表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/50

33頁

 プレッシャーで千佳の肩に見えない重りがくくりつけられたかのようだ。四季の微笑みが胸に突き刺さり息苦しい。


「たしかに千佳の案は良いな」


 千佳の右肩に具現化した忍に二人の視線が集中する。後押しするような忍の言葉に、千佳は胸の中に重くて固い物が詰まったような苦しみを覚える。


「氷菓との戦いで瑠璃は重傷を負ったけれど、残っている呪いが全て消え去れば気のめぐりを阻害する原因が無くなる。つまり傷もあっという間に完治する。手枷足枷だった呪いの制限が無くなるから全力を出せるし、剣を生み出す能力も最大限に使えるようになる。瑠璃の剣の能力は氷菓には通用しないけれど、それでも身体の地力は瑠璃の方がずっと上だ。きっと善戦できるだろう。それに、千佳の存在が大きい」


 瑠璃と忍に目を向けられて千佳はびくりと震えた。


「氷菓側は標的の瑠璃にばかり気を取られていて千佳はマークしていないはずだ。氷菓からの逃走劇で千佳の人間離れした力を怪しんでいても幽姫の瑠璃ほどは重要視していないと思う。そこが狙い目だ。向こうの油断を誘うことができる」


「……私、役に立てる……?」


「大いに役立てる。というよりも千佳が作戦の要になる。千佳には幽姫の力を無効化する体質が備わっている。それに加えてさらに上がった身体能力を駆使すれば幽姫の瑠璃のサポートも務まるだろう。氷菓の能力の全貌は分かっている。きちんと作戦を練れば氷菓に勝てるかもしれないよ」


 千佳のアイデアをきっかけにどんどん話が進んでいく。話の中心の千佳の心はまだ決まっていない。そのせいで期待の重圧に耐えきれず胃がきりきりと痛んだ。


「さっきからべらべらべらべら調子に乗って! いいかげんにしなさいよ、忍!!」


 千佳の右肩に立つ忍に顔を寄せ、瑠璃が火のような怒りを向ける。あまりの声の大きさにびりびりと声の威力が千佳に伝わってきた。


「あんたまで千佳をそそのかすようなことを言って! それでもあんたは主のための道具なの!? 千佳の身体が変わったことも黙っていたし、どこまで創り手の私に反逆するつもり!? これ以上余計なことをしたら! 今! この場で! あんたを修復不能になるまでぶち壊すわよ!!」


「やってごらんよ。僕自身は動けないけれど、代わりに千佳が本体を守ってくれるよ。今のボロボロの君より、多分千佳の方が強いと思うけど」


 ぜいぜいと息を切らし、怒声を上げた反動の痛みにわき腹を押さえる瑠璃と忍のにらみ合いが続く。


「せっかく拾った命をわざわざ氷菓にくれてやるくらいなら、いっそこの場で千佳に殴り倒された方がマシだろう。君は今までの千佳の行いを無駄にしたいのか?」


「――!」


 瑠璃ははっとし、忍に寄せていた顔を離す。瑠璃の全身を覆っていた熱い気配が鎮まり、消えていく。


「僕はただの道具であり千佳の持ち物の一つに過ぎない。僕自身の願望に沿うように主を誘導することはしない。ただ主のために最善を尽くすだけだ。そういう風に僕を創ったのは瑠璃自身だろう?」


「くっ……!」


 反論できない瑠璃は歯を食いしばって下を向き、じっと屈辱に耐える。忍は千佳に顔を向け直し、知性と誠実さに満ちた目で見つめる。


「聞いての通り、僕は主の千佳のために全力で補助をする。千佳の案はたしかにこの閉塞状況を打開しうるけど、同時にとても危険な賭けだ。結果として何が起こるのかは僕にも分からない。しかも瑠璃といっしょに戦線に立つとなれば命の保証はない。どうするのかは千佳が決めるんだ」


 この場の全員の視線が千佳一人に集まった。剣の瑠璃という二つ名をもつ有名な瑠璃とその元しもべの忍、そして力の底すら見えない大物幽姫の四季。そんな人外の怪物達に囲まれて、中途半端に幽姫の力が混じった人間の千佳は場違いもいいところだった。


「一人で考える時間を……下さい」


 ここで即断できたらどんなにかっこいいだろう。だが現実はいつも厳しく理想は遠い。自身の情けなさに千佳はうつむき、誰の顔も見ることができなかった。

 決断を保留せざるを得ないほどに目の前に立ちはだかる問題は難しく、しかも考えるだけでも恐ろしいリスクに満ちている。千佳はそのことで圧迫感を覚え、めまいに足元がふらついた。


「……少し、外の空気を吸ってきます。四季さん、ここから出してもらえますか」


「いいでしょう。幽世の出口と同じ場所に来れば千佳だけは出入り自由にしておきますわ」


 四季のしもべ達のうちの二体が壁へ飛び、そこへ手を触れる。すると壁に人一人が通れるほどの大きさの穴が空く。穴の先は暗く、向こう側がどうなっているのかは千佳には分からなかった。


「千佳! 私は、千佳をそんな危ない目に遭わせるつもりは……!」


「ここで待ってて、瑠璃。必ず戻って来るから」


 穴に向かって歩く千佳の背中から声が届く。千佳は後ろを振り返らず、穴の前で立ち止まった。


「必ず戻って、私の結論を伝えるよ。私が居ない間に瑠璃一人が氷菓に殺されて問題解決、なんてやり方は止めてよね。そんなやり方で瑠璃が死んでも嬉しくも何ともないし、一生瑠璃を許さないから」


