表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/50

05頁

「幽世にあふれる不浄霊達が現世になだれ込めば人の世はさまざまな災厄に見舞われる。なにしろ不浄霊の正体は強い恨みや憎しみを抱いて死んだ人間のなれの果てだからね。不浄霊は罪もない人々を呪い殺したり、不運を招いたり、生気を奪って病気にしたり、心のすき間に入りこんで正常な精神を壊したり、その害は色々だ。人間側からすれば強力なウイルスのようなものだよ。普通の人の目には見えず、存在も感じ取れず、感染すれば重大な病気にされる手の出しようがない存在だ」


 瑠璃が地面を蹴って飛びかかり、左手に持った剣で巨大な不浄霊の首をはねる。首を失って身動きが取れなくなった霊の胴体を瑠璃が一刀両断し、斬られた霊は霧散した。


「人の世を人が生きていける安全な場所に保つために、世界はある種の自浄装置を生み出した。それが幽姫ゆうきと呼ばれる存在。千佳の目の前で戦っている瑠璃も幽姫の一人だよ。幽世で生まれ、亡霊でありながら肉の身体をもち、人にあだなす不浄霊を狩って現世を清浄に保つ、亡霊の姫達さ」


「瑠璃が……幽姫……? 亡霊の姫……?」


「幽姫は人間じゃない。かといって純粋な亡霊とも違う。人と亡霊の中間に立つ狩人さ。姿形は人と同じだが、君も気づいたように体重は人間のそれよりもずっと軽い。そして身体能力は人間のはるか上をいく」


 忍に言われるまでもなく、瑠璃の化け物じみた身のこなしには気づいていた。瑠璃よりもずっと大きな不浄霊達の殴打と噛みつきを紙一重で避け続け、両手の剣で次々と斬りつけては霧散させていく。あらゆる方向から飛び出す攻撃をかわし、路面を蹴って宙に跳ね、コンクリート塀や家の壁や電信柱をも足場にして縦横無尽に空間を動き続けるさまは虎や豹を思わせる。


「現世には何人もの幽姫がいるんだ。女だということは共通しているけれどそれぞれに違った容姿をしていて、能力も強さも性格も違う。幽姫達は人間として人間社会に溶けこみ、人知れず危険な不浄霊を狩っている」


「じゃあ、私も瑠璃以外の幽姫にどこかで会ったことがあるのかな」


「今日、学校から帰る途中に四季という女性に会っただろう? 彼女も幽姫だよ」


「ええっ……!? し、四季さんが!?」


 四季が幽姫? にわかには信じがたい事実だった。彼女はあまりに優雅で美しく、浮世離れした空気をまとっているとは思っていたが、まさか人間ではなかったとは。千佳は瑠璃の正体を知ったとき以上の衝撃で頭の中が真っ白になる。


「どんな能力をもっているのかは分からないけれど、瑠璃よりも四季の方がずっと強いようだ。そんなに強い幽姫と友人でいるだなんて僕の方が驚いたよ」


 四季の正体に気を取られていたせいで交戦中の瑠璃から目をそらしていたが、ふと気がつけば瑠璃はいつの間にか不浄霊の群れに押されていた。先ほどよりも明らかに動きがにぶっていて息も切れている。何発か打撃を食らってしまったらしい。表情に苦痛と疲労の色がにじんでいた。

 背後からの奇襲を避け、かわしざまに瑠璃は右手の剣を槍投げの槍のように投げつけた。剣は不浄霊の顔面に勢いよく突き刺さり、それが致命傷になって霧散する。

 空になった瑠璃の右手に新たな剣が出現する。一年前に瑠璃が千佳に見せた不思議な現象とまったく同じものだった。

 次から次へとわき出てくる不浄霊達に瑠璃の攻撃が追いつかない。瑠璃が動けば動くだけ確実に体力を削られ、はじめは優勢だった不浄霊狩りがしだいに防戦一方になっていく。


「ねっ、ねえっ……! 瑠璃、大丈夫なの!? まさかこのままやられちゃったりしないよね!?」


「瑠璃は幽姫の中でもかなり強い幽姫だ。剣を作るという攻撃的な能力をもっているし、基礎的な身体能力も優れている。"剣の瑠璃"といえば幽姫達の間ではそれなりに知られている名だ。力の強い一部の幽姫は自らの力でしもべを創り出すこともできる。瑠璃が僕を創ったのも彼女の実力の証といえるだろう」


「そんなにすごい幽姫だったら、どうして瑠璃はさっきからやられっぱなしになってるのよ!?」


「幽世に入る少し前、千佳はなぜ瑠璃があれほど怒っていたのか理由を知りたがっていたね。瑠璃の不機嫌は、じつは気位の高い性格のせいだけじゃないんだ」


「な、何の話をしてるの……?」


「このところ瑠璃は特に不機嫌なんだ。なにしろ今の瑠璃には通常の数分の一の力しかないからね。本来の強さからはるかに弱くなってしまった自分が嫌でたまらないんだろう」


 三体の巨大な不浄霊に囲まれた瑠璃には逃げ場がない。混戦から視界が悪くなった瑠璃は左手の剣をはじき飛ばされ、ガードの空いた腹に強烈な殴打を叩き込まれた。瑠璃は痛みで路面にひざを突くが、一瞬後にはすぐに後ろへ跳びのいて右手に持った剣を両手で構え直す。もはや剣を生み出し二刀流を続ける余裕さえないらしい。


「幽姫はとても強いが決して不死身じゃない。不浄霊を狩り続けるうちにいずれ限界を迎えて消滅する。それが幽姫の最後。生物でいうところの死だ。しかも生物のようにただ死んで動かなくなるだけじゃない。幽姫はこの世から消滅するときに、ある大きな問題を残していくんだ」


