一週二日目 芽
昨日は夢を見なかった。
あの錠剤のお陰だろうか。
私は、カフェ・カノンのカウンター席に座っていた。
隣には千早ちゃんがいて、ずっと携帯電話をいじっている。
「遅くなってごめんなー」
関西風のイントネーションと共に、扉が開いた。
パティシエール兼給仕係でヒタキさんの妹の、ツバメさんが大きな紙袋を下げて入ってきた。
千早ちゃんより少し高いくらいの身長と、ツーサイドアップにした肩までの髪が、幼い雰囲気を出していた。大学生なのによく中高生に間違われると言っているのを聞いたことがある。
「ツバメちゃん、これでいいん? ちゃんと足りてるー?」
一緒に入ってきたのは、同じクラスで同じ部活の枳音子ちゃんだ。
ツバメさんと同じように、右手に大きな紙袋を持っている。左手には、花の咲いていない植物の苗をビニール袋に入れて持っていた。背中を覆う長い髪を、今日はお団子にしてまとめていた。手を振ると、笑って手を振り返してくれた。ちょっと危なっかしい。
そういえば、音子ちゃんはヒタキさんのいとこだ。前にヒタキさんが冗談で、"この店の中では、音子は食物連鎖の頂点に立っている"と言っていた。
「ちーさんごめんなー。手ふさがっててメール打てへんかった」
「あ、それでか。ダイジョブダイジョブ、急ぎの用事でもなかったし」
千早ちゃんが右手をヒラヒラさせながら言った。
音子ちゃんはもう一度謝って、
「今日、ヒノ君来るんやろ? あと五分やんなぁ」
「うん」
私は店の時計を見た。二時、五十五分。
ヒノ君のスケッチブックはカバンに入れて、隣の席に置いてある。
「今日はツキノちゃん来ると思う?」
「どうやろ。風邪治ってたら来るんちゃう?」
音子ちゃんとツバメさんの会話を聞きながら、私は窓の外を見ていた。
扉の両側に、硝子の窓がある。それを通して、道を行く人達を眺めていた。
「こんにちはー」
扉が開く。ヒノ君の声がする。
私は驚いて、扉に目を移した。
ヒノ君の後ろに女の子が立っている。黒のブラウスに、黒いジャンパースカート。黒髪は肩を過ぎたあたりで切りそろえられていた。真昼なのに、何故かランタンを持っている。
きっと、この子がツキノちゃんだろう。
「昨日は、ご迷惑をおかけしました」
ツキノちゃん(多分)がお辞儀する。
私はずっと窓の外を見ていたはずなのに、ヒノ君とツキノちゃん(多分)が通るところは見えなかった。
――自分の世界に帰ったんだ。
昨日、トキさんはそう言っていた。
本当に、そうなのかもしれない。
ツバメさんが荷物を置いて、ツキノちゃん(多分)に声を掛けた。
「風邪治ったん?」
「はい。三錠飲んだらすぐ治るっていうお薬があったんです」
「熱とか出ーへんかった?」
「昨日は三十七度九分でした」
「えーっ、大丈夫なん?」
「三十八度以下は熱じゃないです」
ツキノちゃん(多分)は、眩しいくらいの笑顔でそう言った。
……大丈夫かな。
「貴方が菊谷さんです……よね? 昨日は申し訳御座いませんでした。夢使いのツキノと申します」
「あ、ひまわりで良いよ。無理しないで」
ツキノちゃん(確定)は、口元に手を添えて言う。服が黒い所為か、肌の白さが際だっている。正直、かなり可愛い。
「ヒノ、今日の仕事は?」
「ちょっと待って、スケッチブック出すから。……無い」
「忘れちゃったの?」
「そうかも。取ってくるからちょっと待って」
ヒノ君は持っていたカバンをカウンターに置いて、慌てた様子で扉に走った。
「待って!」
ヒノ君が足を止める。
「スケッチブック、私が持ってる。昨日、忘れていったでしょ?」
ヒノ君は視線を斜め下に落として、考える素振りを見せた。
目を大きく開き、
「あ! すみませんでした、有難うございます」
ぺこりと頭を下げる。そして、席に戻ってきた。