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「やっぱり千佳達か。ハデな戦いの気配がするからもしかしたらと思ったんだよな」


 雑貨屋の屋根の上に立ったトラはすぐに飛び降り、猫のようなしなやかさで音もなく着地する。そして千佳と瑠璃の前までゆっくりと歩みよってきた。


「ちょうどよかった。これから千佳の部屋へ行こうとしてたとこだったんだ」


「どうして?」


「氷菓の奴に連れ回されてろくに自由がなかったからさ、あれからこの街をぶらぶらと見物してたんだ。でも、この街はあたしの肌に合わないんだな。あたしの街に帰ることにするよ。だから別れの挨拶をしようと思ってたところさ」


「なにもこんな雪の降る大晦日に行く事ないじゃない。私の部屋においでよ。みんなでいっしょに年越ししようよ」


 トラの異常な薄着姿は見ている千佳の方が寒くなってしまう。トラの頭に生えた猫の耳や腰の上でうねる二本のしっぽは可愛らしく、乙女心を掴んで離さない。千佳はトラの容姿が好きだった。


「あたしは気まぐれでね。今帰りたい気分なのさ。それに人間でない幽姫に年末年始も関係ないさ」


 ついさっき瑠璃も似たようなことを言っていた。大晦日や正月の三が日など人間社会用の暦だから幽姫には通用しないのかもと千佳も思う。


「これで永遠にお別れって事はないよ。また千佳の部屋にはそのうち遊びに行くつもり。千佳にはお願いがあることだし」


 トラはにやにやと笑いながら千佳へと近寄ると、何を思ったのか半身をすり寄せて顔を千佳の胸に押しつけてきた。ちょうど猫が人間に胴をこすりつけて甘える時のようだ。


「その時はあたしの身体にたまった呪いも何とかしておくれよ。はじけて死ぬのはさすがに嫌だからさ」


 千佳のほおをぺろりと舐めるトラに背筋に寒いものが駆け上がった。こうしてトラの吐息さえ顔にかかるほどに接近すると、彼女が猫の特徴をもった女性ではなく実は人の皮を被った猫科の猛獣であるのが肌で理解できる。

 瑠璃はトラのうなじを掴み上げ、雑貨屋の屋根の上へ軽々と放り投げる。トラは宙空で器用に身をひるがえし、猫が背中から落ちても四肢から着地するのとそっくりに屋根の上へ降り立った。


「何すんだよ、もう!」


「それはこっちの台詞よ! 覚えておきなさい。あんたみたいな変なのが千佳に危害を及ぼさないように守るのが私の役目なんだからね」


「現場は見てないけど、瑠璃の呪いが完全に消えて千佳から匂う呪いがもっと濃くなったってことは、また瑠璃の呪いを千佳へ移したんだろう? 瑠璃ばかり呪いを消してもらって不公平じゃん」


「トラのためた呪いも何とかするように考えておくからっ! 瑠璃もトラも喧嘩はダメだよ!」


「やった! 約束だぞ!? じゃあまたねっ!」


 トラは笑顔を浮かべると同時に屋根の上を跳んでいき、それっきり二人の前から消えてしまった。


「安心して。あんなの、私が追っぱらうから。一度は負けても、今の私ならトラなんか相手にならないんだからね」


 いら立った口調で力説する瑠璃に千佳はくすりと笑い、トラが消えた先の空を見つめる。


「トラもいっしょに命賭けで戦った仲間じゃない。トラとも友達でい続けたいよ。私は人間も幽姫も好きだから」


「まったく。千佳も物好きなんだから」


 あきれつつも瑠璃はどこか嬉しそうだった。千佳は左腕をぐるぐると回し、トラに迫られて強ばった身体を解きほぐす。


「さてと。次の狩り場へ行きますか」


「……今日はもうお終いにしましょう。幽姫の私にはよく分からないけれど、もうすぐ年が明けるのでしょう? こんな時ぐらいあなたも私もゆっくりしていいと思うの」


 顔を赤らめながらぼそぼそと話す瑠璃に千佳は驚きで口を半開きにした。責任感の強い彼女には少し不似合いな言葉だったが、どうやら無理をして千佳達人間の慣習に合わせてくれているらしい。千佳は喜び勇んでうなずき、瑠璃と二人で細い路地へ入り、人目を忍んで現世へと帰還する。

 幽世にいた時から分かっていたことだが、驚くべき人通りだった。今もなお雪は降り続け、路面にはうっすらと積もっているのにもかかわらずたくさんの人達で通りは活気に満ちている。除夜の鐘が鳴るまでにはまだ何時間もあるというのに、すでに祭のさなかといった空気が漂っている。クリスマスの夜の再現のようだった。

 なまぬるい気温の幽世と違って現世は寒い。頭や肩に降り続ける雪と肌に染み入る冷気に千佳は身震いする。回復力は人間をはるかに超えていても寒さへの耐性は以前と変わっていないのだ。

 瑠璃は雪の寒さなどこたえていないらしく、ごく平然と大晦日に浮き立つ街を眺めていた。氷菓との激闘でブラウスがずたずたのぼろぼろになってしまったので千佳のブラウスを進呈した。ほとんど新品に近いから服装で人目を集めることはないはずだった。千佳と瑠璃は並んで雪の中を歩いて行く。

