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「あはははは。恥ずかしいなんて、私達そんなことを気にする間柄でもないでしょ? 私は千佳ちゃんのことを何でも知りたいと思ってるよ。ねえ、千佳ちゃん。今日お部屋に遊びにいってもいい? 面白い漫画を買ったから二人で読もう?」
「えっ……? ……ごめん、部屋が散らかりまくっててさ。桃香に見られると恥ずかしいからまた今度にしよ?」
「恥ずかしがらなくていいんだよ。いつもみたいに私がお掃除してあげる」
「いつも桃香に頼ってばかりで悪いからさ。たまには自分で掃除するよ」
部屋の中にいる瑠璃を見せないための作り話をしながら「気にしなくていいからお掃除させて」と甘える桃香を何とか諦めさせるのに千佳は神経をすり減らした。
休み時間を終えてその日の残りの授業を受け、千佳は下校の途中にスーパーマーケットに寄った。そこでケーキとペットボトル入りのジュースを買って店を出た。
レジ袋を右手に提げて道を歩いてると忍の小声が耳に届く。
「部屋に持ち帰って食べるつもりかい?」
「違うよ。これは瑠璃の食事。昨日からずっと眠ってるから目を覚ましたらお腹を減らしてるでしょ?」
「そんなものを瑠璃が食べるとは思えないな」
「……なにそれ? 家の冷蔵庫の中身に勝手に手を着けたら親に瑠璃のことがバレるかもと思って私が自腹を切って買ったのに。瑠璃ってそんなにわがままな子なわけ?」
「わがままというよりも非常に気位が高いという方が正しい。それに瑠璃は食べても食べなくても平気な体だからね」
「?」
よく分からない忍の言葉に千佳が首をひねっていると、道の向かい側からある一人の女性が歩いてきた。遠目に見てもはっきりと分かる、一般人とのオーラの違い。彼女は身にまとう気品と華やかさゆえにすれ違う人々の注目を一身に集めていた。
「あれは……」
忍が女性の存在に反応して何かを言いかけたが、その前に千佳は女性に向かって走り出した。
「こんにちは、四季さん!」
「まあ。どなたかと思えば千佳ですわ」
駆け寄ってきた千佳に、四季という名の女性はにっこりと微笑んだ。細身の身体をすっぽりと覆う巨大な日傘を差し、レースとフリルがふんだんにあしらわれた美しいドレスをまとっている。カジュアルな普段着を着ている人達の中に混ざっていると四季の姫君のような服装はいっそう引き立つ。あまりに引き立ちすぎて少し場違いなほどだ。
「今日はお散歩ですか?」
「ええ。俗世を見て回るのも良い退屈しのぎになりますの」
四季は上品に笑い、そのピンク色の瞳を千佳の胸元へ向ける。不思議な目だと千佳は常々思っていた。黄色の長髪をいくつもの縦ロールにしていて、外国人のような目や髪なのに何不自由なく日本語を話す。
三年ほど前に千佳は街中で四季と出会い、彼女に話しかけられたことで友人となった。見た目は今の千佳よりも少し年上くらいだが、ここ三年間で四季の容姿はまったく変わっていない。年齢も住んでいる場所もどんな身分なのかも四季は少しも話そうとせず、謎の多い人物だった。神出鬼没で千佳の行く先々で四季と出会う。
なにしろ四季はあまりに高貴で美しい。そして常に彼女から香る花の匂いが千佳は好きだった。だから友達でいられるだけでも幸運だと思い、四季の謎には触れないようにしてきたのだ。
「千佳。おかしなものを持っているようですね」
「えっ!? これはその、あの……」
四季の目が自身の胸に向けられているのに気づき、千佳はあわてて制服の上から忍のペンダントを両手で覆い隠す。ペンダントの先の剣は服の内側にしまっているというのに、どういうわけか四季にはそれに気づいているようだった。
「この街で何が起ころうとわたくしはあまり関わるつもりはありません。興味がわきませんもの」
千佳の胸元から顔へ視線を戻した四季は薄く笑う。浮世離れした四季とこうして話していると千佳はよく現実感を失ってしまう。おとぎ話の中に出てくるお姫様と向かい合っているような気になるからだ。
「興味はわきませんが、千佳は危ない火遊びからは手を引いた方がいいと思いますわ。深入りして千佳が死んでしまってはわたくしの楽しみが一つ減ってしまいますもの」
笑う四季に、千佳の背筋に冷たい感覚が走る。四季が何を言っているのかはよく分からない。だが今は話の内容よりも四季のまとう雰囲気の方が千佳には気がかりだった。基本的に穏やかで優しい四季だが、彼女はたまにぞっとする異様な空気をかもし出す。心の中がまったく読めないような底知れない気配は人間のものというよりも千佳が嫌っている亡霊のそれに近いようだ。
「ごきげんよう、千佳」
