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榊原研究室  作者: 青砥緑
第一章 春
7/121

運動会をしよう-1

 5月も終わりごろの月曜に赤桐が研究室に紅葉饅頭を持ってきた。週末に地元の友人の結婚式があったのだ。いつもなら研究室に帰省の土産など持ってこないのだが、今年は可愛い弟分の克也がいる。重役出勤で研究室に現れた赤桐は差し入れがあった際の通例どおり、紅葉饅頭を黒峰に渡した。

 目ざとく饅頭を見つけた猿君が立ちあがる。黒峰からの配給を待てないほど腹が減っていたようだ。

「赤桐さん、広島なんですか。」

 猿君が声をかけると、黒峰から鋭い視線が飛んできた。慌てて言い直す。

「赤桐さん、ご実家は広島なんですか。」

 これは今年に入ってから新しく加わった不文律である。常識の欠落した克也が聞いても誤解しないように、正確な日本語を話すこと、主語述語目的語のいずれもなるべく省略しないこと。誰が言い出したわけではないが、克也の質問攻めを回避するための各々の自衛策として定着しつつあった。

「そうだよ。」

 赤桐が長い髪を括り上げながら返事をする。以前、赤桐という名前で赤毛なのは関係があるのかと克也に質問されて以来、限りなく真っ赤に近かった髪の色は赤みがかった茶色程度に落ち着いてきている。何か思うところあったらしい。

「俺は高校の修学旅行以来縁がないです。紅葉饅頭もそれ以来で・・。いただきます。」

 黒峰に饅頭を手渡され、とうとう食物を手にした喜びのために一部文末は省略された。この程度の省略は許される。


「克也は広島に行ったことあるか」

 一口で饅頭を食べ終わった猿君が問いかけると、克也はPCの画面から顔を上げてから首を横に振った。

「ないよ。」

 克也は猿君には敬語を使わない。これは猿君が自分達は同期なのだから敬語はおかしいと説得した結果そうなった。

「普通、関東の学校で修学旅行と言えば奈良、京都、広島あたりじゃないのか。ああ、高校も中学も飛び級したのか。修学旅行か林間学校どっちかいけなくなったりしたのか?」

 克也はまた首を振った。

「僕は基本的に学校行事に参加しなかったから、校外学習に参加したことはないよ。」

「ええー。」

 大きい声を上げたのは猿君ではなく犬丸だ。いつの間にか紅葉饅頭を三つも机の上に積み上げ、更に別の一個を手にしている。

「学校行事に参加しないって、運動会も文化祭も何にも出ないってこと?」

 今度は克也の頭は縦方向に振られた。

「そうです。入学式と卒業式、始業式、終業式は参加しますが、それ以外は参加したことはないです。」

「じゃあさ、じゃあさぁ。皆が体育祭の練習してる時とか、どうすんの?」

「補講授業を行ってもらっていました。」

 一拍おいて犬丸と猿君と赤桐と大木から一斉にため息が漏れた。普通の人の1.5倍の速度で進級したのだから、言われてみれば当然の措置のようだが、窓の外から歓声が上がる中、一人ぼっちで補講を受けている克也を想像すると余りに不憫だった。

「克也、授業は全部出てた?音楽とか体育とかも全部他の子と一緒に受けたの?」

 赤桐が聞くと、克也は小首を傾げて目を瞬かせた。まだ少年だから許される可愛い仕草だ。

「出るように指示されたものには出席しましたが、それが他の生徒と同じだったかは分かりません。選択授業でクラスの編成が変わることもありましたし。」

 実際のところ、克也は他の生徒や学生達に興味が無かった。他の人と自分のしていることが同じかどうかにも興味が無い。そう言う意味では友達ができない要因は克也にもあると言える。

「なるほどね。でも一応体育とかはあったんだ。」

 念を押すと、克也は頷いた。

「はい。」

 一同ちょっとほっとする。

「よし。」

 赤桐は開きかけていた資料を勢いよく閉じると、一同を見渡して宣言した。

「天気もいいことだし、今日の午後に榊原研の運動会をしよう。」

「いいですね。」

 大木と猿君が即賛成した。普段なら運動を絶対嫌がる犬丸も4つも紅葉饅頭を食べたことをネタに赤桐に押し切られて参加が決定した。克也は話の流れに着いて行けていなかったが、やはり参加で押し切られた。


「黒峰さん、針生と最上さんは午後捕まりそう?」

 赤桐が確認すると、黒峰は各自の予定の入った画面をみて「14時以降なら」と回答した。

「榊原先生は参加されないのですか?」

 克也は不思議そうに質問する。

「うーん、御老体だからな。」

 猿君が困ったような声を出した。榊原教授の実年齢は定かではないが60歳を超えていることは確かで、下手すると70代かもしれない。20代の若者相手に交じるのは厳しく思われた。

「いや、呼ぼう、呼ぼう。種目に合気道でも入れれば十分活躍できるよ。黒峰さん、教授の予定は?」

 赤桐が再度問いかける。

「14時に針生さんとの実験が終ったあと1時間程度なら空いています。」

「つまり針生と教授を14時に是が非でも実験室から引っ張り出せばいいってことね。」

 赤桐はご機嫌そうに時計を確認すると、じゃあ、みんな動ける格好用意しときなさいよ、とさっき入ってきたばかりの扉からさっさと出て行った。元々お祭り大好き、お祭り野郎の赤桐はこういう企画のためとなると労を厭わない。


 5分もしないうちに、榊原研究室のメンバーあてのメールリストに運動会のお知らせが入った。差出人は黒峰だ。無反応だった割に楽しみにしているのかもしれない。


「猿君」

 克也は黒峰経由で配給された紅葉饅頭というものを初めて食べて猿君に声をかけた。

「紅葉饅頭っておいしいね。」

「そうだな。俺も好きだ。」

 猿君が頷くと、克也の前と後ろ両方から犬丸と大木も「俺も!」と声をあげた。みんな大好き紅葉饅頭。黒峰が早々に確保しなければ針生、最上、榊原教授の取り分はなくなっていただろう。

「克也君、あとで赤桐さんにも美味しかったといってあげてくださいね。」

 黒峰が声をかけると、克也は笑顔で頷いた。


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