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「ここなら丈夫な建物しかないわ。いくら幽姫の私達が暴れても平気でしょう」


 氷菓は無言で周囲に林立するビル群を見上げる。鉄筋コンクリートで組み上げられたビルならば木造の家とは比較にならないほどに耐久度が高い。


「もう逃げも隠れもしない。氷菓の望み通り、ここで最後の決着をつけましょう」


 すぐ隣に立つ千佳にも瑠璃のまとう闘志が痛いほどに伝わってくる。きっと氷菓も千佳と同じものを感じとっているはずだ。瑠璃の闘志は身を焦がすような熱気ではなく、真冬の吹雪をも凌駕する圧倒的な冷気。身を切るような凍気の刃が全身から無数に発せられているようだった。

 そんな瑠璃に氷菓も薄く笑う。瑠璃へと対抗意識ではなく、本心から嬉しそうに笑っているらしい。氷菓の気配も瑠璃に勝るとも劣らない。極寒の冷気が小さな身体から放たれている。

 二人の幽姫のそばに立つ千佳は直感した。この冷たさこそが幽姫の本質。今の瑠璃は不純物の呪いに汚染されていない純粋な幽姫だ。そしてたまった呪いがゼロなのは能力の性質上どれだけ不浄霊を狩っても呪いを浴びない氷菓も同じ。千佳が感じとってきた亡霊の湿った冷たさを限界まで純化して濃縮したような冷気が瑠璃と氷菓のまとう雰囲気だった。純粋な幽姫はまぎれもなく亡霊側の存在であり、恐怖の存在にほかならないのだ。


「おい、千佳」


「!?」


 クマァにいきなり名を呼ばれ、千佳の肩が震える。瑠璃と氷菓の視線が千佳に向けられる。


「これは幽姫同士の戦争だ。お前が人間か、人間じゃねぇのか知らねぇが、お呼びじゃねぇんだよ。氷菓の敵は瑠璃一人だ。巻き添えを食ったトラの奴みたいになりたくねぇだろ? 怪我しねぇうちにさっさとお家に帰りな」


 これはどういう意味があるのだろう? 優しさゆえの親切な忠告か? 千佳は一瞬そう考えたが、すぐにそれを否定する。氷菓も、そのしもべのクマァも、目的のためには手段を選ばない極悪な者達。これまでの出来事を振り返れば明白な事実だ。

 ついさっき盗み聞いた氷菓とクマァの会話が千佳の頭をよぎる。氷菓はともかく、彼女の参謀のクマァは千佳を警戒していた。ならばこれはクマァの作戦だ。千佳の動揺を誘い、不安要素の千佳を戦線から脱落させて主の氷菓が勝ちやすいようにもっていくつもりだ。


「これはもう瑠璃一人の戦いじゃない。瑠璃と私が生き残る戦いよ。あんたが何を言っても私は逃げない。瑠璃といっしょに最後まで戦う」


「……けっ。そうかい。勝手にしろ。死んで後悔するんじゃねぇぞ」


 それきりクマァは口を閉じる。その代わりに今度は氷菓が千佳の顔をじっと見つめて口を開いた。


「……千佳……? 前にどこかで会ったような……?」


 千佳を見たまま氷菓が不思議そうに首をひねる。たしかに千佳と氷菓は一度だけ会ったことがある。聞き込みをしていた氷菓と街中で偶然出会い、氷菓が持っていたアイスを台無しにしたお詫びにたいやきを買った時だ。そのことを氷菓はほとんど忘れているらしかった。

 氷菓は頭をぼりぼりとかき、やがて外見相応の可愛らしい笑みを浮かべる。


「思い出せないなあ。まあ、いいや。千佳もバカだね。瑠璃を捨てて逃げていれば良かったのに。氷菓から逃げて、どっかに消えて、せっかく拾った命なのにまた瑠璃といっしょに氷菓の前に出てくるなんて。べつに恨みもないし命も欲しくないけどさ、こうなったら千佳も、瑠璃と運命を共にするしかないよね」


 氷菓は笑いながら、瑠璃と千佳の二人にそれぞれ巨大な飴玉を撃ち出す。


 回転しながら高速で迫るピンクの飴玉。運動会の大玉転がしの球を思わせる飴玉を千佳ははっきりと目で捉え、横に跳んでかわす。

 瑠璃は両手に一瞬で生み出した身の丈ほどもある大剣で白い飴玉を両断し、その場から一歩も動かずにやりすごす。切断された飴玉が後ろのビルの壁面に突っこんで大破した。


「……瑠璃、やっぱり、あなた変わった?」


 硬く、重量もある大きな飴玉を難なく斬るという瑠璃の離れ業に氷菓が目を見開く。


「千佳が失った代わりに私が取り戻した力、氷菓の身体に刻み込んであげる」


 瑠璃が両手の剣を矢のように氷菓めがけて投げつける。氷菓はそれが自身に突き刺さる寸前でクッキーに変えて粉砕するが、その間に瑠璃は氷菓の頭上へ跳んでいた。

 ビルの壁を蹴ってジグザグに跳び、氷菓へ迫る。そして氷菓の斜め上から大量の短剣を雨のように降り注ぐ。


「……!!」


 氷菓は目の前にぶ厚い板チョコを出してそれを盾代わりにし、剣の嵐から身を守る。瑠璃が射出した剣はほとんどがチョコレートの壁に突き刺さり、残りは路面へ突き立った。

 難を逃れた氷菓は板チョコの横へ踊り出すと、攻撃を終えて落下途中の瑠璃めがけてこんぺいとうの弾丸を撃ち出す。

 ただ落ちることしかできない瑠璃に血のように赤いこんぺいとうが突風じみた勢いで迫る。だが瑠璃は横の宙空から五本の剣を出してこんぺいとうにぶつけ、瑠璃めがけてまっすぐに飛んでいたこんぺいとうの軌道を変えた。瑠璃はそのまま着地し、外れたこんぺいとうはビルの窓を突き破ってフロアの中を破壊しながら転がっていく。

