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 氷菓と組んでいるという猫に似た幽姫は見当たらない。今は氷菓と別行動中らしい。千佳は安心し、一瞬後には気を緩めている場合じゃないと唇を噛む。氷菓一人相手でも人間の千佳では到底かなわないだろう。

 忍に助けを求めようと声を出しかかった時、千佳は気がついた。小声であれ忍と会話をすれば隣の氷菓に怪しまれる。氷菓にはすでに一度、何をしているか聞かれている。また会話をしようとすれば氷菓の千佳への疑いはより深まってしまう。

 いくら忍に呼びかけてもまったく反応が無かったのはペンダントが壊れていたり忍が不機嫌だからではない。氷菓のすぐ横でへたに忍が動けば、必ず氷菓は異変に気づく。ペンダントから発せられる幽姫の力を感じとり、瑠璃につながる手がかりとしてすぐに千佳を捕まえるだろう。だから忍は動くことができず、どこにでもあるただのペンダントのふりを続けなければならなかったのだろう。正体に気づかれる危険をおかして千佳の呼びかけに反応するよりは、このまま黙っていた方がずっといい。このまま何事もなく氷菓と別れることができれば、千佳は一般人の一人とみなされる。瑠璃を探している氷菓に特別視されることはない。


「はいっ。これ、食べて。あったかいお菓子のお礼」


「は、はい……」


 氷菓から受け取ったワッフルを見つめ、千佳は脂汗をにじませる。まさか毒ではないだろう。千佳が瑠璃とつながりのある人間だということは氷菓にはばれていない。

 もらったワッフルを捨てたり、食べることを拒否すれば氷菓は怒るかもしれない。千佳は嫌々ながら得体の知れないワッフルを口に運ぶ。


「……っ!!」


 これまでに食べたどの菓子よりも美味。口から脳へ、全身へと広がっていく強烈な幸福感でめまいがするほどだ。市販の洋菓子とは別格の味わいに酔いしれ、千佳は時間の感覚をしばし失った。

 氷菓にもらったワッフルを食べ終え、天国に居るかのような極上の気分だった。しかし、快感の夢から覚めると隣には氷菓が立ったまま。天国からいっきに地獄へ落ちたようだ。


「ねえ、瑠璃って女、知らないかな?」


「…………ル、ルリ……?」


「街の人に聞き込み中なんだ。でもなかなか見つからないの。お姉ちゃん、瑠璃の居場所を知らない?」


 瑠璃の髪型や服装を説明する氷菓に千佳はうつむくことしかできない。笑顔で目をのぞきこんでくる氷菓に、千佳は「知らないよ」と小声で返す。


「そっかあ。いったいどこにいるんだろう、瑠璃……」


 背後のガードレールに寄りかかって「あーあ」と残念そうに空を仰ぐ氷菓に、千佳の良心がずきりと痛む。いくら敵とはいえだますのは気が引ける。

 氷菓について分からないことの一つが彼女の真の動機だった。街を膨大な呪いから守るために瑠璃を始末しようとしているのか、それとも何か個人的な目的があるのか。そのどちらかをはっきりさせるだけでも謎の氷菓への対策が立てやすくなる。千佳は覚悟を決めて氷菓の顔を見つめた。


「その瑠璃って女の人を探し出して、どうするの……?」


「いっしょに遊ぶの。きっと楽しいよ」


 左手でぬいぐるみの腕をつかみ、楽しげにぶんぶんと振り回す氷菓。千佳は冷や汗を浮かべつつ愛想笑いを返し、ふたたび下を向く。

 瑠璃を見つけて殺すという目的は隠しているようだ。表向きの理由はいっしょに遊ぶことだが、実際は瑠璃を始末することを目的に氷菓は動いている。氷菓の微笑ましい言葉の裏側を読むと千佳はぞっとし、身震いした。

 遊ぶという目的が嘘であることは千佳には分かっている。隠している本当の目的をぜひ知りたいが、氷菓の言葉が嘘だと分かっているのも怪しまれる。へたに探りを入れると千佳が瑠璃とつながりをもつことが伝わりかねない。


「……どうしても瑠璃と会いたいの?」


「うん。でも全然見つからないの。この街、ちょっと広すぎる。だから街の人への聞き込みはそろそろやめて、次の手を試してみようかなって」


「つ、次の手って?」


 ぬいぐるみの腹を両腕で抱きかかえ、にかっと歯を出して笑う氷菓。小さな子どもの姿と、その内側の凶悪な意思のギャップに千佳は寒気を覚える。


「街の人達を使う。お願いして、瑠璃を探してもらうの。みんなで探せばきっと短い時間で見つかるってクマァが言ってる」


「……でも、街の人達にもそれぞれ都合があるから探してくれるかなあ。お願いしても瑠璃を探してくれるとは思えないなあ」


 クマァというのが誰なのか千佳には引っかかったがあまり大きな問題ではない。本当に問題なのは氷菓が街の人間達を巻きこもうとしていることだ。さりげなく止めさせようとする千佳に、氷菓は「だいじょうぶ。そうさせるつもりだから」と笑う。

