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「今は千佳が僕の主人だからね。僕は主人の命令に従う。元主人の瑠璃にとやかく言われたくないね」


 珍しく忍の声がとげとげしい。道具に感情はないと言っていても、創り主の瑠璃に捨てられたことを少しは根に持っているらしい。

 突然目の前に現れた千佳に不浄霊達はとまどっていたようだが、一度は広がった包囲網がふたたび縮み始めた。不気味なうなり声を上げながらにじり寄る巨大な霊達に千佳は震えて涙を浮かべるが、それでも逃げ出さずに瑠璃をかばってしっかりと寄り添う。


「千佳。君はもっと後先を考えて行動した方がいいんじゃないかい? 現世にいる大人しくて弱い亡霊達と違って幽世にいる不浄霊は気性が荒くて力も強い。しかも幽世に入ると人間も幽姫も等しく不浄霊から物理的な影響を受けるようになる。つまり殴られれば傷を負うし、強打されれば骨も折れるし、急所を噛まれれば死ぬってことだ」


「ど、どうしよう忍!? どうすればいいの……!?」


「瑠璃は疲労とダメージで動けない。となれば窮地を脱するためには千佳が体を張るしかない」


 そう言うと肩の上の忍が消え、代わりに千佳の右手に片刃の短剣が現れた。刀身の長さは千佳のひじから中指の先ほどだった。千佳が右手の剣に驚いていると、なぜか勝手に足が動いてその場に立ち上がった。


「初歩的な戦いの指導をしてあげる」


 千佳の意思とは無関係に両手で短剣の柄を持ち、人間離れした速度で手前の不浄霊に跳びかかる。またしても勝手に腕が動き、構え持った短剣で霊の胴体を両断した。

 同じように周囲の霊達を次々となぎ倒していくうちにようやく千佳は仕組みを理解した。千佳が首に下げたペンダントが、つまり忍が、千佳の身体を操っているのだ。武器の短剣も、瑠璃のように化け物じみた動きも、あざやかに敵を斬り倒す技術も、それらすべては忍が千佳を与えているらしい。


「……幽姫の力を解放したまま千佳の全身を操作するのは二倍疲れる。このままでは僕の方が先に力を使い果たしてしまう。ここからは君が戦え、千佳」


 それまで自動的に動いていた手足がぴたりと止まる。そのことと忍の無責任な言葉にぼう然としていた千佳は不浄霊の横殴りに反応できず、わき腹にもろに食らった。

 千佳は軽々と吹き飛び、背中から派手にコンクリート塀に突っこんだが……痛くもなんともない。千佳は平然と立ち上がり、手を伸ばして無傷の腹や背中を確かめる。


「僕が全身をガードしていなかったら君は死んでいたぞ。もっと気をつけてくれ」


「そ、そんなこと言ったって! あんなのと私が戦えるわけ無いじゃない!」


「大丈夫。わずかとはいえ、ペンダントに封じられた瑠璃の力が君の身体には宿っているんだ。瑠璃の力があんな雑魚どもに負ける道理はない。身体能力はさっきのままだ。さっきと同じように動けば問題なく勝てる」


 前方から襲いかかる不浄霊を避けようと横に跳ぶと、千佳はその馬鹿げた滞空時間と飛距離に驚いた。忍の言ったとおり、操られるだけの楽な戦いはできなくなったが動きはさっきまでと変わらない。

 動体視力もいつもとは比べものにならない。千佳に迫る不浄霊の動きがまるで止まっているかのように遅く見える。千佳は雑な動作ながら攻撃をかわし、両手で持った短剣で不浄霊達を斬り捨てていく。

