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 瑠璃を憎んだり、恨んだりする気持ちはなかった。呪いを千佳の体に移したのは瑠璃を助けたいと思って千佳が望んだことだ。こんな奇妙な影響があるとは考えもしなかったが、瑠璃に八つ当たりするのは筋違いだろう。これからも瑠璃の力になりたいとは思うが、それはますます千佳が日常から遠ざかっていくことを意味している。


「どうしよう」


「こんな所で早々に逢ってしまって、どうしましょう」


 頭の上から掛かる声に、悩んでいた千佳は反射的に後ろへ跳びのいた。五メートル近くを一跳びし、声の主と向き合う。


「し、四季さん……!?」


「少し見ない間にまたずいぶんと変わったようですね、千佳」


 ふわりと香る花の匂い。四季のまとう生きた花のドレスのせいで、彼女の周りだけが華やかな空気に包まれている。室内にいるというのに花がちりばめられた大きな日傘を差したままだ。


「ど、どうして四季さんが幽世の学校に!?」


「お友達の千佳に何か面白いことが起こったようなので、散歩がてらひやかしに参りましたの」


「四季さん、実は瑠璃を助けようとして私は……」


「お待ちになって、千佳」


 開いた右手を前へ向けて千佳を止める四季。千佳は声が出せなくなる。何かを仕掛けられているわけではないが、四季から伝わる圧倒的な気配のせいで息がつまってしまうのだ。強くなったおかげで四季が隠している底知れない力を少しだけ感じることができるようになったらしい。


「このようなむさ苦しい場所で長々と話すことは、わたくし耐えられませんの。どこか素敵な場所へ案内してくださらない?」


 ここは生徒用の玄関で、上履きや靴が大量に下駄箱におさめられている。四季からすれば、空間に満ちる悪臭が我慢ならないということらしい。靴があるのは現世側であり千佳には臭いをまったく感じ取れないが、四季ほどの大物の幽姫になれば気になるのかもしれない。

 マイペースにゆったりと歩く四季に合わせて前を歩き、彼女を良さそうな場所へ導いていく。


「人間の学校ってどの部屋も机と椅子ばかりで退屈ですこと。こんな場所へ毎日通って千佳は飽きませんの?」


「学校は勉強する場所で、遊びに来ているわけじゃないですよ……」


 変化を確かめる実験のために校舎の不浄霊を掃除しておいたことが思わぬところで役だった。ただでさえ不機嫌な四季の前に不浄霊が現れでもしたら彼女はいら立って帰ってしまうかもしれない。四季という淑女幽姫は瑠璃とはまた別の種類の気位の高さをもっている。


「着きました。ここなら四季さんも気に入ってくれるかもしれません」


「ここはどういう部屋ですの?」


「音楽室です」


 忍の力で閉じたままの引き戸をすり抜け、中へ入る。幸いなことに音楽室の中には誰も生徒がいなかった。四季も戸をすり抜けて千佳についてくる。


「なるほど。文化の香りがしますわ。なかなか良い場所ですわね」


 使い込まれたピアノを優しくなでる四季に千佳も胸をなで下ろす。家庭科室や体育館倉庫へ連れていったらきっと四季の怒りを買っていただろう。


「悪くはありませんが、せっかく千佳と初めてじっくりお話しようという時にこれではもの足りませんわね。この音楽室をお化粧しましょう」


「お化粧、ですか?」


 四季が持つ日傘の内側から何かが次々と出てくる。白い蝶の羽根をもつ、妖精のような存在だ。女の子用のぬいぐるみほどの大きさをした妖精達は緑色のドレスで身を飾り、全五体それぞれが同じ顔、同じ姿をしている。

 妖精達は背中の羽根で優雅に教室中を飛び回り、壁や床や生徒用の机に手を触れていく。すると触れた場所から植物の芽が吹き出し、あっという間に美しい花が咲く。千佳が驚いて目を疑っている間に、教室の壁も床も色とりどりの花々で染められてしまった。


「あれらは自分の力で動いて考えるような高等なしもべだ……。それも複数……! あの四季という幽姫はとんでもない才能の持ち主だ!」


「とんでもない才能……って、それってどういう意味なの? 忍」


「幽姫が創るしもべの性能は、創り手の幽姫の力量に左右されるんだよ。瑠璃が創った僕は考えることはできても動くことはできない。なにしろ本体はただのペンダントだからね。動くことができる自律式のしもべを何体も生み出すなんて、普通の幽姫には到底無理な芸当さ」


 音楽室を花で埋めつくした四季のしもべ達は教室の中央に集まり、そろって床に手を触れる。するとそこから細い木の枝がいくつも飛び出し、枝同士が糸のようにからみ合って二つの背もたれ椅子を編み上げる。

 向かい合った木の椅子の片方に四季が座り、傘を閉じてしもべの一体に預けた。四季に「遠慮なさらずにどうぞ、千佳」とうながされ、おそるおそるもう片方の椅子に座る。見た目よりもしっかりとした造りで、ハンモックのように少しだけきしむ。座り心地が良かった。


