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榊原研究室  作者: 青砥緑
第一章 春
3/121

未知との遭遇-2

 その後、二人はすぐに榊原研究室で顔を合わせた。

 克也が研究室のドアをノックすると「どうぞ」と女性の声で返事があった。

「失礼します」

 克也が中学校時代に職員室に入る際に教わった作法で部屋に入ると、中には5人の人間がいた。2人は巨大な灰色の机に向かってそれぞれ何かしており、2人は窓際に立って話しており、一人は換気扇の下に立ってタバコをふかしていた。

 机に向かっているうちの手前側は丸顔に黒縁の大きな眼鏡をかけた男性で黒い髪が肩より長く伸びている。もういつでも恋人に求婚できるだけの長さがあるが、残念ながら一瞥した限りでは女性に喜ばれそうな要素が全く見当たらない。その第一印象は太った犬である。もう一人、机に向かっているのは針金のように痩せた男性で、丸坊主である。目も鼻も口も一様に細く鋭い作りで、それを際立たせるように細い銀縁の眼鏡をかけている。こちらの第一印象はマッチ棒である。

 窓際にいるのは長い黒髪をすっきりまとめたスーツ姿と、赤色の髪でジーンズにTシャツ姿の女性である。黒髪の女性はスタイルの良さを最大限に強調する深いスリットの入ったタイトスカートのスーツを着ており、スリットから時折のぞく裏地は金色である。ストッキングの後ろ側には一本黒いラインが入っておりそれがまっすぐのびる細い脚を強調している。もう一人の女性はとにかく髪に目が行く。克也は唐獅子のように赤い髪の人間を初めてみた。ちなみに彼の頭には唐獅子という語彙がなかったので、ただただ「赤い髪」として認識したのだが。克也の入室に気がついて振り返った彼女の顔には明らかに書いている分しか眉毛がなく、やや釣目のきつい顔つきと相まってヤンキーそのものという印象を与えた。二人の女性が並んでいる様子は弁護士と依頼者の暴走族という風にも見えた。

 黒髪の方の女性はフレームのない眼鏡を直しながら、克也に向き直り声をかけてきた。

「江藤克也君ですね。猿渡君が来るまで、そこにかけて待っていてください」

 空いている巨大な灰色の机を示された克也は背負っていた大きなリュックを足元に下ろすと、素直に席に腰かけ回りを見渡した。当たり前のことだが、みな大学生以上なので克也の目には大人に見える。タバコを吸っている人物は特に他の4人よりも年配のようだ。30代中頃といったところだろうか。黒いスーツ姿で前髪を後ろに撫でつけたオールバックスタイルの男性はテレビで見るような二枚目だった。彼は克也と目が合うと咥えタバコでニヤリと笑った。


 程なく重そうな足音がしたかと思うと研究室の扉が開き、入室しようとした何者かが激しく戸口に頭を打つ音がした。ちょっと打ちつけた、というレベルではない音量に室内にいた全員が驚いて見守っていると、一歩下がって屈みこんでから大きな塊が入ってきた。そして入ってきた瞬間にマッチ棒が眉を寄せ、他のメンバーも一様に厳しい顔つきに変わった。なぜなら、塊が部屋に入ってきた瞬間に米が炊ける時の匂いと砂と汗と靴の匂いがいっしょくたになったような異臭が漂ってきたからである。塊は頭部が絡まった毛で覆われており、体は迷彩色で覆われていた。背中には何故か土嚢を背負っている。

「おい、猿。お前臭えよ。そんなんで良く飛行機乗れたな。」

 タバコを吸っていた人物が携帯灰皿でタバコをもみ消しながら嫌そうに言うと、塊から声が発せられた。

「船で帰ってきたんで。」

「そうかよ、って、そういうこと聞いてんじゃねえ。お前風呂入って来いよなあ。」

「銭湯で入湯拒否を受けました。」

 淡々と塊が返事をする。どうやらこの塊は日本語がしゃべれるらしい。しかしタバコの人物は猿と呼んでいる。猿なのか。人間なのか。克也は二人を見比べた。

「そらそうだろうよ!お前なんぞ、グランド脇の水道のホースで十分だ。おい、今行くなよ。生乾きの状態で部屋に戻ってきたら俺はお前を焚きあげてやらにゃいかんことになる。」

