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榊原研究室  作者: 青砥緑
第一章 春
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未知との遭遇-3

ランチタイムです。

 授業が行われている訳ではない研究室では昼食の時間は不明確だ。猿君の腹の音で気が付いたら14時近くになっていた。

「いい腹時計ですね。」

 大木が声をかけると、猿君は「ぐぐぐ」とくぐもった声を上げた。笑ったらしい。

「飯行きますか?俺は学食で適当に食べてきますけど。」

 大木が立ちあがって声をかけた。特に急ぎの用が無ければ基本的にご飯はみんなで食べるのが榊原研究室の習慣である。放っておくと一日中研究に没頭できてしまう面々の精神と身体の健康のために息抜きの時間をもたせているのだ。針生はちょっと目を上げて行かないという意思表示をした。どうも手が離せないようだ。犬丸はもぞもぞと机から何か取り出している。校舎の出入りに必要なIDカードだろう。つまりは行くということだ。黒峰はいつも一人で昼食をとるので、誘う数には入っていない。赤桐と最上はまだ戻って来ない。二人で先に食べているかもしれない。猿君はのっそりと立ち上がった。どうやら行くらしい。

「克也はどうする?」

 大木が重ねて尋ねると、克也は首を横に振った。

「僕はお弁当があるので、学食には行きません。」

「弁当、持ってくれば?針生さんと黒峰さんに囲まれて一人で食べるのでもいいけど」

 二人の眼鏡越しに鋭い視線が飛んできて大木は「それじゃつまらないでしょ。」という言葉を急いで別の表現に置き換えた。

「二人ともまだ食事しないみたいだから、俺たちと一緒に食べに行こうよ。」

「学食にお弁当を持っていってもいいんですか。」

 克也が不思議そうに聞く。

「もちろん、いいんだよ。知らなかったの?」

「学食ではそこで買ったもの以外食べてはいけないのかと思っていました。」

 友達は教えてくれなかったのかと言いそうになって大木は危うく飲みこんだ。が、犬丸は飲み込もうともしなかった。

「誰かそういうこと教えてくれる友達いないの?」

「いません。」

 克也は気にする風もなく回答する。いわゆるお友達がいないことを克也は気に病んではいない。彼にとってはいないのが当たり前なのだ。

「とにかく、行こうか。お弁当持っておいでよ。」

「はい。」

 克也はカバンから小柄な体に不釣り合いなほど大きな弁当箱を取り出した。山城乙女特製弁当である。その大きさに目を奪われながらも一行は学食へ向かった。学食で人目を集めたのは、学内ではだいぶ見慣れた姿となっている克也よりも人間かどうかが判然としない猿君の方だった。


 猿君が入店拒否を受けるかと大木は密かに心配したが、特に咎められることも無く生姜焼き定食を手にしてテーブルへ戻ってきた。犬丸はラーメンに行列している。ラーメンのブースはいつも混んでいる。大木が猿君と同じ定食をもって克也の待っている席へ戻ると克也の弁当は既に広げられていた。豪華絢爛とはいかないが、手の込んだおかずのたくさん詰まった愛情いっぱいの弁当に見えた。何より量が多い。

「克也、そんなに食べられるの?」

「はい。乙女さんがよく食べれば大きくなると言うので、たくさん食べるようにしています。」

「乙女さん?」

「母です。」

 母を名前で呼ぶのは珍しいと思ったが猿君も大木も黙っていた。

「犬丸さんは、待たなくていいから先に食べよう」

 大木は自分を待っていたらしい二人を促して食べ始めた。犬丸はどうせ来てもあっという間にラーメンを食べ終えてしまうのだ。先に始めていても特に問題はない。3人があまり弾まないなりに会話をしながら食事をしていると犬丸より先に最上と赤桐がやってきた。手に手にプレートを持っている。

