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「それは……?」


「自分で考えなさい」


「さすがの私でも怒りますよ、四季さん!」


 興奮して顔を赤く染める千佳に四季は上品に笑う。


「わたくしにああしろ、こうしろと指図されて、千佳は素直に従いたいと思うのかしら。瑠璃を家から放り出せと言って、千佳は指示通りにそうしたいと?」


「そ、それは……」


「どうしたいか、答えはもう千佳の中で出ているのではなくて?」


 四季の言うとおりだった。瑠璃に関わるリスクなどちゃんと分かっている。しかし瑠璃の力になりたい。いちいち聞くまでもなく、結論は出ていた。その結論を後押しして欲しかったから四季に相談したのだと千佳は気がついた。


「せっかくのお友達に死なれたらつまらないですわ。だから本当に千佳が困った時は少しだけ力を貸してあげますわ」


「――ありがとう、四季さん」


 今日は自分が人間から遠ざかったことを知った絶望の日だった。しかし、今日初めて千佳は心からの笑顔を浮かべることができた。千佳の笑みに四季も笑みを返す。


「さて、話も済んだところでそろそろお開きにいたしましょう」


 四季が椅子から立ち上がり、そばに控えていたしもべに預けていた傘を受け取る。傘を開くと、それまで教室の花畑に散らばっていたしもべ達が傘へ向かって飛び、内側へ入って消えた。四季は傘を閉じてにっこりと笑う。


「それでは千佳。わたくしは一足先に外の方へ行っています」


 四季の姿がふっと消える。教室の中を見回してもどこにもいない。四季が消えてもなお花畑は維持されている。


「四季さん、帰っちゃったんだ。まさか、この花はそのまま……!?」


「しばらくは残るだろうけど時間が経てば自然に消えるよ。それに四季は帰ったわけじゃない。幽世から現世へ移動しただけだ」


「……っ!?」


 忍に頼んですぐに幽世側から現世側の音楽室へ移動する。四季は閉じた傘をステッキのように持ち、音楽室の真ん中に平然とたたずんでいる。

 四季が花だらけにしたのは幽世の音楽室だ。現世側の音楽室は花に侵蝕されていない。それでもどこか空気が澄んでいてかぐわしい。うっすらと花の香りがただよっている。幽世の大きな変化が現世へ影響を与えているらしい。千佳は教室の微妙な変化に気を取られていたが、四季の姿を見て我に返った。四季の右手を両手でつかみ、顔を近づけて本気であることを訴える。


「だめですよ、四季さん! 幽世側からこっそり帰らないとマズいですって!」


「まあ。どうしてですの?」


「どうしてって……ここは学校ですよ!? 四季さんのその服、部外者だってバレバレじゃないですか! それに四季さんは幽姫なんですからもしも正体がバレたら……」


「せっかく千佳の学校に足を運んだのですもの。幽世の暗い風景だけでなく明るい現世の方からも見てみたいのですわ」


「で、でも、もしも先生に見つかったら!」


「よせ、千佳。止めてもどうせ無駄だ。好きにさせるしかない」


 耳元に届く忍の小声で千佳はがっくりと肩を落とした。千佳はしかたなく音楽室の戸を引き、最短距離のルートを選んで四季を導いていく。

 放課後で人が少ない時間帯とはいえ、まだ部活中の生徒が残っている。廊下の真ん中をわが物顔で歩く四季と、そのすぐ前を真っ赤な顔で歩く千佳にすれちがった生徒達があ然とする。

 四季の美しい顔や髪、あるいは花で飾られたドレスや日傘にどの生徒も注目し、「すごい」とか「きれい」といった声も千佳には聞こえてくる。

 初めは恥ずかしくてたまらなかった千佳だが、途中から何とも言えない良い気分を味わっていた。自慢の友人を見せびらかすことができる快感のせいで教師に遭遇しないように祈ることも忘れるほどだ。

 トップモデルのように注目を集めている四季は周りの目をまったく気にしておらず、気ままに窓の外や教室の中をのぞくだけ。あまりに態度が堂々としすぎていて、誰も話しかけられないでいた。

 どうにか教師に見つからずに校門まで四季を連れていくことができた千佳はほっとしつつ、彼女を送り出す。四季は「ごきげんよう、千佳」と上品に挨拶し、あいかわらず気ままな様子で道の先へと消えていった。

 千佳は校舎に戻り、自分の教室へと向かった。放課後の誰もいない教室へ入り、机の横に掛けたままだったカバンを手に取る。

 体が普通でなくなってしまったことや四季と出会ったことですっかり忘れていた罪悪感がふつふつと胸にわき上がってくる。生まれて初めて授業を無断欠席したことへの罪の意識。

 幼馴染みの桃香とは帰る方向が違うからいっしょに下校はしないが、桃香はいつもホームルームが終わると千佳に会いに教室へやって来る。桃香にとっては玄関までの短い距離でも千佳といっしょにいられる大事な時間らしい。教室に千佳がいなくて心配しただろう。しかし、桃香には何も話せない。

