、何のことか分からずぽかんと天井を見たが、「まさか」と思いお互いの顔を見ると、両者額に”図星”と書いてあった。

「お、お譲さん……。まさか次の戦で囮をする気ですか!?」

「だって、杏二郎さんが囮をやるって、天明様が仰っていたから……」

 二人の顔が真っ赤に染まり、お互いにモジモジとした仕草が出始めた。弥三郎は、意味が分からず「友情ですねぇ」と腕を組んで頷いていたが、修練場の入り口に隠れている仙吾は、聞いている方が恥ずかしくなってしまう程の二人に状況に赤面しながらも壁に耳を立てていた。どうやら、仙吾の出る幕はなさそうだ。

「お譲さん、今回の戦は大きな合戦になります。火島統一を賭けた天津家と武邑家の決戦になるでしょう。そんな大きな戦の囮にお譲さんを出すわけにはいきません。そもそも、戦にすら、出したくないのです」

 珍しく積極的に自分の想いを伝えた杏二郎は、先ほどよりさらに顔を真っ赤にした。それでも「うんうん、流石友情だなぁ」とうなずく弥三郎だったが、次の瞬間、尻に激痛が走り、そのまま「痛い!!」と叫んで走って行ってしまった。二人の話を聞き、感動していた仙吾の気分をぶち壊しにした罰である。しかし、お絹は喜ぶどころか、泣き出してしまった。どうやら、うれし泣きではないようだ。

「杏二郎さん……。あんまりだわ……」

 としきりに訴えながら、修練場の真ん中で、手で目を覆って泣いている。いつもは男口調なお絹が、女の口調で泣くほどのことだったのだろう。役者のような二枚目の杏二郎でも、先ほどのセリフで粋な台詞をを使い果たしてしまったのだろう。戸惑うばかりで言葉が出てこない。すると、入口から聞き覚えのある、鋭い声が聞こえた。

「杏二郎、こんな所で何をしてるんだ。……お絹、一体どうした」

 九尾の筆頭、菊之介であった。

「ひ、筆頭様。これは……その……」

 どうにも面妖な二人の様子を見て、菊之介は珍しくプッと吹き出した。

「そうかそうか。俺は嬉しいぞ杏二郎、まさかお前が女を泣かせることのできる男になっていようとは」

「い、いえいえいえ!! これはとんだ誤解です!! お、お譲さん。泣きやんでください、なんで泣いているんです?」

 そう言われたお絹は、杏二郎の言葉が気に障ったのか、真っ赤な顔で杏二郎の顔にビンタし、そのまま走って行ってしまった。

「……杏二郎、まさか修練でお絹を泣かせられるようなお前じゃないだろう……。一体どうした」

「はい、それがですね……」

「……そして仙吾。先ほどから何があったか、説明してくれ」

 入口から、心臓が止まりそうなほどに驚いた表情で仙吾が入ってきた。

「お、お気づきになってましたか」

「ああ。もっと気配を消さねば、俺の目はごまかされないぞ」

 二人が菊之介に事情を話している間、弥三郎は馬小屋にいた。謎の激痛の正体を教えてもらおうと思ったのだ。

「……何でぇ弥三郎、ケツに針がささってやがる ヒヒヒン」

 馬のくせに、蒼風はそう言って笑い転げている。

「笑い事じゃないですよ……これは何かの前触れかもしれません! だって、杏二郎さんも今日はおかしいんです」

 修練場は馬小屋の目の前あるため、一応、馬からも修練場の中は見える。一部始終を見ていた蒼風だったが、特に杏二郎におかしな所は見られなかった。

「僕が部屋を出て行った後、ちらっと中が見えたんですけど、何とお絹姉さんが泣いていたんです!!」

「あー……うん。「今更か」って感じだねぇ」

「何で泣いてたんですか? 聞き耳立てて聞いてましたけど、杏二郎さんはいいこと言ってたじゃないですか」

「それがお絹にとってもいいことか、は別なんだよ。お前らは本当に鈍いねぇ。野暮天の鈍感」

 杏二郎の如くしきりに溜息をつく蒼風に、弥三郎は「なら今度のはどうだ」と言わんばかりに先ほどの奇妙な話を続ける。

「それだけじゃないんです……!!これは本当に奇妙な話で、誰も信じてくれないんです……!!」

「へぇ、そんなことあったかね。言ってごらんよ」

「さっき部屋を見たら、お絹さんが仙吾さんに変わってたんです!!」

 蒼風は、頭を使って弥三郎にげんこつを喰らわせた。お絹が出ていき、仙吾が入ってきたのを弥三郎はみていなかったのだ。


 †

 

