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 このところ、千佳は毎日が楽しくなった。下校途中の足取りも自然とはずむ。お守りとしていつも首に下げている忍のペンダントが千佳に寄りつく亡霊達をはじいてくれる。そのおかげでもう現世にあふれる亡霊におびえる必要がなくなった。日常が楽しくなった理由は忍のペンダントが手に入っただけではない。千佳は亡霊達をはじきながら道を行き、瑠璃が待っている我が家へと到着した。

 階段を上がり自分の部屋のドアを開けたが……そこには誰もいない。それまでの楽しい気分が急に不安へと変わり、胸が冷えていく。千佳は制服のブラウスの内側からペンダントの先を引っぱり出し、手の上に乗せて見つめる。


「忍。瑠璃はどこ? まさか……どこかへ戦いに行っちゃったの? あれほど戦っちゃだめって瑠璃に言ったのに!」


 手のひらの上に現れた忍が部屋の中を眺める。そしてあきれたと言わんばかりに肩をすくめる。


「瑠璃は幽世さ。千佳には見えないだけで、瑠璃はこの部屋の中にいるよ」


 カーテンの方でがさがさという物音がした。今まで何もいなかった場所……カーテンの向こう側から瑠璃が半身を出して千佳を見つめている。


「お、遅かったわね……」


「ただいま、瑠璃。遅くなってごめん」


「別に寂しくなんかないわよ。独りでいるとちょっと退屈なだけよ!」


 どうも瑠璃は千佳が部屋に近づく気配を察知し、幽世側の部屋に身を隠していたらしい。帰ってきた千佳とすぐに顔を合わせるのは瑠璃なりに恥ずかしいようだ。


「ずっと部屋にいるのはやっぱりつまらない?」


 通学カバンを勉強机の上に置き、上着のブレザーを脱いでハンガーに掛ける。瑠璃は身を隠していたカーテンから出てくると、部屋の真ん中に置いてある座布団の上へ慎ましく座った。


「毎日毎日不浄霊を狩っていたから……何もしないということが変で変で仕方がないのよ。人間って、こんな狭い部屋に毎日閉じこもって、勉強したり仕事をしたりのくり返しで退屈に思わないの?」


「同じことのくり返しは不浄霊と戦ってばかりの瑠璃も同じだと思うわ」


「うっ、うるさいわね。言われなくても分かってるわよ」


 千佳はベッドの上に腰をかけ、どこかそわそわしている様子の瑠璃を見る。瑠璃はいつはじけてもおかしくない限界間際の幽姫だ。仮に千佳の部屋の中ではじけでもしたら、たまった呪いの直撃を受けるのは千佳とその家族ということになる。瑠璃を部屋に住まわせるというのは命がけの行為だ。ある意味で両親や千秋家の周辺の人々全員を裏切り危険にさらしていることになる。


「幽姫の瑠璃みたいに武器で不浄霊と戦ったり住む場所をどんどん変えたりはしないけどさ、人間は一つの家に住んで自分でない誰かとの絆を大切にして生きているんだよ。瑠璃もそうしてみたらいいんじゃないかな。きっと楽しいよ」


「どう楽しいのかいまいちよく分からないのだけど。幽姫はある意味でただの道具だから、そんな風に生きてみたことがないの。幽姫が人間みたいに生きてもいいのかしら」


 危険な瑠璃を部屋に住まわせて家族や近所の人々を裏切っている千佳は他人との絆を大切にしているとは言いがたい。そんな千佳が言ってもあまり説得力はないが、それでも話の内容自体は間違ってはいないだろう。


「瑠璃、何か食べる? おやつのお菓子がキッチンにストックしてあるから、それなら瑠璃が食べても大丈夫だよ。私が食べたことにすれば問題ないし」


「いらない。何度も言っているでしょ。べつに幽姫は食べなくても平気な体なの」


 瑠璃を部屋に住まわせて三日が経った。今のところ瑠璃との生活は誰にも知られることなく続いている。瑠璃は食事を摂らなくてもいいから食費の心配はないし、住む場所は千佳の部屋で十分だ。両親はめったに千佳の部屋に入ってこないので瑠璃が大人しくしていればまずバレない。生活の基礎である衣食住のうち、瑠璃の食と住はいちおう足りている。問題は残った衣をどうするかだ。


「瑠璃の服が汚れてると思うんだ」


「し、仕方ないでしょ! ずっと外で暮らしてきたんだから少しは汚くもなるわよ! 私だけじゃなくて、他の幽姫もみんな同じようなものなんだからねっ」


 恥ずかしさで顔を赤くする瑠璃に千佳は軽く笑い、「嫌みで言ったんじゃないよ」と本題を切り出す。


「まだお父さんとお母さんが帰ってくるような時間じゃないし、これから瑠璃の洋服を洗濯したいと思うんだ。ついでにお風呂にも入ろうよ」


「洗濯? お風呂?」


 笑顔で指を立てる千佳にも瑠璃はよく分からないといった顔で首をかしげている。

 瑠璃の服はところどころが泥と砂で汚れている。その一方で瑠璃の身体は綺麗なままだ。髪は皮脂でベタついている様子もなくさらさらのままだし、汗臭くもない。彼女は人の形をもった亡霊だから老廃物とは無縁の存在らしい。それでも野宿をくり返したせいで瑠璃の肌は土やほこりにさらされてきたはずだ。風呂には入っておいた方が良い。

