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 今度は瑠璃の前方からもう一人の少女がやってくる。瑠璃よりも少し年上くらいの背格好で、見ていてこちらが寒くなるほどの薄着姿だ。彼女も人間ではなく、瑠璃の同類の幽姫。


「……まあ、氷菓のやり方はアレでも、とりあえず標的が見つかったからよしとするか」


 道の真ん中で氷菓とトラにはさまれ、瑠璃はこの状況をうまく呑み込めずに二人の顔を見比べた。広い街の中では自分以外の幽姫と出会うことはめったにない。同時に二人の幽姫と会うことなど、瑠璃がこれまで生きてきた中で初めての経験だった。


「……あなた達二人はこの場に集まった不浄霊を狩るために来たんでしょう? 私もそうなの。ちょうど良かったわ。三人で協力して片付ければ早く済ませることができるわ」


「ううん、違うよ。氷菓達の目的はね、もっと別のコト」


 氷菓の抱いているぬいぐるみの口が開く。すると道にあふれかえっていた不浄霊達が口の中へどんどん吸い込まれていく。まるで強力な掃除機のようだ。あっという間に通り全ての霊を吸引し尽くし、最後にぬいぐるみが「げふっ」とげっぷをする。

 氷菓という幽姫が抱いているぬいぐるみはかなり強い力をもったしもべだ。情報処理が主な機能の忍よりもよほど頼りになる。氷菓の手際の良さに瑠璃が無言で驚いていると、トラの「おい」という掛け声で我に返った。


「話がある。現世では何かと目立つから幽世の方で話さないか?」


 トラの言うとおり、道の真ん中に立っている瑠璃達三人は通行人からちらちらと見られている。瑠璃達の正体が人間でないことを知られてはなにかとまずい。瑠璃はうなずき、人間がいない幽世へと移動した。その直後に氷菓とトラもそろって幽世側へとやって来る。


「それで、私に話って何かしら」


 腕を組んで冷静に問いかけるものの、二人は黙ったまま何も答えない。さっきから何かがおかしいと瑠璃は感じとっていた。薄く笑ったままじっと顔を見つめてくる氷菓と、刺すような鋭い目つきでにらんでくるトラ。どう見ても世間話をしようという雰囲気ではない。


「あんた、たまった呪いではじける寸前なんだってね」


「……だったら何だって言うの……?」


「幽姫の務めは現世を穢れから守ること。あんた位の力をもった幽姫がはじけたら現世の街が大変なことになる。あんたには何の恨みもないし、あたしもこんな酷いことはしたくないけれど……。あんたが呪いではじける前に、ここで死んでもらう」


 トラの左手の爪が長く伸び、頭から大きな猫の耳が生えてくる。そして二本の太いしっぽが腰の上でうねる。隠していた真の姿を現し、抑えていた幽姫の能力を解放したのだ。

 耳を疑うようなトラの話に瑠璃が口を開こうとした瞬間、彼女は問答無用で跳びかかってきた。トラの恐ろしい速度に瑠璃は目をむく。とっさに剣を生み出し左手の爪を防いだが、その斬撃の威力に吹き飛ばされた。かろうじて着地しすぐに剣を構えるが、トラの力は強い。剣をもつ右手がわずかに痺れている。

 十数メートルの距離を取り、トラと向かい合う。トラの力量を感じとった瑠璃に余裕はない。即座に左手に剣を生み、全力で戦うときの二刀流にする。

 瑠璃の二刀流に対し、トラも右手の爪を伸ばす。地を蹴り襲いかかってくるトラに瑠璃は防戦一方だった。攻撃は強く、しかも速い。両手の爪の連撃に斬りきざまれないように防御に徹するだけで精一杯だ。

 後ろに跳びのいてトラと間合いをとった瑠璃は息を乱しながら忍に助けを求める。


「どうなってるのよ、忍!? どうして幽姫が幽姫を殺そうとしてくるの!?」


「これは瑠璃を狩るための罠だ。僕達はハメられたらしい」


 トラを見たまま小声で話す瑠璃。自身の優勢を理解しているのか、トラにあせりはない。ゆっくりと歩み寄り、少しずつ距離を詰めてくる。


「氷菓という幽姫のしもべが通りの不浄霊を吸い込んでいただろう? 吸い込めるんだからいつでも好きなときに吐き出せるに違いない。集めた不浄霊をここらに放って瑠璃が狩りに来るように仕向けたんだ。つまり、瑠璃はおびき寄せられたのさ」


「ど、どうしよう? あの猫みたいな幽姫、かなり強い……! このままじゃまずいよ!」


「瑠璃がはじける前に始末すると言っていた。わざわざ不浄霊を使っておびき出すことといい周到な計画を立てている。奴らにしてみればどうしても瑠璃を殺したいらしいから説得は通じないと考えよう。ここで倒すか、それとも逃げるか、どちらかの二択だな」


 目の前まで迫ってきたトラの爪をどうにか剣ではじくが、次から次へと繰り出される両手の爪に瑠璃は攻める暇がまったくない。はたから見ればトラと瑠璃は互角の戦いをしているように見えるだろうが、攻められるだけの瑠璃は確実に押されている。