 タバコの人物は甘い中にも渋みのある紳士然とした二枚目の外見に反して口が非常に悪い。塊はホースという単語で部屋をいったん出て行こうとしたが、止められて振り返った。素直である。塊は振り返る途中にすぐそばに座っている克也を目視確認した。


 小さな生き物が座っている。丸い目を見開いてこっちを向いている。かわいらしい。


 色白で華奢な体つきの克也はまだ少年のようでもあり少女のようでもある。丸い瞳が目立つ小さな顔は子ザルのようだと塊は思った。

 一方の克也は、塊に見つめられて初めて塊に目があることが確認できた。大きな目である。しかし、これだけでは人か猿か判断できない。

「あの」

 克也は勇気を出して口を開く。

「あなたは人間なんですか。もし違っていたら、すみません、でも僕、話せる猿を見たことがなくて。」

 塊は大きな目を瞬かせた。

 既に塊から興味を他に移して、好き勝手なことをやっていた他の面々も一斉に動きを止めて克也に注目している。

 塊は数秒思案していたが、簡単な問いだったので回答した。

「人間だ。」

「ああ、そうでしたか。」

 克也はにっこりと笑顔になった。

 塊、つまり異郷からの帰国直後の猿君はこの笑顔で克也の虜になった。元々小動物が好きなのだ。動物好きが高じてマレーシアへ出奔してしまったと言っても過言ではない。そんな彼にとって、子ザルのような克也はストライクど真ん中のターゲットだった。ちなみに外見上、自分の方がよっぽど類人猿じみていることについては思い当ってもいない。

 周囲にいたメンバーは克也の無垢さと、それを上回る無知っぷりを目の当たりにし、なんだかこれまでに出会ったことのない生き物がやってきたと認識した。

 猿君は思わず身についた餌付け癖でポケットから小さなリンゴを取り出し克也に差し出した。全身ズタボロの衣類のどこがポケットか判然としないため、克也の眼には猿君が突然どこからともなくリンゴを出してきたように見えた。驚いて丸い目がますます丸くなる。差し出されたリンゴは小さく見えたが、克也が手に取ってみると標準的な大きさだった。まるで魔法である。

「食べるか?」

 猿君に首を傾げて聞かれて、克也はリンゴと猿君を真剣に見比べた。知らない人にものをもらって食べてはいけない。この場合、猿君は知らない人にカウントしていいのだろうか。その仕草そのものが動物が餌を与えられた瞬間の動作と同じだとは克也自身は気づいていないが、周りの学生達は気がついた。リンゴを握りしめてきょろきょろする克也は文句なしに可愛い。全員の視線を一人占めにしていた克也だが、それもそう長いことではなかった。

「江藤、それ食うなよ。」

 タバコの人物が横から割って入ってリンゴを没収した。

「知らない人からもらった食べ物は食べてはいけません。」

 克也が考えていたことを思わず口走ると、彼は呆気にとられた顔をしたがすぐに苦笑い浮かべて克也の頭を撫でた。

「そうだな。その通りだ。何よりこれ食ったら絶対腹壊すぞ。その手も良く洗っとけよ。食事の前には手を洗いましょう、だ。」

 克也は頷いた。タバコの人物はリンゴを猿君に投げ返した。

「人間を餌付けしようとするな。」

 そう言ってからふと克也と猿君を見比べて「いや、どっちも猿っぽいな。今年の新人は親子ザルか。」と言った。

 克也は意味が分からなかったが、猿君はなんとなく嬉しそうだった。

 猿君と克也を除く学生が、そうだ克也は子ザルに似ていると心の中で納得していると、タバコの人物の背中側にあった扉が開いた。つまり克也たちが入ってきた廊下に通じる扉とは反対側の扉である。そこから榊原教授が姿を現した。

