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榊原研究室  作者: 青砥緑
第三章 秋(前篇)
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ある男の夢

 窓の外はまだ夏の日差しだ。しかし彼の歩くリノリウムの廊下はひんやりとしている。彼も汗一つ浮かべない涼しい顔で職場への道のりを歩いて行く。しかし、彼の心の内は熱く沸き立っていた。今日から赴く新しい職場は彼の将来にとっての大きなチャンスになる。抜擢されたこと自体、自分が既にほかのライバル達に打ち勝ったことの証明だ。ここで期待されている成果を上げれば、自分の将来は約束されるだろう。ここが正念場なのだ。前任者が仕事を投げ出したことでやっと巡ってきたチャンスを逃すつもりは毛頭ない。


 前任者。以前にここを当たり前に行き来していたその男のことを思い起こして口元に力が入る。目の上のたんこぶのようだったあの男。かつてなく彼の自尊心を大きく傷つけた男。やってくるなり周囲の誰もがその男を高く評価し、それまで地道に努力してきた彼のことなど話題にも上らなくなった。それまで、彼の思い描く通りに進んできた人生がはじめて挫かれた、その屈辱。しかし、短気を起こさず雌伏の時を過ごしたのは正解だった。彼の思った通り、いい加減な男だったのだ。ろくな引き継ぎもなく仕事を投げ出した。これでようやく、皆の目も覚めたのだろう。紆余曲折があったものの、この重要な仕事の再出発を彼に託したことからもそれがうかがえる。人騒がせな奴だったと苛立たしく思うが、もうそこに嫌悪はない。彼の中にあるのは優越感そして未来への闘志ばかりだった。それはやがて、うっすらと歪んだ笑いとして表情に表れた。


 文字通り、投げ出されてしまった仕事は誰にも引き継ぎもされておらず、これから彼は一から始めなければいけないのだと説明を受けた。しかし、前任者がいなくてもその下で働いていたメンバーは残っている。彼らの記憶や、個人的な記録を足がかりに十分に混乱した現場をまとめ上げていける自信があった。これまで別の人間がうまく作業を軌道に乗せられなかったのは、彼らが無能であったからに過ぎない。

 残された情報を積み上げ、つなぎ合わせる。それだけでは足りない。そこに前任者が果たしてきた役割を自分が果たすというピースを当てはめて初めてチームは再び動き出す。彼にはその輝かしい未来が見えているようだった。誰も到達したことのない高みを目指すプロジェクト。そのリーダーとして君臨する自分。そして、その実績が自分にもたらすものも。


 静かで薄暗い廊下は、彼を憧れた栄光の座へ導いてくれる道筋であった。

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