 隣を歩く瑠璃の正体に往来の人々は誰も気づかない。真実を知る千佳からすれば少し愉快な気持ちだった。

 広場へ出ると、大きな傘を差した女性が大勢の注目を集めているのにすぐに二人は気がついた。女性から何かを受け取り、首をかしげながら千佳達の横を通り過ぎていく中年男性の手元を覗き見る。花を持っていた。赤いプリムラの花をもらったらしい。

 立ち止まって傘の女性を見てみれば、通り過ぎる人達に次々と籠の中の花を手渡している。その奇行と、ドレス姿の女性の美貌のせいでたくさんの人の視線を集めているのだ。花を配っている女性が幽姫の四季だと気づいた千佳達はあ然とし、おそるおそる歩みよる。


「し、四季さん……? こんな大晦日に何をしてるんですか? まさか、アルバイトか何かですか?」


「失礼ですわね。誰からも報酬など受け取りません。これはわたくしの慈善活動ですの」


「何でまたそんなことを?」


「欲望にまみれて薄汚れたこの人間の街をごらんなさい」


 この年末でもたくましく営業しているファーストフード店や、シャッターの閉まった消費者金融店舗を背に両手を広げる四季。千佳と瑠璃はよく意味が分からずに首をかしげるしかない。


「人間というものはあまりにも物質的な欲望、即物的な欲求に溺れすぎています。人の欲を満たすためにずらりと並んだ店の数々がその証拠。そこが愚かしくて見ていて面白いのですが、昨今は少々目に余りますわ。花を見て乾いた心を潤してほしい。豊かな感性を養ってもらいたい。あまり物欲にとらわれずに精神的な充足を目指してほしい。人間達に気持ちよく年を越してほしい。そう思ってわたくしが続けている、年の一度の奉仕活動なのですわ」


「……志は立派だと思うけれど、年に一回だけじゃあまりに回数が少ないし、それに遠回りすぎて意図が伝わりにくいと思うわ」


 瑠璃のつぶやきを無視するように四季は二人に背中を向け、そのまま広場のわきに設置してあるベンチに歩みよっていく。勝手気ままな四季も千佳は放っておけないので、仕方なく瑠璃を連れて彼女の後ろに付いて歩く。

 四季は大きな傘を一振りして強い風を起こし、その風圧でベンチに薄く積もった雪をきれいに吹き飛ばした。ベンチに腰を掛け、色とりどりの花々が入った籠を横に置くと、傘を差して雪除けにする。


「もう二時間も続けて、さすがにくたびれましたわ。ここで休憩をはさみます。千佳、何か温かい飲み物を買ってきて欲しいのですけれど」


 千佳を見つめて上品に笑う四季はポケットや懐に手を入れる様子がない。つまり四季はいっさいお金を出さず、千佳の出費で買ってこいということだ。千佳は財布を持ってきていて正解だったと考えながらすぐ近くの自動販売機まで走っていき、四季の分と千佳と瑠璃の分を買って戻って来る。

 ベンチの真ん中に堂々と座る四季を瑠璃といっしょに囲み、しばし無言で飲み物を口に運ぶ。四季はホットミルクティーの缶を両手で大事そうに持ち、ちびちびと飲んでいる。千佳と瑠璃はコーンポタージュを少しずつ飲んだ。この寒さの中では腹の中から温まる感触と口に広がる甘みがたまらない。

 三人の前を通り過ぎる人達の何人もがベンチの四季に目を奪われる。四季は往来で花を配っていなくとも、ただ自然体でいるだけで人目を引く。どこかの国の王女のような華やかさとカリスマ的なオーラが身体から放たれていて、人心を惹き付けるのだ。そんな希有な魅力をもつ四季と友人でいて良かったと千佳はいつも思うのだが、同時に四季と較べてあまりに凡庸な自分の容姿に落ちこんでしまう。人々の目は四季と、その隣に立つ容姿端麗な瑠璃にはばかり向けられていて、千佳はただのおまけ扱いだった。


「今年は千佳の成長が見て取れて面白い年でしたわね。まだまだ千佳からは目が離せませんわ」


「……今年は四季さんに色々お世話になりました。来年もよろしくお願いします」


 四季は背筋がぞっとするような化け物じみた暗黒面を備えているが、それでも千佳は四季のことが大切だった。新年の挨拶を先取りして頭を下げる千佳に四季は手の中の缶を傾けながら返事もせず、千佳を見もせずに満足げに笑う。

 とっくにポタージュを飲み干していた瑠璃はそわそわとした様子で四季を見ていた。何か言いたそうだが言い出せないらしい。千佳にはだいたい瑠璃の気持ちを察することができた。おそらく、瑠璃はろくに不浄霊を狩りもせずに花を配って遊んでいる四季に注意したいのだ。しかし、それが悔しいことにできない。氷菓との一件で四季に命を助けられたことは事実だし、借りがある。

 四季はそんな瑠璃を気にすることもなく、往来からの視線をスター女優か何かのように浴びながらのんびりとお茶の時間を愉しんでいる。小さな事は認識すらしない図抜けたスケールの大きさが四季が並みの幽姫とは別格の大物である証ともいえる。


「さて、もうひとがんばりですわ」


 四季は籠を腕に提げて立ち上がり、空き缶を当然のように千佳に手渡すと、ふたたび元いた道へと歩いて行く。その途中で立ち止まり、傘を傾けて後ろの千佳へと顔を向けた。


「そうそう。千佳達を狙っていた例の駄犬、まだわたくしの庭をうろついていますわよ」

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