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榊原研究室  作者: 青砥緑
第三章 秋(前篇)
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奪還作戦 針生と犬丸

 克也が行方不明になった翌日、榊原研究室には夜明け前から人影があった。宮城行きに参加しなかった針生と犬丸と大木だ。正確には黒峰と榊原教授含め、前夜から誰も帰宅していない。黒峰は少し前に榊原教授との打ち合わせが済ませてから出かけて行った。


 大木がトイレに立ったのを見計らって針生は昨夜、病院から帰ってきた最上の報告を聞いて以来気になっていた話を切り出した。

「犬丸は吉野さんに会ったことあったっけ。」

 徹夜で作業をして目の下にうっすらクマのできている犬丸はだるそうに隣の席の針生に顔を向けた。克也の恐喝未遂事件以来、克也の送迎をしている吉野とは学生達も何度か顔を合わせる機会があった。

「ありますよ。」

「二人で話したことあるか。」

 針生は視線を誰もいない克也の席に向けたままだ。

「ありますよ。」

 犬丸も同じ方向へ向き直って答えた。

「何を話した?」

 犬丸はしばらく黙っていたが、邪魔くさい髪をかきあげてため息をついてから答えになっていないことを答えた。

「こんなことの為に渡した訳じゃないですよ。」

 しかし、針生には予想済みの回答だった。

「吉野さんが車をぶっ飛ばすなんて芸当ができたのは、お前がその道具を渡していたからだ。そういうことだよな。」

 針生が確認すると、犬丸は頷いた。昨日最上は病院にいた男が前にあった車が爆発したと言っていたと報告した。前にあった車とは、吉野が乗っていた車だ。普通の乗用車が突然爆発することはない。当然、爆発させられるような仕掛けがあったのだ。吉野は護身術も修めていたし、運転技術もかなりのものだが爆発物など特殊な武器には縁が無い。目の前にスペシャリストがいたら、そちらを疑うのが自然な流れだ。

 針生が予想した通り、犬丸は克也の送迎を行う吉野に万が一の場合に備えて小型の爆弾を渡していた。万が一、犯罪に巻き込まれたときに、犯人に隙を作り、かつ迅速に人目を引いて警察を呼ぶには適度なサイズの爆発はうってつけだと思われた。もちろん、警察に見つかっても爆発物所持に問われない程度に細工はしてある。

 さらに遠隔操作が可能なように、携帯電話に起爆装置を仕込んであった。あくまで目くらましのための爆発だ。よほど近くに居ない限り死者が出ないように調整したとはいえ、間違っても自分が乗っている車の中で爆発させるような使い方をしてほしいと思ったわけではない。吉野が意図的に爆発させたのか、何かのはずみで意図せず爆発させてしまったのかは昨夜からの犬丸の懸案事項だった。起爆装置を回収して中身を確認しなければ、どちらだったのかは分からない。

「車の中で爆発して、重体とはいえ即死しなかったのは奇跡ですよ。」

 犬丸は珍しく低い声で不機嫌に言った。意図せず爆発してしまったのだとすれば自分が吉野を死の危険に晒したようなものだ。もし克也が車を降りる前だったら、克也もただではすまなかっただろう。珍しい不機嫌は、珍しい自己嫌悪の結果であった。

「奇跡じゃないと思う。」

 針生はあっさり否定した。

「じゃ、なんですか。」

 犬丸がちょっと視線をくれると、針生は灰色の繊維を摘まんでくるくると回してみせた。一時、良く研究室の机の上で弄んでいたものだ。

「これ。運転席と助手席のカバーにこの素材使ってあった。」

「何ですか、それ。」

 犬丸が怪訝そうに聞く。

「実験の失敗作。消える繊維を作るつもりが現れる繊維ができた。見えない防弾チョッキみたいなもんだよ。一定条件下に入るまでは目には見えないサイズで大人しいもんだ。ただし条件が揃うと爆発的に膨らんで元の繊維の隙間を埋め、空気の流れを遮断する。アルミ板程度の強度がある高密度のクッションができあがると思えばいい。爆発で車の屋根まで吹っ飛んでればこの板に当たって素直に熱風が外に逃げてくれたんだろうけど、空気の逃げ場がない状態では爆風の直撃をさけるだけで精いっぱいだっただろうな。」

 犬丸は椅子の背もたれに預けていた背中を起こして、まじまじと針生をみた。

「一定条件ってなんです?」

「熱」

 針生はニヤリと口の端をあげて犬丸の方を向いた。

「真横で毎日、新種の火薬で爆破実験やってる奴がいるのに火薬の成分をトリガーにすると思うか。」

 犬丸はぴくっと震えてから、もう一度深く座席に沈み込んだ。

「油断も隙もない。」

 そういうと机に突っ伏してしまった。その背中に針生が声をかける。

「飛ばされた男の数は6人だ。爆発事故が無くても吉野さんが無事に帰れた可能性は低い。むしろ、爆発のどさくさのおかげで命だけは助かったのかもしれない。少なくとも警察を素早く呼び寄せる役には立った。」

 犬丸は返事をせずにじっとしていた。そのまま、しばらくするとゆっくりと背中が上下しだして眠ってしまったようだ。一睡もしなかった針生の見ていた限り犬丸も昨晩全く寝ていない。少し休憩が必要だろうとそのまま放っておいた。


 針生は吉野のことを思い出す。克也を迎えにきて少し待たされていた吉野を捕まえて実験段階だった繊維の話を持ちかけたときのことだ。針生は偶然に出来上がった爆発的に膨らむ繊維をエアバッグか防弾チョッキの要領で使うことを考えていた。身の回りで一番それを必要としていそうだったのは克也と克也の身辺にいる猿君と吉野だ。事情を説明し試作品ではあるが使う余地があるかと聞くと、吉野はすぐに車のシートに使いたいと言ってきた。その反応の早さと要求の詳細さは明らかに普通の家政婦ではないと思った。そう思って聞いてみたらあっさりボディーガードを兼ねていると説明してくれた。山城夫妻がどれだけの力をかけて克也を守ってきたのか、改めて突きつけられた思いがした。以前に過保護と行ったときに和男が過敏に反応したのも、なんとなく理由がわかった。

 とにかく針生は吉野のリクエストに超特急で答えた。後期が始まるまでにと夏休み返上で試作品を完成させ、安全テストを行った。何とか9月の送迎が始まる直前に滑り込ませて吉野に届けられた。吉野は代金を支払うと言ったが、試作品でお金はとれないと断った。

 製品化の過程で何度か吉野と個人的に連絡をとったが、その短いやり取りで針生は吉野をこれまで出会った女性の中で一番信頼が置けて尊敬できると位置付けた。雇い主の養子などという、非常に縁の薄い克也のために何年も冗談でなく命がけで仕事をして偉ぶらない態度に感銘を受けたのだ。持ち直してほしい。重度の熱傷ということは命があっても痕が残るだろう。女性に大きな火傷の痕が残ると言うことの意味が分からないわけではない。自分が作った製品の性能がもっと高ければと歯がゆい思いがした。


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