 仙吾はヘロヘロになりながら陰海の部屋へ戻ってきた。あれから数刻、ぶっ続けで菊之介から説教を喰らっていたのだ。正直、本件は杏二郎の責任だとは思ったが、口答えをすればいつ何時腰に構えた刀で斬られるか分かったものではない。正座したまま、ただただ菊之介の説教に頷いていた。お陰で足に雷が落ちたように痺れてしまった。フラフラとした千鳥足で部屋に戻ると、陰海が茶を飲んでいた。

「た、只今戻りました……」

「おお、戻ったか。して、言ったのか?」

 陰海は盲目の目でニヤニヤ笑っている。仙吾はしびれる足でその場に座り込み、まるで漬物石が肩に乗ったように疲れた顔をした。

「い、いえ。というより、言えませんでした……」

「それもそうよな。やれ、愉快愉快 ヒヒヒ」

 仙吾は心中で「貴方がふざけて言ってみなさい。その首が跳ね跳びますよ」と陰海に向かって念じたが、よくよく考えれば独り立ちするまで孤児であったころ面倒を見ていた陰海の首を二人が跳ねるはずもなかった。

 すると突然二人の前に菊之介が現れた。二人の会話を聞いていたのだろう。

「陰海殿……。さきほどの仙吾は貴殿の差し金でしたか……」

「いやなに戯れよ、戯れ。少しばかり、こやつと共に博打と洒落込んでな。こやつが負けたのよ」

「ほう、その博打とやらは「お絹と杏二郎の仲を引き裂け」とでもいうものですかな」

「ヒヒヒ、大同小異。流石我等の筆頭よな。スルドイ」

 二人はそう言って同時に茶を飲んだ。仙吾は、行き場が無くなったような気がしたので、取りあえず二人の間にあぐらを掻く。礼儀としては正座をするべきだが、これ以上の正座に耐えられる仙吾の足ではない。

「陰海殿、あの二人の事は放っておいてやった方がよろしいのでは?」

「なに、本当に「引き裂け」と言ったわけではない。「お絹に告白せよ」と命じたまでよ」

「十分鬼の所業ではございませんか……」

「ヒヒヒ ああでもしてやらねば、あ奴らはうるさくてな。正直、早いところ籍を入れてもらった方が静かでいい」

 陰海はそう言うが、菊之介の予想では二人は籍を入れても大して今と変わらないと思う。仙吾は、やることと話すことがないためか、自分の湯呑を持ち出して茶を注ぎ、ズズッと茶を飲み、ホッと息をつき、ようやく口を開いた。

