終頁
「氷菓に千佳が言った、一人ではできなくても二人でもできることって、何? そうやっていっしょにいることが二人でできること? 氷菓ひとりで考えても分からない。だからどういう意味なのか知りたくて、また千佳と瑠璃に会いたくなった」
「私と瑠璃は、損得勘定とか、相手を利用したいからいっしょにいるんじゃないよ。いっしょにいると楽しい、時間が経つのが早くなる大切な相手だから、私達はいっしょにいる。友達なんだ」
「友達って、何? よく分からない」
まるでじだんだを踏むかのように、靴で積み上げた足元の雪の小山を踏みつぶす氷菓。幽姫の氷菓には友達という概念がうまく理解できないようだ。
千佳は微笑みながら氷菓に歩み寄り、勇気をもって彼女の顔の前にしゃがんだ。何があってもすぐに対処できるように、瑠璃が千佳のすぐ横で氷菓の動作に怪しい点はないか目を光らせている。
「玄関に置いてあった棒付きのキャンディー、私が食べたよ。美味しかった。また何かお菓子を食べたいな」
氷菓はこの時初めて顔をほころばせ、クマァの口の中に手を突っこんで板チョコを取り出した。無言で差し出されたチョコを受け取ると、千佳はそれを食べてみせる。氷菓の作るお菓子の原料は不浄霊だが味も食感も本物のお菓子と何も変わらない。今では抵抗なく食べることができた。このあたりの神経の太さも千佳の変化の一つだ。
「瑠璃にもあげるよ、ほら」
長方形のビスケットを投げ渡された瑠璃は露骨に嫌そうな表情を浮かべ、元不浄霊のお菓子をおそるおそる口に運んでいた。千佳も我慢して食べているのだから瑠璃も足並みをそろえなければならないという状況だった。
「ほら。誰かに何かをして喜ばれるのって、素敵なことでしょ?」
氷菓ははっとし驚いた顔で千佳を見つめ返す。
千佳の方にも大きな発見があった。他の誰かと繋がることで、自分の世界はどんどん広がっていくということ。知らない領域へ続く扉が開かれるということ。その逆に誰かを憎んだり絶縁したり殺したりすればどんどん扉が閉じてその人の世界が狭くなっていくということ。
「人間の千佳がどうしてあんなに強かったのかとか、どうして瑠璃の姿に変われるのかを知りたい氷菓の気持ちはどういうこと?」
「それはきっと、友達になりたい気持ちの証なんだと思う」
千佳は氷菓に右手を差しだした。やわらかく広げられた千佳の手のひらを氷菓は不思議そうな目で見つめている。
「人間も、他の幽姫も、傷つけないでほしいんだ。戦わずに、傷つけずに、友達になろうよ。そうすれば私と繋がり合って氷菓の世界ももっと大きく広くなっていくはず」
「……どうしよう? クマァ」
胸元のクマァに目を落とし不安げな声を掛ける氷菓に、クマァは「げげっ」と小さく笑う。
「氷菓の好きなようにしろよ。オレはこいつらをまだ認めたわけじゃねぇが、主の氷菓に最後まで従うだけさ」
氷菓はこくりとささやかにうなずき、ためらった末に千佳の手に自身の右手を触れ合わせる。
小さな、子どもの手だ。指はか細く、ふとしたことで折れてしまいそうなほどに繊細な造りのように千佳には映る。命を奪われかけた恐怖の幽姫の身体とは思えない。
「これで私と氷菓は友達。瑠璃は私の友達だから瑠璃と氷菓も友達同士だよね?」
「ちょっと、千佳っ……!?」
千佳は瑠璃の背中を押し、氷菓の前に強引に立たせる。無感情の冷たい目で見上げる氷菓に瑠璃は早々に機嫌を損なったようだ。横に顔をそむけてしまう。
「お願いよ、瑠璃。これをチャンスに仲直りしてっ!」
耳元でそうささやく千佳に瑠璃は深々とため息をつき、両腕を組んで氷菓を見下ろした。
「……仕方ないわね。これまでの悪行の数々は水に流してあげるから感謝しなさいよね」
「瑠璃は氷菓より弱いからどうでもいいけど、千佳のおまけってことで友達になってあげるよ」
「なっ……!!」
