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榊原研究室  作者: 青砥緑
第三章 秋(前篇)
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浮かびあがる謎-1

 大学の長い夏季休暇が後半戦に入ってから榊原教授は黒峰を伴い、山城家を訪れていた。学生たちは毎年の花火大会で学校に集まっている。克也が不在の時間を狙って榊原教授が山城家のチャイムを鳴らしたのは19時頃のことだった。


 事前に連絡を受けていた山城夫妻はもちろん在宅しており、吉野が黒峰を含む5人分の夕食も用意していた。

 5人で食卓を囲みながら、家庭訪問の要領で最近の克也の様子などを報告し合う。彼の専門分野における知識や学習における能力は既に専門家にしか成長度合いが分からないレベルに達している。話が集中するのは、学習の追い付いていなかった常識の分野や友人関係だ。榊原研究室に克也がやってきてから5カ月弱。その点において克也は飛躍的に成長した。恐喝未遂事件以降は、トラブルに見舞われることもない。穏やかに話が進むうちに夕食も終り、片付けを吉野に任せた山城夫妻はダイニングからリビングへ席を移した。


 場所を移すのに合わせるように、今日の榊原教授の訪問の本当の目的である恐喝未遂の事件の事後報告へと話題も変わった。

「四方田学長の件、警察の方は完全に片付けたということになりましたね。」

 実行犯が全員捕まったにも関わらず、その後の警察による捜査は難航した。実行犯は動機に相当する情報を持っておらず、誘拐を指示した人物を突き止めるまでに随分と時間を要した。岡島組の幹部が個人的に金に困り、山城家の財産を当て込んで身代金目的の誘拐を指示したという自供が決め手になって先日、誘拐未遂事件としてついに捜査は終了となった。警察も関係者も、首謀者とされた犯人は明らかにとかげの尻尾きりにあったと思っているのだが、本人が自分が犯人だと言い張っている上に他に証拠がでないのだから手の打ちようがない。

「そうですね。山城の金目当てと言われるとね。」

 和男は苦笑する。山城和男、乙女夫妻の資産も相当なものだが山城本家の総資産額まで考え合わせれば身代金目的の誘拐も不自然な言い訳にはならない。過去に克也が巻き込まれた全ての刑事事件が同じ理由で決着されていた。

「皆が便利にこの口実を使うから、克也が事件に巻き込まれるたびに家が金持ちだから悪いみたいに言われてしまうのは我慢ならないのですが、どうしようもない。」

 実際に何度も事件に巻き込まれる克也を厭う人間もいて、何人かの刑事には金持なのだから自衛しろとか、天才と騒がれる割には幼稚園児よりも手がかかるとか心ない言葉を投げつけられることもあった。

「人より税金を納めているんだから、手厚く保護してほしいなんて言い返したらどんな袋叩きに遭うか。」

 愚痴と分かっていても、憤懣やるかたない思いが止まらず乙女はため息をついた。山城夫妻の警察嫌いは和男の職業柄というだけではない。

 榊原教授は静かに頷いた。

「有名税というのは、高いものですな。」

 有名人の仲間である榊原教授の言葉には説得力があった。山城夫妻も黙って頷いた。


「警察の捜査は打ち切られましたが、以前お話した通り、独自に四方田氏の周りであのとき何が起きていたのかを調査しておりましてな。今日はその中間報告の目的もあって参ったわけです。」

 榊原教授が黒峰の名前を呼ぶと、山城夫妻は黒峰に注目した。黒峰が話を引き継ぐ。

「岡島組への利益供与の条件に江藤君を退学させるよう指示したのは四方田氏で間違いありません。東東大学から退学後に某西大学へ移籍させる予定でした。四方田氏は大乗り気だったようですが、この計画そのものが彼の発案だったかどうかという点に疑問が出てきました。そもそも四方田氏は何年か前から異常なまでに克也君に興味を示していますが、集められた情報をみるとストーカーのような個人的なものではなかった可能性が高いと考えられます。むしろ誰に依頼されて調査していたようです。その方法では依頼主の要求に答えられなくなったのか手元に置いていつでも目が届くようにしようとした結果が大学の移籍計画になったというような流れが見てとれます。この移籍計画はほのめかされる程度だったか、具体的に指示されたかは定かではありませんが、明らかに四方田氏は急に思い立ったようなので誰かからインプットがあったと考えています。」

