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 左手の五指は長く鋭く伸び、刃物のように硬質化している。指には不浄霊の首が三つ分突き刺さり、それは現世へ来たと同時に消滅した。ここに来る途中で出遭った不浄霊と軽くやり合ったのだ。もちろん不浄霊などトラの敵ではない。いつも通り傷一つ負うことはなかった。

 トラは左手の指を元に戻し、約束場所のバス停を見つけて歩みよる。トラを呼び出した相手はすでに来ていたらしい。ちょこんとバス停の椅子に座っている姿が街灯の光の中に浮かび上がっている。


「静かでいい夜だね」


「ちょっと寒いけどな」


 雪が降る中だというのに少女はソフトクリームをなめている。腹の前にクマのぬいぐるみを抱え持っている。人間でいうのなら小学校低学年ほどの見た目をしていて、まだほんの子どもの姿だった。フリルとレースで飾られた黒いドレスを身にまとい、ひざ丈の長い真っ黒な靴下と、それと同じ色をした丁寧な作りのストラップシューズをはいている。ふわふわとした長い黒髪は、耳をおおうほどの長さしかないトラの髪とは大違いだった。少女は後頭部を大きな黒いリボンで飾り付けている。


「で? こんな場所に呼び出してあたしに何の用さ?」


「隣町を縄張りにしてる瑠璃って幽姫、知ってる?」


「そりゃ知ってるさ。剣の瑠璃っていえば幽姫の間じゃ有名だし。でも最近は瑠璃の噂を全然聞かないな。なんでだろ」


 首をひねるトラに少女は嬉しそうに笑い、椅子からぶら下げた両脚を一定のリズムでぶつけ合う。


「トラに相談があるの。氷菓ひょうかといっしょにさ、瑠璃の奴をぶち殺さない?」


「はあ!? 何でさ? 瑠璃は不浄霊じゃない。瑠璃は幽姫で、あたし達の仲間のはずだろ?」


 トラの目の前で楽しげに脚をぶつけ合う少女。彼女の名前は氷菓で、その正体は人間ではない。世界から生み出され、現世を穢す不浄霊を狩る幽姫の一人だ。

 氷菓の返答を待っていると、二人の横を人間の三人組みが通りかかった。大学生のような背格好で、三人とも顔が赤らんでいる。相当に酔っているらしい。優れた五感をもつトラには人間達から漂うアルコール臭が不快だった。


「こんな夜中にいくら待ってもバスなんか来ないよー?」


 一人がトラに目をつけ、なにやら陽気にべらべらと話しかけてくる。トラは聞きたくもなかったが、耳に入ってしまった情報を整理すると、トラはとんでもない薄着でこの雪の中では寒いだろうからみんなでもっと温かい場所へ行こうと誘っているらしい。とりあえずカラオケボックスへ行こうとしきりにささやいてくる。

 トラは無視していたが、かってに腕をつかまれたことで我慢の限界に達した。


「さっきからごちゃごちゃうるさいんだよ!! こっちは大事な話をしてんのに、何も知らないのんきな人間どもが邪魔してんじゃねーぞ!!」


 興奮のあまり、隠していた頭の猫耳と二本のしっぽが外へ飛び出した。トラは腕をつかんできた酔っぱらいの胸ぐらをつかみ、そのまま左手一本で宙に持ち上げる。

 息を詰まらせて脚をばたつかせる男をにらみ、トラは無造作に横へ投げ捨てる。地面と並行に二十メートル以上飛んだ男は積もった雪の上をバウンドし、その衝撃で激しくせき込んでいた。

 トラの頭に生えた大きな動物の耳。そして腰の上でくねる二本の茶色の尾。どちらも目を疑うような物体だ。なによりも身体の細い少女が大人の男を腕一本で宙吊りにして遠くへぶん投げるというあり得ない事態に、残りの二人は口を半開きにしたままトラの前から動けないでいた。

「げげげげげっ」


 氷菓の抱えたクマのぬいぐるみが奇怪な笑い声を上げる。二人の人間はびくんと震え、椅子に座っていた黒ずくめの女の子へと目を向けた。


「兄ちゃん達よぉ、悪いことは言わねぇからさっさとお家へ帰りな。さもないとこの氷菓に頭から食われちまうぞぉ」


 しゃべるぬいぐるみという常識外の存在にまたもや二人は銅像のように硬直した。


 黙ってソフトクリームをなめていた氷菓がちらりと二人へ目を向ける。氷菓の眼差しに二人の硬直が解けた。トラと氷菓とぬいぐるみの正体は分からなくても、とにかく関わってはいけない類の危険な相手だということは十分に呑み込めたらしい。遠くで痛みにうめいている一人を二人で慌てて抱き起こし、三人そろってトラと氷菓の前から逃げ去った。


「まったく! あんなバカどものために戦ってるかと思うと嫌になるよ、もう!」


 トラは怒りで尻尾を激しくくねらせながら氷菓へと向き直る。氷菓の腕の中で「げげげっ」とまだ小さく笑っているぬいぐるみへ視線を向けた。


「そいつ、氷菓が創ったしもべだったの? ただの変なぬいぐるみかと思ってた」


「この子の名前はクマァ。可愛い子だよ」


「ま、よろしくな。猫の姉ちゃんよぉ。げげげっ」


 しもべを創り出せるのは強い力をもつ一部の幽姫だけ。つまりクマァという名のしもべを創った氷菓は相当の力をもつ幽姫ということだ。トラにはしもべを創るほどの力はない。

 幽姫が創り出すしもべの精神性は創り手の幽姫の人格にはっきりと左右される。気高い幽姫のしもべは清廉潔白な性格となり、いやしい幽姫のしもべは品性に欠ける性格をもつ。クマァの下品な言葉遣いや化け物じみた不気味なデザインからして、氷菓自身は可憐な人形のような外見でも彼女の心はかなりねじくれているらしい。