 やがて最後の一体を両断し、千佳はうつむいたまま息を切らしていた。戦っていた最中は麻痺していた恐怖心が今ごろになってうずきだし、千佳の両脚ががくがくと震える。


「千佳、後ろ!」


 背後から迫る不浄霊の気配に千佳が気づいたのは忍の声の一瞬後だった。戦闘初心者の千佳はまだ敵が残っていたことに気づけなかったのだ。振り返りざまに顔面へくりだされる巨大な拳。千佳は恐ろしさのあまりに目を閉じて身体を縮めることしかできない。

 千佳の耳のすぐ横を猛スピードで剣がかすめる。千佳の後ろから投げられた剣はそのまま不浄霊の顔面を貫き、致命傷を与えて霧散させる。

 瑠璃だった。千佳のはるか後方の路面に膝をつき、左手で上半身を支え、右手を前へ伸ばした姿勢のまま息を荒げている。最後に残った剣を遠投して千佳を助けてくれたのだ。


「……とりあえずこの場の不浄霊は一掃したが、しばらくすればまた集まってくるだろう。いつまでも幽世にとどまるのは危険だ」


 忍に指示されて千佳は瑠璃に駆け寄り、彼女のそばへしゃがみこむ。するとあっという間に空が黒から青へと変わり、薄暗かった景色に見慣れた色合いが戻り、今まで消えていた車の走行音や風の音が聞こえるようになった。忍の力で強力な不浄霊がひしめく幽世から現世へ帰ってきたらしい。

 瑠璃は冷たい路面にへたりこんだまま肩を震わせていた。顔をうつむけ、声を殺して泣いている。


「この私があの程度の敵に苦戦するだなんて、しかもまた人間に助けられるだなんて! 悔しい! 本当の私はこんなものじゃない! こんなはずはない!」


 静かな路地に瑠璃の小さな泣き声が溶けては消える。千佳の目の前に座っているのは千佳の同年代の姿をしていて、頼るべき力を失ったか弱い少女だった。一年前に千佳に見せた近寄りがたい力強さはもう瑠璃には無い。

 雪が降り出した。瑠璃は下を向いて泣き続けたまま顔を上げようとしない。綿雪がいっそう気温を下げ、景色を白く染め、瑠璃の髪や肩に積もっていく。


「忍から全部聞いたよ。瑠璃がずっと一人で街を守ってくれてたことも、幽姫のことも、身体の限界のことも」


 千佳のつぶやきに瑠璃はようやく顔を上げた。強い怒りと憎しみが入り混じったすさまじい目に千佳は一瞬呼吸を止める。


「それじゃあ私が人間じゃないことも知ってるでしょう? はじけた呪いに巻きこまれるのが恐いでしょう? 恐いなら私の前からさっさと消えなさいよ。もう私に関わらないでよ」


 ゆがんだ笑みで憎らしく挑発する瑠璃には気品がまるでうかがえない。悲惨な自分の末路に絶望してやけになり、もうどうにでもなれと思っているのかもしれない。

 恐くないと言えば嘘になる。瑠璃は人ならざる幽姫だ。しかもその身体の内側には想像もつかないほどの膨大な呪いをため込んでいる。彼女はいつ爆発してもおかしくない爆弾と同じだ。

 しかし、胸にわく恐怖に反して千佳の手は自然に動いた。千佳をにらむ瑠璃の左手をそっと取り、両手で握る。瑠璃の表情が怒りから驚きへと変わった。


「長い間一人で戦って、頑張って、ちょっと疲れちゃったんだよね。だから少しだけ体を休めよう? 私なんかに何ができるか分からないけど、それでも瑠璃を助けたいと思ってるんだ。私達、友達になれないかな」


