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 十二月の冬。中学二年生の千秋千佳せんしゅう ちかは学校からの帰り道をいつものように顔をうつむけながら歩いていた。歩く速度もできる限り上げるのがいつからか癖になってしまっていた。道には亡霊どもがうようよしているからだ。うかつに目を合わせて奴らにからまれたり、千佳が見える人間であることに気づかれて追いかけられるのはまっぴらごめんだった。

 赤信号の横断歩道前で待っている時に千佳はすぐ隣にたたずむ半透明の男の亡霊を意識し、小さなため息をつく。彼とは登校時と下校時に必ずといっていいほど顔を合わせる。当然、千佳以外の信号待ちの人達は彼の存在にまったく気づかない。亡霊が見える体質の千佳は他の普通の人達とは別の世界を生きている。見なくてもいい化け物、知らなくてもいい現実に触れられない人達は幸福だと千佳は何度考えたか分からない。

 信号が赤から青に変わっても男の亡霊は身動きせずにじっとしている。ということはおそらくこの横断歩道に縛られている死人……この場所の交通事故で死んだのだろうと考えながら千佳はさっさと横断歩道を渡った。亡霊と出遭うたびにいちいち心を痛めていては千佳の身がもたない。そして下手に亡霊に関わると対抗手段をもたない千佳の方が危ないのだ。

 顔を上げて歩けば嫌でも道を浮遊する亡霊達が目に入る。だからまっすぐにこの世界と向き合えない。人と同じ道を歩めない。胸の中にはいつもいら立ちと恐怖が居すわっていたが、それでも千佳が絶望することなくなんとか生きていけるのは一つの思い出が支えになっていたからだ。

 千佳は家に近い住宅街に差しかかり、路肩に立ち止まったまま細い路地の先をぼんやりとながめる。ここに立っていると肌を刺すような冷たい風も目障りな亡霊達も千佳の意識から消え失せる。名も分からない少女にここで命を助けられてから一年間、千佳は正体不明の少女との再会を願って同じことをずっとくり返してきた。

 ここは地形的に亡霊のたまり場となる非常に危険な場所らしい。一年前、そのことを知らずに踏みこんでしまった千佳はそれまでに見たこともないほどの巨大な悪霊に目をつけられ死の危機に瀕していた。千佳のように見える人間は亡霊達につけ狙われたり体質的に取り込まれやすい。もしも意識と身体を完全に乗っ取られれば自動車が行き交う道路に飛び出させられるか、それとも高層マンションの屋上から身投げさせられるか、いずれにせよ無惨に殺されて亡霊達の仲間入りをさせられるのは間違いない。

 逃げたくても悪霊のあまりの大きさとまがまがしさに足がすくんで動けない。後ずさるうちにブロック塀まで追いつめられて逃げ場を失い、千佳は目を閉じて震えることしかできなくなった。その時、突然彼女が現れたのだ。背中までとどく長い黒髪と意志の強そうな目が印象的な女の子だった。

 少女は路地の向こう側から慌てることなくゆっくりと千佳と巨大な悪霊へ歩み寄り、手品か魔法のように右手に両刃の剣を出した。そして通りすがりに長剣を一振りし、強大な悪霊をいとも簡単に両断した。

 少女は目を丸くしている千佳をちらりと見ただけで立ち止まることも声を出すことすらせずに道の反対側へと消え去った。それ以来、千佳は少女の姿を見ていない。

 彼女はいったい何者なのだろう? 千佳と同じ人間なのか、それとも人間以外のなにかなのか。その答えを知りたくて千佳は何度も何度もこの場所に足を運んできたが、今日もやはり少女は見当たらない。もしかすると、もう永遠に会うことはないのかもしれない。

 千佳は軽くため息をつき、ほおに吹きつける冬の風に身体を震わせる。家に帰ろうと思って顔を上げた時、視界の端に奇妙なものをとらえた。人の足だ。黒い靴をはいた両足が向こうの道の路肩からのぞいている。どうも路面にあおむけに倒れているらしい。足の上の方は千佳の立ち位置からは死角になっていて見えなかった。

 すねの上に真っ黒な鳥が二羽乗っていた。遠目に見ても千佳には分かる。アレは動物の姿をした亡霊だ。この世界には人の亡霊だけでなく動物の幽霊も存在しているのだ。

 ここは亡霊のたまり場となっている不吉で危険な場所だ。それを十分知っていながら千佳はおそるおそる足に向かって近づいていく。そうして倒れている人の前に立った時、千佳は衝撃で口を半開きにした。

 何羽もの鳥の亡霊が全身をびっしりとおおっていたからだ。まるで死体にハゲタカが群がるかのような光景だった。千佳は覚悟を決め、それまで左手に提げていた学生カバンを鳥たちに向かって勢いよく振りまわす。千佳の威嚇のかいあって鳥の亡霊達は一羽残らず空に向かって飛び去り、真っ黒な影に隠れていた人の姿が見えるようになった。

