落とし前、つけます。-1
ようやく梅雨明け宣言がでた。
四方田は粟倉との消耗戦に競り勝って以来の東京出張のついでに蒸し暑い夜の銀座に繰り出していた。本人の気持ち的には夜の銀座に繰り出すついでの東京出張である。お気に入りのお店で、お気に入りのホステスを指名する。大して実のない話をしながら酒を飲み、進められた食べ物をとって店の売り上げに貢献する。そうしてすっかりご機嫌で店を出たところで、懐かしい人物を見かけた。まったく奇遇なことである。
「よう、最上。最上。」
大きな声で呼びかけると、通りの向こうで背の高い黒いスーツ姿の男が振り返った。驚いたように目を開いている。
「ひさしぶりだなあ」
更に話しかけると、こちらへ寄ってきて明るい街灯の下まできた。やはり、四方田が思った通りの男だった。顔がはっきりわかるようになって四方田を見送りに来ていたホステスから息を飲む音がした。男は下手な俳優やモデルより遥かに美しい顔をしていた。
「何年ぶりだ。相変わらずだなあ、お前は。」
ご機嫌な四方田は、最上が無言なのをいいことに肩を叩いて引き寄せる。四方田にとってこの男はゴロツキ同然だったところを見つけ出して拾ってやって学究の世界に引き入れてやった相手だ。自称、恩人である。
最上は逆らわずにふっと顔を近づけると四方田の耳元で囁いた。
「そっちは最近つるみを岡島組に変えたらしいですね。」
四方田はぱっと身を離した。岡島組と付き合いがあることは一握りの人間しか知らないはずだ。最上は人を食ったような笑みを浮かべている。
「お、お前。」
「相変わらずでしょう?」
酔って赤くなった顔を更に赤くさせて四方田は口を開いたが、夜の銀座とは言え公道である。あまり騒ぎたてては分が悪い。
「久しぶりにお会いしたし、どうです。これからちょっと付き合いませんか。」
最上はやや棒読み気味に、人気ドラマの刑事のセリフみたいなことを言った。四方田は重々しく頷いた。それを見た最上が携帯を取り出してどこかへ電話する。
「ああ、俺だ。迎えの車をよこしてほしいんだが。」
四方田が去らないので店の中に帰れないホステス達は、横柄に車を呼び寄せる最上を見て目をハートからキャッシュマークに切り替えた。完全にロックオンだ。
最上はホステス達をさらりと流し見て、顔を覚えながら電話を切った。次から四方田情報の情報源にできるかもしれない貴重な女性達にほんのり笑顔をサービスする。
「そこらで拾ってもらいますから、ちょっと移動しましょうか。」
そして四方田を促して歩き始める。並んで歩くと嫌味な程に足が長い。ホステス達の普段より気合いの入った見送りの言葉に背中を押されながら四方田は通りを歩きだした。
ほんの2ブロック先の横道から白っぽい高級車が滑りだしてきて目の前に止まる。
「どうぞ。」
最上はドアを開けて慇懃に四方田を招き入れ、自分も隣に座ると扉を閉めた。車はゆっくりと発車し、何度も道を曲がって込み入ったルートで走り出した。なんとなくもう銀座界隈ではないような気がするが四方田は東京の土地勘が薄い。ろくに標識もでてこないような裏道を走られると、どこにいるのかすぐに分からなくなった。
「どこまで行くつもりなんだ。」
憮然として声をかけたが誰からも返事はない。運転席の女も無愛想で無言で四方田をちらりと見やっただけだった。そのまま30分も車に揺られ、止まったのは平凡な住宅街の一角だった。小さなコーヒーショップがあいている。最上はその店の扉を開いて四方田を促した。
3つあるボックス席の手前のボックス席だけ一人の客がいた。その姿を見て四方田は、今日、最上をみかけたのは奇遇でもなんでもなくて、あいつが俺に会いにきたのだ、と否定したかった可能性をしぶしぶ認めた。最上という男はいかにも軽薄そうに見えて昔から人を出し抜くのが得意だったと忌々しく思い出す。いつかもこんな調子で自分の手元から榊原教授の元に引き抜かれてしまったのだ。
「ご足労願ってすまなかったね。」
榊原教授が腰を上げて四方田に席を示す。
ここまで来て飛び出すこともできない。タクシーも流していないような道だ。飛び出しても移動手段が無い。
「これは、何の真似ですか。」
すっかり酔いの冷めた四方田は腰をおろしながら榊原教授と、その隣に腰かけた最上を睨む。
「我々がいて、岡島の名を聞いて、まだ要件がわかりませんか。」
最上は呆れた様子で口を開いた。返事も待たずに店主に声をかけてコーヒーを注文する。
「分からんな。」
四方田は言い逃れできないものを感じつつも強弁した。つっぱねていれば向こうがぼろを出すかもしれない。先日の粟倉のように証拠がなくて詰め寄ってくるだけならなんとでも誤魔化せる。
「では、僭越ながらご説明しましょうかね」
まず、と言って榊原教授はぴたりと四方田を見据えた。
「事の発端はうちの研究室の学生が襲われたことですな。御存知でしょう。」
「存じ上げませんが、それは災難でしたな。」
このとき、榊原教授達の座っているブースから扉一枚隔てたところにいた大木は頭を抱えたくなった。ひと月前、これに酷似した化かし合いを3時間も聞いた悪夢がよみがえる。