瞬時に怒りが沸点に達した瑠璃は右手に長剣を出して氷菓に飛びかかろうとするが、それと同時に瑠璃化した千佳がはがいじめにして身動きを封じる。純粋な幽姫の瑠璃の剛力に対抗するには瑠璃に変身して能力を上げなければならないのだ。
「我慢! 抑えて瑠璃! 瑠璃の方が見た目は年上でしょ!? それに精神年齢もっ!」
「わ、わかったわよっ」
瑠璃の顔でそう言われ、瑠璃も怒りを自覚し頭が冷えたようだ。剣を消し、いまだに氷菓をにらんでいる瑠璃に千佳はため息をつきながら変身を解く。
氷菓の手を握り直すと、今度は氷菓の方から力を込めて握り返してくる。千佳に胸に温かい気持ちが広がった。
「雪が降ってる。寒いよ。もうすぐ年が明けるし私の部屋においでよ。友達同士はそうやっていっしょに過ごすものなの」
息を白く曇らせて話す千佳に、氷菓は下を向いてクマァの意見をうかがった。「まぁ、いいんじゃねぇか?」という言葉に、氷菓は千佳を見て首を縦に振る。
「今、部屋には桃香がいるだろう。彼女にはどう説明するつもりだい?」
左肩に現れた忍に千佳は苦悩のうめき声を上げ、氷菓と忍に視線を往復させながら腹を据える。
「隠さず、全部話そうと思う。私の本当の体質のことも、幽姫と不浄霊の存在のことも。私が瑠璃に変身したところを桃香に見られちゃったし、いつかはちゃんと話さなきゃならないもん。今夜は毒を食わば皿までの夜」
「大丈夫? 下手を打つと、大切な幼馴染みを失うことになるかも知れないよ」
千佳の狙い通りに上手くいくという保証はどこにもない。数時間後には目をおおいたくなるような波乱が起きるのは確実だが、千佳が桃香を信じて話すように、桃香にも千佳の奇妙な人生を信じてもらうしかない。
「行こうか? 氷菓」
「うん」
手を引く千佳に、意外にも氷菓は大人しくついてくる。手の中のクマァは化け物のような形をしていて不気味そのものだが、氷菓の小さな歩幅と細い手足は保護欲をかき立てる。子どもって可愛いなあと千佳は頬を緩ませた。
階段に向かって歩道橋の上を進んでいると、従者のように千佳の隣を歩く瑠璃がちらちらと盗み見をしている気配が伝わってきた。落ち着かない様子の瑠璃をわざとじっと見てみると、瑠璃はいっきに顔を赤らめて氷菓を見下ろす。
「ただこの子を見張っていただけよ!? 千佳に襲いかからないか心配だから! それ以外の意味なんてないんだから変な疑いはやめてよね!」
「わかってるよ」
瑠璃の気持ちを的確に見抜いた千佳は微笑み、空いている手を瑠璃の手の近くへ寄せる。気位の高い瑠璃は「し、仕方ないわね。千佳がそうしたいなら仕方ないわねっ」としぶるふりまでして千佳と手を繋ぐ。
手を繋ぎ合ったまま慎重に階段を降り、道路沿いの歩行車道をゆっくりと歩いて行く。
「千佳、たいやきが食べたいわ」
「今は年末だからお店も閉まっているよ」
「ちぇっ」と舌打ちして雪を蹴飛ばす氷菓に千佳は「年が明けたらお店も開くから、そうなったらまたたいやきを買ってあげる」と姉のように言った。
「待ち遠しいわ」
千佳の手を振って大げさに喜ぶ氷菓に、甘い物ばかり食べてよく太らないなあと驚きと羨望を同時に抱く。
千佳が出会った幽姫達。瑠璃。四季。トラ。氷菓。そして幽姫のしもべの忍とクマァ。小さな頃からずっといっしょに道を歩いていた幼馴染みの桃香。年が明けても、時が経っても、みんなとの繋がりはずっと続いていく。
雪の中でもあいかわらず人通りは多いが、人と同じ姿形をした瑠璃と氷菓の正体に気づかない。真実を知るのは世界の秘密に触れた千佳だけ。千佳は瑠璃と氷菓としっかり手を繋いだまま、雪の降り積もる白い道を歩いて行った。
(了)
完結です。ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました。




