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榊原研究室  作者: 青砥緑
第四章 秋(後篇)
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束の間の安息-2

 克也の部屋を出た針生と犬丸は洗面所で並んでケーキまみれの手を洗いながら鏡越しに目を合せた。

「犬丸、吉野さんの見舞いは先にいったのか」

 針生が声をかけると犬丸は首を横に振った。長い髪が揺れている。

「部屋番号は?」

「1102」

「じゃ、行くか。」

 手を乾かしながら、そう宣言すると針生は後ろを振り返った。犬丸は大人しく頷いた。


 二人が吉野の病室の前までいくと、吉野は付き添いを主張する息子を追い返そうと押し問答をしていた。

「いいわよ、大丈夫よ。」

「自分の母親が死の淵から目を覚ましたってのに、起きた、良かった。じゃあ、帰るわって言う息子がいると思うの。だいたい、母さんはすぐ大丈夫っていうから信用ならない。」

 かすれ声ではあるが、きちんと喋れている吉野の声を聞いて、二人は安堵の息をこぼした。期せずしてシンクロしてしまった動作に互いに気まずそうに顔を見合わせたが、無言で扉に向き直ると、遠慮がちにノックした。

「はい、どうぞ」

 吉野の息子の声で入室を許された。二人が入って行くと吉野の息子はちょっと会釈をして部屋の脇に下がった。吉野は二人の訪問に少し驚いた様子だったがすぐに笑顔を浮かべて声をかけた。

「まあ、わざわざすみませんね。」

 明るい表情だが、頭も顔も腕も体中包帯だらけで露出している肌もあざが目立つ。そのギャップが却って痛々しい。

「急に押しかけてすみません。どうしても早くに会いに来たかったものですから。」

 針生がそういうと、吉野はにっこりとした。

「色々、大変だったんじゃないですか?」

 針生も珍しい笑顔で返した。

「大丈夫です。吉野さんも本当に、無事と申し上げていいのか分からないのが辛いところですが、意識が戻って良かったです。」

「おかげさまで。本当にありがとうございました。」

 吉野の手をとってそっと握手した針生は包帯と剥がれた皮膚の感触しかしないことに気が付いたが、それでも笑顔を崩さなかった。手を離すと犬丸と場所を変わる。犬丸は珍しく口ごもっていたが、吉野は笑顔でゆっくりと声をかけた。

「大徳寺さんも、ありがとうございました。私の命の恩人ですよ。」

 犬丸は針生と同様に吉野の手を握ると、しばらくじっとしていたが何か小声で吉野に耳打ちした。吉野は目を見開いて聞いていたが、話が終るとクスクスと笑いだした。

「約束ですよ。」

 笑うと引きつる個所があるようで、急いで笑いを治めようとしながら吉野がそういうと犬丸は真顔で深く頷いた。

「内緒話かよ。」

 後ろから針生が声をかけると、犬丸はやっといつもの調子に戻って「いいじゃないですか、嫉妬ですか」と言い返した。針生は片眉を吊り上げると「妬けるね」と言ってからニヤリと笑った。

 吉野は息子が話の流れが見えずに3人の様子を見ているのに気がついて、息子に声をかけた。

「ああ、悟。こちらね、克っちゃんの学校の先輩の針生さんと大徳寺さん。母さんの命の恩人なのよ。」

 母に急に声をかけられた息子は慌てて頭を下げた。

「あ、息子の悟です。母がお世話になったみたいで、ありがとうございました。」

 分からないなりに挨拶すると、針生と犬丸は困った様子で顔を見合わせたが、二人揃って息子に向かって無言で深々と頭を下げた。

「え?何?」

 きょとんとする吉野の息子を置いて二人は「今日は遅いし、これで」そそくさと去っていた。去り際に「また来ます」と異口同音に言って行ったのがおかしかったのか、吉野はニコニコと笑っていた。

「ちょっと、母さん。命の恩人がなんで俺に頭下げるんだよ。」

 吉野は息子の問いかけを無視して二人が来る前の問答を再開した。


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