 トラには瑠璃のような技量は無いが、その代わりに力と速度がある。雑で素速い攻撃をどんどん叩き込んでくる。トラの身体能力は絶好調時の瑠璃よりも上だ。

 トラ一人でさえ手に負えないのに、さらにもう一人の幽姫がいる。二人同時に攻められたら確実に死ぬ。瑠璃はトラと間合いを取って氷菓を視界の端にとらえるが、なぜか氷菓に動く気配はない。しもべのぬいぐるみを抱いたままじっと瑠璃の動きを見ている。

 どうして氷菓は攻めてこない? 弱くて戦力にならない、ただのお飾りなのか? 深く考える前にトラが疾風のような速度で跳びかかってくる。

 両手の爪をどうにか剣二本で押しとどめるが、押し切られるのは目に見えていた。力任せに腕を前に突き出してくるトラに、爪を防いだ剣がじりじりと瑠璃の顔面へ迫ってくる。


「くっ……! このっ!」


 瑠璃の左右の宙空に剣が二本出現し、その直後にトラの胸をめがけて高速で飛び出す。瑠璃と競り合っていたトラは身動きがとれない。

 それを狙った奇襲だったのに、トラは即座に身を引いて瑠璃の前から消え、危なげなく剣を回避する。力や速度だけでなく反射速度や動体視力まで優れているらしい。まるで人の姿をした猛獣だ。

 トラのしっぽが宙をなぎ、瑠璃の両足を払う。ぞっとする浮遊感を味わう瑠璃の目に天地が逆転したトラの姿が映る。

 トラは両手を組み、腕を振って落下途中の瑠璃の背中を強打した。瑠璃は野球ボールのように吹き飛ばされ、コンクリート塀に叩きつけられて痛みにうめく。


「おかしいなあ。どうも強すぎるんだよね、あんた」


 苦しみながらも立ち上がる瑠璃に、トラは右手の爪をこすりあわせる。カシャカシャという金属音が響いた。


「いくら剣の瑠璃が強い幽姫だからって、こんなに強いのは変だなあ。はじける寸前だったらもっと弱っててもいいはずなんだけど……。あんた、本当に限界を迎えてる?」


 瑠璃を強いと言っておきながらトラには困っている様子はまったくない。これだけ攻め続けて息を少しも切らせていないし、戦いの最中に話をする余裕があるのがいい証拠だった。


「人間の家に住んでるらしいことといい、人間に助けてもらってるらしいことといい、どうにも分からないことだらけだ」


 トラは左手の爪を元に戻し、その手で頭をがりがりとかく。攻められて体力を削られた瑠璃相手ならもう片手で十分だと言いたげだった。

 千佳との協力関係を読まれている。そのことが瑠璃にはこれまでで最大の脅威だった。千佳のことは絶対に何もしゃべれない。たとえここで殺されても、千佳を危険にはさらせない。

 力も、スピードも、体力も、すべての面でトラの方が上回っている。剣を矢の代わりにしていくら射出してもトラの反射速度なら余裕でかわすだろう。もはや打つ手無しだった。現時点では絶好調時の半分ほどの力しかない。万全の体調で戦えたらと思わずにはいられなかった。


「ああもう。色々考えて頭がこんがらがってきた。とにかく、あんたの首をかき切って、それで終わりだ。恨むなよ、瑠璃」


 爪を伸ばしたままの右手を構え、トラは腰を深く落として前傾姿勢をとる。持ち前の猛獣以上のスピードに任せて一気に勝負を決めるつもりだ。

 どうあがいても今の瑠璃ではトラに勝てない。ここまでかと瑠璃は覚悟を決め、歯を食いしばって死の恐怖に耐えた。

 かつてない速度でトラが飛び出し、右手を振りかぶる。もはや瑠璃には対応しきれない速さで、爪を防げずに致命傷を受けるのは確実。


「なにっ!?」


 爪が瑠璃の首にとどく寸前でトラは顔を右へ向ける。右方向から突然飛んできた巨大なオレンジ色の球のせいだ。トラの身体よりも大きな球はそのままトラに命中し、トラを吹き飛ばしながら飛び続け、はるかかなたの人家に激突する。まるで巨人用の砲丸のようなサイズと威力だった。トラは球の下敷きになったまま痛みにうめいている。

 球が飛んできた方向に氷菓が立っていた。胸に抱いたしもべの口が開いている。氷菓がしもべを使い、何らかの方法でトラを攻撃したのは間違いない。

 氷菓が何を思って敵の瑠璃を助けたのかは分からない。それでもこれはトラ達から逃げるチャンスだ。瑠璃は一瞬でそう判断し、人家の屋根へと跳び、屋根から屋根へと跳んで撤退する。


「逃げるぞ氷菓、追えぇ!」


 しもべの声にうなずき、氷菓も屋根へと跳び移る。瑠璃と同じように屋根の上を走り、逃げる瑠璃に追いすがる。

 追いかけてくる氷菓に瑠璃はすぐに気づいた。ぬいぐるみを抱き、表情を消したまま屋根と屋根の間を跳ぶ氷菓に瑠璃は息を呑む。瑠璃を必ず殺すという強い意思のこもった目はトラの視線よりもなお恐ろしく、ぞっとするような冷たさだ。氷菓から逃げたいと思う気持ちのせいで自然と瑠璃の足が速くなる。

 瑠璃と氷菓の距離がどんどん開いていく。風のような速度で動き回るトラよりも氷菓はずっと遅い。やはり氷菓は猫の幽姫よりも弱いのか?と思いつつ、瑠璃は十分に引き離したところで路面に降りた。そして家の敷地内に身を潜め、氷菓の動きをうかがう。

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