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榊原研究室  作者: 青砥緑
第五章 冬
117/121

大人の役割-1

 言葉を発しなくなって考え込んでいる風の克也を猿君と一緒にとりあえず寝室へ戻らせた。今すぐ何かを彼に喋らせることができないのは明白だった。何より急かす必要がない。

 3人だけが残ったリビングで乙女が口を開く。

「もう聞いてもいいでしょうか。榊原教授は幸助さんから何を聞いていたんですか。」

 榊原教授は頷いて克也に話したことと同じ話をした。途中で細野によって予期しない形で友助との記憶を取り戻したと聞くと乙女が茫然としたように聞き返した。

「あの子はそんなに前に思い出していたんですか。」

 乙女は大きな扉と幸助が表現した、克也と父親の生活の記憶についても早くとも16歳になったら思い出せるように手配してあると幸助から聞いていた。

「細野の事件の後で、目を覚ました時にはもう友助君と過ごした日々のことを思い出していました。黙っておくように言い含めたのは私です。克也君によれば友助君は晩年、精神に異常をきたしていたようですし、克也君を女装させて妄想の追跡者から逃げていたようですから、彼が誰にも邪魔されずにそうした自分の過去と向き合う時間が必要だと思いました。」

「そんな・・・。」

 乙女は力の抜けた様子で二階の克也の部屋あたりへ向けて視線をさまよわせた。

「気がつかなかったでしょう?彼は私達が思うよりずっと強くてしなやかな心を持っている。わたしももっと学校に戻るまでに時間がかかるだろうと思っていました。」

 黙ったままの乙女に榊原教授は続けた。

「お母さんから受け取れというのが緑さんの残した記憶の中から受け取るという意味なのか、それ以外に何かあるのか聞いていなかったのですが、やはり貴方のことだったんですね。実は、先ほどまで確信はなかったんですよ。」

 山城乙女は本当に知らんぷりと隠しごとが上手だ。榊原教授をもってしても彼女が克也の記憶の鍵を握っていると最後まで確信を持てなかった。山城和男は江藤幸助にとってよい目くらましだったに違いない。目の前に善良そうな会社員の女性と産業スパイの男性がいたら誰だって後者が秘密の持ち主だと疑うだろう。

 乙女が「お母さん」であるという仮説にたって、今日少し芝居がかったことをしたのは克也から頼まれたからだ。


 榊原教授から江藤幸助の遺言を聞いた後、数日して克也が教授室にもう一度訪ねてきた。

「榊原教授、お願いしたいことがあるんです。」

 克也にそう言われて、榊原教授は先を促した。

「この間、教えてもらったヒント、たぶん分かったと思います。おじいさんが僕に向かって「お母さん」という言葉で示した人は一人しかいません。乙女さんです。」

 これは意外な告白だった。榊原教授は乙女が何か知っていそうだとは思っていたものの、お母さんはやはり緑を指すのだとずっと思っていた。

「緑さんではないのかね。」

「おじいさんは、お母さんのことは「お前の母親」としか言いませんでした」

 克也の驚異の記憶力がなければ、絶対に解けないヒントだ。そして他の人間にも絶対分からないヒントだ。榊原教授は江藤幸助の巧妙さに嘆息した。

「そうか。それで、私は何をすればいいのかな。」

「僕は乙女さんから鍵を受け取りたいです。でも、乙女さんは昔から僕に自分をお母さんと呼ばせたがらなかったし、もしかして鍵なんて知らないっていうかもしれないと思って。だからあの、僕がこの話を聞きに行くときに一緒にいてほしいんです。」

 榊原教授はすこし悩んだ。確かに1対1で話していれば「何の話?」と言われればおしまいだ。しかし、榊原教授が全部知っている振りをしてその場にいれば言い逃れはできなくなるだろう。問題は、鍵を手に入れて克也が取り戻す記憶が彼にとっていいものとは限らないことだ。友助と過ごした日々のように。

「記憶は取り戻すのでいいんだね。嬉しいものではないかもしれないよ。」

「当り前のことが、急に当たり前じゃなくなることがあるでしょう。乙女さんにいつでも鍵を聞ける訳じゃないから。」

 榊原教授は克也から無常を説かれるとは思っておらず、思わずまじまじと克也を見詰めたが、彼の揺るぎない意思をみて頷いた。

「分かった。」


 こうしたやりとりの結果、今日の誕生日パーティーが終るのを待っていたというわけだったのである。


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