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榊原研究室  作者: 青砥緑
第三章 秋(前篇)
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江藤幸助の邂逅

 強い夏の日差しのなか、年老いた男が幼い子供を連れて訪ねてきた。迷子だった子供が握りしめていた紙にうちの住所があったという。4つか5つか、会ったこともない少年だった。汗で子供特有の細い黒い髪が額に張り付いていた。丸い瞳がまっすぐに私を見つめていた。私は知らないと言ったが、暑い中を歩いてきた男と子供が汗を流しながら立ちつくすのを追い返すこともできなかった。話だけは聞こうと玄関の中に招き入れ、扉を閉じると蝉の声が少しだけ遠ざかった。

 冷房の入っている客間に二人を通してから、冷たい麦茶を持って部屋へ戻ると、机の前には幼い少年一人が座っており、座布団の上のくぼみだけが先ほどまで男がいた気配を残していた。断りも無く手洗いに立つのは無礼と思うが、緊急を要したのかもしれない。困惑して少年に男の行方を尋ねたが、少年は出て行ったとだけ答えた。

 麦茶を盆から下ろすのも忘れて家の中を見回ったが既に男の姿はなく、玄関には靴もなかった。途方に暮れて客間に戻ると少年は麦茶に手もつけずにじっとしていた。暑い中を歩いてきて喉が渇いていただろうに、慌てて茶を勧めた。少年はすっかり汗を掻いたコップを握ってしばらく止まっていたが、思いきるように一気に飲み干した。そして落ち着いたのか、やっとうっすらと笑顔を浮かべて「ありがとう」と言った。

 少年の笑顔をみて、自分も落ち着きを取り戻し、先ほどちらりと見せられたうちの住所が書いてある紙片をもう一度出してもらった。住所と私の名前しか書いていない。しかし、どこか見覚えのある文字だった。少年にどこでこれを受け取ったのか尋ねても、分からないとしか答えない。彼の家の場所や家族について思いつく限りの質問をしたが、分からない、知らないの繰り返しだった。


 実りのない会話をしながら、ふとひっかかりを覚えた。目の前の少年は誰かに似ている。じっと記憶を遡ると、幼い頃の息子の声が蘇った。同じ研究者の道を歩み、優秀な成果をあげていた息子と絶縁状態になったのは10年も前だ。次の職場では長年の夢についに取り組めると言った、その内容がどうしても受け入れられなかった。まさか、と思う。10年会っていなければ5歳の子供がいても不思議はない。


 一度その可能性に気が付いてしまった私は、その日どうしても彼を警察へ連れて行くことができなかった。

 風呂を浴びさせ浴衣を羽織らせ、来ていた服を洗濯した。わずかな期待を元に衣類を確認したが、衣類にも名前はなかった。明日には警察に迷子の届を出さねばならないと思いながら、客間に布団を用意していると消えた男が座っていた座布団の下から手紙を見つけた。


 長い手紙だった。



 子供は「克也」だった。

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