合宿の夜-4
しばしろくな会話もなしに花火を次々と消費していく。ふと猿君が口を開いた。
「あの、克也と話してて不思議に思ったんですけど、克也って」
そこでちょっと言葉が途切れた。赤い花火の炎を見つめながら猿君が意を決して続きを言う。
「恋愛とか、そういうのどのくらい分かってるんだろうかって。」
今日、赤桐に日焼け止めを塗らされていたあたりから気になっていたのだ。克也があまりに抵抗なく引き受けたので、兼ねてからあったちょっとした心配事が膨らんでしまった。
黒峰の話題よりも遥かに色の濃い沈黙が降りた。
一同、猿君の心配毎に心当たりがあった。全員花火の火が消えきる前に次の花火に手をつけるのを忘れて、蚊取り線香の小さな明かりだけ残して真っ暗になった。
「・・集合」
最上がその場にしゃがみこんで、集合をかけたので全員小さな円を描いて密集する。誰も傍にいないのは分かっているのに小声で話し始める。
「猿、お前が一番よく喋ってるよな。でも、なんもそういう話題はでないのか。」
「ないです。」
即答である。
「一回だけ最上先生と赤桐さんは仲が良いねって言っていたけど、どういうつもりだったか分からないし。」
思いがけず自分の名前を聞いた最上は年季の入ったヤンキー座りのバランスをちょっと崩した。
「克也のことだから、お友達って感じ?」
犬丸が呟く。針生と大木も頷いた。
「で、先生。実際どうなんですか。」
犬丸がこの件を疑ってから長いこと同じやりとりが続いている。
「どうもねえよ。妹みたいなもんだよ。」
最上は呆れた調子で返事をして、そんなことよりだな、と強引に話を打ち切った。
「克也は15歳だったな?ああ、ありえねえ!」
最上は髪をかきあげながら小さい声でうめいた。自分の15歳の頃を思い出してしまったのかもしれない。
「克也って10歳から山城さんとこにいるんですよね?」
もう克也がどういう経緯で山城家に預けられたか、おおよそのところは皆の知るところだ。
「和男さんから」
そこまで大木が口にしたところで、最上が慌てて割り込んだ。
「やめろ!それ以上言うな!ちょっと考えてみろ。自分の父親から性教育を受けたいと思うのかお前は!自分の息子にそんな話したいか?ない。和男さんから既に教わっているという説も、これから和男さんに話してもらおうという説も却下だ。なんていう危険思想を持ち込むんだ、お前は。」
恋愛から性教育に的が絞られてしまったが、とにかくここは最上が正しい。全員自分の場合に置き換えて嫌な顔をした。
「学校では普通に体育とかもあったらしいし、高校とかも結構普通の学校通ってましたよね?」
一縷の望みを求めるように大木が次の可能性をあげる。
「授業レベルでは学んだ可能性はある。でも学校の友達からって線は薄いだろう。あいつ友達いなかったって言ってるし。」
針生が冷静に分析する。
「針生さんが話している範囲でも、何か知ってそうとか、そういうのないんですか?」
猿君が質問する。針生と克也は社会勉強のために一緒に新聞を読んだり、ニュースを見たりしている。何か自分とは違う情報に触れる機会があるのではないかと期待した。
「ない。というか、ニュースとかでは避けてたんだよ、その手の話題。」
ジュゴンやネッシーより大事な情報だろうと猿君が恨みがましい目でみると、針生はちょっとだけ申し訳なさそうな顔をする。
「じゃあ、克也は一般の15歳の男子なら当然知っているような性の知識がすっぽり抜けてるってこと?」
「いや、そこに限らず恋愛感情そのものが。」
猿君が厳密を期して犬丸を訂正する。犬丸はそれを聞き終る前に続けた。
「それ、まずいでしょう」
またも沈黙である。まずい、というのは分かるが誰が猫の首に鈴をつけるかということに話が及べば誰も立候補者はでない。
「そのうち、なんとかなるんじゃ」
大木の弱気なコメントは最上に即刻却下された。
「馬鹿野郎。お前は自分の場合に置き換えてから一々発言しろ。あの時予備知識が無かったらどんな悲惨なことになったか。お前は克也をそんな目に遭わせたいのか。」
そこまで言ってから、引き続く沈黙に最上はふとある可能性に気が付いてしまった。ちょっとトーンを落として付け加えた。
「すまん、この場に童貞はいない前提だった。もしいたら最後まで黙っててくれ。」
立ちこめていた火薬の匂いがすっかり流れ去る程の時間、男たちは無言で丸くなってしゃがみこんでいた。その姿勢に限界を感じた犬丸が立ちあがる。
「まあ、ここは最上先生にお願いするのが妥当ですよね。」
「はあ?お前、こういうのは友達同士で話すもんだろうがよ。」
釣られて立ちあがりながら最上が反論する。
「いつも専門は大人の男女交際って言ってるじゃないですか。」
針生も立ちあがりながら犬丸の肩を持つ。痛いところを突かれた最上はちょっとボリュームを上げて反論した。
「俺のは上級者向けなんだよ。」
「入門編もできますよ、最上先生なら。」
大木がやたら爽やかに励ましながら立ちあがった。多勢に無勢に追い込む気である。猿君はしゃがんだまま、じっと最上を見上げる。すがるような眼差しで最上が引き受けるまで梃子でも動かない意思を感じさせた。
「ああ、くそ!分かったよ!」
研究室の小人さんは、人が嫌がる仕事ばかり押し付けられる運命なのである。猿君は安堵の息を吐いて立ちあがり、再び花火に手を伸ばした。火が無いので最上にライターを借りようとしたら「一回100円」と言われて泣きそうになったが、この時ばかりは最上の意地悪を誰も責められなかった。