「おお、揃っているかね。ん?一人足りないようだが。黒峰君、大木君はどうしたかね。」

 黒峰と呼びかけられたのは黒髪の女性だ。

「大木君には事務室まで資料を取りに行ってもらっています。」

 彼女が回答し終わるタイミングで、もう一度廊下側の扉が開いた。大荷物の男子学生が入ってくる。

「黒峰さーん、もらってきましたー。」

「ありがとう。」

 彼が荷物を一番手前の机の上に下ろすとようやく顔が見えた。中肉中背の真面目な学生然とした青年である。学内の他の場所にいれば平均的な学生としてすっかり背景に馴染めそうな彼も、周りのメンバーの濃過ぎる外見の中に混じると「普通だ」ということが際立って感じられる。妙に安心感を誘うのは、そのためかもしれない。

「よし、では全員揃ったところで始めようかね」

 榊原教授がそういうと、黒峰が心得たように教授の脇に立った。

「本日は新しい研究室のメンバーが入りましたので、まずメンバーの紹介を行ってから席替えをします。では教授からお願いします。」

 黒峰が一歩下がると、榊原教授が口を開いた。

「まずは、猿渡桂蔵君、江藤克也君。榊原研究室へようこそ。この研究室の担当教官である榊原兵衛だ。この研究室は総合科学部先端技術研究科榊原研究室というが、要するに他の研究室に入れない人間の集まるところだ。個性の強い学生ばかりだが、ここが東東大学を去るまで、君達のホームになる。仲良くやっていってほしい。研究に関して言えば、研究テーマは自由に設定してくれて構わない。私の守備範囲を超えたら指導できないというだけのことだ。もちろん、他の教授の手を借りることを禁止するほど私の心は狭くないので、そういうときは然るべき人間を探して来て指導を受けるように。細かいことは黒峰君と最上君に聞いてくれるように。では、これから長い付き合いになるだろうがよろしく頼むよ。」

 これでは自己紹介というより研究室紹介であるが、榊原教授の生年月日や趣味に興味があるわけではないので誰も文句は言わなかった。

「最上先生。自己紹介と新入生以外のメンバーの紹介をお願いします」

 黒峰に指定されたタバコの人物はちょっと手を上げて了解の意を示した。

「最上一樹。38歳。今年度も引き続き準教授だ。専門は無機化学と大人の男女交際。主な研究テーマは特殊な金属の開発、精製だ。最近はその応用実験がてら軽量バイクを作っている。で、その共同研究をしているのがそこにいる赤毛の赤桐。赤桐はドクターコース在籍中だ。年齢と年次は聞くな。それから、命が惜しければこいつがハンドルを握っているときには絶対逆らうな、スピード狂だからな。スピード狂って分かるか、江藤。アホみたいにスピード出して車とかバイクとか乗りたがる命知らずのことだ。次にそっちのマッチ棒みたいなのが針生だ。ドクターコース3年目だな。ここのところ榊原教授と一緒になって消える繊維だか透明になる繊維だかを開発してる。当研究室きっての頑固おやじだから、愛想が悪くても気にするな。奥のデカ眼鏡が大徳寺光明。通称犬丸。火薬マニアだ。外向きの専門は建築目的の爆破技術開発とかなんとか言ってある。人に聞かれたら話を合せるように。あと金に困ったら俺じゃなくて犬丸に相談しろ。最後に入ってきたのが大木。去年まで唯一の学部生だったからここの雑用係でもある。何でも調べさせればそこらの興信所よりあてになる。そういうわけだから金以外で困ったらとりあえず大木に泣きつけ。以上。」

 ひどい説明だが、どこからも異論がでないので間違ってはいないらしい。

「では次に猿渡君、自己紹介を」

 黒峰に塊が先に指名された。

「猿渡桂蔵。今年から大学に復帰しました。専門は特にないです。」

 専門が特にないという回答は正しいようで、正しくない。せめて予定の研究分野でもあげるのが常識というものである。しかし誰もその点を正さなかった。

「では、江藤君」

 克也は椅子から立ちあがった。それでも横にいる塊の半分程の大きさしかない。

「江藤克也です。専門は特にまだ決めていません。よろしくお願いします。」

 最後に、といって黒峰がもう一度一歩前にでて榊原教授の横に並ぶ。

「この研究室で榊原教授の秘書を務めます黒峰優花です。ファシリティの不備があった場合や出欠の連絡は私にしてください。さて、次に席替えですね。」

 榊原研究室は院生も学部生も関係なく一つの大きな部屋に机を持つ。特別扱いは奥の教授室を使う榊原と最上だけである。黒峰の机は教授室扉前の半個室スペースと決まっている。残りのメンバーは人数の変動があると机の配置や取り分を変更する「席替え」を行うのが習わしだ。

