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榊原研究室  作者: 青砥緑
第一章 春
31/121

とりあえずの結論-2

「まず、江藤君と猿渡君に襲いかかった実行犯は岡島組という暴力団の下っ端幹部とそのさらに弟分だったわけですが、彼らはもっと上の幹部から頼まれたらしいですな。江藤君の顔写真と居所の情報を与えられて、ちょっと脅かして来いと言われたようです。脅かして東東大学の退学を迫る予定だったそうです。一体どんな文句で迫る予定だったかまでは分からないのが残念ですが。」

 榊原教授の語る情報の中でも、退学を迫る予定だったことは最上、黒峰を除く研究室のメンバーにとっても初耳だった。そんなある意味どうでもよさそうなことで銃まで持ち出すとは大げさだ。

「随分切羽詰まった感じですね。」

 針生が小さな声で呟く。拳銃を持ち出してまで学校をやめろと脅迫するとは計画自体が異常としか思えない。犯人の追いこまれていた状況が気にかかった。

「確かに、追い詰められて思いついた苦肉の策としか見えないね。どうして岡島組はそんなに追い込まれていたのか。そして、誰に。岡島組は大きなお金の入る取引を控えていました。組の存亡を左右するほどの大金でした。それを成功させるのにどうしても必要な人物が、協力の見返りに要求したのが江藤君を本学から退学させることです。その期限が前期が終わる前ということだったようです。この依頼をした人物は後期を待たずに、江藤君を別の大学に移籍させる計画だったようですから。伏せておく意味が無いので言いますが、今回の事件の発端になった人物は某西大学の四方田学長ですよ。彼が、江藤君を自分の大学に引き抜きたかった、というのが今回の事件の発生理由です。」

 そんなに一気にしゃべったら死んでしまう、と猿君は明後日な心配をしたが講演慣れした榊原教授は息も乱さず語り終えた。

「四方田学長っていうのは、そんなヤクザの取引に幅を利かすような人物なんですか」

 針生は大学の学長とヤクザの関係がしっくりいかない。

「この場合、取引と言っても銃や麻薬じゃないんだよ。四方田学長が優秀な人材の研究結果をね、企業に売る予定があった。それがどの企業に流れるかを先に知っていると、株取引で大儲けできるというような、その程度の関係だね。」

「じゃあ、四方田学長は自分のところの研究者の結果を横取りして売ろうとした挙句、欲しがる企業を争わせて値を吊り上げて、さらにそれをどこに売るかを裏でヤクザに流して株で儲けさせる代わりにマージンもとろうと。」

 針生が確認していくと、榊原教授は首肯した。

「がーめつーい」

 犬丸は鼻で笑っているが、金にがめついのは大徳寺家も同様である。

「大金が絡んでいて彼らが必死だったのは確かなのですが、それにしても学生一人退学させるのにいきなり銃にナイフとは大げさ過ぎます。」

 そこまで言って、榊原教授は山城夫妻の方へ顔を向けた。


「我々が疑問なのは期限ぎりぎりになってから突然江藤君に襲いかかったことなんですよ。この計画は前期の開始前から始まっていたんです。3カ月近くも何もしていなかったとは考えられない。春から何か不審なことがありませんでしたか。」

 山城夫妻は榊原教授の長口上が始まってからずっと真剣な表情で話を聞いていたが、この問いかけに戸惑ったように顔を見合わせた。横から最上が畳みかける。

「直接的な脅迫ではなくても、うちの学校を辞めさせたくなるような噂を聞いたりとかしませんでしたか。間接的にでも。」

 学生達の目は山城夫妻に注がれる。

「何も。」

 和男がそう口を開くと、最上は「そうですか」と残念そうに引き下がった。四方田自身を警察に突き出す道を模索していたのだが、ここには手掛かりはないようだ。


 黙って聞いていた克也が、ふと思い出したように口を開いた。

「あの電話。あれは関係ないの?毎日知らない男の人からメッセージが入ってた。」

 克也が何かの記憶違いをする可能性は限りなくゼロに近い。それは研究室に誰もが知っていることだ。彼があったと言うなら、その電話はあった。

「克也、それ、いつどこで聞いた?」

 最上が問いかけると、克也は即答した。

「4月15日からずっと、土日も毎日家の留守電に入っていました。」

 そう言って、克也はいつぞや猿君に話したのと同じ内容を一言一句違えずに繰り返した。

「類推するに、我々の信用を損ねるような情報がずっと山城さんのところに送られていたということになりますか。」

 榊原教授が厳しい表情で確認する。

「この点だけでも、教えていただきたいですね」

 乙女はため息をついて首を縦に振った。この春から、ずっと学生の情報を匿名で送ってくるものがあったと白状する。話を聞きながら、最上の額に青筋が浮かんで行く。

「研究室から、克也を抜けさせようと思っている人間がいたら、研究室のメンバーにも何か影響が及ぶかもしれない。そういう風には思いませんでしたか。今具体的に克也に関して不穏な動きをしているものがいるということだけでも、おっしゃっていただければ、我々は無防備に学生を送り出して生きるか死ぬかの怪我なんてさせなくて済んだかもしれません。お二人が克也を大事に思われる気持は分かりますが、私にとってはここにいる全ての学生が克也と同様に大事な存在です。克也のために犠牲にしていい駒ではありません。」