 千佳は風呂場へ行ってお湯を張り、待っている間に瑠璃用の着替えを用意した。瑠璃の入浴をサポートするために濡らしては困る制服から私服へ着替え、頃合いを見はからって瑠璃を風呂場へ連れて来る。


「服を洗濯するから着ているものを全部脱いで下さい」


「……とにかく脱げばいいのね?」


 瑠璃は平気な顔で次々と衣服を脱いでいく。ブラウスからスカート、ニーソックスからパンティまでぱっぱと脱ぎ、千佳が感心するほどの大胆さで全裸になる。

 もっと薄汚れているかと思っていたのに瑠璃の肌はとても白い。そして背中にかかる長い黒髪が彼女の白い肌によく映える。すらりとした長い肢体と、うっすらと膨らんだ胸。そしてそれらを恥じらうことも誇ることもしない瑠璃の表情。千佳の身体とは何かが根本的に違うように見えた。瑠璃のまとう雰囲気がどこか人間離れしているせいで、彼女の身体がこの世のものでない作り物であるかのように感じられる。


「なにをぼうっとしてるの? 次はどうすればいいのよ?」


 千佳は我に返り、瑠璃の服を洗剤といっしょに洗濯機に入れてスタートボタンを押す。ちゃんと洗濯機が動き始めたことを確認して裸の瑠璃を風呂場へと連れこんだ。

 プラスチックで出来た小さな腰かけに瑠璃を座らせ、彼女の背後にしゃがみこむ。風呂桶で湯をすくって肩から背中と胸に慎重にかけた。


「熱っ……!? いきなり何するのよっ? 熱いじゃない!」


「瑠璃は風呂を何だと思ってるのよ……」


 スポンジにボディソープを染みこませ、それで瑠璃の背中をできる限り優しく丁寧にこする。


「どう? 気持ちいい? 今、ボディソープ……液状の石けんで身体の汚れを落としてるから」


「なんだか、とっても変な感じ。少しくすぐったいわ。でもこの匂いは良いわね」


 一年前に一方的に助けられたまま名前も行方も分からなかった瑠璃の背中を洗うことになるとはこれまで想像もしてこなかった。嬉しいような、恥ずかしいような複雑な思いで千佳のほおが赤らむ。


「はい。背中は終わったよ。前の方は瑠璃がやってね」


 スポンジを瑠璃に手渡しても……彼女はそれをとまどったように腕やわき腹に軽く押し当てるだけだ。本当に風呂の入り方が分からないらしい。


「よく分からないわ。前の方も千佳がやって」


「ちょ、ちょっと! だめだよ! そんなのだめだってば!」


 いきなり後ろを向く瑠璃の胸に千佳はどきりとしつつ、赤い顔でスポンジの使い方を教える。いくらなんでも裸の瑠璃の真正面に座り、彼女の胸や腹や脚をスポンジでこするような度胸は千佳にはない。

 瑠璃はぎこちない手つきで腕や脚をこすり、そうやって全身を磨き終えたところで泡を湯で流す。


「じゃあ次はシャンプーね。瑠璃の髪を洗うよ。液が目に染みるかもしれないから目を閉じていて」


 まず瑠璃の髪をお湯で濡らし、たっぷりと手に取ったシャンプー液を使って長い髪をたんねんに洗っていく。烏の羽根のように黒くてつややかな髪だ。それをいじっていると千佳はほれぼれとしてため息が出る。髪の全体を泡で包み終えたころ、千佳はすくった湯で泡をすすぎ落とす。


「はい。これで洗うのはおしまい。次はこっちの湯船に浸かってね。気の済むまで入ってていいよ」


「わ、分かったわよ……」


 そろそろと不安げに湯の中へ入っていく瑠璃を見届けて、千佳は浴場の外へと出て行った。

 大した仕事はしていないはずなのに千佳の胸は達成感でいっぱいだった。戦うことしか知らなかった瑠璃に当たり前の楽しみを一つずつ教えていけるのが嬉しかったのだ。

 約十分後、瑠璃は赤い顔で外へ出てきた。慣れない湯浴みに軽くのぼせてしまったらしい。瑠璃を待っていた千佳はバスタオルを渡し、濡れた頭と身体を拭かせる。


「お風呂、どうだった?」


「気持ちよかったわ。人間の遊びもなかなか良いものね」


「遊びっていうか、毎日することの一つなんだけど」


 用意しておいた千佳のパジャマを渡し、それを瑠璃に着させる。下着は用意できなかったが、さすがに千佳のパンティをはかせるのはダメだろう。洗濯した瑠璃の服と下着が乾くまでの辛抱だと説明し、瑠璃も特に文句は言わない。

 着替え終わったところで洗面台の前に瑠璃を立たせ、ドライヤーを使って髪を乾かす。瑠璃は気分よさげに千佳に身を任せているが、千佳の方は大変な思いだった。千佳の短い髪と違い、瑠璃のロングヘアは水を多く吸っていてなかなか乾いてくれない。髪の長い子って大変だと考えながらヘアブラシでとかしつつ温風を当てていく。

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