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榊原研究室  作者: 青砥緑
第五章 冬
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もう一つの封印-2

「みどり」と言ったきり克也はぷっつり動かなくなった。目を見開いたまま身じろぎもせず、じっとしている。

 声をかけようとした乙女は榊原教授に止められて口を閉じた。たっぷり5分以上克也はじっとしていた。やがて、ゆっくり目を閉じてからもう一度目を開けた。はっきりとした意思を持った瞳でまっすぐ乙女を見返した。

「乙女さん、ありがとう。確かに受け取りました。」

 乙女は耐えられないというように口元を覆った。乙女はこの言葉で克也が余り喜ばしくない出生の秘密を取り戻すだろうということを江藤幸助から聞かされていた。喜ばしくないことの詳細までは知らないが、友助が子供に一度託したものの、それを封印したという経緯からは生半可な秘密ではないだろうと察せられる。乙女は、それがこれからの克也の人生にとって大きな重荷になるのではないかとずっと危惧してきた。教えないで済むのなら、鍵など教えたくはなかった。


「僕の誕生日は今日じゃない。」

 いきなりの告白にその場の全員が克也に注目した。

「家で生まれたのは12月20日だけど、僕ができたのはもっと前だから2月だった。2月10日。冬晴れ。」

 猿君は咄嗟に克也が今度は受精卵時代からの記憶を取り戻したのかと疑った。そうなるともう天才の域すら越えている。

 克也はぽつりと呟いた。

「僕は人間なのかな。」

「どういうこと?」

 猿君が思わず問い返すと、克也は少し悲しい表情で猿君を見つめ返して話し始めた。彼が思い出したこと。彼の親が彼の記憶に直接残したメッセージについて。



 遺伝子操作が友助と緑の研究テーマだった。しかも大豆やトマトではなく人間の。二人の究極の夢は遺伝子操作により高い能力をもった人間を作り出すことだった。

 二人の結婚に愛があったのか、それとも実験の結果で子供ができた時に自然に受け入れられる環境を用意するためだったのかは定かではない。おしどり夫婦と言われていたが実態は最高の共同研究者に過ぎなかったのかどうかを克也の記憶から確かめるすべはない。二人が特別な信頼関係で結ばれていたことだけは確かだ。

 二人は会社での研究の傍らで私的に実験を行っていた。そして、ついに満足がいく受精卵を完成させた。二人はこの子供を自分たちの子供として育てていくことを決めた。受精卵を緑の体に戻し、あたかも通常に妊娠した子供のように出産した。つまり、その子供が克也だ。二人はこのことを誰にも告げなかった。この実験結果がもたらす影響を二人なりに危惧したのだ。特に自分たちの努力の結晶である子供が取り上げられてしまうことを何より恐れた。

 二人にとって克也の誕生はこの上なく喜ばしい出来事で、緑のお腹の中で克也が育っていく日々が人生で最も幸せな時だったと言える。しかし、緑が出産後すぐに亡くなってしまったことで友助の精神バランスは崩れ始めた。今にも克也が他の研究者に連れ去られてしまうのではないかという狂気に取りつかれ、すでに戸籍登録していた克也の名前を伏せて、名前も性別も偽って育てた。ノゾミというのは実験段階に使っていた名前だ。友助は馴染みの深かった名前を偽名に使った。緑は自分の子供として育てるなら実験資料に散りばめられた名前とは違う人としての名前を付けたいと「克也」という名前を与えたが、彼女の願いどおり克也がその名前で呼ばれるようになるのは5年後、克也が幸助の家に預けられた後だった。

 友助が克也に託したメッセージは自分がどうやって生まれてきたかという事実だ。その中心は友助と緑の歴史ではなく、克也自身の製造過程を記したデータだった。

 友助は克也の作り方をまだ4歳の本人に説明した。理解するのではなく丸暗記しろと専門用語で一杯の文章を読み上げて暗記させた。当時の克也はもちろんそれが自分の製造過程だとは知らずに暗記した。そして16歳という年齢と「緑」というキーワードの両方が揃うまでは思い出してはいけないと言った。幼いころの克也には親の言いつけは絶対だ。思い出してはいけないと言えば、思い出せない様に記憶をコントロールすることもできた。友助はもちろんそのことを知っていた。だからこそ一番安全な秘密の隠し場所に克也の頭の中を選んだのだ。

 今蘇った記憶をなぞれば、全てではなくても説明された概要は理解できる。克也は試験管の中で作られたものだ。克也自身が両親の実験結果なのだ。


 克也は静まり返った一同を見回してから、少し首を傾げた。黒い髪がさらりと流れて白い額が露わになる。

「こういう風にしてできた人間は人間っていうんでしょうか。僕は何なんだろう。」

 誰も何も言えなかった。克也の異常なまでに発達した感覚器、記憶力、理解力が作られたものだとすれば、人造の天才ということになる。友助と緑がこういう人間を優れた人間として求めていたのだとすれば、彼らの実験は成功だ。

「克也は人間だよ。克也は克也だよ。」

 猿君がぽつり言った。

 克也は猿君を見て「克也って何だろう。」と聞いた。

「克也は俺の友達だよ。ここにいる克也が、克也だよ。」

 猿君がしっかり克也の両手を掴んで言うと、克也はじっと自分の手を見下ろした。


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