 背中越しに瑠璃が息を呑む気配が伝わってきた。どうやら千佳が念を押したことを実行しようと少なからず企んでいたらしい。


「分かったわ。そんな裏切るようなまねはしない。私も千佳を信じて、ここで待っているから」


 ため息まじりの瑠璃の声にうなずき、千佳は穴の中へと踏みこんだ。

 四季の庭園と外の世界がどのような仕組みで釣り合っているのかは千佳にはまったく分からない。穴の中に入ってただ数歩進んだだけで、気がつけば幽世の街の中に立っていた。後ろを見ても暗い穴などどこにも見当たらないし、四季の庭園の存在もいっさい感じ取れない。どこにでもある道路が続いているのみだ。

 周りを見回し、目を閉じ耳を澄まして周囲の気配を探ってみても、氷菓のそれは感じ取れない。瑠璃やトラのような幽姫には遠く及ばないが、それでも千佳の五感は並みではない。ここに氷菓がいないのは確かだ。

 氷菓は千佳の部屋で張っている。透明な糸を張り巡らせた蜘蛛が獲物がかかるのをじっと待つように。そのことは四季の庭園の中で確認済みだ。氷菓がここにいるはずはないので安心だが、夜になれば両親が家に帰ってくる。もたもたしていたら恐ろしいことになる。時間に余裕はなかった。

 幽世の道路をとぼとぼと歩いていると、肩の上に忍がひょっこり現れた。


「今の気分はどうだい?」


「いきなり何? レポーター気取り? あんまり話したくない気分なんだけど」


「気持ちを言葉にしたり、何か具体的な行動をした方がはっきりと本心が浮かび上がるかと思ってね。千佳が結論にたどり着きやすいように手伝いたいんだよ」


「……そっか。ごめん、忍。私、かなりせっぱつまってるみたい」


 千佳は道路の中央に立ち止まり、深呼吸を繰り返して固くなっていた心と身体を解きほぐす。そうして胸に右手を当てて目を閉じ、自身の内側に広がる闇に意識を向ける。


「……気が重い。どうなるのか恐い。四季さんと忍の期待に応えられるかどうか不安。でも瑠璃の力にはなりたい。氷菓を退治したい。これは本当」


「僕は千佳に期待していない。できる限りの助言をして、ただ千佳の決定に従うだけだよ。そこを勘違いしないでほしい。四季はただこれからの千佳のなりゆきを面白がっているだけだ。観客の一人と考えた方が良い。彼女の期待に応える義務はない。瑠璃は千佳が呪いを取り込むことを望んでいないけど、千佳が嫌々実行して後悔することはもっと望んでいない。それは瑠璃を最も傷つけることになる」


「うん。瑠璃の苦しむ姿はもう見たくないよ。……でも瑠璃を全快させれば瑠璃は責任感で悲しむし、させなくても瑠璃は氷菓と戦いに行くでしょ。どっちをとっても不幸は避けられないよ」


「そうだね。二つの選択肢の片方が常に正解で、もう片方が常に不正解。現実はそんなに分かりやすく単純にできていないのかもしれない。どちらをとっても間違いという状況も起こりうる。今の状況もそうだ。立ち向かうにも逃げるにも、どちらの選択の結果にも負の要素がつきまとう。選択の結果起こりうる良い事と悪い事、それらを較べてよく考えた上で千佳自身が決めることだ。自分以外の誰かのためじゃなく、千佳自身のために。なにしろ選択後に起こった事はすべて千佳に降り掛かる。僕にも瑠璃にも四季にも責任は取れない」


 責任。まだ中学生の千佳には重すぎる言葉だった。千佳は全身に数十キロの重りをつけられたような気分で幽世の街を歩き続ける。

 忍のおかげで不浄霊達の注意は千佳には向かない。千佳は行き先で出遭う不浄霊達のわきを素通りしながら、彼らについて想いをはせる。

 初めて遭った時はあれほど恐く、どうしようもないと思っていた巨大な不浄霊が今では少しも恐くない。それは多分、今の千佳なら簡単に不浄霊を倒せるようになったからだろう。一度攻略し、征服してしまえば、それまで畏怖していたものも畏怖の対象ではなくなってしまう。成長することは自己の視点が変化すること。瑠璃の呪いをさらに吸えばきっと千佳は今以上に変わる。また視点が変化し、心の在りようも変わり、今のこの迷いや不安も忘れてしまうのだろう。

 幽姫達との付き合いをもち、現世を汚す怪物の不浄霊を恐れず、この幽世も静かで落ち着く世界程度にしか思えないこと。四季に指摘された通り、千佳の現状は一般人の日常からはかけ離れているのだろう。瑠璃の呪いを取り込むことは人間としての高みに昇るということでなく、これまで片足を突っこんでいた幽世の世界の一員になってしまうことなのだ。かろうじて踏みとどまっていた最後の一線を越えるということだ。

 そのことを思い、千佳の頭から足のつま先まで電流のように悪寒が走る。最後の境界線を踏み越えればもう後戻りはできない。これまで外側からうかがって慎重に避け続けてきた黒い霧に包まれた世界がもう目の前まで迫っている。霧の中の世界がどうなっているのかは分からない。実際に中に入ってみなければ分からない。まるで死後の世界のようだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