「その耳としっぽ、面白いね。可愛くて素敵」


「生まれつきこうだから、面白いとか可愛いとかは思ったことがないな」


 トラは頭の猫耳を手で引っぱり、腰から生えた二本の尾をにょろにょろと動かす。


「すごい力ね。人間をぽーんと向こうへ投げちゃって。純粋な身体の力なら瑠璃よりもトラの方が上でしょ」


「それだよ、もともと瑠璃の話の途中だった。人間の邪魔が入ったせいで話が中断したけど、どうして瑠璃を狙うわけさ? 幽姫が幽姫を殺しにかかるなんておかしいでしょ」


 氷菓はにやにやと笑いながら椅子の上にあぐらをかく。ひざ丈のスカートからはしたなく素肌の脚がさらけ出すのもおかまいなしだ。


「うんとね、氷菓が他の幽姫達に聞いたところによると、瑠璃がはじける限界を迎えているらしいの。瑠璃の噂が途絶えたのはずいぶん弱って、もうまともな狩りができなくなったから。瑠璃がはじけて呪いが飛び出す前に、トラといっしょに奴を始末したいのよ」


「剣の瑠璃が、限界……」


「瑠璃くらいの強い幽姫がはじけたら大変なことになると思うの。人間がたくさん死ぬし、街自体も飛び散った呪いで汚染されちゃうわ。他の弱い幽姫達ならはじけてもどうってことないけど、瑠璃くらいのレベルだと放っておけないと氷菓は思うの。瑠璃のためこんだ呪いの被害に遭うのはここじゃなくて隣街だけどさ、現世を浄化する幽姫としては見過ごせない問題だと思うの」


「だけど、相手は剣の瑠璃だろ? いくら弱ってても勝てないよ、多分」


「だから氷菓とトラが手を組むんじゃない! 氷菓達二人なら瑠璃だって確実に殺せるよ」


「"お菓子の氷菓"と名高いあんたと組むなら、あの瑠璃にも勝てるかもしれないけどさ……」


 氷菓はコーンまですっかり食べてしまうとクマァの口の中へ左手を突っこむ。「げげっ」とクマァが声を上げ、氷菓が口から手を引き抜く。その手には大きなペロペロキャンディの柄が握られていた。氷菓は円形の飴を美味そうに舐めていく。


 氷菓もただの幽姫ではない。"剣の瑠璃"と同じように"お菓子の氷菓"という二つ名をもつ強い幽姫だ。瑠璃ほどではないが、氷菓も幽姫達の間ではかなり名前が売れている。


「はじける前に幽姫の命を絶てば、たしかに厄介な呪いは消えてくれる。だけどやり方が非道くないか? 今まで現世のために頑張ってきた仲間を一方的に狩るってのは同じ幽姫としてどうかとあたしは思う」


「うぅーー。クマァ、トラに何とか言ってよぉ」


 上手く反論できずにいら立ってキャンディを振り回す氷菓に、クマァが「げげっ」と楽しげに笑う。


「クイズの時間だ。幽姫は何のために世界から生み出された? お前も幽姫なら当然分かってんだろうなぁ」


「そりゃあ、不浄霊を狩って現世を綺麗に保つためさ」


「分かってるじゃねえか。幽姫の使命は現世から穢れを取り除くことだ。だったら穢れが生まれる前に原因を排除するのが当然だろぉ?」


「う……」


「瑠璃のせいで大勢の人間が危ねぇんだ。もう細かいことにこだわってる場合じゃねぇ。それに長年守ってきた街の平和をてめぇの呪いでぶち壊すことなく逝けるんだ。瑠璃だって死んで本望だろうさ」


「そ、それはそうかも知れないな……」


 仁義はトラの方にある。しかし、幽姫本来の使命を考えれば氷菓とクマァの言い分の方が正しいだろう。頭がこんがらがってきたトラは両手でばりばりと髪をかきむしる。もともとトラは肉体派の幽姫で、深く考えることはあまり得意ではない。

 沈黙の末に考えをまとめたトラは小さくため息をついた。


「幽姫として街を穢れから守っていきたいとあたしはいつも思ってる。あんまり気は乗らないけど氷菓に協力するよ」


 氷菓は笑顔をこぼし、両手をぱちぱちと打ち鳴らす。見た目も態度も子どもそのものなのに考えることは異様にえげつない。しかも実力はトラよりもかなり上なのだからこの世は理不尽だとトラは思う。


「食べるぅ? お友達の印だよ」


 氷菓はふたたびクマァの口に手を突っこみ、苺のショートケーキを取り出した。いったいどういう仕組みでお菓子を出しているのかトラには分からなかったが、差し出されたケーキをとりあえず受け取った。かじってみると思っていたよりずっと美味しい。


「瑠璃だけは許せないもん。絶対の絶対に氷菓がぶっ殺すもんね」


「おいおい、しゃべりすぎだぜぇ、氷菓」


 氷菓は口の上に丸いキャンディを添えてこれ以上の余計なことはしゃべらないようにした。トラは氷菓の出したケーキに夢中で、彼女のつぶやきに気づくことができなかった。

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