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不満げな目で瑠璃の方を見ると、いつの間にか彼女の枕元に小さな人間が立っていた。千佳はびくりと震え、はじかれるように後ずさる。
「すまない。いきなり僕の姿を見せるとびっくりさせて逃げられてしまうかもと思ってね。瑠璃を助けるためには姿を消しておくしかなかったんだ」
耳に届くほどの短い髪をしていて、少年とも少女ともつかない中性的な顔立ちをしている。背格好は中学生の千佳よりも少し年下に見える。長そでの上着に長ズボンとスニーカーをはいていて、大きさは千佳の手のひらほどしかない。半透明に見える亡霊とは違い身体は色つきで実体がある。
「あ、あなた何者!? 亡霊じゃ……ないの……?」
「自己紹介が遅れたね。僕の名前は忍。こう見えても性別はいちおう女だ。ここで寝ている瑠璃のしもべさ」
「瑠璃って子も、あなた……忍も、いったい何なのよ……? もしかして瑠璃は霊能力者なの?」
剣で悪霊を斬る瑠璃の姿から考えるに、千佳にはそれぐらいの予想しか立てられない。忍はその場に立ったまま千佳をじっと見上げた。
「たしかに瑠璃はこの世にはびこる不浄霊を狩って生きている。そして僕は瑠璃のサポートをしている。瑠璃は人側と亡霊側のどちらにも属さない。その中間に立っていると考えていい。それ以上は深く知らない方がいい。瑠璃を助けてくれた恩人に余計な不安は与えたくない」
「教えてよ! 私は一年前、瑠璃に命を救われた! 瑠璃がなんなのか、私はずっと知りたかったんだから!」
「……申し訳ないがさっき言った以上のことは何も話せない。僕たちは僕たちの存在についてむやみに人間にしゃべってはいけない決まりなんだよ」
いくら千佳が目と声で必死の気持ちを訴えても小さな忍は目を閉じ首を横に振るだけだ。忍の意志は固い。説得は無駄だと悟った千佳はがっくりと肩を落とし、深々とため息をつく。
「瑠璃はしばらくは眠っているだけだ。迷惑にはならない。瑠璃が回復して目を覚ますまでここで休ませてくれないだろうか」
「……それはいいけど。瑠璃には命を助けられたし。でも、ただベッドで眠らせるより瑠璃の両親に連絡して引き取ってもらった方がよくない? その方がちゃんとした治療と保護を受けられると思うよ」
忍に頼まれるまま瑠璃を連れてきてしまったが、今からよく考えてみればこれは瑠璃の意思を無視した監禁罪に当たるのではないだろうか? 知らない間に犯罪者になっては困る千佳はほおに冷や汗を流す。
「瑠璃には親も友人も、身寄りの者は誰もいない。だから今は君しか頼れる人がいないんだ」
「……そう。そうなんだ……」
瑠璃の外見は中学生の千佳とほとんど変わらない。まだ子どもといってもいい年頃の瑠璃がどうして天涯孤独の身なのか知るよしもなかったが、瑠璃を見ているとどうしようもなく虚しくなる。瑠璃の背負ったとてつもない悲しみが千佳の胸の中にまで染みこんでくるような思いだった。
今にも泣き出しそうな顔でたたずむ千佳を見て忍は考えを変えたらしい。眠ったままの瑠璃の胸に跳び移り、その首もとを指差す。
「瑠璃を休ませてくれるお礼に秘密の一部を教えてあげるけど、実は僕の本体はこっちの首飾りなんだ。僕の人の姿はただの見せかけさ。このペンダントは瑠璃が創ったモノ。だから僕の創り主は瑠璃ってことになる」
忍は瑠璃のブラウスの内側からペンダントの先を引っぱり出した。今まで千佳は気づかなかったが、瑠璃は首にペンダントを下げていたのだ。細かな銀色のチェーンの先には小指の先ほどの大きさをした両刃の剣がついている。まるでおもちゃのような造りをしている剣だった。
「剣で亡霊を斬ったり、ペンダントが本体だったり、つくづく普通じゃないよね、あんた達」
千佳は小さく笑い、ベッドの足に背中を預けて床に座りこむ。頭の上から瑠璃のかすかな寝息が聞こえる。
命を救ってくれた瑠璃にまた会うことを願って千佳は一年間も危険な路地に通い続けた。ようやく願いが叶ったというのに千佳の胸には嬉しさどころか悲しみと空しさでいっぱいだった。
「……なんで……どうしてそんなにボロボロなのよ? あなたは、瑠璃は、亡霊を斬ることができる強い女の子でしょ?」
この世にひしめく亡霊におびえて逃げ回ることしかできなかった千佳が今日まで希望をもつことができたのは瑠璃がいたからだ。亡霊に対抗する強い力をもつ瑠璃が千佳に勇気を与えてくれた。それなのに瑠璃は今にも死んでしまいそうなほどに弱っている。一年の間に積み上げてきた期待と幻想ががらがらと崩れていくようで、千佳はひざを抱えたまま声を殺して泣いた。
「そういえばまだ君の名を聞いていなかったね。瑠璃の恩人の名前くらいは知っておきたいんだけど」
「……千佳。千秋千佳」
「よろしく、千佳」