 最上は怒りを押し殺してそういうと、山城夫妻の目を見据えた。

「確かに、克也や妻が言ったような手紙や電話はありました。今、話をきけば確かに事件と関係があったかもしれないとは思いますが、その時には分かるわけもない。お騒がせして何もなかったとなれば、皆さんを無駄に煩わすことになります。決して克也の為に他の学生さんを犠牲にしていいと思っていたわけではない。」

 和男はそう説明したが、学生の個人情報を調べ回っている人物がいることを知っていて黙っていたのは事実だ。最上と榊原教授は無言だった。



 膠着状態を見兼ねたのか横から針生が口を出した。

「ちょっと脱線させますけど、匿名の手紙や電話がずっとかかってくるだけでも警察に通報できます。留守番電話に記録してあったのなら証拠もある。どうして黙っていたんですか。」

「これまで克也は何度もこうした事件に巻き込まれました。そのたびに警察で謂れの無い不当な扱いを受けました。私達はあまり警察が好きになれません。」

 和男は人の良い顔の上に鋭い表情を浮かべて針生をみやった。針生は不当な扱いの内容が想像できず納得できなかったが、針生より前に犬丸が口を開いた。

「じゃあ、誰かが克也の周りを嗅ぎ回ってるのに、その状況で野放しにしていたってこと?」

 犬丸には警察嫌いは良く分かるが、自分に害を成しそうなものを放置しておくことは理解しがたい。克也を案じているなどと言いながら匿名で手紙や電話をしてくる人間など怪しくて仕方ないではないか。犬丸に悪気はないが、遠慮もない。山城夫妻は言葉に詰まってしまった。

「これまで、山城さんはずっと江藤君を守って来られた。経験上、最善の策をとられたのでしょう。ただ、今回は予想を超えるような事件が起きてしまった。残念ながら、もう二度とこんなことは起きないとは断言できません。そうでしょう?」

 榊原教授がフォローに入った。乙女は無言で頷く。

「簡単なことではないと思いますが、ここに居る我々を信じて欲しいのですよ。私も今年から送迎をやめたらどうかとお勧めしたことに責任を感じています。せめて身辺調査を受けているようだとお知らせいただければ、あの議論も違う結論に至ったのではないかと思います。必要な情報を、些細なものでも共有していただきたい。そうしなければ守れるものも守れません。無駄に煩わせるなどと心配せず、遠慮なく何でも言っていただきたい。」

 榊原教授はそう続けたが、山城夫妻は即答できなかった。


 しばらくの間、じっと回答を待つ。沈黙が重くなってきた頃に猿君が小さな声で横にいる克也に声をかけた。

「克也は、みんなを信用している?」

「信用ってどういうことかな?」

 克也が首をかしげる。

「この人は自分に嘘をつかない。自分を傷つけないって思うことだよ。」

「じゃあ、僕はこの部屋に今いる人は皆、信用している。」

 場違いに明るい返事に、大人達は黙り込む。

「あの、山城さんは克也を信じますか」

 猿君が遠慮がちに聞くと山城夫妻は当然だと頷いた。

「信じられるんだったら、克也が信じている僕達を信じてほしいです。」

 二人とも答えられなかった。克也は人を疑うことを知らない。彼の人を見る目など節穴だ。しかし、彼が研究室の面々に大事にしてもらっているのは日々の食卓での会話から十分、分かっている。それに問いかけてきたのが掛け値なしに命がけで息子を守ってくれた恩人だ。信用していないなどとは言えない。

 二人の繊細な葛藤には関係ない人物が頼まれもしないのに口を開く。

「克也自身はともかくとして、人を見る目はどうかなあ。克也は誰でも信じちゃうんじゃないの。」

 軽い調子の犬丸に不本意そうに針生が同意した。

「そうだな。克也はちょっと無防備すぎる。これまで守られ過ぎてたんじゃないですか。」

「過保護だと?」

 和男が問い返すと、針生は頷いた。常々思っていたことだった。克也は世間を知らなさすぎる。良く言えば純粋だが、悪く言えば馬鹿正直だ。

「貴方達はこれまでの克也に起きたことを知らないからそう言えるんですよ。それに過保護と言われても実際、今回も事件は起きてしまった。」

 過保護と言う単語は地雷であったらしい。和男が毒気を乗せて言い返したが、針生は怯まず反論した。

「山城さん、話が混乱しています。克也を守ると言うことと過保護にするということは別物ですよ。端的に言って親は順当にいけば子供より先に老いて死ぬ。それまでに一人で生きていけるように教育しなければならない。そうなるまでは、代わりに身を守ってやらなければならない。十分両立する話です。私が言いたいのは克也は自分の身を守れるようにならなきゃいけないということですよ。そのために一人で放り出せと言ってるわけじゃないんです。」