「す、凄い部屋ですね。綺麗だし、花の匂いで何だかくらくらしそう……」


「美しさとともに、優れた結界としての役割も兼ね備えておりますの。邪魔な不浄霊や他の幽姫にはこの部屋を認識できないようになっていますわ。これで安心して千佳とお話できますわね」


 花が占領したかのように見えて、ピアノや窓が引き立つように元からの構造物をちゃんとよけている。無秩序な花畑とは違う計算された自然の美に千佳は感心してため息をもらす。

 四季と千佳の後ろでは、妖精のようなしもべ達がそれぞれにはさみやじょうろを手にして花の手入れをしている。小さな五体がばらばらに動いて花の世話をしている様子は見ていて飽きなかった。

 四季は幽姫だ。彼女は人間ではない。その証拠をこれまでに何度も目にし、こうして向き合っていても千佳にはなかなか現実を受け入れることができなかった。なにしろ千佳は三年もの間四季を人間だと思って接してきたからだ。

 モデルのような顔立ちに縦ロールの金髪。生きた花で彩られたハデなドレスに負けない四季自身のたぐいまれな気品。そして桜の花を思わせるピンク色の瞳。あらためてじっくりと見ると四季のまとう雰囲気はどこか人間離れしていて、この世のものでない神様か何かのようだった。四季の美しさこそ彼女が人ならざる幽姫である証なのかもしれない。千佳のような凡人は四季のような美貌の女性と向き合っていると気後れし、少し恐くなってしまうほどだった。


「千佳。さっきの話、そろそろ聞かせていただけますこと?」


「……部屋にいっしょに住んでいる幽姫の瑠璃が呪いではじけそうになっていて……」


 瑠璃がためこんでいた呪いを吸い、大切な友達を死から救った代わりに体質が変わってしまったことを丁寧にゆっくりと話す。

 四季は椅子のひじ掛けに左ひじを乗せ、固定した左手で顔を支えて微笑みながら話を聞く。四季があいづちを打ったないので、本当にちゃんと聞いているのかどうか千佳は不安になった。


「やっぱり千佳は面白いですわ。とても変わった体をしているから目をかけてきましたが、まさかここまでわたくし達の世界に深入りするとは思っていませんでした。千佳は見ていて退屈しないから好きですわ」


 四季に笑いかけられて千佳は全身に鳥肌がたつ。途方もなく大きな手の上でおもちゃのようにもてあそばれている気がしたからだ。飽きれば握りつぶされて捨てられる。そして四季は涙一つ流さず、次のおもちゃを見つけに行くだけ。きっとそうなるという予感があった。はっきりとした恐怖を覚えてぞっとし、千佳は四季の桃色の瞳から目をそらす。

 忍が千佳の右肩に現れた。それに気づいた四季がめんどうそうに忍へ目を向ける。


「前に貴女が言った二頭の猟犬とは、氷菓と猫型幽姫の二人のことだろう? 貴女は千佳の変化にも気づいたし、この街の情報を得ているはずだ」


「ええ。名前は存じませんが、幽姫の二人組が瑠璃を殺そうとしてわたくしの庭をうろついていますの」


 忍が二人の姿と特徴を説明すると、四季は可愛いあくびをもらしながら「その二人で間違いありませんわね」とうなずく。

 それっきり忍はだまり、代わりに千佳の目を見る。見つめられる千佳はどういう意味だろうと考えて、ようやく無言のメッセージを解読することができた。


「四季さん。その二人の幽姫は瑠璃の命を狙っています。このままだと瑠璃が危ないんです。四季さんの力で二人を街から追い払ってはもらえませんか」


 四季のお気に入りの千佳が頼めば願い事を聞き入れられるかもしれない。それが忍の作戦だった。しかし、千佳の期待に反して四季は気のない顔で髪をいじる。


「お断りしますわ」


「それなら戦わなくても話し合うだけでいいですから! 四季さんくらいの強い幽姫の言うことならきっと氷菓達も従うと思うんです!」


「めんどうですし、興味ありませんわ」


「……じゃあ、せめて氷菓達の居場所だけでも教えてくれませんか」


「だーめ、ですわ」


「どうしてですか!」


「わたくし、興味があってやりたいと思うことしかやらないようにしてますの」


「四季さんって、いじわるです」


 落ちこんで下を向いた後、四季の顔をみながら恨み言をつぶやく千佳。四季は楽しそうに笑う。


「いいえ。ただ自分に正直なだけですわ」


 四季という強大な幽姫は揺るぎない自分をもっている。だから他人に合わせる形で己の気持ちを曲げたりはしない。いくら瑠璃についての頼み事をしても無駄だと判断した千佳はうつむいたまま沈黙する。四季の方は気まずい様子などまるでなく、薄く笑ったまま千佳を見守るだけだ。


「四季さん」


「なんでしょう? 千佳」


「これ以上瑠璃に関わると、私はますます普通の人間から離れていくと思うんです。でも、瑠璃を助けたい。瑠璃を見捨てる事なんてできないんです。四季さん、私、どうしたらいいんでしょうか?」


「それはね、千佳」

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