「大きな、問題?」


「憎しみや怨念にかられた不浄霊は強い負の気を放っている。そんな不浄霊に関わって長きにわたり狩っていくうち、幽姫は少しずつ負の気に穢され汚染されていく。そしていつか身体にため込んだ呪いの量に耐えきれずに消滅してしまう。ゴム風船に水を入れ続けるといずれ容積の限界を上回ってパンクしてしまうだろう? それと同じさ。幽姫が身体に蓄積した呪いの量に敗れて消滅することを、幽姫達の間では"はじける"と表現している。そしてこれが大きな問題なんだけど、幽姫がはじけると現世に強い災いがもたらされるんだ」


 ここまで聞けば千佳にも分かる。一年前の力強い雰囲気を失い、道に行き倒れるほどに衰弱している瑠璃。本来の実力からはほど遠い力しか出せなくなってしまった今の彼女は忍の言う限界を迎えようとしている。千佳はショックで血の気が引き、足元がふらついた。


「もたらされる災厄の規模はその幽姫の力量と、これまでに狩ってきた不浄霊の量に比例する。瑠璃ほどの力をもった歴戦の幽姫がはじけたら……おそらくこの街一帯が呪いの闇に包まれるだろうね。原因不明の人死にが多発して、まき散らされた負の気に当てられた人達による犯罪や暴行や自殺も大量に発生するだろう。きっと交通事故もたくさん出るし、命に関わるような重大な病気も流行する。ずっと守ってきた大切な街を自分のせいで滅茶苦茶にしてしまうことに瑠璃は耐えられないんだ」


 かすかに震える千佳の肩の上で忍はため息をつき、不浄霊の群れに袋だたきにされている瑠璃を眺める。


「瑠璃の限界はもうすぐそこまで迫っている。体力は衰えて本来の実力も出せず、身体の中にたまりにたまった呪いを抑えつけるだけで精一杯のはずだ。それなのにこうやって戦い続けるなんて自殺行為だよ。僕がいくら止めろと言っても聞かないんだ。もはや今の瑠璃は自暴自棄におちいっている」


 細身の美しい少女に見える瑠璃の内側に膨大な量の呪いが詰まっている。そしてそれがひとたび外に解き放たれれば千佳の想像を絶するほどの災いが街の人々を襲う。思っていたよりも幽姫の瑠璃はずっと危険でまがまがしい少女だったらしい。そのことに千佳はぞっとしたが、強く心を支配するのは恐怖よりもむしろ絶望的な悲しみだった。


「街の亡霊達を狩って、戦いで苦しんで、最後にはたまった呪いではじけて死んで、それで瑠璃の人生って何の意味があるの? 何のための人生なのよ!?」


「何の意味もない人生さ。街の人々のために不浄霊達と戦い続けても誰からも感謝されない。陰で平和を保っている幽姫という存在を知ってもらえることすらない。幽姫は現世を穢す不浄霊達を滅ぼすためだけに世界が生み出した自浄装置……兵器……つまりは道具に過ぎないからね。瑠璃に創ってもらった僕と同じように道具なのさ」


 瑠璃がどうしてあんなにいら立っていたのか千佳には不思議だった。だがその理由がようやく分かった。いくら気の強い態度を見せていてもきっと瑠璃は心の中で泣いている。今にも泣き出しそうな気持ちを胸の奥へ押しこめている。誰にも理解されない寂しい生き方だからあんなにも強く千佳を突き放したのだ。

 一年前に瑠璃に出会ってから、彼女の名前は何なのだろうとか、今はどこで何をしているのだろうとずっと考えてきた。授業を受けている間、教室の窓から空を見ては自分を助けてくれた瑠璃のことを気にかけてきた。そうやって千佳がのんきに過ごしている間にも瑠璃は報われない戦いを独りで続けていたのだ。命を削り、負の気を浴び、耐えられなくなるほどに身体に呪いをため込んで。

 いつの間にか涙があふれていた。涙のせいで瑠璃の姿がぼやけてにじむ。瑠璃の背負ったものの重みにまったく気づけなかったことが悔しくて自分が許せない。

 もはや瑠璃には最初の頃に千佳に見せていた動きの切れがまったくない。たび重なるダメージで足はふらつき、呼吸は激しく乱れ、両手持ちの剣を振っても不浄霊の身体を断ち切る力さえ込められない。動きがにぶった隙をつかれて腹を蹴り上げられ、瑠璃は地面にうつぶせに倒れたまま立ち上がることもできなくなってしまった。せっかく雪辱戦をしに来たというのにまたしても結果は同じだったのだ。

 瑠璃が倒れたまま動けなくなったのを見て千佳はついに我慢の限界に達した。千佳はたまらず曲がり角から飛び出して彼女に駆け寄る。呪いをめいっぱいにため込んだ瑠璃や彼女の周りに集まっている不浄霊の恐ろしさも頭の中から消えていた。


「瑠璃! もうやめてよ! これ以上自分を傷つけるようなことはしちゃだめだよ!」


「あんた、来てたの? こんな場所まで追いかけてこないでよ。余計なお世話って何度も言ってるでしょ」


 千佳は瑠璃の横にしゃがんで肩に手を触れるが、瑠璃はうつぶせになったまま苦しげな声を出すだけだ。


「瑠璃といい、千佳といい、どっちも頑固だね。君達二人はよく似ているよ」


「……忍。なんで人間を幽世へ連れてきてるのよ。危ないでしょうが。ここは戦場なのよ。人間は邪魔だわ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