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榊原研究室  作者: 青砥緑
第一章 春
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運動会をしよう-7

 その後、着替えて研究室に戻ったメンバーは全くやる気が起きず、打ち上げと称してジュースとお菓子を買い込んできた。大木の机の上に大いに食べ物を広げてつまみあう。


「大木さんは、運動が得意なんですね。」

 今日の運動会を見ての克也の感想だ。柔道も強かったし、障害物競走でも克也と一位を争っていた。

「特別得意ってわけじゃないんだけど、普段から運動してるからかな。スパイは体も強靭じゃないといけないだろ。ジェームズボンドみたいにさ。でもここのところ忙しくてトレーニング減らしてたから鈍った気がする。年かな。」

 大木は後半ぼやきつつ、ポテトチップをつまんだ。克也はジェームスボンドとは何か聞こうと思ったが、口を開く前に目があった猿君に首を横に振られて止められた。この頃までに猿君は、大木が本気で007を目指すほどのスパイマニアであることを知っていた。興信所よりもあてになるという彼の調べ物は、限りなく違法な手段まで用いて実行されていることも、克也を除く榊原研究室全員の暗黙知となっている。理論に実行まで伴ってしまっている大木にスパイについて講釈を始めさせると、これまた話が長いのだ。


「年なんて克也の次に若いくせに何言ってんの。俺なんて、最後の体育の授業からから何年経ってると思ってんの。」

 犬丸がミニ羊羹をかじりながら反論する。

「犬丸はそもそも体育なんか出てなかったんじゃないのか。それに、そんなこと言ったら俺の方が年上だし。最上先生なんてもっと上だぞ。」

 針生は昼食抜きで実験を行い、さらに運動会に引きずり出されたので空腹だったようだ。一人だけ牛丼を抱えている。

「別に体育の授業がなかったら運動しちゃいけないわけじゃねんだから、普段から体使えよ。30過ぎるとがくっとくるぞー。ほっといたらどんどん腹が出てきてって、犬丸はもう出てるか。」

 最上が嫌そうにミニ羊羹の残り紙を見る。

「30過ぎるとがくっと何がくるんですか?」

 克也はポッキーをかじる手を止めて最上に質問する。

「30歳過ぎるとな、年を実感するって言うかな。急速に体の衰えが進むんだよ。そして急速に体の衰えを実感するわけだ。おお、自分で言ってて落ち込むな、これ。」

 最上はアイスコーヒーを紙コップに注ぎながら笑う。本当は大して気にしていないのが丸分かりである。

「な、赤桐。」

 一言余計に付け加えて、赤桐の方を向くと赤桐はパピコをくわえたまま嫌そうな顔で見返した。

「人を勝手に三十路仲間にいれないでよ。」

 赤桐の年齢は定かではない。年次で言うと針生より上、最上より下であることだけは分かっている。針生が26歳なので30歳を超えていない可能性も大いにある。

「みそじ?」

 克也が猿君を見上げる。分からないことがあると、とりあえず猿君を見上げて質問するという克也の行動パターンは完全に定着している。

「30代のことだ。三十に道路の路と書いて三十路だ。」

 猿君はリンゴを丸かじりしながら答える。

「30代の話題を引っ張るのはやめてくれ。」

 最上が両手を上げて降参のポーズをする。

「機嫌が悪くなった赤桐と一緒に実験室に籠るのは俺だ。」

「今のは自業自得ですよ、先生。」

 呆れたように針生が指摘する。牛丼は綺麗に消え去り次に大木の前のポテトチップの袋を狙っている。

「うっせえなあ。だいたい針生よ、お前が俺の年の話するのがいけねえんだよ。そんなことよりお前痩せてんだからもっと体動いていいんじゃねえの。猿の巨体があれだけ動けんだからよ。」

 分が悪いせいか、一段と口が悪くなった最上がやり返す。タバコの代わりにポッキーをくわえてしゃべるので唇に溶けたチョコレートが付いている。

「瞬発力を問われる競技は苦手です。」

 針生は大木からポテトチップの袋を奪い取り、中身がほぼ空なのに気が付いて大木に押し返す。

「じゃあ、なんだったら得意なんだよ。」

「トライアスロン」

 回答しながら針生は犬丸の抱えている別のポテトチップの袋を奪い取る。犬丸が恨めしげな声を上げるが見向きもしない。

「なるほど、そういやそんな感じだね」

 赤桐が声を上げる。確かにマッチ棒みたいな針生の体つきはそういう持久力勝負の競技に向いていそうだ。


「トライアスロンなんてマゾの競技だよ。どうして公然わいせつ罪で皆逮捕されないのかと思っちゃうね」

 ポテトチップの恨み節そのままに犬丸が文句を言うと、輪の外にいた黒峰から教育的指導が入った。

「犬丸君、不適切な発言です。」

「はーい」

 犬丸は首をすくめるが、反省の色はない。

「マゾの競技?」

 克也がまた猿君を見上げる。

「辛いことを進んでやる人達の競技ということだな。トライアスロンは分かるか、克也。マラソンと、遠泳とサイクリングを続けてやるスポーツだ。体力的にしんどいから、普通はあまりやりたくないな?それを楽しんでやる人達をマゾと表現したんだ。」

「人が嫌がることを進んでするのは良いことじゃないの?」

 克也の純粋な瞳にマゾについてどこまで説明したものか、猿君はちょっと迷う。

「人が嫌がるけど、必要なことを進んでやるのはいいことだけど、人が嫌がるけど、する必要のないことを進んでやるのがマゾの人なんだよ。」

「嫌なことで、しかも必要ないのにやるんだね。それは不思議だね。」

 克也はふんふんと頷いてから、針生の方を向いた。針生は思いっきり嫌そうな顔をしていたが、克也は躊躇わない。

「針生さんはどうしてトライアスロンをするんですか?」

「好きなんだよ。」

「もっと詳しく」

 悪乗りした最上が促すと、針生は苦虫を噛み潰したような顔のまま付け加えた。

「体力の限界に挑戦するのが楽しいんですよ。」

「やっぱりマゾだ」

 犬丸はむふふと笑って、針生の手からポテトチップの袋を奪還した。

「体力の限界は分からないですけど、僕も自分の限界に挑戦するのは楽しいです。限界だと思っていたことが、思い込みでもっと先があるのを発見することが楽しいです。」

 克也が針生の目をみつめてそういうと、針生は眼鏡の奥の細い目を大きく見開いた。

「そう。そういうことだよ。」

 針生はそういうと、俄かに笑顔になった。珍しい満面の笑みである。

「今、針生さん、絶対『同志よ!』って思ったでしょう。」

 犬丸がポテトチップの袋を逆さにして残りを全て飲み込んだ後でニヤリとしながら言う。それを聞いた克也と針生を除く全員が吹き出して、珍しい針生の笑みは幻と消えた。


体育祭や文化祭は準備と打ち上げが楽しいものです。

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