「今年は二人増えましたから、戸口付近のスペースに机を増やしました。針生君と犬丸君は今の並びのまま、もう少し壁際に机を下げてください。部屋の中側に散らかしている荷物は片付けること。赤桐さんは一つ机を開けてください。大木君は開けてもらった方に移動。猿渡君と江藤君は新しく入れた机と大木君が使っていた机をそれぞれ使ってください。」

 席替えは黒峰の独断で実行される。一応窓がないのがお好みの針生と犬丸が壁際。窓際が好きな赤桐は窓際と配慮されてはいるが大木や新入生に発言権はない。

「では今日中に片づけを終えてください。配線はすでに終わっているので問題ないはずですが不都合がありましたら言ってください。続いて」

 黒峰は優秀な秘書であるらしく淀みない。今学期のスケジュールと近数日間の連絡事項が次々と言い渡される。

「以上、散会」


 黒峰の号令で研究室の顔合わせ会は終了した。通常、必ず触れられる克也がなぜそこにいるのか、という点についても説明はなかった。元からいるメンバーは慣れたもので、素直に机の移動などに取り掛かっている。

「おい、江藤」

 猿君が克也に声をかけた。

「江藤は、なんでここにいるんだ」

 至極当然の質問である。克也はこのとき15歳だったのだから。克也も問われ慣れているので回答も慣れたものだった。

「飛び級です。15歳ですが、高校卒業までの認定と大学2年次まで修了認定はもらっています。」

 小学校から飛び級に飛び級を重ねて、13歳で大学生ということになった。飛び級と言えば聞こえはいいが、彼の場合はある分野において傑出した能力が認められたため、他分野の学習が終らなくても進級を許されたのである。よって、専門分野以外の知識はもちろん一般常識、情操教育にも著しい抜けがある。こんな無茶が罷り通ったのは、彼のその傑出した能力が国をも動かす潜在的な力を秘めていたことによる。平たく言うと国益に直結する分野に秀でた頭脳だったのだ。克也の頭には国益が眠っている。よって国の機関も彼の飛び級を後押しこそすれ、止めることはなかった。

「そうか」

 猿君は素直に納得した。繰り返しになるが、素直な人物なのだ。

「15歳か。伸び盛りだな」

 大きな手で克也の頭をぽんぽんと撫でると大きな目を細めた。大抵、飛び級の話をすると大げさな反応をされるので、必要な過程を修了したら進級すると言う当たり前のことをしているつもりの克也は不思議に思うことが多かった。しかし、この塊はあっさり納得してくれた。克也は級友にすんなり受け入れられるという生まれて初めての経験を良い感情と共に記憶した。また、いつも自分より大柄な級友に囲まれ小柄であることが密かなコンプレックスだった克也には伸び盛りという単語も非常に喜ばしいものだった。実のところ成長期らしい成長期を迎えていない克也は伸び盛りではないのだが、そんなことを猿君は知る由もない。克也はたった二言の返事を聞いて、この塊が気にいった。二人で席を並べてPCのセットアップやら、黒峰から渡された膨大な量の資料への記名やら、署名やらを行う。署名に印鑑を押す欄を発見した猿君は、机の下に置いてあった土嚢を取り上げると口を開いて中から古びたペンケースを取り出した。その中には更に古びた印鑑が入っている。

「珍しいカバンですね」

 土嚢という存在を克也が知っていれば、土嚢をカバン代わりにするなんて珍しいですね、といったであろう。猿君は首を傾げた。

「普通のリュックサックだ。古いだけだと思うけど。」

「そうですか。リュックサックは古くなるとそんなに見た目が変わるんですね。」

 榊原研究室のメンバーで普段から人の会話に無遠慮に口をはさんでくるのは最上と犬丸だけなのだが、この会話には打ち合わせのため既に席を外していた赤桐と最上を除く全員が何か言いたくてうずうずした。そして最初に口を開いたのは犬丸だった。

