事件発生 榊原研究室-3
最上は足早に病室を後にすると、手の中に忍ばせていたカッターナイフをポケットにしまいながら吉野の病室に戻った。猿君が振り返って立ち上がる。最上の方へ寄ってきて残っている男達に話を聞きたいと小声で要求してくる。
「悪い、もう寄ってきた。」
最上がそう答えると、猿君は不満げな表情をしたがそれ以上は言わずに席に戻った。
「山城さんのどっちかが来たら交代して帰ろう。」
ほどなくして、病室に山城和男が駆け込んできた。
最上と猿君を素通りして吉野の脇に膝をついて枕元に額を埋める。二人は無言でしばらく和男を見守っていたが、1分もせずに和男は顔を上げた。
「克也はいないんですね」
念を押すように問われる。
「同じ事故から運び込まれた怪我人の中にはいませんでした。」
最上の回答に和男は肩を落とす。すっかり疲れて一回り小さくなってみえた。
「我々は一度学校へ戻りますが、克也の捜索は続けます。」
和男は瞳を最上の方へ向けた。
「手掛かりは?」
最上は目を伏せて首を横に振った。
「まだ、わかりません。」
最上はそれ以上言わずに猿君と一緒に病室を出た。バイクにまたがって一気に研究室を目指す。猿君は無言だ。こういうときに何も無駄なことを言わないから助かると思う。
最上と猿君が病院にいる間、赤桐は最上の車でひたすら北上していた。最上の車は昔から代替わりしても車種は変えないスポーツカーだ。普段は人に貸したりはしないので赤桐が運転するのは初めてだ。あちこちに勝手に追加したと思われるボタンがあって分かりにくいが、とにかくキーを回すと腰骨に響くような低音が響きだした。赤桐は校内こそ安全速度を守ったが一般道に出た途端ににんまりを笑顔を浮かべると一気に速度を上げた。
途中から大木のナビを聞きながらの移動になる。克也はずっと北へ移動しているらしい。GPSは宮城に入ったという。赤桐ももうすぐ県境を越えるが、このペースは最短記録更新かもしれないと思う。
「止まりました。信号が5分以上動いてないです。宮城の山奥?」
ラジオの向こうの大木は誰にともなく疑問形になった。
「分かった。」
走行中に追い付くことはできなかった。それでも赤桐はGPSが停止した位置の傍には到着していた。もう少し距離を走れば追いつけていたかもしれない。
速度をぐっと落とす。大木の指示する位置はどうやら山の中だ。細い山道を入って行かなければならない。一度その入り口をやり過ごしながら山道を覗き込む。アスファルト敷きで車輪の跡は読みとれない。
そのまま山の裾を一周回り込んだ。周りは夜には真っ暗になる田舎道で途中なんの車ともすれ違わなかった。ここに目立つスポーツカーで長居すれば、すぐにばれる。少し離れた街灯の下に車を止めてダッシュボードを漁ると全国の道路地図が出てきた。自分がいる辺りを開きながら大木に声をかける。
「今、私の居る場所追えてる?」
「はい。克也の信号から直線距離で1kmくらいですね。近づけない感じですか。」
大木は予想通り、赤桐の身につけている携帯のGPSも同時にモニターしていた。
「今、目の前に山があってXX山っていうのだと思うんだけど。細い山道を入って行かなきゃ上がれない。どうみても私道だよ。入ったらすぐばれると思う。ここに停車させておくこと自体無理があるっつーか。ド田舎。超目立ってる。つっても誰もいないけど。」
「そうですか」
赤桐一人で突撃はできない。克也が怪我でもしていたら担ぎあげることもできないだろう。
「赤桐君、すでに誰かに追跡を気付かれている可能性がある。君は知り合いの家を探して道に迷ったことにしなさい。諦めて国道へ戻って大きなレストランにでも入って友人に迎えを頼むんだ。」
榊原教授の声で簡単に指示が入った。
「ここを離れていいんですか。」
GPSは持ち主の健康状態を反映しない。克也がどういう状況にあるのか確認できていないのだ。走行中に追い付けたら車を覗き見するくらい出来たかもしれないのにと歯がゆく思う。
「仕方が無い。」
赤桐は、目を閉じて深く頷いた。ゆっくり目を開けると開いた地図の道を頭に叩きこんで地図を助手席に置いた。
集落を一周してから少し速度を上げて国道へ向かった。その間、動いているものには一切出会わなかった。国道沿いの24時間営業のレストランを見つけるまでにだいぶ走らなければならなかった。やっと見つけたファミリーレストランに入ってハンバーグを注文してから電話をかける。今度は黒峰あてだ。
「もう、超ド田舎じゃん。全然家みつかんないけど。お腹すいちゃったし、今とりあえずファミレス入った。誰か迎えに来てくれないの?」
赤桐は髪をかきあげガラガラの店内を見回しながら電話の向こうの黒峰に文句を言う。この空き方なら誰かに見られてるってこともなさそうだけど、と思いながらも教授の言いつけどおり迷子になったつもりを続けた。
「そこで待っていてください。」
黒峰の返事は簡潔だった。
「えー。いつまで。」
これは演技ではなく本心からの文句だ。
「なるべく早く、連絡します。」
「そんなー。」
赤桐は情けない声を出して電話を終えると、もう一度ウェイトレスを読んでデザートを追加した。
最上が研究室に戻ってきてS&Kリサーチ理化学研究所というキーワードとGPSが停止した位置が照合された。間違いなく、GPSが停止した位置は男が口にした施設の所在地と一致する。GPSだけでは克也本人がいる保証にはならないが、確実に手掛かりはあると考えられた。とにかく宮城の赤桐に誰かが合流してGPSの発信源まで行ってみるしかないという結論に至る。警察が先に辿りついて保護してくれれば良いが、じっと待っていることはできなかった。今にも飛び出しそうな猿君を宥めて犬丸が手配した大徳寺家の車が届くのを待ってから最上と猿君は宮城に向かって出発した。