 能力を制限していた呪いから完全に自由になった瑠璃は一度に出すことができる剣の量が劇的に増えた。それのみならず剣の大きさや強度、剣を飛ばす速度も比べものにならないほどに上がっている。身のこなしも以前より数段軽くなり、ビルの間を自在に跳ぶ姿は背中に羽を持っているかのように千佳には映った。もともとの優れた剣の技巧に体力と物量が上乗せされ、剣の瑠璃という二つ名に恥じない強豪幽姫の実力を体現していた。

 路面に積もった雪の上に瑠璃が危なげなく着地し、そのそばに千佳が走り寄る。

 ぴったりと寄り添った千佳に氷菓は首をかしげた。幽姫同士の戦いで、今さら千佳が出てきて何になるとでも言いたげな顔だ。


「大丈夫? やれそう?」


「……平気」


 遠くの氷菓に油断無く目を向けたまま小声で問いかける瑠璃に、千佳もまた静かな声で返事する。いくら冷静を装っていても心臓は高鳴り、呼吸は浅く速い。

 瑠璃と氷菓……怪物二人の間に割り込む隙などあるのか。はたして自分の出る幕などあるのか。そんな弱気が胸の中でふくらみかけたが、千佳はすぐに考えることをやめた。守ってもらうために瑠璃の横に立っているわけではない。瑠璃と共に戦うために氷菓と向き合う選択をしたのだ。出る幕は千佳自身の手で作り出さなければならない。

 まず千佳が駆け、そのすぐ後ろに瑠璃が続く。目指す先は氷菓。千佳のスピードは人の領域を大きく超え、氷菓との数十メートルの距離を一瞬で詰める。

 足運びは悪くない。思った以上に脚は素速く力強く動き、まるで突風にでもなったようだと千佳は全力疾走中に考える。氷菓の驚き顔と、千佳に向かってクマァの口を向ける動作がスローモーションで映る。みるみる氷菓の顔が近づく感覚は身体の内側が凍っていくようにぞっとした。

 千佳を迎撃するために撃ち出された緑色の飴玉。高速で飛来する巨大な飴玉に千佳は開いた右手を突き出し、手で受けると同時に煙のようにかき消した。

 千佳が瑠璃を引き連れるという不可思議なやり方に氷菓はもともと驚いていたが、千佳の魔法のような防御をまのあたりにして今度こそ息を呑んだ。千佳の背後から飛び出して長剣を振るう瑠璃に、氷菓は斬られる寸前で剣をクッキーへと変えた。

 氷菓にぶつかると同時にクッキーの剣は粉砕し、氷菓はその隙に後ろのビルの三階まで跳躍する。そして宙空から路面の瑠璃へと茶色の飴玉の砲撃を見舞うが、千佳が瑠璃の前へと回り込んで手でかき消してしまう。

 雪の上に降り立った氷菓は標的の瑠璃よりも、その横に立つ千佳へと目を向けていた。


「いったいどうなってやがる?」


「……あいつは何者? 人間? それとも幽姫?」


 死と隣り合わせの攻防に息を乱しながらも、瑠璃の護衛を務めているたしかな実感に千佳の気持ちが引き締まる。

 瑠璃がトラと組んで戦った時には終始余裕を漂わせていた氷菓が今度はあわてて逃げた。それはまぎれもなく千佳の功績であり、千佳でも戦力になりうるという証明だった。

 千佳を見つめる氷菓の目に敵意がにじんでいく。クマァを抱きかかえる手の指に力がこもるのが千佳にははっきりと見えた。ただの瑠璃のおまけから、害を及ぼす敵へと氷菓の中で格上げされたらしい。幽姫の攻撃を無効化し、人間か幽姫かも分からない正体不明の千佳を警戒している。

 瑠璃と千佳に二つずつ、とげがたくさんついた紫色のこんぺいとうが撃ち出される。瑠璃はビルの壁へ跳んでこんぺいとうをやり過ごし、それに一瞬遅れて千佳もついていく。

 壁を足場にビルの間を次々と跳ぶ千佳達に氷菓が追いすがる。だが氷菓の動きはにぶく、二人に追いつけない。脚力が足らずにビルの間を跳ぶのがやっとで千佳達のような機敏さにはほど遠く、しかも両腕がクマァでふさがっているせいで自由なバランスが取れず、壁を蹴って次の足場へジャンプするだけでも各々の動作がもたついていた。

 千佳達と氷菓の距離は開く一方だったが、逃げていた千佳達はある時に突然方向転換をして氷菓に迫る。

 氷菓が目を見開き全身が硬直するのが千佳にはよく見えた。動揺するのも当然だろう。ずっと逃げていた相手がいきなり自身に向かって走ってきたようなものだ。長く続いていた調子が急に変わり、それまで定めていた照準が狂えば人間であろうと幽姫であろうとぎょっとする。

 宙ですれ違いざまに瑠璃はいくつもの短剣を飛ばし、さらに両手に出した長剣を氷菓に目がけて投げつける。氷菓はこれを着弾直前ですべてクッキーに変えてかろうじて防ぎ、遠ざかる二人の背中に飴玉を撃ち出すがとうてい間に合わない。二人が次のビルの壁に達したところで、飴玉はようやく千佳達が元居た場所の先の壁面にぶつかって砕け散る。

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