 黒峰は手元のファイルからいくつかの紙片を取り出した。証拠の品々である。四方田の克也観察日記のようなもの、四方田の口座の入出金および借入状況、某西大学の予算計画、克也の移籍に関して学内の受け入れ体勢を整えようとした各種の資料。それを一つずつ説明しながら最初に話した推理に至った経緯をおさらいしていく。


「よくそこまで調べられましたね。榊原教授は顔が広いとはうかがっていましたが、これほどとは。」

 一通りの説明を聞いた和男は純粋に驚きと賞賛を込めてそう言った。情報を集めるのが仕事の和男の目から見ても見事な仕事っぷりである。和男が複雑な笑顔を浮かべて榊原教授を見ると、教授はちょっと眉を動かしていたずらな光を目に浮かべた。

「同業他社というのは思ったよりたくさんいるものなのですよ。」

 和男達は言葉の意味を考える。和男と同じような人間に調査を依頼したということだろうか。

「私では力不足でしたか。」

 嫌味のつもりはなく、からかうように和男が言うと榊原教授は手を顔の前で大きく横に振った。

「いやいや、関係者を増やすのは望むところではありません。まして山城さんがいらっしゃるのに他を頼むような失礼はしませんよ。」

 はて、他の誰かに頼んだのでなければ一体どうやって調べたのか。当惑気味の和男に榊原教授はもう一度笑顔で繰り返した。

「同業他社というのは思ったよりたくさんいるものなのですよ。思いがけないところにも。」

 和男は、あり得ない可能性に気が付いてすっかり言葉を失った。つまり、榊原教授本人か少なくとも和男に紹介された研究室のメンバーのうちの誰かが、この情報を自ら集めてきたという可能性だ。和男のいる世界では有名な才能揃いの榊原研究室は情報を盗まれる対象の代表格であって、まさか自分と同じ側の人間が内部にいるとは思いもしなかった。榊原教授は含みのある笑顔で瞠目する和男をみつめている。

 和男は無意識に詰めていた息がもたなくなって呼吸を再開した。それに合わせるように頭も再び動き始める。こんなところで、思わぬ副業を明らかにして同行している秘書は全て承知ということなのだろうか。自然と視線は榊原教授の横でいつも通りの生真面目な表情を保っている黒峰にうつる。目が合うとうっすらと企むように微笑んできた。

 和男は驚きすぎて顎が外れるかと思った。榊原教授の目を見ると笑顔で頷いて和男の理解が正しいと示す。

「はぁ。思いがけないところ、ですか。」

 和男はため息をついて、ソファーに深くもたれかかった。プロとしてのプライドが(きし)む。同業者を見抜くことは相手に出し抜かれないために必須のスキルだ。しかし、今の今まで何一つ気が付かなかった。

「フォフォフォ」

 榊原教授は愉快そうに笑うと、ゆっくりと体を前に乗り出した。

「江藤幸助が貴方と私を克也君の保護者と指導者として選んだ理由が、より納得いくものになりましたか。」

 榊原教授が、放心している和男に声をかけた。

 そうだ。江藤幸助はたまたま仕事で知り合った山城の正体を見抜いて克也の話を依頼してきた。表の世界にきちんとした顔があり、かつ裏から世の中の情報を集められる人間を頼って江藤幸助は孫を託した。同じ論理で榊原教授を選んだと言われればより納得がいく。江藤幸助存命の時点ですでに榊原研究室には裏の世界に通じている人間がいたのだろう。和男は頭に入っている学生たちと職員の研究室への在室期間を振り返る。最も長いのはいわずもがなの榊原教授本人。次が最上、赤桐、針生と黒峰が同時期、犬丸、大木の順だ。江藤幸助が生きている間から研究室にいたのはぎりぎり針生と黒峰までである。先ほどの反応からみても、これまでの経歴から見ても黒峰が最も怪しい。もしかすると黒峰の前にいた秘書も同様だったのかもしれない。


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