「それにしても、どうしてお絹は泣き出したんですかね。杏二郎、わりといいこと言ってたのに」

「主はまだまだ餓鬼よなぁ。乙女心を解しておらぬ」

「陰海様は分かってるんですか?」

 陰海は「当然よ」といって茶をすすった。すでに三人の湯呑の茶はなくなり、全員が息をついた。

「……して、筆頭様や、どうしてまた儂の元へ来た。まさか説教をしに来たわけではないだろう

「ええ。お二人にご報告がありまして、先ほど天明様が「囮を杏二郎にするのはやめにする」と言っておりましたから」

「ほぉ……。つまり、お絹が囮か」

 輪になる三人の中間に重苦しい空気が漂い始めた。

「い、陰海様、お絹と決めつけるのは早いのでは?」

「あやつが自分から「囮にしてくれ」と申し出ておったのよ、杏二郎が死ぬのが嫌でな。……まあ、二人でどちらを囮に使うかと問われれば、儂でもお絹にする」

「囮では、頭よりも腕が重要ですからね。その点はお絹の方が上だ」

「そうさなぁ。確かに、杏二郎よりはお絹の方が適任であろうなぁ」

「笑いごとではないですよ陰海様……。お絹はまだ十七で、しかも女子だというのに……」

「仕方あるまい。戦には老若男女は関係なかろ」

 陰海はそう言って茶を飲もうと口をつけ、そしてがっかりしたような顔で湯呑を持つ手を下した。

「まぁ、我ら九尾と天神様の頭があれば、まず死なぬであろ。その分我らがやればよいのだ」

「”死傷者を出すべからず。最低でもかすり傷で済ますべし”が近ごろの私達の目標ですし。……あ、お茶をお入れします」

 仙吾がすかさず茶を入れ、再び汲まれた茶を満足げに陰海が一口含む。

「……その分我々が頑張ればならぬとは、筆頭として荷が重い」

 菊之介と仙吾は腕を組んで唸り声を上げた。呑気に茶を飲んで一息ついたのは陰海だけだった。

「そういえば陰海殿、弥三郎のやつがどこへいったかご存知ですか。天明様に「話がある」と言われておりまして」

「ヒヒヒ仙吾や、奴がとうとう掃除の件で叱られるぞ。ハタキと言って天神様の采配を使いおって……ヒヒヒ」

「だ、だれから聞いたんですか……それに、そのことならもう叱られてましたよ、筆頭様と一緒に」

 菊之介は「俺は叱られてないぞ」と首を振る。むしろ弥三郎をかばった方だ。仙吾はふと空を見上げ、陽の位置を確認して再び畳に座る。

「この時刻ですと、おそらく杏二郎と学問にいそしんでいることかと」

 仙吾の言った通り、馬小屋の掃除を終えた弥三郎は、いつものように杏二郎と一対一で学問にはげんでいた。これも、主君である天明の命である。何せ農民だった弥三郎が急に小姓となったのだから、当然のことながら学力・武力などはからきしだった。そこで天明は、そこそこ頭がよく、子供を教育出来る様な部下を探し、その結果、杏二郎が学問を教えている。しかし、今日の杏二郎は、いつもうたたねしてしまう弥三郎よりも集中力がない。書を読んでいたかと思いきや、突然その声がピタリとやみ、不思議に思った弥三郎が正面を見ると、溜息をつきながらボンヤリと床板を眺める杏二郎がいた。

「……床に何かあるんですか?」

 弥三郎の言葉にハッと我に返った杏二郎は「何でもないんだ」と首を振り、再び書を読み始めた。しかし、やはり集中力がない。数十秒もすれば、突然書を読むのをやめ、床板を眺めている。

いくら学問が不得手な弥三郎といはいえ、師がこれでは理解できるものも理解できない。弥三郎は杏二郎の視界にわざと入って手を振った。

「様子がおかしいですよ? どこか、お身体でも悪いのですか?」

「……そうみたいなんだ。なんだか、頭の中が変にごちゃごちゃしてて、胸がこう、絞めつけられるように苦しくてね」

「そ、それはきいた事のない病ですね! 急いで医者を呼んできます!」

「いや、いいんだ。多分、医者がどうこう出来る病じゃない」

 杏二郎の病は「恋煩い」と「罪悪感」であった。お絹を想う一心で、初めて告白ともいえることを勇気を出してやってのけたというのに、何故かお絹は泣いてしまった。不思議でもあり、戸惑いもしたが、それ以上に近ごろ見慣れていなかったお絹の泣き顔を見てしまったことに心が痛んだ。お絹とは小さいころからの付き合いだが、いつも引っ張り回されていたし、怪我にも病にもかかったことのない娘だったので、泣き顔など、想像もできなかった。しかし、弥三郎にはこれが分かっていない。

「い、医者でもどうこうできないって……不治の病ってことですか!? し、死なないでください杏二郎さん!!」

 抱きついてくる弥三郎をひらりとかわし、杏二郎はまた深い溜息をついた。

「そ、そうじゃなくてね。ほら、お嬢さんを見てると胸が痛むんだよ。……弥三郎君はならないだろうけど」

「僕はならないです。胸が苦しむより、お腹がすきます」

「あぁ、そうだね。君はそうだろうね」

 完全にお絹はおやつをくれる者だと思い込んでいるようだ。杏二郎はそこでようやく、今は弥三郎の教育中と言うことを思い出し、大幅にずれてしまった話を、どうにか学問の方へ持っていった。しかし、お絹の事を思い出してしまうと、何故か口が回らない。先ほどよりも重度になったようだ。

「だ、大丈夫ですか杏二郎さん。……そんなので今度の戦の囮、務まるんですか?」

「……余計な御世話だよ。そういう君も、今度は天明様をお守りしなよ?」

 敵方の怒声に驚いて逃げ出してしまって以来、杏二郎は戦の話になるたびにこの話題を持ち出しくる。いい加減、弥三郎でもいらついてくる。何度も何度も同じことで説教されるのは気分が悪い。

「もう! その言葉、耳に貝ですよ!!」

「貝じゃない、タコだよ。耳にタコ」

「……そもそもなんで囮なんて作戦をやるんですか? いなければお絹姉さんも泣かなくていいのに」

「次の戦は、僕ら古平が仕えている天津家が火島を治めるための大戦になる。その為の確実な勝利として、我等古平軍は、山を越えた向こうの「松羽城」を絶対に落とさなければならないんだ。しかも、その松羽城は、相手方の武邑家の主力が集まっている、まさに要。だからこそ、天明様は確実に勝利するために、確実に敵の戦力を削れる策として、僕に囮としての五百の兵を与えてくださったのさ」

 杏二郎がようやく全て言い終った時、弥三郎は既に寝息を立てていた。杏二郎、本日十回目の深いため息は、色々な気持ちを混ぜて空に放たれた。

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