「……なにバカなこと言ってるのよ。幽姫は人間じゃない。人間の友達なんか持たないし、誰かの助けも必要ないわよ」


「そんなこと言ったって、もう瑠璃はぼろぼろじゃない。私の部屋以外にゆっくり休める場所なんてないんでしょ? それに瑠璃はさっき、幽世で私を助けてくれた」


「あ、あれは、あんたがあまりにとろいから見るに見かねて手を出したまでよ! 助けたなんて思わないでよね!」


 瑠璃は顔を赤らめて千佳から目をそらし、ちらちらと恥ずかしげに視線を向ける。


「もうやめてよ。私、誰かにそんな風に言ってもらったことなんかないんだから、どうしていいか分からないの」


 千佳と瑠璃がお互いに言葉をつまらせていると、それまで姿を消していた忍が千佳の肩に現れた。


「瑠璃。君は幽世で千佳に助けられた。千佳に命を救われるのはこれで二度目だ。千佳には大きな借りがあるはずだろう。誇りを重んじる君が借りを作ったままにしておくのかい? それに千佳は亡霊が目に見えるから奴らに憑きまとわれやすい。幽姫の君がついていてやれば千佳は非常に安全になると思うけど」


「忍、あんたを創ったのはこの私なのよ? 創ってもらったお前が創り手の私に不利になることばかり言っていいと思ってるの?」


 怒りに震える瑠璃にも忍はあくまで冷静だった。千佳の肩に腰かけて余裕たっぷりに脚を組む。


「僕の今の主人は千佳だ。瑠璃に従う義務はないよ。瑠璃が千佳の部屋に来れば君も体を休められるし、千佳の希望もとげられる。二人とも得になると思ったから言ったまでだ。僕はこれでも創ってもらった瑠璃を気づかっているんだよ」


「ああ、もうっ!」


 瑠璃の大声に千佳はびくんと震え、握った瑠璃の手を思わず放しそうになった。


「わかったわよ! 助けられた恩を返すまで、私があんたの剣になってあげる! それでいいでしょっ、もうっ!」


 千佳は微笑みながらうなずき、瑠璃の手を引っぱって立ち上がらせた。手を繋いだまま瑠璃と同じ目線の高さで見つめあうと、千佳は恥ずかしさでつい顔が赤くなってしまう。


「……何赤くなってるのよ? あんた、まさか変なことを考えてるんじゃないでしょうね?」


「ち、違うっ! 私は赤面症で、ちょっとしたことでもすぐに顔が赤くなっちゃって!」


「よく分からないけど、まあいいわ。それより、あんたの名前を教えて。部屋で一度聞いたけどよく覚えてないの。今度はちゃんと覚えておきたいから」


「千佳。千秋千佳だよ」


「千佳。千佳ね。誰かと手を繋ぐのも、人間の名前を覚えるのも、これが初めてだわ。何だか変な感じがする」


 千佳の顔と繋いだ手に視線を往復させる瑠璃。不思議なのは千佳も同じだった。亡霊にさんざん悩まされてきた自分が亡霊の姫と手を繋ぎ合っている。彼女の手は温かく、柔らかい。普通の女の子の手と何も変わらなかった。


「帰ろう、瑠璃。私と、瑠璃の部屋に」


 どこかとまどっている瑠璃の手を引き、手を繋いだまま雪の降る道を歩いていく。


「帰ったらケーキを食べよう。まだ二箱残ってるから」


「……その、さっきは悪かったわよ。もらった食べ物を叩き飛ばして」


「いいよ。瑠璃が食べてくれるなら」


「あんたが、千佳が食べて欲しいって言うのなら食べてあげてもいいわ」


 照れくさそうに目をそらす瑠璃に千佳は小さく笑って、紅茶も用意してあげなくちゃと思った。



 その日の深夜。幽姫のトラは幽世の街を歩き、約束の場所の近くに来てから現世へと移動した。あいかわらず雪が降ったままで、暑さにも寒さにも強い幽姫にも少しだけこたえる天候だった。寒く感じる理由はトラの薄着にもある。上半身は裸の上にだぼだぼのシャツを一枚着ているだけで、下はもも丈のスパッツしかはいていない。靴もただの運動靴だ。機能性重視で防寒性は期待できず、雪がどんどんしみ入ってくる。

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