 千佳は胸に重くて固いものが詰まったような息苦しい気分のまま学校を出て下校する。重い気持ちに引きずられるようにして、道を歩く足も自然にのろくなる。

 この街のどこかに瑠璃を狙う二人組の幽姫がいる。それを思うとすれ違う人達全員が怪しく見えてしまう。幽姫の正体は不浄霊を狩る亡霊の姫君でも、その姿は普通の人間と区別がつかない。亡霊が目に見える千佳でさえ三年間も四季を人間だと信じて疑わなかった。ならば霊視の力をもたない一般人が幽姫の正体を見抜くことは至難だろう。

 そんなことを考え、きょろきょろと周りの人の顔をうかがいながら道の曲がり角に差しかかる。注意力を欠いていた千佳はすぐ横からまっすぐに歩いてくる人間に気づけなかった。

 千佳にはでにぶつかり、小さな女の子が尻餅をつく。手に持っていたアイスクリームが女の子のほおにべったりと付き、しかも転んだ拍子に地面に落ちたせいで食べられる状態ではなくなってしまった。


「ご、ごめんねっ! 大丈夫かなっ……!?」


「だいじょうぶ。どこも痛くないよ」


 千佳はあわてて女の子の手を引いて立ち上がらせる。スカートのポケットからハンカチを取り出し、それで女の子のほおのアイスを丁寧にぬぐう。「ごめんね」とくり返す千佳に、女の子はきょとんとした顔で身を任せている。どこかをすりむいたり、手首や足首をひねって怪我をしたわけではないらしい。ぴんぴんしている女の子に千佳は胸をなで下ろす。

 上から下まで黒ずくめのドレス姿。女の子の少々変わった服装に「どこかで見たような……」と千佳は小さな疑問を抱く。しかし、今はそんなことに気を取られている場合ではない。女の子は落ちて滅茶苦茶になったアイスをじっと見下ろしている。アイスが食べられなくなったのは千佳の不注意が原因だ。

 どうにかしてアイスの償いをしなければと考えた千佳は苦肉の策を思いつく。黒ずくめの女の子の手を引き、近くの大通りまで連れて行く。やはり今日も同じ場所で店を開いている。


「たいやき、二つ下さい」


 小さな屋台でたいやきを売っている店の前に千佳は初めて立ち止まった。焼いたばかりのたいやきを二つ受け取り、代金を払う。そして女の子を引っぱってたいやき屋から離れ、買ったたいやきを二つとも渡す。


「ごめんね。アイスの代わりにこれでかんべんして……」


 紙に包んであるたいやきをじっと見つめ、しばらくして頭の部分を一口かじる。最初に「熱い」とつぶやき、ぱくぱくとたいやきを食べていく。

 美味しそうにたいやきを食べる女の子に千佳はふうと安堵のため息をつく。この近くにアイスクリームを売っているような店はないし、いちかばちかたいやきに賭けてみたのだが、どうやら女の子の機嫌は直ったようだった。

 たいやきをほおばる女の子の横に立ち、その華やかなドレス姿に千佳は見入る。小学校低学年ほどの背たけで、ゴシックロリータ風の黒服をまとい、顔や仕草がとても可愛らしい。街を歩く他の人達よりもずっと目立つ女の子だった。

 瑠璃が言っていた、氷菓という幽姫の特徴が千佳の頭をよぎる。小さな女の子の姿をしていて黒い服をまとっている。腕に抱えた気味の悪いぬいぐるみが見分けるポイントだと瑠璃は説明していた。

 女の子は手に何ももっていない。他人のそら似だろうと思いつつも、もしも目の前の女の子が危険極まりない氷菓だったら……。

 かすかな不安にかられた千佳は忍に「この子、まさか氷菓って幽姫じゃないよね?」と小声で問いかける。だが、忍からの返事はない。千佳の肩や手の上に具現化することも、透明化して耳元にささやくことさえしてこない。

 ペンダントが壊れたのかと疑ってブレザー越しに剣のミニチュアをつついてみたり忍の名前を呼んでみても彼女はいっさいの反応を示さない。

 何か出て来られない理由でもあるのかなと思い始めたころ、女の子が千佳の顔を見つめてくる。


「ねえねえ、さっきからどうしたの?」


「何でもない! 何でもないよ……!」


 二つ目のたいやきの尾をかじっている女の子に、千佳はぶんぶんと首を横に振る。幽姫の存在は人間社会では知られていない。幽姫の創ったしもべの忍を持っていることは誰であろうと隠し通さなければならない。

 たいやきを食べ終わり、女の子は両手の指先をなめて綺麗にする。「ああ、美味しかった」と満足げに笑い、前に右腕を伸ばして手を握る。見えない何かをつかみ取るような動作だ。女の子は腕を引き、何も無い宙からぬいぐるみを引きずり出す。

 不気味なデザインのぬいぐるみの腹を左腕で抱え、右手をぬいぐるみの口に突っこむ。引き出した手には生クリームをはさんだワッフルが握られていた。

 その一部始終を見ていた千佳は心臓が止まる思いだった。全身が硬直し、冷や汗が背中に吹き出す。油が切れかかった機械のようなぎこちなさで前を向き、隣の女の子から目をそらす。普通の女の子がぬいぐるみを魔法のように取り出せるわけがない。

 女の子の背格好や服装、手に持った化け物じみた作りのぬいぐるみ、人間には不可能な奇術めいた行為、それらすべてが瑠璃から教えられた氷菓の特徴と一致している。名前を聞いていないが間違いない。この女の子は幽姫の氷菓だ。

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