大木の心の悲鳴が聞こえたように、榊原教授はフォフォフォフォと笑って先を続けた。
「襲われた学生の一人は無事でしたが、一人は刺し傷がありまして、穏やかではないと我々も心配になっていたわけです。実行犯を逮捕してみれば襲いかかってきたのは岡島組という暴力団の組員だったということが分かりまして。しかしうちの学生に暴力団に恨まれるようなのはいませんで、これはおかしなことよ、と思いましてな。」
暴力団に恨まれるような学生なら二人は確実にいる。下手したら三人いる。と最上は思ったがもちろん顔には出さなかった。そもそも暴力団の関係者どころか構成員である犬丸、元暴走族の赤桐、下手した場合にカウントされるハッカーの大木の三名もこの時それぞれこの会話を聞いていたが、素直に榊原研究室に暴力団に恨まれるような人間はいないと思っていた。ちなみに最上自身は自分も大いに恨まれる可能性があることを承知しているが、彼は学生ではない。
「彼らにうちの学生を襲う様に依頼した人間がいると思った方が、自然でしょう。ところが犯行を指示した人間が特定されない。と、頭を悩ませていたらこんなものが偶然手に入りましてな。」
そういって榊原教授が目を上げると、一緒に店内に入ってきていた運転手の女が抱えていたファイルからA4の紙を取り出してテーブルに置いた。
「どうも、四方田さんから依頼を受けられたようだと。」
取り出された紙の内容は、岡島組とのメールのやり取りだった。岡島組からは警察の捜査は無事切り抜けたと聞いていたので、虚を突かれて顎の肉がちょっと震えた。物証を目の前に突きつけられながらも四方田は尚も言い逃れの策を考える。
「確かに、不本意ながらこのアドレスは私のもののようですね。しかし私にはこのような内容を書いたり、読んだりした記憶はありません。ねつ造か、誰かが私のアカウントを隠れ蓑に使用したのでしょう。」
大木は子供みたいな言い訳すんなあ、と呆れた思いでそのコメントを聞いた。弱弱しい言い訳だが、確かにメールは筆跡も声紋もとれないので本人が書いたと特定することは難しい。だからこそ四方田を誘拐未遂の件で警察に突き出すだけの証拠が揃えらなかったのだ。
「なるほど。そういう可能性もありますなあ。」
榊原教授は動じない。
「その割には、岡島って名前で随分びびってたみたいだけど。」
最上は出てきたコーヒーを飲みつつ、独り言のように呟いた。四方田の顔にまた赤い色が濃くなる。
「ご自分のアカウントが乗っ取られた可能性があると思われますか。」
四方田が何か怒鳴りつける前に榊原教授はそう問いかける。四方田はそうとしか考えられませんな。と眉を寄せて頷いた。
「そうですか。某西さんのセキュリティに穴があったかもしれないということですかな。」
榊原教授は軽く嫌味で返すと最上とちょっと目を合せた。四方田は言い返せば首が締まるのでじっと我慢だ。そのまましばらくの間、店は静かになり、外の道路をたまに通る車の音だけがしていた。
四方田がしびれを切られて口を開こうとした瞬間に、四方田の携帯が鳴った。タイミングの悪さに舌打ちしながら携帯を開くと、今しがたのっとられたと言った自分の職場のメールアカウントだった。不審に思いつつ、いつも通りにタイトルもろくに見ずにメールを開いて、そして固まった。
「どうかされましたかな?」
榊原教授が首をかしげる。四方田は白目の血管が切れるのではないかと思うほど目を見開いて目の前の二人を睨みつけたが、二人はきょとんとした顔だ。
「緊急事態ですか?」
四方田のメールには自らのアカウントから最近受領した裏金の明細やら、入試の口利きのやりとりが延々と送られてきていた。この情報が警察に漏れているのだとすれば確実に逮捕される。言い逃れはできない。
「そういうことでしたら、早くお帰りになった方がよろしいでしょうな。老婆心ながらセキュリティの強化、検討された方がいいかもしれませんぞ。」
榊原教授はフォフォフォフォと笑うと、店主にタクシーを呼んでくれと頼んだ。
四方田はこの情報がどうやって今の自分の手元に来たのか考えるのに忙しく、返事をする余裕もない。
タクシーが来るまでの間、榊原と最上はひたすら黙って四方田を眺めていた。ほどなくタクシーがやってきた。
榊原教授は立ちあがる四方田の後ろから声をかける。
「あなたは余りに浅はかですね。その浅はかさは罪です。」
それまでの好々爺然とした雰囲気とは違う、断固とした口調にぎょっとして四方田が振り返る。榊原教授は厳しい表情のまま四方田に引導を渡した。
「もう二度と、江藤克也君に近づかないと約束していただけますね。」
四方田が返事を渋ると榊原教授は静かに付け加えた。
「罪は償われなければならないものですよ。」
四方田はぶるぶる震えながら何か言おうとしたが、タクシーのクラクションに急かされて、ただ頷いて喫茶店を出て行った。車が遠ざかると、店主はおもむろに全ての窓のブラインドを下ろして住宅街のコーヒーショップは閉店した。