頭の上の忍の声も、ベッドで眠り続ける瑠璃の寝息も、千佳にはどこか遠い世界のことのような気がしていた。
「瑠璃は? まだ眠ってる?」
「うん。眠ったままベッドから動く気配はないよ」
次の日。千佳は教室の窓際の席に座ったまま、窓ガラス越しに外の景色をぼんやりと眺めていた。今は休み時間で教室の中は生徒達のしゃべり声で騒がしい。
「ねえ、忍。私、本当に学校に来ちゃって良かったのかな。誰かが瑠璃のそばについていた方が良かったんじゃない?」
「大丈夫だよ。瑠璃は眠ったままだから君がついていても何もできない。あのまま死ぬようなやわな身体はしていないしね。それに急に学校を休むなんて言い出したら逆に両親に怪しまれるだろう」
たしかに忍の言うとおりだった。親が千佳の部屋に入ってくることはめったにないが、風邪を引いたから学校を休みたいなどと言えばきっと部屋の中へ千佳の様子を見に来るだろう。それだけは絶対に避けなくてはならない。なにしろ千佳の部屋には瑠璃がいるのだ。
千佳は瑠璃をベッドに寝かせたまま何食わぬ顔でリビングで両親と夕食をとり、夜は床に予備の布団を敷いて眠った。そして瑠璃の首から忍のペンダントを借り、忍を持って学校へ来ていた。忍のペンダントは首に下げて制服の内側へ隠している。
忍は瑠璃に創られたために離れていても瑠璃の位置や身体の調子が分かるらしい。そのことを今朝に忍から聞かされた千佳は彼女を連れて来た。学校で勉強している間に瑠璃に何かあったら大変だからだ。忍との会話も忍の姿を消させたまま千佳の耳元で小声で行えば他人に聞かれる心配はない。
一応授業を受けてはいてもベッドで寝ている瑠璃が気がかりで教師の言葉はまるで頭に入ってこない。身体は痛くないだろうか。息は苦しくないだろうか。お腹は減ってないだろうか。そんなことがいつも千佳の頭の中にうずまいていて他のことを考える余裕が無かった。
「千佳ちゃん、来たよっ!」
「わあっ……!?」
突然後ろから抱きしめられた千佳は口から心臓が飛び出るような思いだった。なにしろ今は胸元にどうあっても隠し通さなければならない忍のペンダントを下げているのだ。
肩に両腕を回して千佳の顔にほおをすり寄せる少女。千佳は一瞬で顔を紅く染め上げた。
「あはは。千佳ちゃん、やっぱり赤くなってる。あいかわらず可愛いなあ」
「しょ、しょうがないでしょ! 私、赤面症なんだから」
忍を隠し持っていることもあってなかば無理矢理背中に抱きつく少女を引きはがした千佳。そんな千佳に少女はくすくす笑いながら机の前へ回り込む。
少女の名前は神谷桃香。幼稚園からの幼馴染みで千佳の親友だ。ふわふわとした柔らかめの髪をリボンでツインテールにしている可愛らしい女の子。千佳とはクラスが別のため、千佳にべったりの桃香は不規則に休み時間に会いにやってくる。今日は桃香が来るのはこれが初めてだった。
千佳は机の前に立つ桃香から目をそらし、乱れた気持ちを整える。生まれもった赤面症のせいで動揺するとすぐに顔が紅くなるため、顔を元に戻すのも一苦労だった。
「……んんーー? 千佳ちゃん、なにか私に隠してない?」
「き、気のせいでしょっ……」
桃香の的確な指摘に、千佳は目をそらしたまま冷や汗をにじませる。いつも千佳のことを見ているせいなのか桃香は千佳の変化に敏感だった。忍を隠し持っている緊張が態度のどこかに表れていて、それを桃香は見抜いたらしい。
「隠し事する悪い子は……こうだっ!」
「ちょっとっ、やめてよ桃香っ……! きゃははははっ」
止める間もなく桃香が飛びつき千佳のわきの下をくすぐる。どこをどうすれば千佳が笑うかを知り尽くしている桃香の絶技には逆らいようもない。千佳はなすすべもなくくすぐられ続け、桃香をはねのけることができなかった。
「……あれ? チェーン……? これってペンダント……?」
「……!!」
背中側に回っていた桃香がうなじのチェーンに気づき、胸元のペンダントを引っぱり出す。
「分かった。千佳ちゃん、このペンダントを隠してたんでしょ? 剣の形……? 何かあんまり可愛くないけど、千佳ちゃんってこんな趣味だったっけ?」
「へ、変なペンダントだから桃香に見られるのが恥ずかしかったんだよ」
忍のペンダントを手にとってまじまじと見つめる桃香に、千佳は心臓の高鳴りと冷や汗が止められなかった。大丈夫。人型の忍さえ出てこなければ普通のアクセサリーにしか見えないはず。千佳は何度もそう自分に心の中で言い聞かせ、桃香が興味を失うまで耐えた。
亡霊が見える体質であることを千佳は桃香に話していない。小さい頃から細心の注意を払って振る舞ってきたから気づかれてもいないはずだ。普通の人達とはズレた亡霊の世界を生きていることを知られれば桃香は気味悪がって離れていくに違いない。親友の桃香だけは失いたくなかった千佳は忍のペンダントの秘密も自室で眠っている瑠璃のことも話すわけにはいかなかった。