千佳が話の意味を聞く前に、四季は横を通り過ぎて道の先へ歩いて行ってしまった。四季の気まぐれはいつものことなので追いかけてもしょうがない。おそらく彼女はもう何も話すつもりがないだろう。千佳にできるのはその場に突っ立ったまま四季の後ろ姿を見送ることくらいだ。あいかわらず通行人の注目を集めていたが四季本人はそれを気にしている様子はない。
「……とんでもない大物と知り合いなんだね、君は」
「大物? 大物って四季さんのこと? 忍」
「ああ。彼女は瑠璃と同類だ。力は四季という名の彼女の方がずっと強いようだけど」
「同類? 瑠璃と同類ってどういうことよ?」
「おっといけない。つい口がすべってしまった」
いくら忍に聞いても彼女は黙ったままで何も答えようとしない。意味深な忠告をする四季といい忍といい分からないことだらけだ。千佳は胸にすっきりしないものを抱えたまま自宅を目指す。
ほどなくして家にたどりついた千佳は自室に戻り、ベッドの上で安らかに眠っている瑠璃を見てほっとする。買ってきたケーキとジュースを勉強机の上へ置き、しばらくベッドのそばで瑠璃を見続けた後、制服から私服へ着替えようとブレザーに手をかける。
「千佳。瑠璃が目を覚ますようだ」
「っ!?」
いきなりの忍の言葉に、千佳はベッドからはじかれるように離れた。そして息を止めたままベッドの瑠璃を見つめ続ける。
瑠璃は小さなうめき声とともにぱちりと目を開けた。そして勢いよく上半身を起こし部屋の中を見回す。すぐに部屋の壁際に立っている千佳を見つけ、不機嫌そうな目でにらみつけた。
「ここはどこ? あんた、誰?」
初めて聞く瑠璃の声。高く澄んでいて耳に心地良い声だが明らかに声色にとげがある。どうも現在の状況に怒っているらしい。
「わ、私は千秋千佳。中学二年生。あなたが道で倒れていたから私の部屋に連れてきたんだよ」
「……そんなこと、誰が頼んだのよ! 信じられない! 私が、この私が、人間の世話になるだなんて! 恥もいいところだわっ!」
「瑠璃。僕が千佳に頼んだんだよ。もしもあのままだったら君は今ごろ不浄霊どもに食い荒らされてのたれ死んでいただろうさ。君は千佳に感謝するべきだ」
千佳の右肩の上に現れた忍にも瑠璃は刺すように鋭い視線を向ける。しもべの忍の言葉も聞き入れられないほどに瑠璃は激怒している。
「……私は一年前、あの道で瑠璃に命を救ってもらった。だからお礼がしたかったんだよ。お礼がしたくて、瑠璃にお礼の言葉が言いたくて、一年間あの道に通い続けたんだよ」
千佳が一年前からずっと育んできた言葉にも瑠璃は腕を組んで目を閉じ、ぷいっと千佳から顔をそむける。
「あんた、バカじゃないの? 私達が街の不浄霊を狩って人間を助けるのは当たり前なの。わざわざ感謝なんかする必要はないし、助けた人間にこんなことをして欲しいとは思わない。あの道に居たのだってあんたに会うためじゃない。あそこは特別不浄霊が湧きやすいからたまたま狩りをしていただけ。ちょっと疲れて眠っちゃっただけなんだから余計なことをしないでよ! 余計なお世話ってまさにこのことだわ」
瑠璃に一方的に怒鳴られて千佳はしょんぼりとうつむいてしまう。瑠璃の言葉がナイフのように心に突き刺さっていた。千佳が思ってきたことと瑠璃を部屋で休ませたことはすべて無駄だったらしい。胸がひどく痛み、気を抜けば泣いてしまいそうになる。
千佳は机の上に並べた三つのケーキの小箱のうちの一つを取り、それをおずおずと瑠璃に向かって差し出す。
「これ……ケーキ……。昨日からずっと眠っててお腹が空いてるでしょ?」
「余計なお世話だって言ってるでしょ!」
瑠璃は箱を叩き飛ばし、おびえる千佳をにらみ上げる。箱は壁にぶつかって、潰れたモンブランケーキが床に転がった。
「ひどい……! せっかく買ってきたのに! こんなのあんまりだよ!」
「ああもう、うるさいわ。あんた、ちょっと黙ってなさい」
ベッドから降り、ふらふらした足取りで床に立った瑠璃が千佳にぐいっと顔を寄せた。
千佳は驚いて顔を引くが、その直後に瑠璃から千佳に向かって風のような何かが強く吹き付けた。だがそれだけだった。千佳の身体には何も異変はない。きょとんとした顔の千佳に今度は瑠璃の方が驚いて目をみはる番だった。
「な、何で何ともないのよ!? 私の気合いは人間一人くらい一発で気絶させる威力のはずでしょ!? 私の力はそこまで弱くなっちゃったの!?」
千佳の顔と自分の身体におろおろと視線を往復させる瑠璃。すると千佳の肩の上の忍が千佳を見つめながら口を開く。
「……いや。瑠璃の力が弱いわけじゃない。どうも千佳には君達の力が効かないらしい。体質的に無効化してしまうようだ。いや、これは無効化というよりも力を吸収している」