 千佳はたまらずに氷菓から目をそむけ下を向く。隣の氷菓にさとられないように身体の震えを抑えるのでせいいっぱいだった。

 人間よりもはるかに強い幽姫なら力ずくで街の人々を従わせることも可能。この氷菓ならきっとそうするという確信が千佳にはあった。千佳の前で平然とぬいぐるみを出して見せたり、瑠璃をおびきよせるために街中へ大量の不浄霊を解き放ったり、あまり賢い幽姫とはいえない。氷菓ならば後先考えずに暴走する可能性が高い。


「やっと見つけた! 一人でふらふら歩くなって何度も言ってるだろ!」


 道の向こう側から走ってきた少女が氷菓の前で止まった。きつい目でにらみつける少女にも氷菓はそっぽをむくだけで反省しているそぶりなどない。

 少女はいら立って腕を組み、氷菓へ疑いの眼差しを向けている。どうも信用できないという表情だった。

 少女は千佳よりも少しだけ背が高く、この寒空の下で大きすぎるシャツとスパッツのみという異様な薄着姿だった。瑠璃から聞いた、氷菓と組んでいる猫のような幽姫の特徴と一致している。氷菓と別行動をとっていたわけではなく、ただはぐれていただけらしい。

 氷菓にはまだまだ聞きたいことがあるが、敵がもう一人現れた以上はすぐにこの場を離れる必要がある。この二人組を前にいつまでもとどまっているのは危険すぎる。


「何、こいつ? 瑠璃のことを知ってる人間?」


「ううん。知らないって。お菓子、買ってもらったんだ」


 無邪気に笑う氷菓に、薄着の少女はやってられないと言わんばかりにため息をもらす。

 少女と目があった千佳は一瞬呼吸が止まった。どう見ても人間だが、少女の正体は人でない幽姫。瑠璃の話では頭に大きな耳と二本のしっぽが生えているらしいが、それらしいものは見当たらない。人前では耳やしっぽを隠しているようだ。

 少女は千佳の顔を見つめたまま鼻を動かす。彼女が何をしているのか千佳には分からなかったが、こちらの情報が漏れる前に早く逃げることだ。千佳は「じゃあねっ」と氷菓に笑いかけて二人の前から走り去った。



 トラは走っていく千佳の背中を見ていたが、氷菓の方はすでに興味を失っているらしい。


「じゃあ、今度は向こうのビルの方にいる人達に聞いてみようよ」


「……あのさ。別々に探してみない? このまま二人でいっしょに聞き込んでも二人で一人分の結果しか得られないから効率が悪い。二人ばらばらに探した方が良い」


「そうだね。氷菓はそれでいいよ」


 集合時間と場所を決めて、トラと氷菓はそれぞれ反対方向へと歩き出した。氷菓が何も疑わずに歩いて行くのを確認しつつ、トラは千佳が走っていった方向へと歩み出す。



「氷菓と猫型幽姫の二人に出遭ってしまって、一時はどうなるかと思ったよ」


「もっとたくさん聞き出せたら良かったな。あれじゃほとんど何も分からないのと同じだもん」


 帰り道を急ぐ千佳の耳に忍の声がとどく。千佳が推理したとおり、忍は氷菓に瑠璃の手がかりを与えないためにあえて声を出さなかったのだ。


「いや、へたに質問を続けてボロを出すよりも早く撤退したほうが賢明だった。触らぬ神にたたりなしというやつさ」


 つい先ほどまでは身体の変化に落ちこんでいたが、もうそれどころではなくなってしまった。氷菓は瑠璃を見つけ出すために街の人達を犠牲にするかもしれない。そしてそうなったら瑠璃が見つかる危険が高くなる。


「早く帰って瑠璃に知らせなきゃ」


 千佳のはるか後方の人家の屋根にトラが居る。忍が幽姫の存在を探知することができる範囲外だった。ずばぬけた視力で遠くから千佳の動きをうかがうトラに、千佳も忍も気づくことができなかった。

 千佳は家に着くとまっさきに自分の部屋へ入り、瑠璃に氷菓達と出遭ったことを話す。ベッドに腰かけてしゃべる千佳に、床に座った瑠璃の表情は重く険しかった。


「ごめん。氷菓の本当の目的とか、聞けたら良かったのに」


 うつむく千佳にも瑠璃は怒らなかった。ただ安堵のため息をもらすだけだ。


「千佳が助かって良かった。氷菓は何をするか分からない危険な幽姫よ。無事に生きて帰ってこられただけで十分」


「氷菓は街の人達を使うかも知れないけど、まだこの家の場所はバレてないから安全だと思う」


 氷菓に対するプレッシャーで千佳がため息をついたとき、瑠璃の長い髪がふわりと逆立った。部屋の窓際へ顔を向け、はじかれたような動きで千佳の前へ立つ。千佳に背中を向けてかばったまま右手から長剣を出し、それを自身の顔の前で構えた。

 それとほぼ同時に部屋の窓際に少女が現れた。幽世から現世へと移動してきたのだ。氷菓といっしょにいた薄着の幽姫だ。瑠璃に剣を向けられ、まっすぐににらまれていても、少女はそこから動く様子はない。

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