「邪魔するぜ。」

 最上は大木の隣に腰かけた。大木の正面に克也、克也の隣に猿君がすわっているのだが、大木の隣、猿君の向かいではない方に座る。赤桐は克也の隣、最上の向かいに落ち着いた。最上が克也の弁当箱を覗き込む。

「お、江藤、うまそうだな。」

「はい。美味しいです。」

「自分で作ってんの?」

 赤桐も横から巨大な弁当箱を見下ろしながら聞く。

「いえ、母が作ってくれます。僕は料理ができないので」

 見るからにできなさそうなので、恥じ入られても驚きはない。

「そうか。お母さん料理上手だね。」

 赤桐はそう言いながら、横からさっさと煮物の絹さやを抜き取って食べてしまった。兄弟も親しい友人もいない克也は弁当の中身を横取りされたことがない。あっけにとられていると、罰の悪そうな顔で見下ろされた。

「なんだよ、絹さや好きだった?じゃ、代わりにこれあげるよ。」

 赤桐は八宝菜からうずらの卵をすくい上げると弁当箱の端に返した。どうやら物物交換らしいと克也は気がついた。絹さやは特別好きではないが、卵は好きだ。この交換なら文句はない。

「ありがとうございます」

 克也が笑顔になると、赤桐も安心したように「気にすんな」と笑顔になった。赤桐が誰かに優しくする所など中々みられるものではない。余計なことを言うと怒られるので黙っていたが大木としては驚きの克也マジックだった。こういうときに余計なことをいう代表の犬丸はラーメンブースからまだ戻って来ていない。

「自分が先に好きなもんとっといて気にすんなってなあ。」

 最上がからかったが赤桐は素知らぬ顔だ。

「あれえ、先生と赤桐さんもいる」

 ついに犬丸がラーメンを手に入れて戻ってきた。5人の席次をみると犬丸が猿君の正面になる。まだ異臭が漂う猿君の正面は貧乏くじと言えよう。一瞬恨めしげに大木をみたが大木は素早く目を逸らして気がつかないふりをした。

「犬丸、またラーメンかよ。」

 最上は呆れた様子で、湯気のたつどんぶりをみやった。最上は自分が色男であることの価値をよく理解しているので30代も後半になった今は体型維持に余念がない。年中ラーメンを食べて思う存分太っている犬丸を見ると、腹が立つこともある。特に自分が減量している最中は許し難い。幸い、今の最上は減量をしなければいけない状況ではなかったので、ラーメンを胡椒でいっぱいにしたりソースをぶち込んで台無しにしたりはしなかった。

「いいじゃないですかあ。」

 犬丸は大木の横に座りながらさりげなくラーメンを最上からガードする。

「犬丸さんはラーメンが好きなんですか。」

 克也がそう問いかけると最上と赤桐と大木が、はっとした顔をした。犬丸に自由にラーメンの話をさせてはいけない。榊原研究室の不文律だ。新参者に説明しておかなかった大木は今日の午後の自分の作業に大急ぎで不文律の説明を追加した。

「克也は好きじゃない?僕はねえ」

 犬丸のラーメン講釈は長い。好きな店、好きなスープ、ダシ、具、麺、麺のゆで加減いくらでも延々と話している。克也は驚いたように箸を止めて犬丸の講釈を聞いていたが、残りの4人は黙々と食事を進めた。数分後にデザートのリンゴをのぞいて全て食べ終わった猿君が、リンゴの表面をこすりながら熱のこもる犬丸に声をかける。

「犬丸さん、麺がのびてる」

 めでたく犬丸のラーメン講釈の最短記録が樹立された。

 犬丸が1分程度、伸びてしまったラーメンを嘆きながら啜っている間に、食事が止まってしまった克也と赤桐がこっそり席を入れ替わった。犬丸が改めて続きを話そうと顔を上げるとばっちり赤桐と目が合った。

「犬丸。その話はもういい。」

 がっかり俯いた犬丸の長い髪が垂れた犬の耳に見えた。


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