学生と教授と準教授と秘書の本分-3
黒峰は江藤友助の謎の5年間に関する調査に重点を置いていた。これは最後の切り札と思っていた克也の記憶がないと判明したことで新たな計画を求められた。江藤幸助が克也と過ごした家は管理者が不在となったため、既に人手に渡った上に取り壊されて何も残っていない。手紙や書類といった物証を探すことは難しかった。山城夫妻によると克也が山城家に引き取られたときに持参したものは極めて少なかったそうだ。江藤幸助が克也を冷遇していたという訳ではなく、なるべく古いものは置いて行くようにさせたのだという。里心がついても、もう帰るところはないのだから思い出の品などはない方がいいというのが幸助の説明だった。写真など無くても克也は幸助と過ごした日々のことをきちんと覚えていられる。必要があれば自分で思い出すだろうとも言っていたそうだ。
「おじいちゃんからみた江藤友助氏というのはどんな人だったの?」
どうしても情報が足りない黒峰は手近な榊原教授からも最大限の情報を引き出そうとしていた。江藤幸助、友助親子と面識があり、幸助の遺言も聞いている榊原教授は今や友助の空白の5年間に最も近い人物だ。
「最後に会ったのは彼がこの大学にいた時だから、随分若い頃だったよ。研究をさせれば優秀だったが繊細で線が細いというか、まだ少し大人になり切れていない感じだったねえ。」
いつもの教授室の椅子に寄りかかりながら榊原教授は懐かしそうに目を閉じる。
「江藤家の血筋は研究者に向いているんだろうね。ある程度以上ストイックでないと研究は続けられない。幸助もそうだったし、方向性は若干違ったが友助君もそうだった。融通が利かない同士で大人になってからは随分衝突していた。幸助からよく愚痴を聞いたよ。幸助は古いタイプの倫理観や正義感の塊のような男で、引き抜きに応じて次々と会社を移っていく友助君の働き方が気にいらなくてね。金に釣られて会社を移るとは何事かと友助君を叱っていたようだよ。でも友助君はお金で動くような人間じゃない。幸助もそう信じていたから余計腹立たしかったんだろうねえ。」
目を閉じたままの榊原教授に黒峰は質問する。
「お金で動いたのでないなら、友助氏はどうして転職を繰り返したの?幸助氏になんて反論したか聞いていないの?」
榊原教授は頷いて「そうだねえ」続ける。
「友助君は研究テーマのためだと言っていたよ。自分のしたい研究に少しでも近いことをさせてくれる会社を選んでいるだけだと言ってね。そこから先を詳しくは聞いていないが、研究テーマについても親子で意見の相違があったんだろうかね。結局幸助と友助君は分かり合うことができなくて絶縁した。時期的にはS&Kリサーチに転職する前くらいじゃないかな。」
またS&Kリサーチである。友助はその会社で何をする予定だったのかと尋ねたが、榊原教授はそれは知らないと答えた。資料上、江藤友助のS&Kリサーチにおける肩書は理化学研究所バイオテクノロジー部門第3班主任研究員となっている。バイオテクノロジー部門第3班は既に解体されており、今はない。当時の研究内容は遺伝子の解読だったようだ。友助の専門は学生時代から常に遺伝子学だったので不自然な点はない。
「遺伝子学上の研究や発見には常に倫理上の問題がついてまわるから、その辺で揉めたのだと思っているのだが幸助にも聞いたことはないのだよ。」
古いタイプの倫理観の塊だったという幸助にしてみれば例えば胎児の遺伝子調査の結果をみて堕胎を決めるとか、そうした行為は許し難いものだっただろうし、息子の研究成果がいつそうした行為に結びつくか分からない以上、色々と気にして口を出すくらいのことはしただろうと榊原教授は想像している。
黒峰は手元にある情報を見つめ直して、別の切り口がないかと考える。S&Kリサーチが克也の恐喝未遂に関係があるとしたら、父親の友助がS&Kリサーチから何か持ち出し、それを克也に託したというのが最も有り得そうな筋書きである。この推論をどう確認していくべきか。
友助が亡妻の江藤緑の係累に連絡をとらなかったのかももちろん調査した。ところが江藤緑は孤児であったため親戚は全くいなかった。孤児院での関係者も緑が独立してから、ほとんど連絡は取り合っておらず、子供がいることも知らなかった。学友も同様だ。そもそも江藤緑にはあまり親しい友人はいなかったようだ。取り憑かれた様に実験に没頭していたという証言はいくつも得られているので、人づきあいよりも研究が好きだったのだろう。おかげで江藤緑の側からの調査も行き詰ってしまった。
空白の5年間。どうして克也の記憶はないのか。謎を解くカギはなかなか見つからない。江藤友助の晩年を覆う闇は濃くて深い。後期の半分も過ぎようとしても、黒峰は真実の欠片も見出すことができなかった。