学生と教授と準教授と秘書の本分-1
後期が始まると学生達は、その本分に大いに勤しんだ。学内で有名な奇人変人の集団であってもそれぞれが優秀で前途有望な研究者であることに変わりない。彼らだって、遊んでばかりでなくきちんと研究もするのだ。
赤桐の軽量バイクの作成という趣味にしか見えない研究は前期で完了していた。後期からはその研究で耐久性の確認された新たな素材を用いて車いすメーカーとの共同研究を行うことになっている。少しは人の役に立つことに研究結果が活かされそうで喜ばしいことだ。最初のうちは基礎研究ということで新しいパーツの設計などデスクワークが主になる。日当たりのよい席で文献調査をしながら、年中脱線して関係ない論文も読んでいる。とにかく机の上には書物で山積みにされて居眠りがばれにくい状況になったことは確かである。
針生は、榊原教授との共同研究による新素材の開発を引き続き行っている。足掛け3年にわたる一大プロジェクトとなりつつあるが、まだ完成までの道のりは遠い。日中はひたすら実験に明け暮れる日々だ。3年以上トライ・アンド・エラーを繰り返せば予期せぬ結果を見る日もある。失敗した結果を並べながら、あるときふとした思いつきで一つ実験を行ったのが前期の話である。結果はさらに彼の予期せぬものだった。針生は、ここ何年か追いかけていたものよりもいいものが出来てしまったかもしれないと内心小躍りしつつ、後期は消える繊維の研究を一旦お休みして奇跡の産物の応用実験に力点を置いていた。
大木は画像処理ソフトのブラッシュアップを行っている。彼の作業時間のうちどれだけが趣味のスパイゲームとスパイソフト作成に費やされていて、どれだけが趣味と実益を兼ねたスパイ活動そのものに費やされているのかは分からない。とりあえず提出すべきものは出しているので、やりくりはできているようだ。ただし、彼の登録上の専門は情報処理関連ではないので、どうやって卒業するつもりなのかは榊原教授も知らない。本人は留年覚悟だろうというのが専らの見方であった。
同じソフト関連でも、実際に専門研究である犬丸の爆破シュミレーションソフトは、建築目的に作成されている。狭小地の建物で重機の持ち込めない場合の解体作業などに安全な爆発物の使用になることがある。一度きりで失敗が許されない爆破作業にとって高性能のシュミレーションソフトは必須アイテムとえいえる。それゆえ犬丸の研究にはスポンサーが途切れず彼は思う存分爆破実験を繰り返すことができる。そんなわけでもう終わらせて論文をかけば博士号をとれるという榊原教授の助言を無視して、ずっと同じことをやっている。まるで同じことでは面白みがないのでシュミレーションソフトを拡張すべく、サンプルの爆発の種類も増やしている。
「針生さん、ちょっとモニターお願いします。」
犬丸が針生にこれを頼むのは珍しいことではない。最近真似して大木も頼むことがある。作成したアプリケーションを試用してもらうのだ。几帳面で真面目な針生は細かなバグを洗い出すには最高の人材だった。
「今度はいくら?」
針生にとっては、小遣い稼ぎである。
「ここにある全ケースを半月で、三万円でどうです?」
犬丸は気前がいい。
「おっけ。」
針生は新しい自転車のための貯金に回そうと思いながら引き受けた。この二人はこの調子で永遠に研究室にいるのではないかと最上は少し心配している。
猿君と克也は後期中に来年の卒業研究のテーマを決めなければいけない。一年で程良く結果のまとまるちょうどいい規模の研究というのは意外と難しい。猿君は金属の強度に関する研究を勧められていた。研究がてら自分の限界を学んでおけという最上の親心である。研究者としての限界ではなく、肉体的にどのくらいの鉄板までは曲げられるかとかそういう意味で、である。本人は生物関連の研究がしたいので全く嗜好があっていない。榊原教授も最上も生物は専門外なので指導者が見つからないのが悩みの種だ。まだ研究テーマは定まらず、暇な時間は学校のジムでひたすら汗を流している。
克也は前期から続けている実験の方法論を形式化するという案もあったが、これもまだ確定していない。相手が克也では何にどれほど時間がかかるか見積もりが難しく、榊原教授もいいテーマを提案できないでいる。克也の空き時間は社会科の時間なので、ニュースを見て世界について学んでいる。誰かが暇だと、博物館だの、映画だのと社会科見学に連れまわされていた。