 正論である。正論が過ぎると会話が途絶える。山城夫妻に反論の余地はなかった。


「でも、これまで山城さん達が一生懸命育ててきたから、今の素直な克也がいるんだし、今回も結果的には無事でここでまだ元気にしてるんだし。ええと、なんていうか。いいこともあるんだから前向きに考えた方がいいんじゃないですか。」

 ずっと黙って悪い空気が上空に溜まって行くのを我慢していた大木が口を挟んだ。口を開くのに勇気がいったのか額に思いっきり汗している。榊原教授は笑顔で大木を見やって頷いた。

「そうだね。我々はこれからのことを考えればいい。我々を信じていただけるかどうかも、これからの私達を見ていていただけば良いでしょう。先ほど、申し上げたことはお二人に時間をかけて考えていただくことにしましょう。

 本題に戻りますが、四方田氏についてはこれ以上野放しにする気はありません。少なくとも、彼にはもう江藤君に手出しをしない様に釘を刺した方がいいでしょうな。岡島組は四方田の要求がなければ元々江藤君に関わる動機はない。警察に目を光らせておいてもらえばそれで良いと思いますが?」

 どう思われますか、と榊原教授は山城夫妻を交互に見つめた。山城夫妻はもう一度目を見合わせて頷いた。

「構いません。お任せしましょう。」

 山城和男は素直に榊原教授の提案を受け入れた。



 山城夫妻が研究室を去った後で、克也は今日のやり取りから山ほど溜まった質問を猿君にぶつけていた。猿君は一つ一つ回答していく。

「どうして名前を呼ばれたら頭を下げるの」

「挨拶していたんだよ。日本では挨拶するときに頭を下げるだろう?きちんとお辞儀すると大げさすぎる時には、あのくらいでいいんだ。」

「どうして最上先生は怒ったの?」

「最上先生は、克也が怖い思いをしたり、俺が怪我をしたりしなくて済むようにしたいんだ。敵がどこからくるか分かっていたら避けやすいだろう?だからそうしたかったんだけど、敵がくるって話を山城さんから先に教えてもらえなかったから怒ったんだよ。」

「どうして、和おじさんや乙女さんはそれを内緒にしたの?」

「本当に誘拐が起きるなんて思っていなかったんじゃないかな。狼少年みたいにならないためかな。」

「狼少年?」

 質疑応答はエンドレスに思えた。皆、無意識に盗み聞きしながらも今日の場に克也がいたことは正解だったと思う。彼は自分を取り巻く状況を理解していなさすぎる。山城夫妻は過保護過ぎるという針生の頑固おやじ説もここまでくると認めざるを得ない。猿君が困ると誰かしらが助け船を出しながら、克也がその日のやり取りを全て消化するまで3時間程度やりとりは続いた。


 教授室ではいまだ憤懣やるかたない最上が榊原教授に絡んでいた。

「特別な配慮をお願いしますと言っておいて、情報を渡してくれないんじゃどうしょうもない。おかげで猿は死にかけたのに、それで謝罪もないなんて。」

 一方の榊原教授は余裕の構えだ。

「人の信用というのは得難く、失いやすいものだ。耳から毒を注がれて我々が信じられなくなっているのに、口だけで今すぐ信じろと言ってもそれは難しい。時間が必要だよ。実績を積み重ねるしかないだろうな。確かに猿渡には申し訳ないが、本人は何も恨んでいないようなのが救いだね。」

 最上は、なぜ榊原教授が語ると何でも真実に聞こえるのかと不思議に思う。教授として大成する人物には、こうしたカリスマ性というか話術が必要なのだろう。新興宗教の教祖にも共通する必須技能だ。そして、それが分かっていても説得されてしまうのだから実に厄介な相手だと舌を巻く。

「最上君の予想通り、学期前から克也君を東東大学から転校させるように工作が行われていたことは分かったし、その延長線上に今回の事件があったことも確信がもてた。とりあえずの結論は今日出たということで今日は良しとしようじゃないか。せめて我々が彼らを信じなければ信頼関係は永久に成立しない。」

 長く黙っていた後で、しぶしぶ最上は榊原教授の意見に同意した。

「そうかもしれませんね。」

 彼もまだまだ若い、と榊原教授は思う。

「無論、今回明らかにできなかったことについては引き続き調査はするよ。」

 当然のように宣言する榊原教授の発言を「調査するよ」じゃなくて「調査してね」に訂正した方がいいと思いつつ、最上は頷いてなんとか溜飲を下げた。


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