「猿君はさあ、ただ長い間そのかばん使ってたんじゃないでしょう。どうしたらカバンがそんな土嚢みたいになるのか僕には分かんないね。」

「見た目がどうというより、その土嚢自体が異臭の一因なんじゃないか。お前明日から何とかして来いよ。」

 針生は鼻が良い。よって臭いものにも非常に敏感だ。もっと言うと大抵の刺激には他の人より敏感だ。周りからは神経質とのレッテルが張られている。

「江藤、リュックはただ古くなってもそうはならないから。俺のカバンは10年使ってもリュックだって分かる外見してるだろ。」

 騙されるな、という言葉をかろうじて飲み込んだ大木は自分のカバンを持ち上げて見せた。確かに薄汚れてはいるが十分にリュックサックと分かる状態である。克也は自分の足元のリュックを見下ろした。大きな黒いリュックは高校卒業時に山城乙女が購入してくれたものだ。もう通学カバンに学校の指定はないから何でも好きなのを選びなさいと言ってデパートのカバン売り場に連れて行ってもらった。あれから2年間、基本的にこのかばんしか使用していないが、猿君のカバンへの道のりは遠いと思えた。

「猿渡君は、」

 何年そのかばんを使っているのですか、と聞こうとして克也ははたと気がついた。なんと呼べばいいのか聞いていない。克也が飛び級を繰り返すうちには意地悪をいう者も当然いて、年上はクラスメートでも「さん付け」で呼べと言われたこともあった。以来、新しく出会った学友の呼び名は本人に確認するようにしていた。

「あの、僕はあなたのことをなんて呼んだらいいでしょう。」

 改めて、克也が問いかけると猿君はしばし沈黙した。表情が毛に覆われて驚いたのか悩んでいるのか窺い知ることができない。

「猿君でいいんじゃないの。」

 さっさと答えたのはまた犬丸だ。犬丸にしても猿君に会うのはこれが初めてなのに全く遠慮というものがない。しかし、猿君はそんな犬丸の態度も気にならないようだった。

「それでいい。」

 簡単に同意した。

「じゃあ、猿君、猿君はそのかばんを何年使っているのですか。」

 克也の問いに、今度は全員ずっこけそうになった。

「まだカバンが気になるのか。」

 猿君は自分の土嚢、元リュックサック、を見下ろした。それ程魅力的な存在には見えない。

「かれこれ、5年くらいかな。」

 10年使っていると言った大木のカバンと猿君のカバンを克也は頭の中で並べてみる。犬丸が言っていた使い方が問題というのは正しいようだ。克也が一年あたりのカバンの消耗について考えている間に、猿君は書類に印鑑を押した。ちょっと心配だったが印鑑は割れも欠けもしていなかった。

「江藤は、なんて呼んでほしいんだ。江藤でいいのか。」

 猿君はお返しのように克也に声をかけた。克也は猿君に向き直って回答する。

「江藤で構いません。でも、家族は克也と呼ぶので克也でも構いません。」

「克也のがいいなあ。」

 犬丸は勝手に感想を述べる。

「俺も克也って呼んでいい?」

 大木も便乗する。

「はい。」

 克也が良い子のお手本みたいな返事をすると、キワモノ集団と名高い榊原研究室に似つかわしくないほんわかムードが流れた。これで、克也のあだ名は克也に決定した。その後、全員の呼び名を克也は確認していったが、犬丸以外は先輩なので名字にさん付け、犬丸は名字で呼ぶと他の人が誰のことか分からないという理由で犬丸さんと呼ぶことになった。最上は先生なので、先生と呼ぶ。榊原教授はそのまま榊原教授だ。

 克也は研究室の面々が話しやすいことに驚いた。猿君は何くれとなく気にかけて声をかけてくれるし、分からないことがあって困っていると助けを呼ぶ前に大木か黒峰が手伝いに来てくれた。気にかかることを質問しても、昨年度までのように変な顔をされて返事がもらえなかったり、要領を得ない回答で終わったりすることはなく、素早く明瞭な回答が返ってくる。犬丸は口を出すだけで、針生は文句を言うだけだったが理不尽なことは何もなかった。学校というところでは常に遠巻きにされ、質問をするたびに戸惑いや悪感情をもって返されていた克也にとって、これは画期的な環境の変化であった。

克也の仲間達です。

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