奪還作戦 黒峰-3
なんとか研究エリアへの侵入に成功した。倉庫はさほど広くはなく、両脇の壁に並んでいる棚に段ボールが詰め込まれている。確かに中身はたっぷりあるようだ。最近納品があったばかりなのかもしれない。黒峰は倉庫に監視カメラがないことを確認すると、営業カバンを大きく広げて中から化粧道具を取り出した。30代の中堅営業の顔はここで一旦お休みである。高速でメイクをはがして塗り直す。眼鏡を取り換え、髪型もバレッタで一つにまとめていたものをより無愛想なシニョンに結い直す。櫛を通す度に適当に混ぜていた白髪が黒くなっていく。櫛の側に白い塗料を落とす薬液を仕込んであった。最後に白衣を羽織って靴を取りかえると営業カバンに脱いだパンプスを突っ込んでカバンを倉庫の段ボールの隙間に押し込む。じっと耳を澄まして近くに人がいなくなるのを待って廊下へ出た。先ほどの宇宙人じみた男にすれ違ってもすぐにはばれない自信はあったが、会わないにこしたことはない。頭に叩き込んだ見取り図を元に見取り図情報が間違っていないか研究所内部を確認する。あまりにタイミング良く見取り図が手に入っていたことが榊原教授と最上の懸案事項だった。偽の情報を流されていないか先に確認しなければならない。営業の女に戻って退館するまでの限られた時間に主要な建物の構造と防犯設備を確認して回る。多少行動が不審になってもこの際構っていられない。
かなり広い建物で入り組んでいるが、聞いていた通り使われているのはごく一部だ。ブロック単位で電気の供給も切ってある。防犯設備の電源は全館共通なのか赤いランプだけが暗い廊下に灯っている。タイムリミットは10分。あの狭い倉庫の在庫を確認するのに30分以上かかるはずはない。外を歩き回れるのは10分だけと見積もった。
倉庫から持ち出した小さな段ボールを抱えて早足で歩き回る。胸の前に荷物があればIDカードをしていないこともばれないし、何より段ボールの中にカメラが入っている。東京から大木がこの映像をモニターしているはずだ。
可能な限り動き回り、誰にも声をかけられることなく倉庫へ戻ったのはぴったり10分後のことだった。扉を開かれない様に手近にあった棚の段ボールを戸口に積み上げ、先ほどと逆の要領で営業の姿へ戻って行く。白髪は白い塗料の入った櫛を使って復元する。多少、白髪の場所や量が変わっても相手が克也でもない限りばれることはない。経験上大丈夫だ。
靴を履き替えていると、倉庫のドアが叩かれた。そのまま開かれるが手前にある段ボールに引っかかって扉が止まる。
「大野さん?大丈夫?」
先ほどの男だ。
「はい、ごめんなさい。そこ邪魔ですね。今どけますからちょっと待ってください。」
営業カバンに靴と白衣を押し込み、変わりにバインダーを取り出しながら黒峰は返事をする。そして本当に段ボールを戻してやっと扉を開けた。少し息が上がっているが段ボールを急いで動かしたせいだと思ってほしい。実際、箱は中々重かった。
「みんな、ちゃんとあるでしょう?」
男はそう言って黒峰の顔をみてから、ちょっと不審な表情をした。
「あれ、大野さん?」
黒峰はメイクの手順を脳内で総ざらいして顔を元に戻してあるか思い出す。何か忘れただろうか。
「はい?」
「眼鏡、さっきと違う?」
眼鏡に触れると、フレームが違う。慌てて着替えて、研究者スタイルの時に外した眼鏡を元のものに取り替えずにかけてしまっていた。
「え、ええ。ああ。ちょっと細かいものを見るときは変えているんですよ。」
そう言って眼鏡、カバンの脇に突っ込んであった先ほどの眼鏡を取り出してみせると、男は納得したようで「ああ」と頷いた。
「なんか、眼鏡が違うだけで別人みたいだな。なんというか」
男は口ごもってから「そっちの方が若く見えるね」と付け加えた。黒峰は若干耳が赤くなっている男をみて、驚かせるなと広い額をはたきたい衝動に駆られたが我慢した。
「機械も見て行く?」
と男が研究室の方を示すのを、手で制して「全部、ちゃんと動いているんですよね」と確認すると、男は大きく頷いた。
「では、これ以上お邪魔しては申し訳ありませんから失礼します。どうもありがとうございました。本当にお手数おかけして申し訳ありません。」
黒峰はそそくさと退出した。受付まで見送られ、ビジターカードを返却ボックスに入れると急ぎ足で車へ戻る。入るよりも出る方がはるかに簡単だ。
山道を下り国道へ抜けると研究室に電話をかける。
「黒峰です。」
今度は大木が出た。スタンバイしていたらしい。
「克也の姿が確認できないのだけ問題だけど、とにかく映像の方はばっちりです。」
どうやら任務は無事に果たされたらしい。黒峰はほっとして車を仙台へ向かわせる。
「吉野さんは?」
「まだ意識が回復しません。」
「そうですか。」
吉野の口から何が起きたか聞ければ、無理をしなくても警察に踏み込んでもらえるかもしれないという期待はまた外れた。
「問題が一つ。セキュリティのシステムが2重になってて、一つは侵入できたんですけど、もう一つ研究所内部で完結しているプライベートのシステムの侵入がまだできません。完全にカスタムで作ってあってちょっと、これ時間かかりますよ。」
「昼まででは無理ですか。」
「無理です。カメラの切り替えもあるし、侵入できた方のシステムのコントロールもあるし、とにかく手が回りません。」
セキュリティシステムを全てダウンさせなければ、厄介なことになる。今回実質的に克也の救出に向かえるのは最上と猿君の二人だけだ。隠密に行動しなければ逃げられてしまう。
黒峰が考え込んでいると、電話の向こうで何か言い合っている様子が合った。針生と犬丸が口を出しているようだ。「あああ、そうか」という大木の声がした。
「黒峰さん、あの、内部で完結している分、電源の供給を落とせば停止できるかも。家のヒューズを落とす要領です。ええと、独立して動いているシステムだからそれ専用のヒューズがあるはずなんです。」
なんとか一縷の望みが見えたようだ。通話を終えると最上達が待つホテルへ戻った。