 見覚えのある長い黒髪によく整った綺麗な顔。長そでの白いブラウスの下に短いすそ丈の黒いスカートを身につけていて、脚には黒色のニーソックスをはいていた。衣服はほこりと泥にまみれていて、しかもところどころが破けている。彼女は青白い顔をしていて、目を閉じて静かに眠っている。千佳には行き倒れの家出少女のようにしか見えなかった。

 間違いない。一年前にここで千佳の命を救ってくれた正体不明の少女だった。まとっている衣服はぼろぼろで薄汚れてはいるが千佳の記憶の中にあるものと同じだった。

 ようやく果たした再会にも千佳はまったく嬉しさを感じられない。心の支えにしてきた少女の勇姿とはあまりにかけはなれた今の姿に、とまどいと驚きでどうしていいのか分からず立ちつくすことしかできない。


「鳥の不浄霊を追いはらったということは君には亡霊が目に見えるということだ。おかけで助かったよ。瑠璃るりは疲れてまったく動けず、奴らにいいようにたかられたままで困っていたんだ。あのままだったら瑠璃は喰い殺されていただろう」


「だ、誰っ……!? どこから話しかけているの!?」


 問いに対する答えは返ってこない。千佳はまっさきに少女の顔に目を向けたが彼女は眠ったままでしゃべっている様子はない。周りをあわてて見回すが千佳に話しかけている亡霊の姿は見当たらない。声は非常に澄んでいて亡霊がぶつぶつとつぶやくようなうわごとの類ではない。亡霊の存在を感じ取れない普通の人間にも聞こえるだろう。


「君がこの世ならざる亡霊に理解のある人間であることを見込んで頼みがあるんだ」


「な、何?」


「この女の子の名前は瑠璃という。瑠璃はとても弱っている。自分では動くこともできないほどだ。ここは不浄霊達がひしめいていて危険すぎる。どこか身体を休めることのできる安全な場所へ連れて行ってはもらえないだろうか」


 ずっと知りたかった少女の名前は瑠璃だという。彼女に会いたかったのは悪霊から命を救ってもらったお礼がしたかったことと、霊を斬る少女の正体を知るためだ。千佳は少しの間迷った末に無言でうなずき、瑠璃という少女を立たせようと右腕を引っぱってみる。

 瑠璃の身体のあまりの軽さに千佳は驚いて目を見張った。千佳の腕一本で軽々と瑠璃の上半身を引っぱり起こすことができる。見た目と体重が明らかにつりあっていなかった。女子中学生で非力な自分が動けない人間一人を連れていくなど無理があると千佳は思っていたのだが、この軽さなら心配には及ばなかった。

 千佳はぐったりしている瑠璃をどうにか背負い、何人もの亡霊が浮遊している危険な路地から立ち去った。


「病院や警察はだめだ。瑠璃には身分を証明できるものが何もない。どこか静かで落ち着いた場所がいい」


「わ、わかったよ」


 謎の声はあいかわらずどこからともなく千佳の耳に届いてくる。意識を失っている瑠璃を背負ったまま道を歩いている千佳はただでさえすれちがう人々の注目を集めていたので、見えない誰かと必要以上の言葉を交わす余裕はない。

 恩があり、しかも今にも死にそうな瑠璃を公園のベンチの上や喫茶店の客席に放置できるはずもなく、千佳は瑠璃を背負って自身の家までやってきた。制服のポケットから鍵を出して玄関のドアを開けた。靴を脱ぎ、まだ目覚めない瑠璃を床に座らせて彼女の靴を脱がせる。千佳は一人っ子で両親は共働きだ。この時間帯なら瑠璃の姿を親に見られる心配はなかった。

 瑠璃の靴を玄関に置いておくのはまずい。千佳は瑠璃の靴を片手に持ち、瑠璃を背負って二階の自分の部屋へ入った。


「……この部屋は霊的に清浄だ。瑠璃を襲う不浄霊は入ってこられない。瑠璃を休ませるにはうってつけだ」


「亡霊が入ってこないようにちょっとした工夫してあるからね」


 せめて自分の部屋では亡霊におびえることなく過ごしたい。千佳はそう思ってインターネットで簡単な除霊の方法を調べ、部屋の四隅に清めの塩を盛っていたのだ。試行錯誤の結果、千佳の部屋の中に亡霊が迷いこむことはなくなった。

 千佳は慎重に瑠璃をベッドの上に寝かせ、彼女の靴をフローリングの床の上へ置く。どれだけ外で過ごしてきたのか計り知れないほどに瑠璃の靴は泥で汚れていたが、部屋が汚れるなどと言っていられない。


「ありがとう。主人の瑠璃に代わって心からのお礼を言うよ。このまましばらく休ませれば瑠璃は元気になるだろう」


「そろそろ姿を見せてくれてもいいんじゃない? 声だけの相手ってどうも変な感じがして嫌なんだけど。あなた、人間じゃないでしょ? 亡霊かなにか? それくらいは分かるよ」

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