一週目 種
もう、六月だ。
制服の移行期間も後半に入り、間服のジャンパースカートを着た女子やベストの男子が減ってきた。
私も、そろそろ夏服に着替えようかな。
二つに結った髪を払って、掃除の終わった教室を出ようとカバンを持った。
ふと右を見ると、教室の窓から小柄な女の子が手を振っていた。
芹千早ちゃん。中一の時から、高二になった今までずっと同じクラスの友達だ。
「ひまわり、夢使いって知ってる?」
栗色の三つ編みが、夏服のセーラーの襟に垂れている。長さの割に細いのは、髪を空いているからだ。
千早ちゃんは、スカートのポケットから皺だらけのメモ用紙を引っ張り出した。
「悪い夢を、消してくれるんだよ」
千早ちゃんの好きなひよこ柄のメモ用紙には、電話番号が走り書きしてあった。その下には丁寧な小さい字で、"夢使い協会 ヒノ、ツキノ"と書いてある。これは何だろう。
「この前依頼したときにね、書いて貰ったの」
千早ちゃんがメモ用紙を差し出す。
正直、迷った。
一月ほど、私は嫌な夢を見続けている。
夜の道を一人で歩いていると、黒い何かに追いかけられて、逃げようとしたら足が止まる。捕まる少し前に目が覚める。たったそれだけなのに凄く怖くて、眠るのも嫌になってしまった。
夢使いが何なのかよく分からないけれど、夢を消してくれるなら、それでいい。
私は、メモ用紙を受け取った。
「電話したら教えてね。じゃ、委員会があるからコレでっ」
千早ちゃんはカバンを肩に掛けて、廊下をぱたぱたと走っていった。小柄なせいか、カバンがやけに大きく見える。もう高二なのに、まだ中一に間違われることもしばしばある。
「夢使い、ね」
ひよこ柄のメモ用紙をポケットに入れて、私も教室を出た。
昨日のことは、本当なのだろうか。
私は今、千早ちゃんと一緒に、学校の近くにある「カフェ・カノン」のテーブル席に座っている。
「誰か待ってるの?」
マスターのトキさんが、カップを拭きながら訊いた。
夢使いと待ち合わせ、なんて言えるわけがない。
昨日私は、メモ用紙に書かれていた番号に電話を掛けた。
ベルが何回も鳴ったのに、誰も出ない。諦めようと思ったら、九回目のベルで繋がった。
「もしもし、……夢使い協会さんですか?」
「はい、こちらは夢使い協会です。依頼の方ですか?」
十代半ばくらいの、女の子の声だ。
「え? は、はい! えっと……」
「お名前をお聞かせ願えますか?」
緊張で声が裏返る私をよそに、女の子の声は落ち着いた様子で話す。
「菊谷ひまわり、です」
「了解致しました。以上で受付は終了です」
え?
「明日の午後、カフェ・カノンに伺います。お時間はどうなさいますか?」
「えっと、三時でお願いしますっ」
「了解致しました。それでは明日三時に、カフェ・カノンでお待ちください」
「はい」
電話が切れる気配がない。
「えっと……」
女の子の、困ったような声が聞こえる。
ひょっとして、電話を先に切ることが出来ないタイプなのかも知れない。
「……切りますね」
「あ、有難うございますっ。それではっ」
受話器を置いて、気づいた。
どうして、この近くに、カフェ・カノンがあると知っていたのだろう。
約束の三時を過ぎても、誰も来なかった。
「千早ちゃん、本当に来るの? 夢使い」
「夢使い? 来るよ。俺が保証する」
そう言ったのは、千早ちゃんではなくトキさんだった。
「この店の人間はみんな知ってる。常連だからね」
電話の子がこの店を知っていた理由は、あっさり分かってしまった。
夢使い。意外とメジャーな存在なのだろうか。
「特にあの子達は――」
トキさんの言葉が終わる前に、
「遅れて申し訳御座いませんっ!」
茶色い髪の男の子が、扉を開けて飛び込んできた。
トキさんが片手をあげて挨拶する。
「やぁやぁ、いらっしゃい」
「あ、トキさん、こんにちは」
男の子はぺこりと頭を下げた。
被っていた帽子を、肩掛けカバンにしまう。
「ツキノちゃんは?」
「風邪で休みです。で、依頼者さんはどちらに……」
「こっちでーす」
千早ちゃんが手を振った。
男の子が早足でやって来て、私の前に座る。
「遅れて申し訳御座いません、僕は夢使いのヒノです」
「きっ……、菊谷ひまわりですっ」
「そんな緊張しなくて良いよ。ヒノ君、こっちで言うと高一なんだから」
千早ちゃんが、笑顔で私を見上げた。
……こっちで言うと? ヒノ君は外国の出身者なのだろうか。
「向こうでも高校一年ですよ。この世界と制度が同じみたいで」
「そっかー。すごい偶然だよね」
……この世界? どういう意味なのだろう。
ヒノ君は、すごいですよね、と言って笑った。
「菊谷さん、ですよね」
「え? え……っと、ひまわりでいい……よ?」
千早ちゃんが横から、リラックスリラックスと繰り返す。
「えーと、それではひまわりさん、依頼内容を詳しくお聞かせ願えますか?」
ヒノ君が言った。
そうだ、私は夢を消してもらおうと――
「あ、うん」
頑張って言葉を探してみたけれど、何も浮かばなかった。
怖い夢を消して欲しい、としか言いようがない。
黙り込んでしまった私を見て、ヒノ君が慌てた様子で、
「え、あ、すみませんっ、詳しくなくていいので、お聞かせ願えますか?」
怖い夢を消して欲しい。私は、そのまま伝えた。